思いを寄せるその人は、かの女性とは関係なしに、その身体に別の男を受け入れたということなのだ。それは女性との戯れの一環ともとれるが、特殊な場合を除けば男ということになるはずである。
人を好きになる事に性別が関係ないとはいっても、法律上の問題があるのは事実だった。
この場合、女性に敵うはずはない。結婚もできず、子孫を残すこともできない。だから劣勢なのは分かっている。
けれど―――同じフィールドにある”男”を受け入れるならば、それは問題外だろう。
そうして別の男を受け入れるならば、自分を選んで欲しい。他の誰も、求めないでほしい。我侭だし勝手だとわかっているが、それでもそう思う。
でも―――。
縛ることは、できないから。
「今は―――私の事だけ、…考えて下さい」
結局そんな陳腐な言葉しか吐けなかった自分を惨めに思いながらも、ツォンはそろそろと上体をずらした。そうしてから、散々に掻き回したルーファウスの中から指先を引き抜く。
「ん…んっ」
喘ぎながらも少しホッとしたようなルーファウスの顔が目に映る。けれどその表情はすぐに、溜まらないと言ったような完全な情欲の表情へと変化した。
指などとは比較にならぬ己の昂ぶりきったそれを、ツォンは勢いのままにルーファウスの中へと突き入れたのだ。
潤滑の足りなさはルーファウスだけでなく、勿論ツォンの顔をも苦痛に歪ませた。無理に突き入れるのだから仕方無いことである。
それでもルーファウスのそこは、律動と共に徐々に奥深くまでの進入を許していく。
「は、…っ…」
そこは女性のそれとは比べ物にならないほどの締め付けをツォンに与えた。
気を緩めればすぐに達してしまいそうで、ツォンは何とか己を制御しながら腰を動かしていく。
己よりもまず、その人に十分な快楽を。
勿論それは相手が自分であるという事を前提にしなければならない。快楽に酔って、相手が誰であるかを見失ってもらっては困るのである。今この瞬間だけ許されている関係ならば、その間に忘れられない何かをその人に与えたい。
だから―――名前を、呼び続ける。
「ルーファウス様…っ」
その両の足を肩に乗せ、大きく反り上げて、それからその人の奥深くまで突いてやる。
何度も何度も何度も、何度も。
その人が嫌だとか駄目だとか、そういう言葉を放っても尚、ツォンはそれを止めはしなかった。存分に感じてしまえばいいのだ。そしてその相手が自分であるという事を自覚してくれれば良い。
その身を奪った過去の誰であろうと、敵わないくらいに。
「は…あっ、ああっ!」
ルーファウスの口から漏れる声を聞きながら、ツォンは折り重なるようにして目前の人の肌に頬を預けた。
己の紡ぐ律動に伴って聞こえるソファの揺れる音や、ずっぷりとその人を犯すその音の中で、僅かながら聞こえてくるのは心音。
この瞬間、その鼓動を聞いているのは自分だけである。この鼓動をまた聞くことが叶うなら、こんなにも尊くは思わなかったかもしれない。
「私の名を…」
胸の中でそう呟いてみた。
きっとこの人は自分の名前など呼びはしない。
記憶の中までも証拠を残さぬように、そんな事を口になどしない。
先ほどルーファウスが言ったのと同じことが頭を駆け巡った。
“お前が何を考えているか…”
そうだ、この瞬間、ルーファウスは何を考えているのだろうか。
誘惑をしておいて、それでいてツォンとは約束のある間柄ではない。そうした奇妙な関係とこの行為について、この人が今思うことは何だろうか。
顔を上げ、喘ぐばかりのその唇に己の唇を重ねながら、そんな事を考える。その瞬間、眉を顰めながら閉じられていた瞳がすっと開き、視線が合う。
―――蒼い瞳は、答えなどくれはしなかった。
そのまま律動を続けると、やがてルーファウスの方が先に限界を訴えた。再び掴まれた肩がじんわりと熱い。
「あっ…い、イ…く…っ!」
「…はい…」
滲む汗の中で、ツォンはルーファウスを見つめていた。身をくねらせながら、絶頂を迎えるその表情を、見つめていた。
「は…っ、あ…ぁ…」
己の腹部に精液を吐き出ルーファウスは、絶頂から解放され、肩で大きく息をする。そうした後に、少しづつ落ち着いた様子になった。
けれど、勿論ツォンの動きが弱まったわけではない。ルーファウスが達したことへの安堵感が、急速に自分の制御を解放していくのが分かる。
