「そういうような話は聞いたことがあります。でもそれはジュノンでもウータイでもなくて、コスモキャニオンの話です」
「コスモキャニオン?」
はい、そう頷いた部下は、かつて仕事として訪れたその地域のことについて話し出す。
それはやはり都市開発という名目においての仕事で、本来ならばゴンガガ魔晄炉に関係する話だった。
かつて魔晄炉建設予定地の一つとしてゴンガガを想定した神羅は、タークスへの調査依頼の後に都市開発部門へ開発要請をしてきた。魔晄炉建設についての詳細とその地域の近代化ということを掲げた神羅は、結局その後者については全く開発を進めることができずに終わってしまったのだが、その構想内には当初コスモキャニオンをも含まれていたのである。
コスモキャニオンはかつてから星命学の発祥地として聖なる土地のような謂れがあった。その場をいかに神羅の近代化として吸収するかという事はかなりの論点で、その土地の歴史からしても難しいとされていたものである。
そんな理由から、いつでも独断独行を強いてきた神羅も、その土地においては伺いを立てるということをした訳で、それこそが彼の語る話であった。
「何でも虎だかライオンに似た動物で英雄と歌われたものがあったそうですよ。それでその英雄が鎧兜をつけている人形が、大層高価なものとして流通したって話を聞いたことがあります。といってもそれは、コスモキャニオンの神聖さを具現化した高価品というだけで、作った人間も興味を持つ人間も土地とは関係が無いらしいです。単なる高尚趣味というやつでしょうかね」
「なるほど…しかし動物だったとはな」
いかにも人間の形に作ってしまった機械を見詰めて、リーブはそう唸る。
しかし部下は、そのリーブの言葉を受けて補足説明をした。
「あ、部長。でもそれには人間型もあったそうですよ。人間が鎧兜をつけた人形です。それは神聖さと強さの象徴ということで物凄い高価品だと聞きました。手にした人間はその象徴として守られるとか何とか…」
「そうか…そんなに高価なものなのか」
人間型があるということでホッとしたものの、それほど高価で謂れのあるものとなると、何だかさすがに気落ちしてしまうリーブだった。
機械仕掛けのオモチャと、神聖さと強さの象徴を表す高価品―――どう考えてもその恩恵の違いは大きい。
「…そうか…」
折角情報が手に入ったというのに、リーブはそれ以上の情報を追求せずに黙り込んだ。実際それを手にいれるのは酷く困難であるし大層金もかかりそうである。
しかしそういう理由とは関係なく、リーブはもう情報を欲しいとは思わなかった。
だって、どんなに似せて作ったところで恩恵が違い過ぎる。
そう思ったら、似ていようといまいと構わないような気がしてきた。
そっくりそのままに作ったらルーファウスがどれほど喜ぶか…そうは思うけれど、結局まがい物でしかないと思うと、どうせ最終的な喜びは得られないような気がして。
本物に変わる喜びなど、きっと無いに違いない。
だから―――少しだけで良い、そう考えを改めた。たった少しだけ、どうせ劣るものだと分かっているならば、ほんの少しそれを喜んでくれればそれで良いと…。
「分かった。ありがとう」
リーブは目前の部下にそう礼を言うと、差し出された資料をまた脇に追いやって、機械仕掛けの人形をじっと見詰めた。
数日後、副社長室のデスクの上にはある一つの妙な物体が置かれていた。
それは鎧兜を着た人形で、どこか厳つい顔つきをしている。しかし、巧妙なというよりはどこか手作り感が抜けない感じ…オモチャという感じがする。
ルーファウスがその物体に気付いたのは、その日の朝のことだった。
いつも通り資料に眼を通しながら出勤してくると、部屋に入った瞬間に何だか妙な物体が目に入る。何だ、と思ってしげしげと見てみると、そこには何と鎧兜を着た人形があるではないか。
「!!?」
驚いて眼を見開いたルーファウスは、声も上げられないままにその物体を掴み上げる。
それから宙に浮かすようにして色んな角度から見てみたが、それはどこからどう見ても鎧兜の人形だった。
「え…ええ!?まさか…いや、でも」
やっと口を開いたと思えば出てくるのはそんな言葉ばかりで、どうも喜びとかそういうものに結びつかない。何しろルーファウスにとってこの鎧兜の人形というのは、かなり昔に失ったものの一つなのだ。それがいきなり現れたとなれば、いかにそれをもう一度見てみたいと思っていたルーファウスとて、喜びよりか疑問の方が大きくなる。
「…??…」
ルーファウスは鎧兜の人形をデスクの上に立てて置くと、腕組をしてそれをまじまじと眺めた。
一体この鎧兜の人形はどこから出てきたのか?
