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Only to meet:ツォン×ルーファウス
一歩一歩進むたびに重みが走る。
本当はこんなふうにしてはいけないのだろうと思うのに、足はそこに向かってしまう。そしてもう何度もやってきたそのドアの前で立ち止まり、その隣にある小さなインターフォンにそっと指を伸ばす。
これを押したら、それだけで此処に自分がいることが分かってしまうのだ。
そしてドアの向こうから怪訝な顔を見せて、迷惑そうに言うに決まっている。何しにきたのか、と。
全くその通りだろう。そう思うけれど、やはり指はそのインターフォンを押す。
数秒した後にドアの向こうから顔を現したその人は、やはり自分の顔を見るやいなや、怪訝そうな顔をした。それから迷惑そうな声でこう言う。
「…何の御用です?」
その顔を見つめながら、何か良い理由を探した。
そう、此処にくるのには何かしらの理由が必要なのだ。自分にとっては、此処にくること自体に意味があるのに、その人はそれを許さないから。
「ええと、あの…」
焦って思考を巡らせる。しかし、どうも良い考えが浮かばなかった。仕事の用などと言ってもそんなものは何一つ無いし、だったら会社で済ませればいいという話になってしまう。
実際に此処にくる理由は一つだった。
それはとても些細なことだったけれど、此処を訪ねるルーファウスにとってはとても大切なものだった。
ツォンという部下。
その人はタークス主任で、とても真面目な男である。タークスという組織はツォンを中心に結束が固く、それは仕事の面ではとても良いことだった。けれどそれはあくまで仕事上の話であって、プライベートの介入は許されない。だから、一度神羅という場所を離れればそこには特別なものは存在しないのだ。
しかしルーファウスは、レノやルードとは仕事と関係ない話も良くしている。それはきっと気兼ねがないというか気を遣わなくて済む何かがそこにあるからだろう。
けれど、ツォンだけは何故か違っていたのだ。
ツォンはルーファウスに対し、仕事以外の話を持ち込むことはなかった。同じタークス同士となればそれなりに無駄話の一つもするのだろうが、ルーファウスには一線を引いた態度をとっていたのである。
それはツォンの中の上下関係が、そういったものを許さなかったからかもしれない。しかしそれは、ルーファウスにとっては少し辛いことだった。
仕事についてだけしか、話さない。
笑顔さえ見せてくれない。
だから、何となくそういうものが欲しかった。少しくらい笑って無駄話の一つもしてみたかった。
そういう思いの裏にある気持ちは、ルーファウス自身も良く分かっている。最初は些細な希望だったのに、いつの間にかそれは肥大していき、こうして訳の分からない行動さえしてしまうようになった。
今目前にいるツォンは、有能な部下である。その人が、ルーファウスの言動の意味を理解しないはずは無い。
きっと気付いているのだ。何故そんな行動にでるのか、どうしたいのか、そういう一切の事を。
それなのに―――その人は、それを見て見ぬ振りするのだ。
怪訝そうな顔をして、迷惑そうな言葉を放って。
「ええと…」
それを超えるくらいの何か良い理由を、そう思って考える。けれどこういう時に限って良い案は浮かんできてはくれなかった。
そうこうする内、ツォンは溜息を吐き、こう言う。
「もう結構です。…どうぞ」
「…え?」
「風邪をひかれては困りますから。…入って下さい」
もう幾日かこうして此処にやってきてはいたが、それは初めての事だった。ツォンが自宅に招き入れてくれるなどという事は。
すっと開かれた部屋からは光が漏れる。冬の様相を呈している外からすれば、そこはとても暖かい。
「…ありがとう、ツォン」
そう礼などを言って、その人の背中を見ながら後ろをついていく。小さな嬉しさはあるものの、ルーファウスは俯いていた。今日、部屋の中まで入れてくれたのはきっと、優しさじゃないのだろうと思うから。
その理由は先ほどツォンが言っていた。風邪をひかれては困るから、と。結局それは、上司と部下の図式の中の話なのだ。此処は神羅じゃないのに、相手がお互いであるだけで、いつでもどこでも神羅の延長線上になってしまうのである。
少しくらい、優しく笑って欲しいのに。少しくらい一人の人間として見て欲しいのに。
けれど―――それはどうやら無理らしい。