しかし、自分が達してしまえば終わってしまう。
それが、最後だろう。
そう思うと苦しくて、ツォンはそっと唇を噛み締めた。
けれど、時間を引き伸ばしたところで結果は変わらないだろうし、それでルーファウスが何を思うかを考えると、その選択が正しいとは思えない。
たった一度の触れ合いだけでも、存在があった事に喜ぶべきなのだろう……。
「…あ、なたの中に…良い、ですか」
体中に駆け巡る何かが、一気に先端部に集中する。本来の意味すら成さないまま放出されるだろうそれについて、少しばかりの悪あがきのためだけに、許しを乞う。
ルーファウスは何も返さないままに喘ぎ続けていたが、やはりその瞬間に口元が笑んだ。
それを目に留めてから、ツォンはそっと目を閉じる。その答えなど、この瞬間は忘れてしまいたい。受け入れずに。我侭でも、嘘でも、虚構でも、何でも良いから。
そうしてツォンは、ルーファウスの奥で達した。
暫くは、埋め込んだまま動けなかった。
疲れの為ではなく、目に見える終わりに―――目も開けられないまま。
嘘のような時間はそうして過ぎていった。
何の為に、そう思うよりもまず、苦しくなる。
それは絶対にいけないことで、そう理解していたはずなのに、結局は欲望にかられて己を吐き出してしまった。
ルーファウスは服もつけないままに、ソファの上にダラリと身を投げ出している。ツォンの肩を掴んでいた手の甲で両の眼を塞ぎ、もう一方の手は床に垂れ下がっていた。
その足元でツォンは正常に座っていたが、やはり服を着込むことはできないまま、黙っている。
先ほどまであれほど熱さを分かち合ったルーファウスのそこからは、ツォンが吐き出した精液がとろりと流れ出ていた。それは行き場を失くし、空気に触れて死滅する。意味もなさないままに。
それは、今この状況も同じことだった。
意味が無い。いや、ツォンにとっては曖昧ながらも意味はあったが、果たしてルーファウスにとっても同じであるかどうかは疑わしい。というか、無いに違いない。
「満足か、ツォン?」
ふっとそんな言葉がかけられ、ツォンはその方向を振り返る。見ると、ルーファウスは今までの体勢を崩さないままで、ただ口元だけに笑みを滲ませていた。
思わず、眉を顰める。
―――何を笑うのだ、この人は。
「お前は意外と情熱家だな」
「…どういう意味ですか」
何が言いたいのか、どうせならはっきり言って欲しいと思う。結果は分かっているとしても、心の底で蔑まされているとしても。
「安心しろ。―――なかなか、良かった」
クスクス、と笑いながらルーファウスは蒼い瞳でツォンを捉える。その態度は、先ほどまでとはうって変わった様子で、まるで今までの行為が嘘か何かのような錯覚をツォンに与えた。
「…今。お前が何を思ってるか、当ててやろうか」
「……」
「―――“何故こんな事を”、“何の為に”、“どういう意味か”。…そうだろう?」
「……そう思うなら、仰って下さい」
どうせ聞いても結果は同じなのだ。だからそれを知ってもきっと、救いにはならない。自分を貶める言葉である可能性はあっても、救う言葉である可能性など無いのだ。
多少の意味は、あったけれど。
「そうか、では教えてやろう。どうして私が今日、お前を此処に呼び、お前を誘惑し、そしてこんなセックスまで縺れ込ませたのか―――」
要は簡単な話だ、そうルーファウスは言い放った。その言葉すらも憎らしい。
体勢を立て直し、服を手に取り、やっとそれを着込みながら、ルーファウスの言葉は続いた。
「結論から言ってお前のその気持ちやら、視線は……邪魔だ」
その一言目の真実は、ツォンの心を抉った。最初からその言葉か、そう思うと苦しさと共に、飽和した緊張が破裂して笑いすら沸きあがってくる。
知っていた。そんなことは分かりきっていた。なにしろ、自分はずっと思ってきたのだ。
その人はきっと嘲笑うことだろう、と。
その人はきっと蔑むことだろう、と。
それよりも汚いと思うかもしれない、そうも思っていた。
「言っておくが私は誰にも執着などしない。女にも男にも、お前にも、誰にも」
「…嘘を言わないで下さい。彼女は特別ではないですか」
あんなに通っている。あんな匂いまで漂わせて。それが嘘だとは思えない。
