UNITEND(2)【ツォンルー】

ツォンルー

 

ツォンが帰宅したのは、ルーファウスがその家についてからゆうに3時間は経過した後だった。

区切りの良いところで急いで帰ってきたものの、さすがに当初の予定から3時間も経過しているとなれば気が滅入る。あのルーファウスの期待したような瞳を思い出すと、さすがにこれは言い逃れができそうもないと、そう思う。

やっとのことで自宅のドアの前にまで辿り着いたツォンは、そこで鍵を探すようにポケットに手を遣ったが、そういえば鍵は開いているのだということを思い出して思わず笑った。

――――どうやら、無人の家に帰ってくる事が板についているらしい。

今迄こうして誰かが待っているということもなかったから、そんなふうにしてしまった自分が少し滑稽だな、などと思う。

ともかく早くしなければと思いそうそう感慨に耽る間もなくドアノブに手をかけたツォンは、それを捻ったその直後にルーファウスの名を呼んだ。

きっと待ちくたびれて文句の一つでも飛んでくるのだろう―――そんな事を思っていた。

がしかし、どうやらそれは取り越し苦労に終わったらしい。

何故なら。

「…ルーファウス様?」

―――――部屋は静まり返るばかりで文句の一つも聞こえてこない。

まるで無人も同様の静けさに首を傾げたツォンは、ともかく奥まで進んでいった。やがてリビングにたどり着くと、そこにルーファウスの荷物と上着が見え、どうやら家にいることはいるらしいと分かる。

しかし、となると何故返答が無いのだろうか。そもそも姿も見えない。

「ルーファウス様、ルーファウス様」

名を呼びながら部屋を逐一開けて確認してみるが、どこにもその姿は見えなかった。一体何処に行ったのだろう、買い物にでも出かけたか、そう思ったが荷物がある時点でおかしいだろう。

そうこうしながら最後に寝室にやってきたツォンは、とうとうそこでルーファウスの姿を見つけた。

そこには、ベットの上で蹲りながら眠りに入っているルーファウスの姿がある。それは何だか安らかそうで、とても名を呼んで起す気になどなれないふうで。

それを見たツォンは、苦笑いして息をついた。

「…待たせすぎか」

3時間はさすがに酷かったか、そう思わざるを得ない。ルーファウスとて疲れているのだろうから、隙があればこうして疲れを癒すように体が働くのは当然だろう。

明日は珍しく二人とも休みで、だからこそ今日は折角の夜なのだけれど。

でも、同じ家の中にいることを考えればやはりそれは特殊なことだし、ここは一つ起さずにいるのが良いかと思い、ツォンはそのままその寝室を後にした。

パタンとドアを閉めた後、やっと上着を取り払うと、ツォンはそのまま目の中に入り込んだパソコンに手を伸ばす。

先程区切りが良いところで終わらせてきた仕事は、完璧に終わったわけではない。その残りは今、ツォンのカバンの中にある。

今日はルーファウスと過ごすことになっていたから持ち帰ったとしても出来るわけではないと思っていたが、その人が眠っているとなれば事情もかわってくるだろう。

当初の予定からすれば申し訳ないことだが、今であれば良いだろうと考えたツォンは、パソコンの隣でカバンから書類の束を取り出した。

しかしまずはメールのチェックでも、そう思いメーラーを立ち上げる。

――――と。

「…な…んだコレは…!?」

ツォンは思わず声を上げた。

その目に映っているのは新着メールだが、それは何だか妙な具合である。といっても、特定のメールが変だというわけではなく、全体的に何かがおかしいのだ。

まず第一に、ツォンの個人的なパソコンにメールがくるのは、せいぜい日に5件くらいである。が、何故だか今日に限って―――――20件。

その上どうだ、そのメール送信者の欄には、こう書かれているではないか。

「……“ルーファウス”」

――――――…登録した覚えはない。

そこまで辿りついたツォンは、先程までの優しい気分から一転、思わず重い溜息をついてしまった。

いまこのパソコンには登録した覚えのないルーファウスが登録されているが、パソコンのメールアドレスをルーファウスに教えた覚えはない。ということは、本来ならルーファウスはこのパソコンにメール送信できないはずだ。

ところが、どうやらメールは受信されている。…しかも20件も。

「全く、どうしてこういう事をするんだ」

僅かにムスリとしたツォンは、自分が居ない隙にパソコンを勝手に弄ったであろうルーファウスの顔を思い浮かべながら、少し荒い調子でそのメールを順に見ていった。

確かに遅れたことは悪かったが、それにしたって嫌がらせに相当する内容である。

ツォンの性格上憤怒とまでできないところが寂しかったが、それにしても少々ムスリとするくらいは容易だ。

そんな調子でメールを見遣っていたツォンの目に飛び込んできた文字は、1メールにつき大体20文字前後くらいの内容である。まあツォンの居ない時間帯に集中してメールするとなればその媒体は携帯だろうから、当然といえば当然だろうが。

一番最初のメールには、こんなことが書かれていた。

“遅い!まだ仕事終わらないのか”