まさかどこからか歩いてきたわけでもあるまいし―――そう考えると誰かがこっそりと購入した可能性が高いが、それにしたって此処にあることが不思議である。
「一体何で…」
そう呟いて首を傾げた…その時。
『久し振りだな』
「うわあっ!!」
いきなり喋り出したその鎧兜の人形に驚いたルーファウスは、後ろに倒れんばかりの勢いで態勢を崩した。うっかりすると尻餅でもつきそうだったが、それを何とか抑えて立ち留まる。…人がいなくて良かったという状態。
しかしそんな状態のルーファウスに反し、鎧兜の人形の方はデスクの上で棒立ちをしながらも再度喋りかけてきた。
『久し振りだな。かれこれ…』
「…5年ぶり」
『そっ!そうそう、5年ぶりくらいだな』
「………本当は10年ぶりだけど」
『……』
…喋る事自体かなり妖しいが、言っている事がこの上なく妖しい。
厳つい表情の割に慌てているような声音が、妙に胡散臭い気がする。まるで誰かが声を吹き込んでいるような…。
そう思ったルーファウスだったが、何となくこの胡散臭い鎧兜の人形が面白くなって、すっかり黙ってしまった彼に自ら話しかけてみた。
「お前は喋れるんだな」
そう話しかけると、鎧兜の人形はコクンと頷く。
どうやら身体も動くらしい。
それを見てますます面白くなったルーファウスは、デスクを回って椅子に腰掛けると、肘をついて前かがみになりながらも会話を続行した。
「お前はどうして此処にいるんだ?かなり前に失くしたのに」
『お前の為に返ってきたのだ』
「私の為に?…そうか、なるほどな。確かに私はお前にもう一度会いたいと思ってたんだ。何でそんな事を思ったんだか…でも、何だか会ってみたかった」
そう言ったルーファウスは、鎧兜の人形にすっと手を差し出す。すると鎧兜の人形は、小さいながらも厳つい手を動かし、ルーファウスの人差し指にちょん、と握手をした。
ミクロの握手が、再会を祝している。
それを見て思わず笑ったルーファウスは、
「なあ。お前、剣は無いのか?」
そう聞いた。
かつてルーファウスはこの鎧兜の人形を見て兵士に憧れたことがあったから、この鎧兜の人形に剣は必須だったのだ。しかしどうやら目前の彼にはそれがない。
そのルーファウスの問いを受けた鎧兜の人形は、途端にピクッと動いた。一体どういうリアクションなのか分からないが、首を捻って腰の辺りを確認しているところを見ると、どうやら剣は無いと言う事を言いたいらしい。
「そうか…残念だな。私はお前を見て、ちょっとだけ兵士に憧れてたんだ。まあ…今ではそれも馬鹿馬鹿しい夢だったけどな」
『兵士に…』
厳つい鎧兜の人形は、ルーファウスを見上げながらそう繰り返す。何だか妙に実感が篭っていたが、ルーファウスには大した違和感ではなかった。
「お前がいなくなってから色々あったんだ。私は副社長になったんだ、凄いだろう?」
『ああ、立派だ。お前は立派になった』
コクコク頷いてそう言った鎧兜の人形に笑いかけたルーファウスは、その後すぐにその表情を寂しげなものへと変化させる。
彼は凄いと言ってくれたけれど、ルーファウスにとってその肩書きは凄くも何とも無いことである。ずっと前から決められていたことで、実際にそれが決まった時も少し悔しさがあった。兵士というものは遂に夢で終わってしまうのだし、残されたのは父親の跡継ぎというものだけだし、それを考えるとまるでつまらない将来のように思えたのである。
だから、悔しかった。
自分でやりたいと思ったことの一つでさえ、会社の都合となれば木っ端微塵に可能性の芽が潰される。しかしそれが神羅の事情であれば文句など言えるはずがなく、そこにはただ悔しさだけが蓄積されていった。
けれど此処では、悔しさなど隠すのが美徳である。
副社長として生きる為には、そんなものはあってはいけないのである。
「…なあ。もし私が兵士になっていたら、お前は同じ事を言ってくれたか?凄いって、そう言ってくれたか?」
