最大の任務:05
その日の夜、ザックスは約束通りに例の酒場に顔を出した。
酒場は相変わらずガヤガヤと煩く、ギャンブルに興じる者、しみじみと酒を仰ぐもの、話に花を咲かせるもの、それからドラッグに浸かる者…とにかく色々な情景が凝縮されていた。
もう既に常連と化しているところから、こうしてドアを開けるとやたらと声をかけられる。
ああ、ザックス!今日も賭けるか?
おう、ザックスじゃねえか。調子はどうだ?
そんな言葉の数々に嘘の無い笑顔で返答しながらも奥まで進んでいったザックスは、丁度カウンターになっている席の辺りにルヴィの後姿を見つけた。
日中に見た珍しいパンツスタイルとは違い、またスカートなどで座っている。それを見て、ふう、と思わず息をついたザックスは、ルヴィの背後からその隣の席に入り込んだ。
「よ!お待たせ」
「ザク!待ってたわ!」
ザックスの登場に気付いたルヴィは、途端にパッと顔を明るくさせてそんなふうに言う。
ザックスの方はといえば、今日は力仕事をみっちりとこなした後だったからか少し表情に疲れが表れていた。実際それほどの疲労感は意識していなかったが、多分無意識に出ていたのだろう。
それを汲んでか、ルヴィが、
「おつかれ」
などと声をかけて来た。
「ああ。結局夜までかかったぜ。明日からは組み立てだってさ。何でも凄い面倒なんだって嘆いてたぜ」
大変だよなあ、などと零しながら席についたザックスは、早々にいつものものをオーダーする。そうした後に隣のルヴィを見遣ると、早速というように用件を聞いた。
「で、今日は何だ?何か用があるんだろ、俺に」
「まあね」
にっこりと笑ったルヴィに、ザックスは催促するように「何?」と聞く。そうした時に丁度オーダーしたものが目の前に現れ、ザックスはそれを一口飲んで口を潤すと、再度ルヴィに向き直った。
「まず、今回はありがとう。ほら、急な仕事だったでしょ。だから」
「ああ…それは別に」
急な仕事と言われ、ふと神羅の二文字が頭を過ぎる。一瞬、今回の仕事が神羅がらみであることを知っていたのかどうか聞きたくなったが、それは無い筈だとすぐにその疑問を掻き消す。
何せ最初にザックスは言ったのだ、神羅とミッドガルが絡む仕事はパスだ、と。それを知っていて紹介するようなルヴィではない。
そんなことをザックスが思っている隙にルヴィは新しい飲み物をオーダーしており、早々に出来上がってきたそれを口に運びながら用件を口にし始める。
「実は今日ね、ザクに話があって」
「へえ、何?」
「…実は」
そう切り出しながら、ルヴィは脇に置いてあったバックの中からあるものを取り出した。それは小さな袋で、その中には粒状のものが数個見える。
それをザックスの前の提示しながらルヴィはこう続けた。
「これ、何だか分かる?」
「?…さあ?」
首を傾げるザックスに、ルヴィは少し真面目な顔になって言う。
「―――――“ドラッグ”」
「…ルヴィ!!」
その一言に思わず声を荒げたザックスは、無意識にカウンターの表面を拳で叩いていた。ガン、という音が店内に響き渡り、そこにいた連中をざわつかせる。
そんな周囲に「何でもないわよ」とフォローを入れたルヴィは、まだ怒りの表情をそのままにしているザックスを振り返り、心底真面目な表情を作った。
その表情が、ザックスの瞳に映る。
「怒らないで、ザク。これは私からの一つの提案なの。…確かにドラッグは良くない。ザクがやらないのだって知ってる。でもね、今のザクには必要だと思うの」
「必要?俺にドラッグが?…ふざけるな」
怒りをそのままに、それでも声を抑えたザックスがそんなふうに切り返す。
ドラッグが必要だなんて、そんなふうに言われる筋合いはない。今がどんなに逆境であるとはいえ、その辛さや悲しみをドラッグで紛らわそうだなんてそんなふうには解決したくない。
しかし、ルヴィの言い分は至って真面目だった。
「何も天国行きになれって言ってるんじゃないのよ。それにこれは、そんじょそこらのドラッグとは違う。ザク――――私は緩和して欲しいの」
「緩和…?」