いかにもな客人へのもてなしなどをして、ツォンはルーファウスにソファを勧めた。そうして自分は立ったまま座ろうとしない。その態度がまた、ルーファウスの心を苦しめていた。
「…良く続きますね」
最初にかけられた言葉はそんなものだった。確かに今日でもう何日目か分からない。ルーファウスはいきなり訪ねてくるようになり、そしてツォンはそれを悉く拒絶していた。そういう日々が、もう長く続いている。
ルーファウスにしてみればそれは門前払いと同様で、拒絶されているとはいえ、まだ肝心な部分で希望があるような気がしていた。もしいつかドアの向こう側に行ける日がきたら、それからの方が余程大切だと思っていたのである。
だからそういう意味では、今日という日は、とても大切な日だった。例えそうしてくれた理由が、求めるものと違うものであっても。
「もうお止めになったらいかがです?貴方が此処にくるなど間違っていますよ」
「そう…かな」
「当然です」
はっきりとそんなふうに言う。分かっていたこととはいえ、やはり少し痛い。ツォンの表情はあくまで冷たいままで、微塵も動く様子が無い。
そして、そのまま続けてこんなことを言った。
「今までのことは忘れます」
「何…?」
「ですから、無かったことに致します。こんなことには意味もありませんし」
そんな言葉の後に、すっと目が合う。けれどそれすら、その言葉と同じ色のものでしかなく、到底救いがあるようには思えなかった。意味が無い、とそう言ったのだから。
勿論、ルーファウスはそんな言葉には屈したくなかった。今までこうして続けてきたことにはちゃんと意味がある。それはツォンだって気付いているはずだし、だったらもっと違う言い方があるはずなのだ。
よもや口には出すまいと―――そう思っていた言葉を、思わず吐きそうになる。
それを言っても拒絶されるのであれば、本当にこれは意味がないことになってしまうけれど。
「今日限りにして頂けますか?迷惑です」
そう言われた後、とうとう堪えきれずに口が開いた。
あまにも悔しくて。少しくらい分かってくれても良いのに―――。
「私はただ!…ツォンの事が…」
らしくもなく、ドキリ、と鼓動が早まる。
…しかし。
「やめなさい」
それは、呆気なく制御されてしまった。本当に、一言だけで。
「それ以上言うと、戻れなくなります」
「戻…れない…?」
その言葉の意味がルーファウスには良く分からなかった。戻れないどころか、拒否され続けているのだから。それに、良い結果ならば戻れなくても全然構わない。
けれど、そんな少しの望みすら絶つように、ツォンは静かにこう告げた。
それはとても静かな声音で、それでもルーファウスにそれ以上を言わせないだけの強さを湛えていた。
「私は―――貴方の事を上司だとしか思っていません」
ツォンの言葉を耳にして、ルーファウスはそっと視線を外した。
暫くは声が出なかったが、それは仕方無かっただろう。さすがにショックは隠しきれなかったのだから。
けれど、それをツォンに悟られたくは無かった。今までしてきたことがあまりにも報われなくて、馬鹿らしくて、それでもそこにあった気持ちは本当で…あまりにも悲しい。
そうハッキリ言われて、すぐに消せるほど心は強くないし、気持ちは弱くなかった。
「そうだ…な」
けれどそんな言葉とは裏腹に、言葉はそんなふうに出てくる。しかも何故か無意識に口は笑っていた。本当は悔しくて辛くて、怒鳴りでもしたかったのに、それすらできなくて…どうしようも無かったから。
「…そうだ。お前の言うことは正しいな…」
気持ちというのは、打ち明けてはならないものらしい。
きっとそれすら聞きたくないのだろう。そうして何かが起こることすら嫌なのだろう。
だから笑ってもくれないのだ、ツォンは。
きっと、何も言わずに、何も起こらずに、何も望まずにいるのが正しいのだ。
―――ツォンが言うように。
ルーファウスが去った数分後、部屋の中でツォンは一人、出したカップを下げていた。
カップの中の液体は、全く減っていない。口をつけた形跡すらない。つまりそれは、それほど此処は落ち着かない場所であり、そんなことをするほど時間も無かったという事である。
ショックだったろうか…そんな事を考えながらツォンはカップの中身を流す。
ルーファウスに言った言葉に偽りはない。しかし、言っていない言葉もあった。
もしその言葉を言ったならば、ルーファウスはある意味では喜んだかもしれないが、それはツォンにとってはタブーだった。
真実は、告げてはならないものなのだ。
禁忌を犯せば、守るものを作ってしまう。特定の誰かに溺れるという事は、守るものが増えることと同等の意味である。
