『あんたは女の子なんだから、自分のことは「私」と言いなさい!』
そう何度も親に叱られてきたけど、俺は一向にそれを守らなかった。
学校にいるときでさえ俺と言い続けてきた。
自分のことを「僕」と呼ぶ女の子もいるけど、俺は「俺」派で、それはどっちも同じようなものだと思う。それなのに「俺」派の俺だけがそう言われるのは何だか納得いかないもんだ。
昔から周囲は、俺のことを良く男と間違えた。
顔も男っぽいし、背も170センチくらいあるし、声も低めだし、スカートなんかは一度もはいたことがない。高校は運良く私服校だったから、いつもパンツスタイルで登校してたし、まるで嘘みたいに胸もないからノーブラでも問題ないってくらい。
兄貴のアパートに来たときも同じだ。
回り近所は兄貴の「弟」が移り住んだと思ったらしくて、俺のことを「お兄さん」と呼んだ。それは未だに変わらない。何故って、俺が女だってことには誰も気づかないし、疑いもしないし、俺も訂正なんかしないからだ。
男だと思われても、さしたる問題ってものはない。
むしろ外にいるときのほうが「えっ」っていう目で見られる。
トイレなんかは顕著だ。
俺も出来れば本当に男として生まれてきたかったけど、残念ながら肝心なもんがついてないから女として生きるしかない。だけど俺には、普通の女の子がやっているようなお洒落とか女の子っぽい趣味とか、やっぱりついていけないんだ。
当然だけど、兄貴は俺が女だっていうことを知ってる。
それなのに、アパートに男友達を泊まらせてやってくれ、なんて言ってくるんだから、世間的に考えたらこれはありえない話なんだろう。だけどウチでは問題ない。だって俺は男だと思われてるから、相手が男だろうが、変な気なんか起こすこともない。つまり、間違っても「過ち」なんてことは起きないわけだ。
そんな俺が、男に惚れた。
たまたま、偶然、泊まりに来た男に。
俺は今でも何だか信じられないんだ。
今まで「こいつってすごいな」とか「かっこいいな」って思うことはやっぱりあったけど、こんなふうにドキドキなんてしたことはなかった。それなのになんでこんな気持ちになったんだろう。
俺よりも高い背。
多分180センチ以上はあるんだろうな。
ちょっと長めの金髪で、その日はふちの無い眼鏡をかけてた。
黒のシャツを着てたっけ。よれよれのじゃなくて、ぴしっとした感じの、黒のシャツ。で、ズボンも黒だった。
チャラ男に近いような雰囲気なんだけど、チャラくは見えない。近寄りがたそうなイメージなのに、意外とすぐに笑ったりするんだ。その笑顔が、何だか本当に嬉しいって感じの笑顔で、営業スマイルに慣れてる人なんかとは絶対的に違ってた。
一見細く見えるけど、実は単に着やせするタイプらしくて、案外としっかりした体型をしてる。いや、さすがに素っ裸なんか見たことないけど、ラインで何となく分かるカンジ。
浜瀬赤禰(はませあかね)
それがアイツの名前。
アカネって名前が女っぽいから、名前だけだとすぐに女と間違われるんだと言ってた。俺と正反対だなって思ってちょっと面白かった。勿論、アカネの場合は姿を見ればすぐに男だって分かるから、俺とはだいぶ違うんだけど。
アカネは本当にカッコイイ。
何をやってても様になるし、月並みだけど優しいし、きっとアカネはモテるんだろうなって思う。もしかしたら彼女がいるのかもしれない。こんだけかっこよかったら彼女がいて当然だと思う。
だけど、できればいなければ良いなと思ってる。
まさか俺みたいなヤツがアカネと…なんてこと絶対に絶対にないと思う…けど、なんていうかこう…。
多分、彼女なんて見たらすごいショック受ける。
寝込むかもしれない。
そんなことを考えてアカネと暮らしてる俺は、毎日毎日楽しいけど、ドキドキしっぱなしで心臓がすごく疲れるんだ。
アカネが傍に来ると緊張する。
アカネは俺のこと男だと思ってるから何の気なしに近づいてくるし、時々なんかは俺の部屋で寝ちゃうことだってある。