「そう、緩和。私はザクの事情を完璧に知ってるわけじゃない。でもこの前聞いた限りじゃパンクしそうな状態だと思ったの。つまり…ココが、ね」
そう言いながらルヴィは、ザックスの額の中央を指の先端で触れる。
「ねえ、ザク。ザクは此処以外の場所だと結構、煮詰ってるんじゃないの。その…クラウドのことも含めて」
「……」
クラウドの事を含めて、というよりも、今はクラウドのことが全てであるような気がする。確かに打破できず解決もできない現状は煮詰まっていると表現するには相応しいかもしれない。しかし、だからといってドラックとは…考えられない。
「クラウドが深刻な病だって聞いて、そう思ったの。ザクは優しいから、多分必死になってるでしょ?どこをどうしたら良いのか、そう考えて考えて、でも答えが出ないから煮詰る。…そんなふうにしてたら、クラウドの病を治すどころか、ザクまで壊れるわ」
「そんな事、無い。俺は大丈夫だ」
「嘘!絶対無理だわ。…ザク、お願い。ううん、気が向いたらで良い。だからコレ、受け取って」
強くそう言ったルヴィは、ザックスの眼前にその袋を差し出す。その袋の中に見える粒状の物体は、指の関節一つ分くらいの大きさで、少し特殊な色合いをしていた。ルヴィはあくまで緩和の為だというが、それでもやはり躊躇われる。
とはいえ、ルヴィがそれを勧める理由は、理解できないわけじゃない。つまりルヴィは、ザックスを心配してそれを勧めているのだ。
例えそれが強引な方法であり具体的な解決法にはならないとしても、理由からすれば頷けないわけではない。これがもし悪性の副作用でもあろうものなら事態は一気にマイナスになるだろうが。
「……」
ザックスは、目前にあるそれをじっと見詰める。
もしこれが悪い具合にザックスの脳に影響でもしたら……クラウドはどうなるか。そう考えると、形式だけでも受け取るわけにはいかない。
しかし逆に考えると、そうしていかなる場合でもクラウドの事を優先して物事を判断することこそ、ルヴィの言うところの煮詰りであることは言うまでもなかった。
しかし――――――蔑ろには絶対できない事だから。
「ザク、お願い」
考え込むザックスに、ルヴィはもう一度強くそう言う。その声は強く響き、無意識のうちにザックスの手を動かした。それは本当に無意識の行動で、意識的に受け取ろうと思ったわけではない。ただ、勝手に体が反応をしていたのだ。
すっ、と眼前から消えるドラッグ。
それが消えると、視線の先にあるのは笑顔のルヴィだった。
「ありがと、ザク」
何故だか笑顔でそう言ったルヴィは、ザックスがそれを手にしたことが余程満足だったのか、暫く放置されていたグラスを手にとりその中身を一気に飲み干したりする。
ザックスはその姿を目に映した後、手にしてしまったその袋に目を落とした。ザックスの膝あたりで手に包まれたそれは、未知のもののようにその瞳に映る。実際未知のものだったが、服用後こそが本当の未知なのだ。
暫くそれを見詰めていたザックスだったが、黙り込んでいるのも何だか嫌で、ともかくルヴィと同じようにグラスの中身を一気に飲み干した。こういうふうに心が揺らぐ時には、一気に煽りたくなる。
そうして二人のグラスが空になると、二人は同時に新しいものをオーダーした。今日は何だかペースが速い。ルヴィもいつもはそれほど早い方ではないのに。
「ねえ、ザク。余計なことばっかしてるみたいだけど…もう一つ、良い?」
新しい酒に口をつけたルヴィが、ふとそんなことを言い出した。
ザックスはそれに対し少し眉を顰めたが、最後には「ああ」と肯定を返す。
一体今度はどんな提案をされるのか、と思ったものだが、それはどうやらクラウドの事だったらしい。しかもそれは、前回の続きのような内容で。
「この前言ったこと、やった?」
唐突にそんなふうに切り出されたザックスは、またもやグラスの中身を噴出しそうになる。思わず咳き込みながら、
「やるわけないだろ!」
と言うと、ルヴィは「やっぱりね」などと返してきた。その切り替えしに何故だか不満を感じたザックスは、一体どういう意味なのかと問う。