『……』
「…やっぱり無理か。そうだな、副社長である限りそんな事は嘘でも言うべきじゃないな」
沈黙する人形にそう答えを返したルーファウスは、ついた肘の中に顔を伏せた。
最近では思い出すことも無かった過去の気持ちを思い返したせいか、何だか妙に切なくなる。そういえば昔は色んな夢を持っていたものだと、そう思い出せば出すほど今の自分が億劫で仕方無い。出勤時に眼を通していた書類でさえ何だか嫌なもののような気がしてしまう。
そうしてルーファウスが顔を伏せてしまうと、鎧兜の人形は左右をキョロキョロと見回した後に、そっとルーファウスの頭に手を置いた。そして、その手を左右にゆさゆさと揺する。まるで子供をあやす大人みたいな仕草だ。
「?」
それに気付いて顔を上げたルーファウスは、眼の前の鎧兜の人形が何だか悲しそうに立ち尽しているのを見た。といっても勿論その人形は無表情である。口は動くようだが、表情がついているわけではない。だからそれはルーファウスの眼の錯覚なのだろうが、その時は何となくそんなふうに感じられた。
『どんな事があっても、お前は凄い』
「?…何だ、いきなり。慰めてるつもりか?」
『そ…そうだ。お前が悲しそうなのは嫌だ』
「…変なやつ。私のことなんて何も知らないのにな」
思わず笑ってそう言うと、何故か鎧兜の人形は躍起になって手を動かした。そうして、何やらルーファウスに訴えかける。
『知らないなんて事はないぞ!わ…俺はちゃんと昔のお前のことを知っているのだ!だからお前が悲しそうなのは嫌だぞ。お前は何があっても凄いんだから頑張るべきだ!』
「へえ。じゃあまずは書類を見て色々考えろって事だな?」
『そうだ!出来ることからやれば良いのだ!』
「じゃあ手始めに地域開発の予定地だが、やはりコレルから始めるのが良いと思う」
『コレルはダメだ!あそこはっ……―――あ。』
「…ふうん?お前、地域開発の事までお見通しなんだな?」
『あっ、えっと…そ、それは…』
うろたえ始めた鎧兜の人形に、にんまりとルーファウスは笑う。そして鎧兜の人形を両手で持ち上げると兜の辺りに額を当てて、彼の耳元にそっとこう告げた。
「―――ありがとう、リーブ」
『……』
鎧兜の人形は、口をあんぐり開けたまま何も言わなかった。
何故それに気付いたのか―――そんなのは愚問も同然、何しろルーファウスが鎧兜の人形の話をしたのはリーブだけだったし、こんな器用なものが作れるのはリーブくらいしかいなかったから。
地域開発の件で話し合いたいとして呼び出されたリーブは、非常に落ち着かない様子でルーファウスの自室までを向かった。
その部屋のドアの前で溜息を付き、失礼します、と言った後にまた溜息を吐く。その上先ほどから心臓が激しく運動をしているらしく、どうにも緊張感が止まらない。
しかしリーブは、仕事の為にと思って思い切ってそのドアを開けた。
「ああ、リーブ。やっと来たか」
「すみません、少々遅れました」
いつもと変わらない調子でそう声をかけてくるルーファウスの顔など見れるはずもなく、リーブは俯いたままそう返す。
ルーファウスはそんなリーブを気にすることもなく例の地域開発についてを話し始めたが、それはリーブの耳を筒抜けしていた。まるで話が入ってこない。時折地名がいくつか聞こえてきたが、それすらリーブの頭には入っていなかった。
「―――というわけだが、お前はどう思う?」
「……」
「?…おい、リーブ?…リーブ!」
「!」
一際強く名前を呼ばれやっとルーファウスの顔を見たリーブは、その瞬間に感じたあまりの気まずさにまたしても俯く。そうして、なるべく自然な声音でこう願い出た。
「す…すみません。もう一度お願いできますか」
「最初からか?」
「はい」
リーブのその様子に首を傾げたルーファウスは、リーブが願い出たもう一度を遂行することなく手にしていた書類をデスクに放った。それからスッと立ち上がると、自然な歩幅でリーブの方に歩み寄る。