それは相手でもあるし、自分自身でもある。
そうなってしまったなら、もう戻れないのだ。何もなかったようにすることなど不可能だから。
きっと、これで良かったのだろう。そんなふうに思うしかない。
ふっと脳裏に、誰かと話すルーファウスの顔が浮かんだ。
自分には、それを冷静に見ているだけが相応しい。
その日以降、ルーファウスがインターフォンを鳴らすことは無かった。
タークスに命令を直に下すのはルーファウスの仕事の一つでもあったが、それはやけに気が重い仕事に変わっていた。
本来ならルーファウスからツォンに、そしてそこからタークス全体に回るはずの命令が、何故だか違うルートが新しくできている。やはりツォンと話すのはどうも辛くて、ついついレノなどを呼び出して、そこで仕事を振ってしまう。
そんなのはツォンさんに言うべきじゃないか、とレノにも言われたが、それに言葉は返せなかった。不思議そうに首を傾げながらも頷いてくれるレノに感謝するしかない。どうやらその後にしっかり内容は伝言されているらしく、事後報告だけはしっかりなされていた。
本当なら、仕事でさえ避けるのは間違っているのだろう。仕事ではできあがった関係があるし、その関係上ならツォンはきっと自分を認めてくれているとルーファウスも分かっている。
けれど、あの日された拒絶が…何だか全てに対する拒絶に思えて仕方無い。
今こうして自分から避けているのに、心のどこかでは会いたいと思う。けれどそうしてしまったら、それはそれで結果が見えているのだ。
いかにも冷静そうな顔をして仕事の話をするツォンを見て、自分が辛くなるに決まっている。そんな自分を知っていても尚、何も思っていないようなツォンを見て、更に心が痛くなる。それの繰り返しでしかない。
この状況が正しいと表面上で言い聞かせても、結局はどこかでもがいている。つまりは、完全に忘れ去るしかないのだ。けれど、それすらできないから悔しい。
集中力でもってその思考を取り除いたルーファウスだったが、一つのノックの音でそれはすっと解除された。
トントン、と音がする。
どうぞ、と返事をすると、そのドアはすっと開き、そしてルーファウスの息を詰まらせた。
ドアの向こうから姿を現したのは、ツォン。
思わず手が止まり、視線が釘付けになる。けれどそんなルーファウスをものともせずに進み出たツォンは、手にしていた一枚の紙をすっと差し出した。それから、やはりやけに冷静な声でこう言った。
「一つ、提出が遅れました」
「…ああ」
それを受け取ってから目線を外すと、その後はなるべく上を見ないようにする。これ以上見ていると辛くなりそうで仕方無い。
用件はその書類だけであって、他には何もなさそうである。が、それなのにツォンは何故かすぐには去らずにその場に立ち尽くしていた。
何だろう、そう思うけれど顔は上げずに「まだ何かあるのか」と聞いてみる。それに対する答えはすぐには返って来なかったが、視線が向けられていることだけはハッキリ分かっていた。何となく感じるからである。
暫くした後、ツォンはそっとこう言った。
「仕事の話ですが」
「ああ」
やっぱり仕事か。そう思うと、何だかまた笑いたくなった。
別に期待などしていなかったはずなのに。
「できれば私の方に直接言って頂けると有難いのですが。タークス内の管理は私がしておりますので」
分かりきっていることを、ツォンはいかにも丁寧なふうに言う。何だかそれも悔しい気がして仕方無い。そもそも元々はそれが正しいのだから、何故変えるのかと怒りでもしたら良いのだ。
それならまだ少しは気分も晴れるような気がするのに、それさえ叶えてはくれない。あくまで静かに空気は流れているのである。
「…嫌だと言ったら?」
つい、そんな言葉が口をつく。
「それならそれで構いません」
「……」
どうやら結果は同じらしかった。何をいっても何をしても、変わりはしない。好かれもしなければ嫌われもしない。個人的な思いで接しているわけではないのだから、どちらでも構わないということなのだろうが、それはやはり痛かった。
――――資格すら、無い。
仕事を離れて話をする、その資格すら。
「…もう良い、また連絡する」
ツォンが聞きたい事への返事はいまいち伏せたまま、結局ルーファウスはそれだけ返した。
顔は見ていないので分からないが、それに対するツォンの返事は少し小さかったような気がした。
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