よくよく考えると、一緒に住んでるってすごいことなんだよな…。
だけど、こんな生活、いつまで続けられるんだろう。
元々兄貴のアパートなんだし、いつかアカネはいなくなっちゃうかもしれない。そのとき俺は、どうすることもできないんだろう。だからせめてそれまで、アカネの傍にいたいって思うんだ。
俺は、ある大型雑貨店の契約社員をやってる。
全国規模のおっきな雑貨店だ。
学生のときにアルバイトをしてて、そのまま契約に上がっただけなんだけど、やっぱり慣れてる職場は楽だと思う。ただ、代わり映えはしない。
ニ年に一度くらい、マンネリ化を防ぐための改装というのをする。そうすると店舗の雰囲気がガラッと変わるんだ。そのときくらいかな、代わり映えするのは。あとは、人員が出たり入ったり。
バラエティショップ風になってるウチの店舗では、一角に化粧品が売ってる。国内有名メーカーとかじゃなくて、輸入品とか、あとは無添加物を売りにしてるようなやつだ。
こういうのは売ってるところが少ないから、顧客が良く来るんだ。毎月買いに来るOLや主婦が多い。俺はそれをレジ通ししながら、へー、一ヶ月で化粧品って終わるもんなんだ、なんていう感想を抱く。
「化粧品って種類がたくさんあるよな」
俺にはいまいち分からない。
安物の、さっぱりした水みたいなやつを顔につけてるだけだし、化粧なんて無縁だし。
「園部さん、これ社割で買いたいんですけど」
「あ、了解ー」
ウチのバイトのユリちゃんは、このコーナーの担当をしてて、いつも仕事中に商品をチェックしてる。といっても仕事をサボってるわけじゃないから問題はない。それに彼女は化粧品が好きらしくって、知識も結構持ってるんだ。
ユリちゃんは可愛いから、化粧品とかが似合う。
こんな可愛い子だったら、男なら付き合いたいって思うんだろうなあ。
俺はそんなことを考えて、ふとアカネの顔を思い浮かべた。
…って!
オイオイ、アカネは関係ないだろ!なに思い出してんだよ!
俺は急に恥ずかしくなって、目の前のユリちゃんが俺の心を読んだんじゃないかって心配になって、焦って話題を繰り出した。
「あ、ああっと、あのさ!ユリちゃん、化粧品詳しいじゃん!?最近どんなの流行ってんのかな!?」
「やだ、急になに言ってるんですかー園部さんってば。売り上げプルーフ見れば一目瞭然じゃないですか」
「あ、そっか!あはは、そーだよなー。なに言ってんだ俺!」
…俺はバカか?
あ~もうホント…アカネが頭から離れない。どうにかしたい。
「あ、でもね、私のお勧めはありますよ。たとえばこれとか、すごく良かったですよ。ぷるるんがずっと取れないの。香りもいいし、味も変じゃないし、あんまりベタつかないんです」
「へえ」
それはグロスだった。唇に塗るギラギラ光ってるやつだ。
ユリちゃんはどうやらいち早くこれを買って使ったらしい。
「園部さんもつけてみてくださいよー絶対良いですから!」
「は!?俺!?ばっか、俺はそんなんつけるわけないっての」
「えー。でも園部さん、好きな人とかいないんですか?」
「す、好きな…」
やばい…。
俺の頭にはまたアカネがぷわっと浮かんでくる。
嬉しそうに笑うアカネの顔。言葉が聞き取れなかったとき、「え?」って言って少し上半身を折り倒して俺の顔を覗き込んでくる、あの時の顔。
好きな…人…。
「園部さんの好きな人ってどんな人ですか?」
「ばっ!だ、だからそんなのいないってば!」
「えー」
女の勘って怖い…あやうくユリちゃんにバレるところだった。あぶないあぶない。俺に恋愛ごとなんてちっともイメージじゃないし気持ち悪い。こういうのは秘密にしとくもんだ。
俺はユリちゃんが欲しいといった商品を社割りでレジ通しして、今日は退勤時間になったユリちゃんにお疲れさまを言った。
ユリちゃんが買ったのは、ローズの香りがするとかいう化粧水だ。世の中にはこんなのもあるんだな。何でも、その化粧水をつけるとローズが漂うらしい。