それを視界の端の方で捉えたリーブは、とうとう逃れられなくなったのだと知って、観念して顔を上げた。
そうしてやっとマトモにルーファウスの顔を見遣る。すると、どうやらルーファウスもじっとリーブの方を見詰めていた。
「どうしたんだ、リーブ。私にあれだけ言っておいて、その態度は無いだろう?」
「あ…私は、ただ…」
ルーファウスの言っている「あれだけ」が何なのかを悟ったリーブは、無意識に言い訳じみた言葉を吐き出す。しかしその言葉は最後まで口にする事が出来ないまま、ルーファウスの言葉に消えていった。
「今できることをやれと、お前が言ったんだぞ。だから私は…例えばこの地域開発が私を陥れるものであっても、それをやろうと決めたんだ」
「陥れる…とは?」
聞きなれない言葉を耳にして思わずそう聞き返したリーブは、先ほどは人形を通して聞いただけの寂しげな声を、今度は生で聞くことになる。しかも今度は表情までもがしっかりと見てとれた。
「本来地域開発は魔晄炉のためのものだ。だが、魔晄炉新設の予定は今のところ無い。…つまりこれは、本来なら必要性のない物だ。親父と相反する意見を持つ私には中枢であるものは任せたくない…そういう意味で私はこの地域開発に携わるように回されたんだ」
「そんな…まさか」
「もしこれが重要なものであれば親父自らが関わってくるはずだ。そうは思わないか?」
「……」
そう同意を求められたリーブは、確かにそうだ、と心の中だけで頷く。がしかし、とても口に出してそれを言うことはできなかった。
だって、ルーファウスがそれを分かっていてこの地域開発に当たっていたとは夢にも思わず、リーブとしてはただ苦手であるというだけで彼を煙たいと思っていたのである。その事実の差はあまりにも大きい。
リーブはルーファウスを見ながら、小さく口を動かした。
「…すみません」
その言葉にルーファウスは首を傾げる。一体何の為のすみませんなのか分からないといった様子で。
しかしリーブはその言葉に説明を加えることはなく、ただ、地域開発の話を進め始めた。先ほどルーファウスが言った言葉が真実なら…いや、真実なのだろうが、それならばやる事は一つだけである。それはただ此処にある地域開発を進める事…人形を通して自分が口にしたように。
リーブがそんなふうに仕事の話を進めてきた事で仕事の表情に戻ったルーファウスは、先ほどデスクに放った書類を手にとり、リーブとの話に専念した。
本当は不必要らしい地域開発。
だけれど今はそれを真面目に話しあう。
そうして話し合う間、何だかそれは妙に大切な仕事のような気がしていた。他の誰かじゃなく、お互いがそれに関わっているというそれだけで、何となく…
何となく、大切な気がしていた。
正体もすっかりバレてしまった鎧兜の人形。
ルーファウスはそれをデスクの上に置き続けた。そうして、時々話しかけたりする。そうするとその鎧兜の人形は手振り身振りしながらもルーファウスの言葉に何かしらの言葉を返してきた。
その鎧兜の人形が誰かなんてとっくに分かっていたけれど、それでもルーファウスはその人にではなくその人形に話しかけ続ける。仕事の話をするときには一切その人形のことは口にせず、ただこの小さな人形を通して言葉を送り続けて。
そこでしか口にできない言葉は沢山あって、そういう言葉達は小さな身体を通して遠い誰かの元に届けられる。
鎧兜の人形はルーファウスに言った。
悔しい時には悔しいと言えば良いのだと。不服であるなら不服であると言えば良いのだと。嫌な事も許せない事も、そう言う物は押し込めないでそう訴えれば良いのだと。
だけれどルーファウスは、一切そんな事は口にしなかった。
だって、もう、悔しいことなんて一つも無かったから。
それを凌ぐ嬉しいことが、そこにはあったから。
10年前には無かったものを、この人形の向こう側にいる人は、運んでくれるから。
END