追憶葬<記憶の欠片:02>
仲間の不審そうな、また不安そうでもある目を潜り抜けて、クラウドとヴィンセントは何とか二人きりになった。
地面に足を付けると、何となく今迄の出来事が生々しく蘇り、嫌な気分になる。此処からはもう、あの大空洞もミッドガルも見えない。それでも記憶に新しいそれは、クラウドの心の中に大きな穴を残していた。
生い茂った森林の中を当ても無く歩き出しながら、クラウドはようやく口を開く。
「聞いて欲しい事があるんだ」
クラウドの後ろで立ち止まったままのヴィンセントは、無言のまま言葉の続きを待った。
やがて振り返ったクラウドは、幾分真面目な顔つきをしていた。
「神羅は本当に終わって無いんだ。いや…神羅じゃない。ジェノバ細胞が…」
「どういう意味だ。先ほど戦ったアレは、まやかしとでも言うつもりか?」
また途方も無い事を言い出したクラウドに、ヴィンセントは諌めるように強い調子でそう言う。どうせまだ、自分の中で整理しきれないものがあるのだろう、そう思った。
だが、その内容は少し違っていた。
「俺の体にはまだ、あの細胞があるんだ。セフィロスを倒して、それはもう御役御免って感じだけど―――でも。何だかおかしい気がして」
「おかしい?」
うん、とクラウドは頷く。
「俺の本当の記憶は何で戻らないんだろう、神羅時代の俺はどんなだったんだろう、そう思って。俺はザックスの記憶を持ってる…だけど、俺の記憶とザックスの記憶は混ざり合ってて、良く分からないんだ」
突如として、またあの混乱気味を露にする。ヴィンセントは嫌な予感がして、クラウドに近寄りその肩に手を置いた。
「大丈夫だ、もうそんな事は考えなくても良い。終わったのだぞ、全て」
それは、もう何度となくクラウドに与えられた言葉だった。
“全ては終わった”
しかしその言葉に大きく首を横に振ったクラウドは、およそ皆の前では見せないだろうと思われる、縋るような顔つきになった。
「違う!そうじゃない!俺の中にはもっと別な記憶があるんだ。今迄思い出せなかった…それなのに、セフィロスを倒した瞬間に急に頭の中に浮かんだんだ」
「何の…記憶だ?」
まさかそんな馬鹿な事があるだろうか。そう思ったが、あまりにもクラウドが懸命にそう訴えるので、一通りの事を聞こうと思った。
そう、多分クラウドはその事実を話しておきたかったのだろう。
だが何故自分を選んだのか、ヴィンセントは分からなかった。
クラウドの口が語った記憶は、正に一瞬の記憶だった。
追いかけてくる神羅兵。その中を擦り抜けるように逃亡する二人。
『クラウド!早く!』
『う…う』
視界に入るのは、空ろな目をしている金髪の少年。何かものを言おうとするが、それが上手く言葉にできないでいるふうだった。
『待て!その少年を置いて、素直にこっちに来るんだ!』
神羅兵は叫んだ。
チッと舌打ちをし、勢い良く少年の手を引く。このままでは行き止まりだ。
『良いか、飛ぶぞ』
そう小声で言うと、体は急に空を舞った。丁度上には切り立った崖があり、その先端へと着陸する。崖の下で神羅兵たちは右往左往しながら、きつい視線を送っていた。
所詮は一般兵程度の神羅兵なのだ。どの道、どうあがいてもこの崖の上には上れないだろう。
やっと息をつくことが出来、何が何だか分からないと言った表情で怯えている少年の頭を撫でた。
『うっし!ここまで来りゃ大丈夫だ。あいつらの狙いは…俺だし、な』
『ザックス…』
少年は一つ覚えのようにそんな言葉を吐く。それは弱々しい声音だった。
それを聞き、言葉を返す。
その言葉は少年には理解できる範囲のものではなかったが、それでも声は言葉を紡いだ。それはまるで独り言のように。
『――お前に、俺の記憶をやるからな。どうせ俺は…』
『う…ザックス…』
『どうせ俺は――絶対に殺されるんだから』
だからせめてお前だけは、どんな手段を使ってでも生き抜け、そう言葉は続く。少年はその言葉の羅列にだた、首を傾げた。
「それは…ザックスの記憶だろう」
話を聞きながら、ヴィンセントは静かに言う。会話からするに、それがつまりクラウド自身が記憶を無くした部分―――ニブルヘイムの任務以降の話では無いだろうか。
「そうだ、ザックスの記憶なんだ。だけど…」
クラウドの言葉はまだ続いていた。
『馬鹿を言うんじゃない!そんな事をすれば、この子の体の中にはいくつもの異種細胞が存在する事になるんだぞ。それがどんな副作用を起こすか―――!』
『分かってる!だけど希望があるなら、頼む!』
声を荒げてゼイゼイとしている男は、唇を食いしばりながら怒りを露にしている。
『そんな事は道理に反す事だ。大体これではあの男と…』
『だから頼むんだ。あの腐った組織にあんたが―――』
『黙れ!』
男はそう言ったきり口を閉ざした。
空気は淀み、暫しの沈黙が訪れる。
もう駄目なのかもしれないという思いがあった。これは最後の賭けだった。こうでもしなければ助かった所で生きる事ができない。
『…もう一度言う。頼む。俺には、時間が無いんだ』
生きる時間が、もう無い。
頭に冷たい感触がある。視界に映るのは汚れた床。頭を垂れる事で希望を聞き入れて貰えるならば、そんなに容易い事は無い。
暫くして、男の声が響いた。
『…分かった。だが、条件がある』
この記憶は何だ?
