追憶葬<記憶の欠片:03>
復興を果たし、今では昔の名前――ミッドガルという言葉を口にする者も少なくなったその土地は、未だに区画整理がされただけの状態で、派手な建築物の姿は無い。
人々は、それが平和の象徴だと口にした。
産業などの経済が高度な発展を見せる事は人々の生活を潤した。それは神羅の存在で誰しもが認識した事実だ。だが、そういった高度な需要と供給の関係が完璧なものとなれば、小さな希望すらも大きな存在の前には力無きものに変わってしまうということにも気付いたわけである。
今また逞しく生きようとする人々の姿は健気で、そして強かった。
が、その歴史の影に埋もれていく者があるというのも、隠しきれない真実であった。
神羅ビル――かつてその巨大な権力の象徴だった建物の中心地、そこは今や何も無かったが、それでも小さな灯台のようなものが建てられた。
この灯台から見える広さは、あの頃、神羅幹部が見ていた広さだったのだろうと思うと、何だかとてつもなく胸が痛んだ。
神羅を哀れんでいるわけではない。
ただ、絶大な支配がかつてこの地にあり、それは今やどこにもなく、やがて記憶の中からも消え失せてしまう―――それが、妙な感覚を生んだのだ。
その景色を見ながら、クラウドは思った。
この記憶が消えない限りは、神羅は消えない。
そう思っていたが、それは自分もまた同じ事だった。
人々があの虚空の栄光を忘れ、新しい時代を作る。その中で、自分は一体どれだけの存在だというのだろうか。自分もまた、神羅時代を生きた人間で、その歴史の中に取り残される存在なのだと、今ではそう思う。
そういった事をまざまざと見せつけられた三年間―――。
悟ったのは、虚無だけだった。
ふと、カランと階段から音がする。
振り返ったクラウドは、そこに見知った姿を確認し、何とも言えない表情を浮かべた。しかしそれは穏やかな顔で。
「ヴィンセント」
無言で近づくヴィンセントに、クラウドは「良く分かったな」と弱く笑った。
「ああ、思いつく場所など此処しか無い。…別れ際にああ言われればな」
「そうだよな」
平和を前にして、神羅の事を、そしてジェノバ細胞の事を口にしたクラウド。そこから考えれば、自ずと答えは出るというものだ。
引きずっているのは、過去。過去とは、神羅そのものだったから。
「過去の栄光に縋りたいか。あんなに憎んだ組織なのに?」
「ヴィンセントに言われると重みがあるな」
笑ってそんなことを言う。今や笑ってそう言える。
クラウドの視線はヴィンセントの手に集中しており、やはりその手はあの時のままの形状をしていた。
かつてヴィンセントが漏らした言葉を、頭の中で反芻する。
『これは私の罪の象徴だ。ルクレッツィアの為にこのままで―――』
クラウドにとってそれは、自分と同じく自発的な束縛の象徴としか思えなかった。だが、そんなふうに想い人への誓いを立てるヴィンセントが、単純に凄いとも思えた。
「忘れられない人…」
思わずそう呟いたクラウドに、ヴィンセントはピクリと反応した。
「責めてるわけじゃないさ。ただ…」
同じだな、と言おうとしたが、クラウドは口をつぐむ。
ジェノバ細胞を保有するクラウドと、宝条の技術を保有するヴィンセント。ある意味二人は、宝条にとっての“作品”だった。
「…クラウド」
他愛無い世間話のような状況を打ち砕くべく、ヴィンセントは本題に入ろうとする。そもそも此処に来たのはクラウドを探す為という単純な理由では無い。
どうしてあの場を離れたか、そして―――。
「異常は無いのか?」
「異常…?」
「お前は言っただろう。もし自分がおかしくなったら、と」
ヴィンセントのその言葉に、ああ、と納得するような答えが返る。今のクラウドの様子からは異常は感じられないが、だとすれば何故あんな事をしたのか?
