17:必要な物
誰も気付かない。誰も気付かない。
少しだけ笑ったクラウドの顔を見て、だれかが「少し元気が出たみたい」と声をかける。
元気が出た?
いいや、違う。そんなんじゃない。
それは違う。
”そういう問題じゃない”。
だってそれは…―――――。
そう思ったが、ヴィンセントは口をつぐんで、ただクラウドを見つめていた。
食欲は起こらなかったが、それでもモノを口に運ぶ。しかし飲み込むまでにひどく時間がかかった。
「ねえ、クラウド。この後、少し話したいことがあるんだけど、良い?」
ふと皆の前でそう言ったティファに、ヴィンセントは無意識にフォークを落とした。
カシャン…
ふっと仲間の視線が集まる。それに対してヴィンセントは小さく、
「すまん」
そうとだけ言った。
ふと見たクラウドが、可笑しそうに小さく笑っていた。
ティファがクラウドになにを話したかは良く分からないが、多分あの場でああ言っていたのだから“そういう事”なのだろう。
大丈夫?、だとか、良かったね、だとか、そういうものに違いない。
しかし、それはどう考えても違う。
違うということに何故気付かないのだとイライラもしたが、それは仕方無い。
何故って彼らは知らないのだ。クラウドの“顔”を。
クラウドの取り計らいで何故か同じ部屋になったヴィンセントは、その部屋で身を横たえながら近くの壁に目をやった。
食事が終わった後に、クラウドはヴィンセントに告げた。
『待っててくれよ』
言われなくてもそうするつもりだった。
昼、あの場では何も聞けなかった。
離れていく仲間の姿を追い、それについていく方が先だったからである。
戦闘時は何だか以前に戻ったようにキレの良い戦いを見せたクラウドに、誰もがホッとしていた。
バレットでさえ、文句を言いつつも安心したような顔をした。
その中でヴィンセントだけがそうできなかった。
それは正しくない―――――というか、あってはならない。
それでは本来の目的と反れてしまう気がする。セフィロスを倒そうとするクラウドの、その本来の意味から。
少しして、ガチャリ、と音がした。
ゆっくりと顔を向けると、ティファとの話を終えたらしいクラウドが立っている。
当然だろうが特に緊張している感じもなく、ふらり、とヴィンセントの横たわるベットの端に腰を下ろす。そうしてから、こう声がかかった。
「どうしたい?」
その声にヴィンセントは、分からない、と答える。分からないが、間違ってはいる。
いつもと違い、仲間と同じ宿の中なのでどうもしっくり来ない気がするが、それは仕方無い。というか、それ自体が問題なのだろうが。
「で、気付いたんだろ?…“俺”が此処にいることが、どういうことなのか」
少し笑いを含んだ声でそう漏らしたクラウドは、チラリ、とヴィンセントを見遣った。
声は笑っていたのに、その表情は真面目である。いつもの彼とは、少し違うような気さえする。
しかし、そんな事に戸惑っている場合ではない。
ヴィンセントはクラウドの顔を見つめながら、ゆっくりと口をひらく。
「これは、間違ってるんだ。クラウド」
今日、誰しもがクラウドを見てホッとしたけれど、それでもそれは間違っている。
本当のクラウドは、“クラウド・ストライフ”でなければならないのだ。
だから、“彼”は此処にいてはならない。
しかしその反面、ヴィンセントだけが見てきたこの夜人格のクラウドを否定するのは、何だか悲しい気もした。
最初と今とでは違うのだ。
再会した後にクラウドと共にした時間は、そういうふうにヴィンセントの心を変化させていた。
「お前を救うということは、このことだったんだろう?」
そう言ったヴィンセントに、クラウドは抑揚のない声で答える。
「…今更、後悔かよ」
「……」
ヴィンセントの中にあるのは後悔というより、もっと違う感情だった。しかしそれを言葉にするとなると難しい。
後悔もある。あるけれど、それだけとも違う。
悲しい気もするし、やるせない気にもなる。
しかしはっきりしているのは、悪い言葉を使えばこれは、単なる利用だということだ。
そうして“表の顔”になるために――――――。