匂いか…。
そういえば、アカネはいつも良い匂いがするんだよな…。
多分香水だろう。なんていう香水かな。
爽やかな感じの、男っぽい匂いだ。涼しいカンジがするやつ。たまにふわって香って、すごい良い匂いなんだ。
そういえばウチの売り場にも香水が売ってたな、と思って、俺はふらふらと香水売り場に足を向けた。
ショーケースの中にはいっぱいの香水があって、どれがどれだかさっぱり分からない。ユリちゃんに聞けば良かったかな。ああ、でも売り上げプルーフ見れば売れてる香水は分かるんだよな。
でも、アカネの香水がどれかなんて、プルーフには載ってない。
「園部ー!サッカー頼むー!」
「あ、はーい!」
レジ応援を呼ばれて、俺は慌ててレジに走った。
家に帰ってアカネがいないとホッとする。
緊張する時間が少なくて済むから。
アカネの部屋を覗いて、荷物があるとホッとする。
アカネはここに戻ってくるんだって分かるから。
自炊なんてものにも縁が無い俺は、いつもコンビニで弁当かカップ麺かパンを買ってきて食べてる。それか、外で済ませてくる。
アカネもそれと同様で、大体家に帰った後は何も食べない。
だからウチの冷蔵庫のなかには、いつ買ったんだか分からない卵と、牛乳、あとはまとめ買いのビールがあるだけだ。因みに卵は、いつだったか自炊に挑戦してみようと思ったときに買ったやつだ。結局残ったまま放置されてる。
彼氏の家にいって食事を作って…なんて話を聞いたりするけど、やっぱり男ってそういうのが好きなのかな。アカネもそうなんだろうか。
俺が見るとき、アカネは大概酒を飲んでる。ほとんどビールで、たまにウイスキーの水割り。結構飲むペースが速いのに、アカネはへべれけになったりしない。酒は強いんだ、とか言ってたっけ。
俺は酒があんまり飲めないから、アカネと同じペースでは飲めない。それがちょっと残念だと思う。
「はあ…」
まあどっちにしろ、食事を作るとかなんとか、俺には出来ないことだ。というか、やったとしても気持ち悪いだけだろうし。
TVを付けると、女物の下着のCMがやっていた。
胸の谷間を作るボリュームUPブラとかいうやつだ。海外の、めちゃくちゃスタイルのいい女の人がモデルになってる。確かに胸のボリュームがすごいけど、これはそもそもモデルの胸がデカいんだと思うような気も…。
CMでは、売り上げが伸びているというようなことを言ってる。
そうか、世の中の女の子はそういうことにも興味があるわけだな。
小学校のとき、性教育の時間ってのがあって、不本意だけど女だった俺は、女の子だけ保健室に呼び出さるあの異様な雰囲気の中に一応は混じってた。
生理が始まりますよ。
胸が膨らんできますよ。
そんな話をされた。
確かに生理はきたけど、胸は板みたいなままだから、やっぱり俺はどっかおかしいのかもしれない。ホルモンのバランスとかいうのが変なんだろうか。
生理の時には仕方なく生理用ショーツとかいうのをはいてるけど、普段はトランクスをはいてる。それが慣れちゃったから、今でもずっとそのまんま。さして問題は無い。
ブラはほとんどの場合してない。たまにするけど、そういうときでもスポーツブラだ。ワイヤーが入ってない、ぺにょぺにょのやつ。それでさえ俺は窮屈だと思ってる。
下着ね…。
やっぱり男って可愛いブラとかつけてるほうが…とかいうことを考えて、俺は思わずハッとした。だめだだめだ!これは絶対に、最終的にアカネにいきつく思考パターンだ。
男ってそうなんだろうか?じゃあアカネも?
いつもそんなことを思ってしまう。
それで、ちっともそれに合ってない俺についてを考えてしまう。どうせ無駄だと分かってるのに、何故こんなことを意識してしまうんだろうか。
「はあ…」
俺は冷蔵庫から牛乳パックを取り出すと、パックのままゴクゴクとやった。
こんな俺には、やっぱり「男」が似合ってる。
そうに違いないんだ。