そう思う。
ザックスの記憶なのだろうという事は容易に想像がつくところだったが、いささか内容がおかしい気がするのだ。大体、いつの記憶なのかすら分からない。
「俺は、どうやって過ごしてきたんだろう。まだ何か…何かがある気がするんだ」
ポツリとそう呟くクラウドは、正体の分からない何かになす術も無いまま、ただ俯いた。
「―――何故、私にその話をした?」
唐突に、ヴィンセントはそんな事を言った。思わず顔を上げたクラウドは、
声にならない言葉を出す。
「何故?」
もう一度、確かめるようにそう問う。この時点でもう既にヴィンセントには予感があった。もしもその理由がその予想通りのものだったとしたならば、この場で一喝するだけでは済まさない覚悟だった。
どうせなら傷ついたクラウドに攻撃でもしてやるか、とまで思った。
もし、そこまで軟弱な考えをしていたとしたら―――。
「約束を…して欲しいんだ」
「何?」
半開きの目で、クラウドはヴィンセントの体にもたれかかった。予想しなかった重みに、ヴィンセントは思わず力を込めてそれを支える。
「俺がこの先…もしも、おかしくなったら。その時は、俺を迎えに来てくれないか。そして、今の話を覚えていて欲しいんだ」
「何を言ってる」
ヴィンセントの赤いマントを目にしながら、クラウドは操り人形のように口を動かした。
「俺が俺だって事を、教えて欲しいんだ。俺自身に」
その言葉の意味は、ヴィンセントには分かりかねた。良く考えてみれば、クラウドの口にした言葉は、全く質問の答えになっていない。しかし、それを非難する余裕は無かった。
クラウドの手が首にからまり、正に唐突に唇を重ねられた。あまりに急な出来事で、ヴィンセントは混乱する。しかも相手は、クラウドだ。
何故?
ヴィンセントの頭の中には、疑問符しか浮かばなかった。
自分に新たな真実を曝け出し、およそ想像したくもない未来の約束まで取り付けた上に、こんな事までしてくる。そんなクラウドが、分からなかった。
混乱しているのか、正気なのかすら。
ただ良く理解できない中で、クラウドが望むその先のものを与えるしか、無かったのだ。
『大切な記憶は閉じ込めるんだ、クラウド!』
記憶の淵から戻り、ヴィンセントは溜息を吐いた。
あの時、クラウドが言っていたのはこの事だったのだろうか。
もし自分がおかしくなったら―――そう言ったクラウドを思い出す。
だが、まだ精神に変化が現れたかどうかは定かではない。まずはクラウドを探し出し、それからが問題だろう。もしかしたら、ただフラリと出かけただけかもしれない。
しかしそれは理想論に他ならなかった。
そうでなければ、今までどうして三年間も平和に身を投じていたのだろうか―――やっと落ち着き始めたそれを、崩すはずが無い。
例えその平和が望んでいない種のものだとしても、正常なクラウドの精神ならば、ちゃんとした言葉を残すはずなのだから。
そこまで考えると、やはり時が来てしまったとしか考えられなかった。
とはいえ、何故そうなるかは、やはり理解に苦しむ。
そして、あの時なぜクラウドは自分自身がそうなるのではないかという危惧を持ったのか……その答えは、クラウドの中にしか無かった。
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