インフォメーション
ザックスの差してくれる蒼い傘が、大好きだった。
傘の下:ザックス×クラウド
その時期、ミッドガルに異常気象が起こった。
滅多に振らない雨が、何故かその時期に集中して降ったんだ。
皆はその異常気象にしかめっ面をして、早く普通にならないかなあなんて零してたけど、俺だけはちょっと違ってた。
俺には、その雨が嬉しかったから。
俺は、雨が好きだったから。
訓練後に、ザックスと待ち合わせをする。
それは日課みたいになっていて、大体その待ち合わせの場所っていうのは兵舎の外だった。その場所は丁度ザックスの住んでいる棟の近くで、そこには一本の木が立ってる。その木は、待ち合わせの目印みたいなものだ。
俺はその日もその待ち合わせ場所に行って、しとしとと降っている雨の中をじっとザックスが来るのを待ってた。多分、待ち合わせの時間よりちょっと早かったと思う。いつも大体俺は少し前に此処につくようにしてるから、多分その日もそうだったんだと思うんだ。
そうしてザックスを待つ間、俺の上には木の枝が傘みたいに連なってた。これは雨を少しばかり凌いでくれるけど、かといって全部凌いでくれるわけじゃない。やっぱりポロポロとは落ちてくるわけで、そういうとき俺は大体雨に濡れてた。
じゃあ傘を差せば良いじゃないかって感じだけど、俺は敢えてそれをしない。
何でかっていうと、傘っていうのはいつでも、いつの間にか俺の頭上にあるものだったからだ。
「よ。お待たせ」
「…あ、ザックス!」
ホラ、今日もやっぱり、いつの間にか傘が頭上にある。
ふと上を見上げた俺の眼には、いつもの蒼い傘があった。それはザックスが差してきた傘で、ここ最近の連続雨のせいで連日大活躍してる奴だ。
俺が敢えて傘を持ってこないのは、ザックスがこうして傘を差してやってきてくれるから。そうしてその傘をいつの間にか俺の頭上に持ってきてくれるから。
俺はそれが嬉しくて、だからいっつも、わざと傘を持ってこないんだ。
これはちょっとズルイんだろうなって思うけど、それでも俺は止められない。
「全く、たまには傘差してこいよ、クラウド」
蒼い傘を差しながら笑ったザックスは、その傘をクルクルさせながらもそんなことを言う。そのザックスの言い分は尤もだって俺も思うけど、やっぱり俺はこうしていつの間にか頭上にある傘が好きだったから、ザックスに向かってこう言い返してみる。
「俺は良いんだよ。この傘が好きだから」
この傘がっていうより、ザックスが差してくれる傘って感じだけど…まあ良いやって思う。俺にとっては同じ意味だし、多分ザックスも俺の言いたいことを分かってくれてるだろうから。
そうして俺が言い返すと、ザックスは笑いながら溜息をついた。
「ホント、お前って憎めないよな」
「へへ、でしょ?」
「あ。開き直ったな、こいつっ」
ザックスは俺の頭を小突きながらも笑ってる。俺はそれを笑いながら受け止めて、視界の端にあった蒼い傘を確認した。
蒼い傘、それはいつもザックスが雨から俺を凌いでくれる傘で、俺はそれが大好きだった。
その傘の下にいる俺とザックスが、おんなじ所にいるんだなあって思えて、俺は大好きだったんだ。
その傘は、連日大活躍してた。
いつも俺を雨から凌いでくれて、いつでも俺とザックスをおんなじ所にいさせてくれた。
それは何だか、とっても大切なもののような気がしてた。
大切なもののように感じられていたその傘でアクシデントが起こったのは、ある豪雨の日のことだった。アクシデントって言い方はオカシイのかもしれないけど、俺にとってはアクシデントだ、って思う。
ともかく、その日俺は相変わらずザックスと待ち合わせをしていて、その待ち合わせ場所の木の下で傘も差さずに待っていた。その日は何といっても豪雨だったから、本来なら傘を差してないなんて余程変な感じだったんだろうと思う。たまにその木の横を通っていく人達が変な目で俺を見ていたのも多分そういう理由だったんだろう。