「…前さ。会うことが救うことなのかどうか、聞いたよな?」
「ああ」
「どうしてだか、それも分かったのか?」
クラウドはゆっくりとそんなことを聞く。しかしその答えはまだヴィンセントの中には無かった。
結局そのままに「いや」と返すと、クラウドは珍しく苦笑などをする。
何だか、妙に弱々しく見えるのは気のせいだろうか。
「アンタ、鈍感だ」
「…どういう意味だ」
別に腹が立ったわけではないが、それをすぐに分かれというほうが難しいのではないか、と反論したくなる。そもそも存在自体が不可解なのは事実なのだから。
じゃあ、と言いながら立ち上がったクラウドは、部屋の電気を消し去ると、横たわるヴィンセントの上に跨った。
「おい、待て」
まさかこんなところで始めるつもりではないだろうな、そう思い慌ててそう止めるヴィンセントに、クラウドは笑う。
「キスだけ」
「……」
そうして、唇が重なる。
少し長めで、静かな口付け。
それをすっと離した後、クラウドはヴィンセントの胸にもたれかかり、その中でくぐもった声を出し始めた。
その声はゆっくりと、沈黙を守ったままのヴィンセントの耳に流れ込んだ。
「―――――欲しいものを、手に入れたくなっただけだ。そんなの、俺の望みじゃなかった。俺はアイツの影で、それだけの存在だったから。……でも、手に入れたくなった」
それは、一連についての告白なのだろうか。
あれほど催促しても言い出しはしなかったクラウドが、この夜にそれを言い出したことはヴィンセントにとって驚くべき出来事である。
しかしそれを顔に出すことはせず、ヴィンセントはただクラウドの言葉の続きを待った。
それは、夜の闇に浸透する―――――。
例えば、誰かが見る夢はとても甘く見える。
それを横目で見ながら馬鹿らしいと鼻で笑う。
しかし何時の間にか、それがとても甘く感じられて、急激にそれを手に入れたくなる。
でもそれに条件があったら?
……条件を、満たすしかない。
「ヴィンセント、俺はアンタが嫌いだった。アンタが初めて俺の前に姿を現したとき、俺はな、許せなかった」
「それで―――――あんな条件を?」
だから相手をしろと、そう言ったのだろうか。そう思ったが、それは違う、とクラウドは首を振る。
「違う。許せなかったのは、アンタじゃなくて…アイツだ」
クラウドは、本来の自分を「アイツ」と呼んだ。少し軽蔑するふうに。
そうして自嘲気味の笑いを漏らす。
けれどそれは自分の奥の“アイツ”に向けられた“笑い”だった。
「肝心なこと何一つ言えず、俺を作り出した馬鹿な奴。…でも今じゃ感謝してる。俺はアイツになる。いや、アイツが俺か?…どっちも一緒だ。だけど俺は、アイツを…」
「…“殺す”つもりだろう」
その言葉にクラウドはすぐには答えなかった。しかし少しすると、当然だ、と答える。その割には、その声からは自信が伺えない。
「それが正しい。だってヴィンセントは言ったよな、俺の方が接しやすいって。それって俺のほうが居心地良いってことだ。それに皆も俺の方を選んでくれるはずだ。アイツはいらないんだ」
胸に広がる体温を感じながら、ヴィンセントは心の中で言葉を繰り返す。
しかしそれでも、やはり正しくなんてない。間違っている。
けれど、その基準はどこにあるのだろうかと、このクラウドの言葉を聞いていると疑問が浮かんでくる。
誰も疑問を持たないこの現実の中で、過去のクラウドを忘れ去っていったとしても何も不自由はないだろう。違いがどこにあるといわれても、誰も分かりはしないだろう。
けれど、このクラウドの言うとおりになってしまったなら、何かが変わってしまう。
さっきも思ったことだが、例えば戦いの目的など。
そんな思考すらも、何だかうやむやになっていきそうな予感がして、微かに恐怖を感じる。
「何故クラウドはお前を作り出したんだ」
それは勿論、わざとではない。わざとであれば、それは意識があるはずだから。
「それはな、ヴィンセント。俺がアイツを殺したい理由と、一緒なんだ」
「え?」
「―――――馬鹿らしいだろう?けど今は……アイツの目的と、俺の目的は一緒だ」
