CINDERELLA 【03:絶対勝てないこと】

*Cinderella

 

アカネが帰ってくるのは夜遅くだ。

 

一応はまだ俺がおきてる時間に帰ってくるけど、大体顔を合わすのは少しだけ。それで次の朝は俺より早いんだから、本当にアカネはすごいって思う。そのくせ疲れた顔なんてまるで見せない。

 

そういえば俺は、アカネがなにをしてるのかを知らない。

 

どんな仕事してるのかとか。

どんなことに興味があるのかとか。

 

帰ってきて少しだけ共有してる時間は、大体世間話をしてる。でもそれは、仕事内容が特定できるようなことじゃなくて、職場のやつがこうこうこうでさ、とか、今日電車の中でこんなことがあってさ、とか、本当にどうでもいいことだった。

 

アカネを好きになるにつれ、俺はアカネのことが知りたくなって仕方なくなってた。

 

どんな仕事してるのか、どんなことが好きなのか、それにあの香水はなんてやつなのか、それに…どんな女が好きなのか…。

 

だけど、それを切り出すのは勇気がいった。

 

本当は何でもないことなんだろう。ただ普通に聞けばいいだけの話なのに、好きだって自覚し始めてから、俺はドキドキしっぱなしで、普通のことにさえいちいちドキドキしてたんだ。

 

だから、ようやくそれを切り出せたときには本当にどっと疲れた。

 

「そういえば…さ。アカネってどんな仕事してんの?」

「ん?仕事?言ってなかったっけ?」

 

夜遅く帰宅して、即効でシャワーを浴びたアカネは、あろうことに上半身に何もつけないまま肩にバスタオルをしょってビールを飲み始めた。

 

ちょ…目に毒だから!

 

ドキドキして仕方ない。

…というか、マトモに見れない。

 

それでも不意打ちで目に入ってしまったりすると、しっかりと筋肉のついた腹とか肩とか二の腕とかに俺は死ぬほどドキドキした。

 

うわー…マジに男だ…。

 

当たり前なんだろうけど、外見だけ男に見える俺とかとはやっぱり違うんだって思い知らされる。俺は肩幅あるほうだけど、アカネはもっとある。当たり前か。その上背も高いし、体のバランスもいいし…やっぱ目に毒だ…。

 

濡れてて乾いてない髪…こういうのをセクシーっていうのかな。

 

「多目的ホールのスタッフやってる。裏方な。大荷物運んだり、セットしたりすんだよ。たまに客案内したりもするけどな」

「へえ、だからか…」

「だからって何が?」

「あ!いや、なんていうかその、筋肉ついてんなーとかって思ったから!」

 

俺が慌ててそう言うと、アカネは、そうそうそうなんだよ、とあの笑顔で笑った。

 

やばい…一撃ノックアウトだ…。

 

というか服を…服を着てくれ…!

 

「で、でもさ、ホールってそんなに遅くまで仕事あるんだ?アカネっていつも帰ってくるの遅いじゃん!?」

「あ、それはな。ちょっと事情があるんだよ。仕事自体もまあまあ終わるの遅いんだけど、俺重鎮じゃないしな。仕事上がった後、この近くのスタジオに寄ってるんだ」

「スタジオ?」

 

俺はようやくアカネの仕事やら趣味やらを知ることになった。

 

どうやらアカネはバンドをやっているらしい。なるほど、だから金髪なんだなって、何だか変に納得した。

 

スタジオというのは練習のスタジオのことで、なんでも友達の親が経営してるんだとか。だから楽器はいつもそこにおいてあって、ただで練習させてもらってるらしい。

 

「バンドかー。なんかアカネに似合ってるな」

 

ますますモテそうだよ…。

 

だって、ミュージシャンって大概モテるもんじゃないか。ただでさえモテそうなのに、さらに音楽をやってるなんて、これじゃあ俺なんかカスだ。

 

「練習に使える時間少ないから、本当にもう地道なもんだぜ。でもさ、そろそろバンドも軌道に乗り始めてきてるし、いろいろ考えなきゃなとは思ってるんだ」

「え?考えるって何を?」

「んーまずは仕事かな。今の仕事だと時間が足りないから、もっと短時間で稼げるものを探さないとって思ってるんだ。まあそんなにうまい話はないだろうけどさ」

「え、じゃあアカネのバンドって結構人気あるんだ?」

「んーどうかな?」

 

アカネはどうかな、なんて言ったけど、俺の予感では人気がありそうだ。だけど俺はそういうのにも無縁だから、いまいち詳しいことが分からない。

 

なんていうバンド?

そう聞いたら、アカネはライブに誘ってくれた。

なんとかRainって名前らしい。

 

そのなんとかの部分が聞いたことない単語でいまいち覚えられなくて、聞き返すのも何だかなと思って結局そのままになってしまった。

 

「都内のライブハウスなんだけど、そこでやるのラストだからさ。良かったら見に来てくれよ。チケットがあったはずなんだけど…」

 

アカネは一旦部屋に戻ってゴソゴソやると、四角い紙切れを持ってリビングに戻ってきた。相変わらず服は着てないままだ。

 

「これ!ま、来れなかったら捨てといて良いからさ」

 

行く!