それでも俺は、俺のこだわりみたいに傘を差さずに待っていた。
木の枝は、いつものしとしと雨の時みたいに俺を守ってはくれなくて、俺はその時点で随分とずぶ濡れの状態だった。
でも俺は信じてた、きっとすぐにもあの蒼い傘が俺の頭上に現れるんだってことを。
―――――――でも。
「…30分、かあ」
そんな日に限って、ザックスは時間通りにやってこないんだ。こんな豪雨の中だからそれなりに事情があるのかなあとも思うけど、今まで一回だってこんなこと無かった。だから俺は思わず首を傾げてしまう。
待ち合わせの時間から、もう既に30分……絶対にオカシイ。
「任務が遅れてるのかな…」
仕事の都合には、さすがに文句なんて言えない。もしそういう事情で遅れてるとしたら頷けるし、連絡手段がない以上はそれを伝えることもできないわけだから、こんな状況だとしても仕方無いやって思える。
俺は暫くそういうふうに考えてたけど、その内何だか不安になってきた。
だって――――――もし任務で何か悪い状況になってたとしたら。
そう考えると、気が気じゃない。
「…大丈夫かな」
俺は暫くそんなふうに考えながら悶々としてたけど、待ち合わせ時間から一時間経った時になって、もう限界だ、と思った。例えば最悪の事態が起こっていたとしたら…それでも俺はどうこうできるような存在じゃない。ザックスの居場所を掴むことすらできないんだから、何か起こったかどうかを調べるなんて俺みたいな人間じゃ無理なんだ。
だけどそれでも俺は、もしかしたら、とか、最悪の場合、とかそんなふうに考えている内に、そこにとどまっていることができなくなってしまった。実際じっとしながら雨に濡れているわけだから体的にもマズイ。だけど俺がそこにいられないと思ったのは、そういう体のことじゃなくて気持ちの方だった。
だから俺は、自分自身の不安を消す為にもその場から一歩踏み出す。といってもザックスがどこにいるかなんて俺には予測もつかないから、ともかく引き返すように俺は兵舎の方へと向かってみたんだ。
でも、思えばそれこそが運のツキだった。
だって俺はそこで、見てはいけないものを見てしまったんだから。
ううん、見てはいけないって言うのは間違ってるのかもしれない。別段それは、見たら罰せられるとかそういうものじゃなかったし、別に俺以外の人だったら何でもないことだったんだろう。
でも俺にとってそれは、明らかに“見てはいけないもの”だった。
それは―――――兵舎の隅、壁に寄り添うように見えた人影。
あまりの豪雨で、顔はびしょびしょで、俺は一瞬それが何だか分からなかったけど、濡れた腕で目の辺りをゴシゴシとこすって目を凝らした時にやっとそれを理解できた。
理解できたんだけど…でも、信じたくはなかった。
「…え……何で?」
無意識にそう声を出していた俺の視界に映っていたものは、ある人影だった。
その人影は、この豪雨の中でひっそりと寄り添うふうにしている。
そしてその人影の頭上には……あの蒼い傘が、あった。
「……」
俺は声が出なかった。ううん、出せなかったんだ。
そこにいるのは間違いなくザックスともう一人の誰かで、その二人は寄り添うふうにしてる―――――その意味なんて、俺は考えたくなかった。
だって俺は、この豪雨の中でずっと待ってたんだ。ザックスが来るのを一時間も待って、その間俺はこの豪雨に打たれてて、頭も顔も腕も足も何もかもびしょびしょだったんだ。
それでも俺は、きっとすぐにあの蒼い傘がやってきて、雨から俺を守ってくれると信じてた。今までそれは絶対に破られることなんてなくて、俺はあの蒼い傘の下で二人でいれることは大きな意味があるような気がしてた。
だけど、あれは何だ?