ふっと顔を上げたクラウドは、ヴィンセントの顔を覗き込んだ。そこにはあの甘い夜と同じ目があり、ヴィンセントは無意識にクラウドの髪に手を伸ばす。
そうして、ゆっくりと指を絡ませる。
クラウドは、笑いも怒りもしなかった。ただ、ヴィンセントを見つめていた。
「なあ……」
やがて、クラウドの口が開く。
「俺はもう、鳥籠の鳥のままじゃ嫌なんだ。アイツの檻の中で生きるなんて、嫌だ」
その比喩はいかにも上手い具合だった。確かに、内に潜む人格という意味では“クラウド”という檻の中に彼はいるのだろう。
鳥、と表現するなら、そこから飛び立てば良い。
そして今、その檻は脆く消え去ろうとしていた。
消え去り、中で蹲っていた彼が飛び立つなら、その檻は必要性が無い。どこかに、消えてしまうのだ。
それは、本来のクラウドが消えるということ―――――。
「お前は、どうやってクラウドを殺す気だ」
自分を救う方法がヴィンセント会うことだったように、もう一人の自分を殺す方法もある。
二つの人格の目的は一つであり、人格が分裂した理由と一つになろうとする理由もまた同じという。
「どうやって?…分からない?」
そう言った後にクラウドはまた、ヴィンセントの胸に顔を埋めた。
そして、こう呟いた。
「俺を―――――好きになれよ」
―――――何だって…?
何を突然言い出すかと思えば、である。
確かに今まで身体を重ねてもそこに想いがあるかと問われれば分からなかった。ただ、昔のように嫌気がさすものではないのは分かっている。
だからといって、好きなのかどうかは……確実に答えを出せなかった。
「何で突然、そんな事を言い出すんだ。あれは条件だったんだろうが」
まさか好きという感情ゆえに自分を求めていたわけでもないだろう。
そう思って問いかけると、クラウドはヴィンセントの服を掴む手にギュッと力を込めた。
「だから鈍感だっていうんだ、アンタは…」
「クラウド…?」
それは、言わずにいたいと願っていた言葉だった。
そんなことはあるはずないと思っていた言葉だった。
それは最初、欲しいものなんかじゃなくて、誰かが望んだもの、ただそれだけのものだった。
しかし何時の間にか、それがとても甘く感じられて、急激にそれを手に入れたくなった。
例えばそれは何度となく重ねた体から伝わった熱だったかもしれないし、そうして条件をのんでまでそこにいてくれる姿だったかもしれない。
ずっと憎んでさえいたものだったのに、それはいつしか本当に欲しいものになった。
だから、手に入れたくなっただけだ。
そしてそれを手に入れるためには必要なものがあった。
それは、自分自身。
でも、それを完璧に満たすには―――――。
「――――俺は、ヴィンセントが好きだ」
ヴィンセントは、目を見開くしかなかった。まさか、そんな事があるだなんて思いもしなかった。
では―――――あの行為に想いがあったということか?
けれど、そうだ、とヴィンセントは思い出した。
クラウドは、ヴィンセントとのセックスに関し、それは自分にとっては意味のあることだと言ったのだ。
それは…正に、そのままの意味だったというのだろうか。
髪に絡ませた指を解くこともできずに、ヴィンセントは時間が止まったようにクラウドを見つめている。
「…もし俺を。俺を少しでも好きなら、そうだって教えてくれよ…」
そう響く言葉にも、どうしていいか分からない。
胸にはクラウドの体温が重なっている。鼓動は早まっていて、クラウドはきっとそれに気付いているだろう。
勿論、クラウドの鼓動も伝わってくる。それはやはり、少し早い。
暫くの時間の後、ヴィンセントの腕はゆっくりとクラウドを抱きしめた。
それが結果的に何を意味してしまうのか分かっていたが、確実な気持ちをもってそうしたのかは分からない。
でもその雰囲気の中でクラウドを突き放すことは到底できなかった。
しかし―――――これは、選択だ。
いつかの分の悪い賭けのように、酷く心がせめぎ合う。
困惑した心を知りながらもヴィンセントは、クラウドを抱きしめたまま目を閉じた。
それが欲しくて、それには条件があって。
でも、それを完璧に満たすには―――――その人の気持ちが、必要だった。