しかしルーファウスは、そう言ったツォンを一笑にふした。
「信じやすいのも考えものだな、ツォン」
「え…?」
「あそこに女がいるという確証などどこにある?私が女と言えば、それでお前はすっかり信じてしまうのか」
「な…っ」
馬鹿だな、そう言った後に、ルーファウスは信じられない真実を告げた。それは今迄の知識を全て覆す言葉で、何度も起こった嫉妬心や忠誠心も嘘として流してしまうような言葉だった。
「―――あそこには誰もいない、最初からな」
それは所謂、仕事専用のスペースなのだとルーファウスは言った。
だからそこには誰もおらず、勿論熱をあげるような女性もおらず、そこでルーファウスが何をしていたかといえば単なる仕事でしかなかった。
まさか、そんな馬鹿なことがあるだろうかと思う。何度も嫌な気分になり、その帰りを待ち続けた。あれは一体何だったのか。
「何故…です。何故そんな事を、わざわざ…」
「その言葉通りだ。わざとそうしたに決まってるだろう。……お前を測る為に、な」
「私を―――…」
ルーファウスはいつの間にか笑いを打ち消し、少しばかり冷たさのある顔をツォンに向けていた。服はすっかり着込まれ、今やシャツを羽織っただけのツォンが妙に場にそぐわないような感じがする。
「お前には昇格の話が上っているんだ」
その言葉に、ツォンは驚いたような顔をした。
「仕事は認めよう。だがお前は…そうやって私の気分を害する。だから測ってやっただけだ。それ相応なのか、どうかを」
そんなことだったのか―――そう思いツォンは俯く。
だとしたらこれで結果は決まっただろう。それは元々の計算通りで、やはりツォン自身が考えていた結果と同じだった。
その話自体は聞いたことも無いし、それに対して苦痛を感じることもない。そういった地位を望んだつもりもない。
けれど、結果は変わらないのだ。
「この話は水に流す。…実験とはいえ、お前も満足できただろう?」
「……」
「だからこれは言わば餞だ。昇格の道を絶たれ、苦渋の道を歩むお前への……餞だ」
その通りだろう。―――その通りだ。
苦渋の道だ。
想いを曝け出し、更にそれを一笑にふされ、何もなかったように生きる。これでもう望みが叶う、儚い希望さえも持てない。
「ああ、それと。……暫くお前の仕事に私は関与しないことにする。…理由は分かっているだろうが」
「…はい」
「車も出さないで良い」
「…はい」
そこまで言うと、ルーファウスはツォンの服を手にして放った。そして一言、着ろ、と言う。それはパサリ、とツォンの膝あたりに落ち、視界の中に入り込んだ。
しかし、あまりにも辛くて手が動かせない。
一体どうしたら良かったのだろう。ルーファウスの誘惑に絶対的な拒絶をしていたら良かったのか。勿論それは無理だったろうが、仮にそうしたところでやはりルーファウスは同じ言葉を口にしただろう。
それともこの家に足を踏み込まなければ良かった?…いや、それも駄目だ。
だから―――最初から、この人を想ったときから、結果など同じだったのだ。想った瞬間から、想いは届かないと決まっていたのだ。
たった一度触れ合えたのは偶然で、それは結果という最終地点へのちょっとした寄り道に過ぎない。「過ち」という言葉にもならないほど、そこには熱が無かったのだ。
そろそろと立ち上がり、服を着込む。少し、手が震えている気がする。
それが終わった後、ツォンは取り戻した冷静さの中でこう尋ねた。
「…貴方は、私を軽蔑しましたか。汚い、と」
そんなツォンの言葉を耳にし、ルーファウスは眉をしかめる。しかし少しした後に、小さな声で、こう答えた。
その声は、笑ってはいなかった。
「―――いや」
ルーファウスの答えにツォンは、少しだけ笑みを漏らす。
きっと、それが唯一の救いだろう。
ルーファウスの自宅を去る最後の瞬間、ツォンはルーファウスをゆっくりと抱きしめた。自分の想いを拒否したその人は、その時だけは黙ったまま動かなかった。
これで、最後。
仕事でさえ、もう滅多に会うことはないだろう。
触れることも無い。
あの時、肌に頬を寄せたその時に感じた鼓動を、ツォンはその時もまた感じていた。
“餞”――――。
この“鼓動”……これが“餞”だったらば、どんなに良かったことだろう。
END