Seventh bridge -すてられたものがたり-
過去の集団脱獄事件について明らかになったのはかなり経った後だった。
いや、実際にその書類を手にしたのはそれよりか前のことでその時点でハッキリとはしていたのだが、気持ちがぼんやりしていたせいで、明瞭に理解するのがかなり遅れたということだ。
集団脱獄事件、つまりレノが昇進した契機となった事件。
俺は警察機構の本部で、ツォンさんと肩を並べながらそれについて話し合っている。
「数年前に決定した医療制度が絡んでいる。劣悪と評されながらも決定された実質格差助長制度の一つだ」
ツォンさんはタバコを燻らせながら難しい顔をしていた。
「その制度に反発しての暴動だったらしい。まあ考えられる事件だな」
「しかし、それとレノと何の関係が?」
「分からない。しかしあの制度に関しては世間的な反対が過半数に及んでいたにも関わらず決定したという背景がある」
尤もそれとレノとの関連性は分からないがな、とツォンさんは言う。確かに医療などレノとは無関係だ。
「しかしこれは…迂闊に動けないな」
「え?」
「医療系は、警察機構のトップと繋がっているという噂がある。恐らくあの制度の決定の裏には何か秘密があったんだろう。実際、あの時期はやけに犯罪が少なかった」
「少なかった?犯罪が?」
俺がそう聞き返すと、ツォンさんは声を潜めて話を続けた。
聞かれては不味い話なんだろう。周囲に人など居ないのに、敢えて声を潜ませているのがその証拠だ。
「過半数が反発していたのに事件が少ないなんてことはありえない。何せあれは低所得者には鉄槌のような制度なんだ。それなのに検挙は僅か……つまり圧力的に鎮圧した可能性がある」
「圧力的に…」
「そうだ。世論が反対を押していたとしても、実際に反発テロや暴動が起こっていないとなれば、自ずと人はこう靡くものだ。“反対反対とは言っても過激なテロや暴動を起こすほどには反対じゃないのだろう”“だったらそれほど問題ではないのかもしれない”“仕方が無い”、とな。これは言わば、集団心理によるコントロールだ。逆に事件が明るみに出れば、ほら見ろと言わんばかりに反対意見に染まるだろう。味方が多いというだけで人は強気になるからな。恐らく九割方は鎮圧だろう。……と私は見ている」
「なるほど」
その制度の話はチラとは知っていた。
但しそれほど深い関心事でもなかったし、掘り下げて考えてみたことはない。
勿論、自分には当てはまらない法律だったからそんなふうにスルーできたのだろう。
「私はこの制度についてもう一度洗ってみるつもりだ」
「でも危険なんじゃ…」
さっき自分からそう言ったのに、ツォンさんはそんなことを宣言する。
だが俺も、ツォンさんの性格はさすがに大方把握してしまっている。つまりツォンさんは許せないんだろう、あの劣悪な制度が。そしてその劣悪な制度がレノに何か影響を与えたかもしれないと考えてるんだ。
ツォンさん、さすがだな。
やっぱり俺たちはタークスなんだ。
「大丈夫だ、何とか切り抜けてみせる。レノについての聞き込みはお前だけで進めてくれ。こちらも分かり次第連絡する」
「分かった」
俺はツォンさんの決意に頷くと、今迄広げていた資料を一括りにした。
これは今日から俺にとっての資料になる。
レノを探すための―――――レノを捕まえるための。
「ツォンさん」
俺は資料を手に、ツォンさんの名前を呼んだ。無意識だった。
「何だ?」
振り返ったツォンさんに、俺は何でもないと首を横に振る。何で呼び掛けたのか自分でも分からなかったからだ。
ツォンさんは、そんな俺を見て笑った。
それが、俺には何だか物凄く悲しかった。
意味も分からないまま、ごめん、そう謝りたい気分だった。
DATE:05/14
FROM:ルード
TITLE:無題
– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –
俺はお前を探す。
お前はきっと何も話さないだろうが、
俺はきっとお前を見つけてみせる。
– – – – – – – – – END – – – – – – – – –
DATE:05/17
FROM:レノ
TITLE:RE:
– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –
お前の空はまだ青いか???
お前はもうちゃんと空を知ってる。
今の空。
俺は列を乱す、空に憧れる兵士。
– – – – – – – – – END – – – – – – – – –
DATE:05/17
FROM:ルード
TITLE:RE:RE:
– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –
お前のメールは意味不明だ。
言いたいことがあるならはっきり言え。
– – – – – – – – – END – – – – – – – – –
DATE:05/17
FROM:レノ
TITLE:RE:RE:RE:
– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –
本音は、ウイスキーに溶かして、
俺が飲んだ。
お前は飲みたくないだろうって思ったから。
– – – – – – – – – END – – – – – – – – –
“呑みいかない?“
“またお前は……昨日飲んだばっかりじゃないか”
ああ、そうか。
飲み足りなかったんじゃなくて、伝えきれなかったんだ。
だから―――――。
DATE:05/18
FROM:ルード
TITLE:RE:RE:RE:
– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –
お前は何が言いたかったんだ?
俺に何を伝えたかったんだ?