あの蒼い傘は―――――――俺じゃなくて、誰か知らない人を守ってる。
「……」
声が出せないままにその光景を目に映し出していた俺に、豪雨は容赦なく降りかかってくる。
ザアアア…ザアアア……
雨の匂いがする、雨の音がする、雨の味がする。
「…っ…」
顔の皮膚を伝っていくその雨と共に、何かしょっぱい味が口内に広がった。
俺の視界は、滲んでた。
俺は、雨が憎たらしく思えた。
俺は、雨が嫌いになった。
後日、またザックスと待ち合わせをした。
あの光景を見た翌日のこと、ザックスは俺に向かって「昨日はごめん」とそう言った。つまりザックスは、あのまま俺のところには来なかったんだ。勿論俺もあの後は待ち合わせ場所に戻ったりしなかったから、実際ザックスがあの場所まで行ったんだかどうかは分からない。でもそういう言葉を繰り出すってことは多分、あの場所はずっと無人だったんだろうと思う。
俺はザックスのその謝りの言葉に一つ頷いて、だけど笑って答えた。「ううん、そんなことないよ」って、そんなふうに。
ザックスはそれを見てどこか安心したような顔をしてたけど、俺は何だかそれが無性に許せなかった。
だって、ザックスはそれしか言わないままで安心したような顔をするんだ。俺が欲しいのは、昨日はごめん、なんていう謝りの言葉じゃない。何で来なかったのか、っていう理由だ。
でもザックスは最後までそれを言わないままに、埋め合わせをしたいからといって今日の約束を取り付けてきた。俺はそれを快諾したものの、心の中では何だか信じられないような気がしてた。
だってそうだろう。どんなに待ち合わせをして、その後の時間を一緒に過ごしたとしたって、ザックスは俺に秘密事を持ちながら笑ったりするんだ。あの日あの傘が豪雨から守ったのは俺じゃない、誰か知らない人なんだ。
そう思うと俺は、どんなにザックスが好きでも、これから一緒にいることの意味が分からないような気がした。意味なんか無いんじゃないかって気がした。俺があれほどに好きだったあの傘は俺のものなんかじゃなくて、あの傘の下は俺とザックスの特等席なんかじゃなくて、そこには最初から意味なんか無いんじゃないかって気がした。
だからその日、俺はわざと傘を差して行った。
しとしと雨の中、いつもだったら絶対にささない傘を差して、ザックスをじっと待つ。いつか誰かが頭上に傘を差してくれるのを待つんじゃなくて、自分で自分を守るために。もうあの蒼い傘なんて必要ないって、そう言ってやるために。
そうして数分待つと、その日は時刻通りにザックスがやってきた。
第一声は、
「よ!お待たせ」
そんないつもと変わりない一言だった。
それがいつもとちっとも変わらない調子だったから、俺は返って何だかムカッとした。だって今日は俺も傘を差してるんだから絶対にいつもと違うはずなんだ。なのにザックスはそれを気にも留めないでそんなふうに言う。
だから俺は、思わずこんなふうに言った。
「もうザックスの傘、必要ないから」
その俺の口調は、何だか刺々しかったと思う。自分でもそう思うんだからザックスからすれば相当そんな感じだったんだろうって、そう思う。
でもザックスはそんな俺の言葉に「へえ」なんて一言を漏らすと、
「そっか、何だかちょっと寂しいな」
なんて言った。
ふとザックスの頭上に目を遣ると、そこにはあの蒼い傘がある。
その蒼い傘はずっと俺の中で大切なものだったはずなのに、今日は何だか妙に憎たらしく見えて、それを難なく差してるザックス自体も妙に憎たらしく見えた。
だから俺は、その蒼い傘を視界からスッと外す。
そうして、特に嬉しくもなんともない調子で、今日はこの後どうしようかとかそんな話題を上らせて、今度はザックスからも視線を外す。これからどうしようかなんて言ってる割には、いかにも正反対な態度だ。
そんな俺の不審な態度にザックスは、特に何も言わなかった。ただ、唐突にこんなことを言い始める。
「クラウド。この前…ごめんな」
「え?」
突然それを言われたものだから、俺は思わず驚いてしまった。
ザックスがそう謝るのは間違いなくこの前の日のことだ、それは分かってる。それに、ごめん、なんて言葉はその翌日にも聞いたわけだから今更繰り返されたところで別段これといった気持ちにもならない。
でも、それでも俺が驚いてしまったのは、その時のザックスの謝り口調が“謝るだけのもの”じゃなかったからだ。その時のザックスのゴメンって言葉は、ただゴメンと伝えるだけじゃなくて、何故ゴメンになったのかっていう理由を語る口調だった。
それはほんの僅かの違いだったけれど、俺は何となくそれに気付いてた。
その俺の予測はズバリ当っていて、ザックスはゆっくりとあの日のことを語り始める。そのザックスの言葉の後ろでは、しとしと雨の音が響いてた。
「俺、困ってる奴とか放っておけなくてさ。それで…あの日、此処にくる前にちょっとしたアクシデントがあったんだよ」
「アクシデント…」
俺の方がよっぽどアクシデントだったけど、ザックスはそれに気付いてくれてるかな。
そんなことを思いながらも、俺はザックスの言葉の続きを待ってる。