クラウドは灯台のフェンスに手をかけ、上体を少し離しながら言った。
「俺はもうずっと正常なんかじゃなかった。それは分かってるだろう?」
「…ぶり返すような事を言うな。どうせまた神羅だとか言うのだろう」
ご名答だな、と少し虚ろ気に笑うクラウドの顔が目にうつる。
「ヴィンセントが此処に来た理由は、俺との約束のためじゃないんだろう?…ティファか?」
「そうだ。ティファは心配している。店も閉めているようだ」
「…そうだよな」
クラウドにもそれは分かっていた。分かっていたが、戻れないと思っていた。優しい仲間たちは自分の身を案じるだろう―――驕りでは無く、それくらいの事は容易に想像できたから。
「実は俺…店とは別に、仕事をしてたんだ」
ティファの店だけでも生活に苦しむ事は無かったが、その生活はクラウドを締めつけていた。ソルジャーと名乗り戦いに身を投じていた体と精神は、最早普通の安穏とした生活の中に留まる事はできなかったのである。
だから、せめて何か開放できる場所が必要だったのだ。だからクラウドは、神羅完全撤去を目的とする作業をその場にしたのである。
それは有志団体と旧ミットガルの建設団体が共同で立ち上げた組織で、神羅の残した全ての建造物や、その関連物を一掃するというのが主な作業内容だった。建物の撤去後はその地に新たなものを作ることになっていて、今居る灯台もその一部である。
「ティファには単なる力仕事だって言ってあるから、俺が実際に何をしてるのかは知らないだろう。神羅なんて、言葉に出しただけでも怒りそうだ」
「そうだな」
それで答えはどうなんだ、とヴィンセントは先を急く。
「順を追って話すよ。俺達が今いる此処…今は灯台だけど、前は神羅ビルの中央だ。俺はこの灯台造りに参加してた。結構大変な作業なんだ」
その作業は土を掘り返したりする所から始まるんだ、とクラウドは続ける。もし何らかの有害物質があったら大問題に発展する。だから慎重に作業を重ねるわけだが、その綿密さが物語るのは神羅の偉大さに他ならない。
「俺は主に力仕事だったから、重要なところは知らない。だけど…聞いたんだ」
「何を?」
「――――何かが出てきた、って」
ヴィンセントは黙ったまま目を見開いた。
まさか今になって発見されるものが―――?
確かに神羅ビル周辺が完璧な調査をされていなかった事は知っていた。それは誰しもが恐れていたからだ。そして、絶望していたから。
「何が…出てきた?」
「分からない。でも俺はそれを聞いてから…帰れなくなったんだ」
「帰れない?帰らない、では無く帰れないのか?」
「そうなんだ、おかしいだろ?離れようとすると、頭が痛くなる。丁度、昔のミッドガル地域から出ようとすると、そうなるんだ」
何故かは分からない、とクラウドは続ける。返りたいとしきりに思っていたあのリュニオンとは少し違う、だけれどどことなく似た感覚。その感覚はクラウドを混乱させた。
だからこの一週間、クラウドは何をするでもなくこうして出来たばかりの灯台に留まっていたのだ。
「また、どうしたら良いか分からなくなった感じだ」
そう言ってからクラウドは、心の中でその言葉を否定する。
いや、そうじゃない。もうずっと、どうして良いかなんて分からなかったんだ、と。
「…事情は分かった。とにかくお前が正常だと分かって良かった」
ヴィンセントはそう言いながら、どうしたものかと考えあぐねた。何しろこれはティファに説明できない事柄だ。
酷い頭痛に顔を歪ませるクラウドを連れて帰っても、ティファは心配するだけだろう。それこそ問題である。
クラウドをミットガル域内から出すことが出来ないとして、ヴィンセントがこのまま此処を後にするのはどうにも納得できない選択だった。かといってこのまま一緒にいたところで何が出来るわけでも無い。
「帰るのか、ヴィンセント?」
思考を巡らせているヴィンセントに、クラウドが声をかける。答えを出せないままだったヴィンセントはただ黙していたが、やがて答えを導くような言葉がヴィンセントの耳に入り込む。
「一緒にいてくれよ」
その言葉とともに、首に絡みついたクラウドの腕は、まるであの時と同じようだった。その腕は、まるで束縛の鎖のようで。
「…一緒にいて」
そして言葉は、念を押すかのように、もう一度ゆっくりと囁かれた。
→NEXT