イリーナが帰った後。
部屋で独りきりになったルーファウスは、何となくイリーナが最後に放った言葉を思い出していた。
忘れられない―――――確か彼女はそう言っていた。
そういえば、かつて自分もそんな言葉を吐いたことがあったように思う。
目を瞑って思い出すのは、ツォンが死んでからのことが殆どだった。
あれ以降、自分はあらゆる決断に対し冷酷だった。甘い記憶よりも、そういった辛辣な記憶の方が強い。
それはきっと、その頃の自分が生き急ぐように全ての決断に対し乾いた心で接していたからだろう。
けれど、それは仕方なかったのだと思う。
何故ならそれは、ツォンとの約束だったから。だから自分は、それを守らねばならなかった。
しかし、以前のように甘さを残したまま全てを決断するには、あまりにも本当の心は傷ついていたのである。だから、わざと冷酷になった。
余裕の無い心で何かを決断するには、そもそもその心自体を殺さなければならなかったのである。
「分かるな、今なら…」
ルーファウスはふいにそう呟く。
確か、ツォンはこんなことを言っていた。
“私の事など、そのうち誰しもが忘れてしまうでしょう”
なあ、ツォン―――――それは私も同じことだろう…?
こうして神羅が崩れ去り、その名前すら禁句になった今、一体誰が思い出すというのだろうか。
ただでさえ人に憎まれていたのは知っていたし、非難はされても褒められなどしないはずである。そうして欲しいわけではないが、今やもうその栄誉も名声も称える者などいないのだ。
そうしてきっと、誰もが忘れていくのだろう。
神羅の事も、自分の事も。
まるで最初から無かったもののように、もしくは色あせた昔話のように語るか、そのどちらかでしかない。所詮は、それだけの存在なのだ。
一世風靡したものでさえ、やがては廃れていく。
絶対的なものは存在しない。
どれだけのものを残したとしても、いつかは全てが過去のものとなる。未来はいつでも違うものを求めているのだ。
なんて―――――なんて、ちっぽけな存在だろう。
こんな他愛も無い存在だということにあの時から気付いていれば、きっともっと素直になれていただろう。
それなのに、トップに立つ者としてしっかりしなければと思っていた自分があまりにも悲しい。
どうせ失われるものならば、最初から本当の心を大切にしておけばよかった。失われるものよりも、隠し続けた心を。
ルーファウスはふと、ベット脇に設置された棚を見遣る。
そこからボロボロになった何かを取り出すと、それをさも大切そうに見遣った。
「本当は言いたかったんだ、あの時も、いつだって……」
隠し続けた言葉がある。言いとどめた言葉がある。その言葉達は飲み込まれたまま、ずっとルーファウスの喉につかえていた。
今やそれを言う相手も失った空しい言葉。
けれど、こうなってしまった今、今くらいは口にしても良いだろうと思う。
どうせもう―――――何も失うものも無い。
失えるものは全て失ったのだ。いや、まだ一つだけあるかもしれない。
あるとしたら、悪あがくように永らえているこの、命。
それしかないだろう。
「言いたかったんだ、ずっと。言っても良いだろう?」
もう意味さえ無いと分かっていても。
伝えたかった言葉を、音にして震わせて、この宙に舞わせて。
ただ一度だけ。
「いかないで欲しかった――――――」
覚えているのは、生ぬるい体温。
その体温にいつまでも触れていたかった。
その体温があれば、本当はそれだけで良かったのだろう。
冷たくなった身体を見て初めて気付いた。
命が無ければ、何も無いということ。
そして今、その体温に触れられないことが自分の温度さえ下げていくということ。
でもこれはきっと、決まっていたことだった。
その人を見つめ始めたときからきっと、決まっていたのだ。
こうなることも、これから下す決断すら―――――。