42:ツォンが欲したもの [1]
自分のこの思いは譲れないと断言したから、だからせめて守りたいと思った。
“今の自分”に出来る、せめてものことをしたいと思った。
愛していると口に出すことも、抱きしめることもキスすることも、最早許されなくなってしまったから―――――だからせめて、守りたいと思った。
プライドも何もない、ただ罪だけ背負ったような自分でも、それだけは出来るはずだから。
それが、今、素直に出来る最良のことだったから。
あの人はいつも寂しそうな顔をしている。
副社長という肩書きに支えられながらも、本当はいつでも自分の殻の中で膝を抱えて蹲っている。もっとあの人に出来ることがあれば良いのに、とそう思う。
ツォンはルーファウスと付き合うようになってから、自分について色々と考えるようになっていた。
本当はルーファウスの為に何かをしてあげたいと思うことこそが一番だったのだが、それをするにも何をするにも、まずもって問題がありすぎるのである。
そもそも、会える時間が少ない。
もっと時間があればルーファウスの話を聞きその身体を抱きしめてあげられるのに、なかなかそうできない。それは、ルーファウスが神羅の副社長という立場だったからである。
時間が欲しい。
そうでなければ、ほんの僅かな時間であってもルーファウスを安心させられるという確実な自信を得たい。
しかし自信というものは目には見えないし、そもそも相手が安心したかどうかなど当人でない限りは計り知れないものである。
ルーファウスは会うたびに満足そうにしてくれたけれども、それでもツォンはまだ不安だった。
何故ならルーファウスの膝を抱えるあの仕草は、一向に治る気配がなかったからである。
その仕草が消えない限りはルーファウスの中にまだ不安がある証拠だし、それを見てしまうと自分が至らないという気持ちになって仕方がない。
だからだろうか、確実に目に見える安心材料が欲しいと思っていた。
ルーファウスを安心させられるという、自分自身の安心材料を欲していたのである。
そんな折だったろうか、その話が飛び込んできたのは。
確かその話は、プレジデント神羅直々の令だった。
『特別任務を頼まれてくれないか』
真面目な顔つきでそういわれたとき、ツォンは躊躇い無く頷いた。
それは、タークスとしてどんな困難な任務も完璧に遂行するという意思を持っていたせいもあったが、もう一つには特別任務の『特別』という部分に思うところがあったからである。
『実はある組織の壊滅を頼みたい』
『組織の壊滅ですか』
一体どれほどの組織構成なのです、と問うと、プレジデント神羅は分からないと答えた。何度か調べたものの根本が掴めないのだと言う。
本来ならばそのような仕事はそれこそタークスが担当するべきなのだが、思うところがありプレジデント神羅が直々に外注で調査をしていたのだという。
『もしかすると…少々心苦しい任務かもしれない』
『心苦しいと申しますと?』
『まあお前には直接的には関係無いがな、ワシにとっては…つまり何だ、その、我が社の取引先が関係しているかもしれないんだ』
『…左様でしたか』
それが発覚したのは取引先との商談中のことだったのだという。先方は苦虫を噛んだような顔をして、実は、と切り出したのだとか。
その告白は本来なら取引先である神羅の社長に告げるべきものではなかったのだろうが、恐らくこの社長はそれを一人の友人として聞き入れたのである。
それは、こんな内容だった。
どうやら社内に阿漕な商売をしている輩がおり、彼らはその際に社名を勝手に使っているらしい。その関係で何件かの苦情が入りようやく事実発覚となったのだが、苦情はあくまで苦情でしかなく、その内容や人物の特定には至らない。社内で随時調査しているもののどうも実態が掴めない。
これを聞いたプレジデント神羅は、友人の頼みとしてその調査を引き受けた。
さいわい取引先とは違い神羅にはそれ専属の組織もあるし、恐らく彼らよりは動くことができるだろう。また、いざというときの尻拭いは神羅の方が権力行使できるという利点がある。
但しそれは、取引先の希望により大げさな調査にはしないで欲しい、というものだった。だからこそ秘密裏に外部に調査依頼をかけたのだが結果はこの通りで、最終的にツォン単独に依頼が回されたという次第である。
『まあそういうわけだ。そういえば…確かタークス主任のポストは空いていたな』
先の主任が理由あって消失したせいで、そのポストは確かに空いていた。
『どうだ、ツォン。もしこの特別任務を無事こなせたら、お前には主任のポストをやることにしよう。賞与もそれなりに考えておく』
『勿体無いお言葉です』
主任というポストは、おいおいツォンに回されるだろうと思われていたものだったが、その時のプレジデントの言葉はそれを確実に裏付けるものだった。
今まで特別そのような肩書きを欲した記憶のないツォンとしては大仰な言葉に違いなかったが、しかしそれが確定した瞬間には何かが変化していたのだろう。いや、というよりも気付いたのかもしれない。
そうだ、肩書きというものがあった。
タークス主任という立場はそれなりの重責があるものの、仕事幅が広がり信用を得ることに繋がる。
特に要人護衛や重要な話し合いの場となると、こうした肩書きがなければそれに触れることも叶わないのである。
そうか、そうだった。
ルーファウスも副社長という肩書きを持っており、その人を安心させるためには今の自分は何かが足りないと思っていた。
その答えは、勿論肩書きそのものというわけではなかっただろうが、しかしそれでも答えの一部には成りえるのではないだろうか。
ルーファウスと肩を並べても劣ることのない、そういうもの。
社会的にもその人を包括できる、そういうもの。
それは、確実に目に見える安心材料に違いなかったのである。
『かしこまりました、その任務はお任せ下さい』
ツォンはその任務を受けることとなり、暫くの間は単独行動を取ることになった。
プレジデント神羅から得た情報はあまりにも少なく、それは任務の難しさを伝えていたが、それでもツォンは粘り強くその任務をこなしたのである。
簡単な任務ではなかった。
恐らく、一人で抱えるには面倒すぎる任務ではあった。
しかしツォンがそれなりの期間をかけて調査したその任務の真相は、あまりにも陳腐なものといえないでもなかった。
というのも、それは組織というよりも組織化したように見せかけたバラバラの個人だったからである。
要するに、元凶はたった一つだけであり、その他のものはただの駒に過ぎなかったのだ。
恐らく駒に過ぎない人間たちはそれと知らずに悪事に手を染めていたのであって、自覚はまるで無いのだろう。だからこそ叩いても出てこないのである。分かり難いのである。
元凶はある一人の男だった。
ツォンはその組織の壊滅を命じられていたので、最終的にその元凶たる男と、その男と密接に関わる幾人かにターゲットを絞った。壊滅という言葉を受けているだけに、それは勿論暗殺という仕事になる。
しかしその暗殺はツォンが考えていたよりも随分と簡単なもので、任務成功はしたもののツォンの心には何かしこりのようなものが残ってしまった。
何しろその男は憔悴しきっており、その上まるで悪事を働くとは思えない顔つきをしていたのである。その上、ツォンが暗殺をする際に抵抗の一つも見せなかった。
それはその男と密接に関わっていた幾人かも同じことで、まるで糠に釘というほど呆気無いものだったのである。
ツォンの任務成功は、当然ながら取引先の歓喜を呼んだ。
そして、ツォンに肩書きを与えた。
確実に目に見える安心材料が、手に入ったのである。
ツォンはその報告を自らルーファウスにしたいと思っており、その為にルーファウスと会う約束を取りつけた。
話したいことがあるんです、きっと良い話です、そう告げたツォンに、ルーファウスはどんなことなのか楽しみだ、と電話口で笑っていた。
―――――しかし。