絶対行く!

 

俺は猛スピードで頭ん中に入ってるシフトを取り出して都合をつける手段を考えてた。せっかくの機会なんだ。せっかくアカネが誘ってくれたんだ。絶対に行きたい。なんとしてでも行きたい!

 

「あ、もし来れたらさ、見るときはしもてな」

「しもて?」

「客席から見たら左側かな。俺、そっちに立ってるから。俺の勇姿を見てやってくれよ。かっこいいぜー。なーんちゃって、嘘嘘」

 

アカネは笑いながらそう言う。

 

俺は心の中で、最後の嘘嘘の部分を、本当本当、と言いなおしてた。

 

 

 

ウチの職場には、結構個性的なスタッフが多い。

 

ユリちゃんなんかは普通っぽいけど、それ以外にも、カメラ小僧みたいなヤツとか、ゲームマニアみたいなやつとか、大食いの女の子とか、雑誌の読者モデルをやってる子なんかもいる。

 

「アイちゃんさ、バンドの追っかけしてんだったよな?」

「うん、してるよー。あ、園ちゃん、この前の休み希望大丈夫だったかなあ?超好きなバンドのライブなんだよね。しかもツアーファイナルでー」

 

アイちゃんは、バンドの追っかけをしてる女の子だ。

 

好きなバンドがいくつかあるらしいけど、そのうちの一つが本命で、本命バンドのライブには全部行くのが当然らしい。そのおかげで、アイちゃんのシフトはすごく不規則なんだ。がっつり出たと思ったら、がっつり休む。いつもお金が足りないとぼやいてるのはチケット代と旅行費で飛んでいってるからだとか。

 

「あのさ、なんとかRainってバンド知ってる?」

「なんとかRain?んーと…えーと…あ、もしかしてアレかな。Gloomy Rain

「グル…?それって、その、結構有名なカンジ?」

「んーまあまあ有名かな?最近雑誌とかにも載ってるしー」

 

雑誌に!?

なんだそれ!やっぱり人気なんじゃん!?

 

何だよ、アカネ、どうかなーとかなんとかいってたけど、やっぱり人気なんだ。

 

アイちゃんの情報だと、最近はチケットが売り切れてるらしい。アイちゃんの友達がファンなんだとか。

 

…っていうか。

 

アイちゃんの友達のことは知らないけど、一応はそんな近くにアカネのバンドのファンがいるわけだ。俺はそんなアカネを好きになって、一緒に住んでて…。

なんか、ファンに知られたら俺は殺されそうな気がする。

 

俺が悶々と好きだとか思ってることなんて、馬鹿みたいなことなのかもしれない。だって、世の中にはアカネのファンだって言う子がきっとたくさんいるんだ。それなのに俺は…。

 

「園ちゃん、どしたの急に?もしかしてファンなのー?」

「あ、違う違う!ただ聞いただけだから!」

 

俺は何だかむなしくなった。

俺は、勝てっこないよ。

 

いっぱいの可愛い女の子達がアカネのことを好きなんだって思ったら、俺なんて絶対に勝てっこない。いや、元々勝敗の問題じゃないんだけど、俺がアカネの傍にいてドキドキなんかしてるのは馬鹿らしいことなんだって分かった気がする。思い知らされたっていうか…。

 

むなしくて仕方なくて、俺はレジミスを連発で引き起こした。

 

店長にがっつり怒られてしぼんでたらユリちゃんが話しかけてきてくれたけど、俺はやっぱり立ち直れない。いっそ落ち込んでる内容を暴露しちゃいたかったけど、それはやっぱり出来なくて、俺はもぬけの殻みたいになりながら仕事をした。

 

「園部さん、これプレゼントです。使って下さいねー」

 

退勤前に、気を使ってくれたのか、ユリちゃんが俺に小さな小瓶を渡してきた。この瓶ってどこかで見たことあるなと思ったら、ウチの香水売り場に売ってるアトマイザーだった。小分けするやつ。

 

アトマイザーの中に、少しの液体が入ってる。

ユリちゃんいわく、元気が出る香水です、らしい。

 

仕事が終わったあとにシュッと吹き付けてみたけど、ふんわり甘い感じの匂いがして、俺には似合わないと思った。バニラみたいな匂いだ。でもユリちゃんがくれたものだし、大事にしないとなって思う。

 

その匂いには、アカネも気づいたらしい。

 

「お、甘い匂いがする。美味そう。女の子っぽい匂いだな」

 

くんくんと鼻を鳴らしてバニラみたいな匂いを嗅いでるアカネを見て、俺はちょっと笑いそうになった。でも、それと同時に何だかものすごく辛い気持ちになった。

 

俺には似合わないバニラの匂い。

アカネはきっと、好きなんだろうな。

 

 

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