するとルヴィは、カウンターに肘をつき、手に頬を預けるようにしながらザックスを見遣り、こう言った。
「ザクはね、絶対やらないと思ったの。そうすれば絶対にクラウドが元に戻るって言われても、多分ザク、迷ったと思う」
「そりゃ、だって…あいつ、何も分からないんだぜ」
もし仮にその方法で確実にクラウドが元に戻ると言うなら、勿論実行に移しただろう。しかし迷いは絶対に生じる、そんなことは分かっている。だってクラウドは何も分からないのだ。そんな彼を組み敷くだなんて、さすがに気後れする。
それに、構図的に無理矢理そうするのは――――何だか過去を思い出すのだ。
「…ねえ。もしも…もしもクラウドの病が治ったら、ザクってどうするの?」
「え?」
「もしも、よ。もし治ったら、ザクはそれでもクラウドの側にいるの?」
突然のその言葉に、ザックスは答えを迷った。というよりも、考えに詰ってしまった。
もしも…そんなことはあるはずがないが、それでもそれを仮定するとしたら、その時はどうするか。それは、考えてみてもなかなか答えが出ない問題だった。今迄そんなことは考えたことがないし、考えられる見込みすらなかったから。
結局ザックスは曖昧な答えを口にする。
「…さあな。それはクラウド次第だろ」
「ふうん。じゃあクラウドが、もうザクは要らないって言ったら……ザクはクラウドと離れられる?」
「……」
再度言葉に詰ってしまったザックスは、ガッとグラスを掴むとその中の液体を流し込んだ。
――――――――“もう要らない”。
…そんな言葉、考えてもみなかった。
しかしもしそう言われたら、それは多分…いや、かなりショックを受けるのだろう。今迄だってずっと親友としてやってきた自分が、クラウドにとって必要ではなくなってしまったら、それはショックに違いない。
とはいえ、もしもクラウドがそれを望むのであれば、そうするのが妥当であることはわかっている。やっと見つけた暖かい家からも、離れるしかない。
今がこんな状況であるからこそ親友以上のものを求められているのであって、健常な状態であればここまでのものなど求められるはずがない。
そうとなれば親友として側にいることになるが、その親友というのだって神羅の兵舎という密閉された空間にいない今は、必ずしも一緒にいなくてはならないわけではないのだ。
しかし実際のところ、神羅から脱してきたという現実がある以上は、どういう暮らし方であれ問題は引き摺ることになる。事情的には二人でいたほうが安全だろう。
「分かんねえよ、そんなこと」
ザックスはポツリとそんなふうに言うと、もう一口流し込む。
その様子をじっと窺っていたルヴィは、ふふ、と笑って、
「ザクはどうしたいの?」
と、そう口にした。
それは一番肝心な、しかし此処最近のザックスにとっては忘れていた部分だった。
「どうしたい、って…まあ、それは一緒にいれたら良いけど」
「ほら、ビンゴ。ザクは結局クラウドが好きなんでしょ?」
「それは好きに決まってるだろ。俺達は親友だし」
当然じゃないかというふうにそう口にしたザックスに、あろうことかルヴィは首を横に振って否定を示す。しかしそれは、笑顔でもってなされた。
「親友ね、了解。でもザク、親友ってそこまでする?疲れて家に帰っても、クラウドとは話せないんでしょ?そんな毎日って普通なら疲れる。誰かに話を聞いてもらいたいし、話を聞いてもらえるならそれなりに反応してもらいたいじゃない。でもザクはそれをOKしてる…それってすごい献身的」
「仕方無いだろ、状況が状況なんだから」
顔も見ずにそう言うと、ザックスはまた一口を流し込む。どうもペースが速い。落ち着かないからだろうか、この話題が。
その隣でルヴィは、相変わらずの体勢を保ちながら笑んでいた。
「それよ、それ。仕方無いって、そう言えることが凄いの。普通の親友でも、そこまでするのは稀だわ。私が思うにそれってさ…」
「何だよ」
ルヴィは、少し間をおいた後にすっとこう言い放った。
「単なる友情じゃなくて……愛情よ」