– – – – – – – – – END – – – – – – – – –
DATE:05/18
FROM:レノ
TITLE:RE:RE:RE:
– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –
もう、伝えたよ。全部
– – – – – – – – – END – – – – – – – – –
レノとのメールが何となく意味の分かるやり取りになってきた頃、俺はそのやり取りのことはひた隠しにして、レノと飲みに行っていた酒場に出向いた。
もしかしたらあいつがいるんじゃないかという気持ちが無いわけじゃなかった。が、いる筈もない。
当たり前だろう、居たらとっくに通報されてるはずだ。
「お客様、警察機構の方?」
聞かれて、俺はそうだと頷いた。
店主は、ははあ、と納得をして、それじゃああの脱獄事件を調べてるんだ?、などと聞いてくる。まあ、間違いはない。
「大変だね。なんでもあの脱獄囚は今度で二度目らしいじゃないか」
「よく知ってるな」
「だってテレビでやってたよ。リーダーの生い立ちやら何やら」
「へえ」
なるほど、マスコミほど情報に敏感なものもない。大して関係のない人々を巻き込むようにして、洗い浚い過去を掘り返す。極め付けはコメンテーターの自分勝手な解釈だ。
どうせまた社会の闇だとか何だとか言うのだろう。お決まりのパターンだ。
「低所得者らしいね、リーダーは。それで社会に恨みを持ってるだとか。嫌な世の中だね。世渡り上手だけが儲かるように出来てる」
「確かにな」
同情するか説教するか、そのどちらか。
どちらにせよブラウン管の中で白々しくそんなことを口にできるヤツは自分が苦しむことを知らない。どうでも良いからこそ簡単に評価が下せる。
神妙そうに“嘆かわしい”だとか“怖い”だとか言いながら、少しでも時間が経てば全く別の話題で笑えるレベルだろう。
俺には、出来ない。
レノが消えてから、俺の中にあった余裕らしきものはすっぱり消え去った。
ツォンさんもきっとそうだ。
そして当事者のレノもきっとそうだろう。
その瞬間は魔が差しただけかもしれない。だが、そこに至るまでの何かがレノの中には蓄積されていて、だからこそあいつは動いたんだろう。
それなのに何だ。
話のネタとしてしか、あいつは語られない。
話のネタとしてしか、あいつの人生は必要とされていない。
退屈な、暇つぶしの為の、どうでも良い話。そんな物の為にあいつの生き様があったわけじゃないのに。
「犯人、早く捕まると良いですね」
そう言う店主に、俺は首を傾げた。
「何故?」
「何故って……社会が不安になるじゃないですか」
「不安に?どうして?」
「どうしてって、警察機構は社会を安全に保つ為にあるんでしょう?怖いですよ、凶悪犯がウヨウヨしてたら。いつ何をされるか知ったもんじゃない」
俺は酒を煽りながら、そうだな、と頷く。だが、心の中では違うことを考えていた。
レノが捕まったら、世間は騒ぐだろう。
そしてまた一時の話のネタとしてレノを語るだろう。
これでやっと安心できる、とでも言うかもしれない。良かったというかもしれない。
四六時中レノのことを考えているわけでもなく、それどころかレノのことを知りもしない輩が、我がもの顔で被害者のフリをする。
「…卑屈だな」
俺は笑った。
何だか俺は、段々とレノに似てきた気がする。不思議だ。
最初は何て馬鹿なことをしたんだ、と思っていた。こんな馬鹿なことをして何が面白いんだと思いもした。
けれど今の俺は、出来ることならレノを捕まえて、レノと一緒に消えたいとすら思っている。
あいつの気持ちが分かるわけじゃないが、せめて俺はあいつの本当の姿を見ていたい。歪められたイメージじゃなくて、誰かが勝手に捏造したイメージでもなくて、本当の。
「?」
ビロン。
そう音が鳴って、俺は胸ポケットを見遣った。
どうやらメールが来たらしい。
「……」
開くと、相手はレノだった。
俺は知らず知らず携帯をテーブルの下に隠す。
DATE:05/20
FROM:レノ
TITLE:無題
– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –
タークスの時の俺ら、カッコ良かったよな。
誰に認められなくたって。
カッコ良かったよな。
– – – – – – – – – END – – – – – – – – –
「……」
俺は、何とも言えない気持ちになった。
今やバラバラのタークス。
昔の俺たちは確かに一つで、汚いものでも、目を背けたくなるようなものでも、誰にも知られない存在でも、功績を認めて貰えない敵であっても――――そうだ、格好良かった。
単純な、その“カッコ良かった”という子供じみた言葉が、胸に突き刺さる。
ふいと、目頭が熱くなった。
俺も、そう思う。
あの時の俺たちを思い出して、ふと、いつだったかのレノのメールの意味を理解した気分になる。
“あの頃の空”。
そうだ、きっとそれは、あの頃の必死で“カッコ良かった”俺達を見ていた空のことなんだろう。
今は――――確かにあの頃とは違う。
同じ空の下に生きているのに、俺達はあの頃のように必死でもなく、格好良くも無い。流れに乗ってそれなりに生きている、そんな気がする。
それでもレノは流れからはみ出したんだ。事件を起こして。
「“列を乱す”……そう言う事か」
俺は唐突に理解した。
レノは戦っているんだ、このどうともできない流れ行く大きな時間の中で。あの頃のように必死で生きたくて、だけれどそうできないから。もがいているんだ。そして、どんな手段を使ってでも良いから取り戻そうと決めたんだろう。
その結果が――――今、この事態の真相に違いない。
「…どうするべきなんだ、俺は?」
ふいに俺の心の中に宿ったのは、そんな疑問だった。
レノが必死に逆らったこの大海原の中を、俺は……これから、どうやって生きていこうというのだろう。もし許されるなら俺は、レノを捕まえて、そして――――。
一緒に、あの空の下に戻りたい。