「部下…っていうか。まあ下のソルジャー君がさ、ちょっとしたミスしたんだよな。それが大事に発展しちゃって…落ち込んでたところに遭遇したわけだ」
「…それを慰めてたわけ?」
「ああ、まあな。豪雨の中で男が大泣きしてるんだぜ?余程の事だって思うし、放っておけないだろ。しかもソイツ顔見知りだったから、尚更放っておけなくてさ」
「……」
――――そんな理由だったんだ、知らなかった。
聞かなかったんだから知らないのは当然だけど、まさかそういう理由だとは思ってもみなかった。俺はてっきり、ザックスともっと深い仲の人がいて、その人といい雰囲気にでもなってるものかと思ってた。…どうやらそれは俺の考えすぎだったみたいだ。
俺はそのザックスの話を聞いて、一瞬ホッとした。
でも、何だか…それでも心が晴れない。
このしとしと雨みたいに、俺の心の中はずっと何かに打たれたままだ。
実際俺が思っていた内容とは違ったわけだから、俺が此処でしかめっ面を続けるのはあんまり良いことじゃないし、多分いけない事だと思う。でも俺は、今さっきまでブスッとしていたその表情を一気に変化させるような事ができなくて、いまいち素直に笑えないままでいる。本当なら、なんだ、そうだったんだ、って笑えばそれで良いだけなのに、何だかそれができない。それをするのは悔しいし、何だか恥ずかしい。
それに……例えそれが本当だったとしても、あの日あの蒼い傘がその人を守ったことは変わらない事実だ。
これは本当に我侭だって分かってるけど――――俺はやっぱり思っちゃうんだ。
あの蒼い傘には、俺以外を入れないで欲しかった…って。
でもこんなのって我侭だ。
あの傘は単なる傘で、本当は意味なんて何もなくって、ザックスは親切心であの人に傘を差し出したんだ。それは悪いことじゃなくて、むしろ良いことで、俺は勝手にそれに腹を立ててる。
それは分かってる。分かってるんだけど―――――…でも、何だか…。
「なあ、クラウド」
ふとそう名前を呼ばれて、俺は慌ててザックスを見遣った。どうやら、いつの間にか俯いて考え事をしてたみたいだ。
そんな俺の慌てぶりに笑ったザックスは、そのままの表情で、こんなことを言い出す。
「俺、この傘捨てる」
「えっ?」
“傘を捨てる”って―――――――――何でイキナリ?
だってその蒼い傘は、壊れもないし汚れてもない。至って綺麗な感じだし、デザインだって悪くない。どう考えたってまだまだ使える感じだ。
だから俺はついつい焦った調子になって、どうして、とザックスに聞いた。するとザックスは、別段これといって特別な感じは見せずに、
「用済みだからかな」
なんて言う。
…用済みって、一体何だろう。何だか良く意味が分からない。
俺は思わず首を傾げてしまったけど、取りあえず「そうなんだ」とだけ返しておいた。ザックスが捨てるって言うんだから仕方無いし、そもそも俺の傘じゃないんだから俺には口出しする権利なんてない。
ただ、ちょっとだけ思ってた。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ……寂しいな、って。
あの日誰かを守ったその傘は今の俺にとっては何だか憎らしい感じだったけど、それでもその傘は長い間俺にとっては大切なものだったし大好きなものだった。だからそれが無くなるってことは、何だかちょっと寂しい気がする。でもきっと、そう思ってしまうのだって我侭なんだろうって思う。
今さっきまで憎らしいと思っていたくせに……何だか俺はズルイ。
そんな二つの気持ちが混同してた俺は、きっと不思議な表情をしてたんだと思う。俺には分からなかったけど、ザックスの態度はそれを示してるんだろう。
だってザックスは――――――――ちょっと困ったふうに、笑ってる。
「…本当は俺もちょっと、寂しいんだけどな」
「俺も、って…」
俺は、じゃなくて、俺も、なんて…何だか見抜かれてるみたいでムズ痒い。
だけどザックスは、もっとムズ痒いことを教えてくれた。
それはしとしと雨の降る中で、笑顔で。
「だってこの蒼い傘が無くなったら、俺もお前のコト独り占めできなくなりそうだからさ」
その言葉を聞いて俺は、どうしようもない気分になりながらも、ちょっと笑った。
だってね、ザックス。
ザックスは―――――――“俺も”、って言ってくれるんだ。
蒼い傘は、俺達の中から消えていった。
それと同時にミッドガルの異常気象は収まって、雨はすっかり止んでしまった。
俺の大好きだった、俺の憎たらしかった、そんな雨。
それは今では晴天に摩り替わってしまって、影すら見せない。
だけど俺は今、もう雨も傘も必要ないんだってことに気付いてる。
あの時俺が大好きで大切だったものは、ザックスにとっても大好きで大切だったものだったらしい。それはその時には分からなかったことだけど、今では俺達はそれを知ってるし、今雨や傘がなくなってしまっても、何故それが大好きで大切だったかってことを俺達は覚えてる。
晴天の空は、とても広くて大きい。
今俺とザックスの頭上にあるのはそんな空。
あの時傘の下にあった大切なものは、今、空の下にある。
だからもう、蒼い傘は必要ない。
もっと大きな傘を、見つけたんだ。
END