そして次のメールはこうである。因みにそれは1番最初のメールから3分後に送られているらしい。

“我慢にも限界があるんだからな。遅い遅い遅い”

ざっとこんな内容がその後15件ほど続いており、それは言葉がちょっとばかり変化しているくらいで内容は全て同じだった。ともかく“遅い”が連発されている。

それを逐一見ていたツォンは、遅いの2文字を見る度に怒って良いのだか悲しんで良いのやら分からなくなってしまい、結局無表情にそれを眺めていた。

時間に遅れたことは例えどんな理由があったにしろ自分が悪い、それは分かっている。だからこそそういった内容を書かれると、待たせて申し合わけなかったなという気分になるが、それもここまでくどくど書かれると腹立たしい気がしないでもない。

がしかし、最後の3件はどうやら内容が少し変化していた。

18通目は、こんなふうに書かれている。

“まだかな 早く帰ってくれば良いのに”

19通目は、こんなふう。

“早く会いたいな”

「……」

無言のツォンの目に映った、最後の20通目のメール、そこには。

―――――――“早くしたい”。

「し…したい…?」

その文面を見た瞬間にツォンは、思わずそう反芻して口をあんぐりと開けた。

マウスを握る手は硬直していたが、少ししてハッと我に返り、咄嗟にその手を口に当てて明後日の方向に目線を飛ばす。

多分…今少し、顔が赤い…かもしれない。

そんなことをチラと思いながらもツォンは、一人きりだというのにワザとらしい咳払いをして目を閉じた。

「…落ち着け、何を焦っているんだ。こんな…今更…」

自分を励まさずにはいられない自分が何だか空しい…。

しかし、それにしてもこの文面はさすがにグラリとくる。考えようによっては、こんな内容をわざわざ一文で送るなと憤慨するのもアリなのだろうが、ツォンとしてはそれは出来なかった。

口で直接言われるのもかなり衝撃的ではあるが、メールでというのはなかなか不意打ちである。それまでの17通が殆ど愚痴だったため少々ムスリとしていたところだったから、その言葉は余計にツォンをドキリとさせた。

1通目から17通目までの文面は、ツォンが見ることを想定して書かれたものだろうと分かるが、最後の3通は何だか違う。多分それはツォンに対しての言葉というより、ルーファウスの気持ち…いわば独り言みたいなものなのだろう。

しかし、その文面を見たからといってじゃあどうしようという事にもならないのが現状である。何せそう、ルーファウスは……。

「…今は、寝ているしな」

心を落ち着かせながらそう口にしたツォンは、その言葉を心の中で反芻すると、今は寝かせておくべきだ、と何故だか強く思った。その時点でもう既に自分が追い込まれていることは確実だったが…。

――――――と、その時。

ピン、と音がした。

その音はメールの受信を伝える音で、ツォンはそれをすぐに理解して新着メールに目を落とす。するとそこには、どうやら同じ人物から21通目のメールが来ていた。

時刻は、たった今。

「…って、ルーファウス様!?」

メールは至って簡単で、内容もすぐに理解できる。しかし、はっきり言ってその21通目のメールはあまり良い案とはいえなかった。

何しろメールを送るくらいならもう起きているのだろうし、物音やら独り言やらが聞こえていればツォンが帰宅していることだって理解しているはずだ。となればもう直に話をすれば良いわけだから、なにもわざわざメールする必要は無い。

ツォンはサッと立ち上がると、寝室まで小走りしながらルーファウスの名を呼んだ。そうして寝室のドアを開けようとしたのだが、なぜだかそのドアは開かない。

どうやら、中からルーファウスが押さえているらしい。

「なっ…!ルーファウス様!起きているなら直に話しましょう」

一体何だと思いつつ声を上げたツォンだったが、ドアはビクリともしないし、中からは返事の一つも返ってこない。それどころか、そんなツォンの背後でまたピン、というメール着信の音が聞こえてくるではないか。

「ルーファウス様!?―――――ああ、もう…っ」

溜息をついたツォンは、仕方なく元のようにパソコンの前に戻ると、今さっきルーファウスが送信したらしいメールをチェックした。

21通目のメールには、“おかえり”とある。

それから今さっきのメールには、こうあった。

「あっ…」

“会いたかったぞ”。

――――――思わず涙ぐみそうになるのは何故だろうか。

さっきまで少しくらいはムスリとしていたくせに、こんな簡単に気持ちが変わってしまうなんて、何だか情けない気がしてしまう。

が、今はもうそんなジレンマにどうこう思うヒマはなかった。何しろこの状態こそ約束そのものなのだから、まずはあの開かずの寝室のドアを開けねばならない。

ルーファウスが押さえているから何とかせねばならないのだが、メールの文面を見るに別段怒っているわけではなさそうである。しかし、だったらなぜこんな回りくどいことをするのだろうか。

直接顔を合わせて話がしたいのに――――何だかソワソワしてしまう。

「ええと…」

ツォンは、その22通目のメールに対し「私もです」と同意の言葉を口にしようとしたが、少し考えた末に口ではなく手の方を動かした。

来たメールにそのまま返信という形で、メールを送信する。その内容は、私もです、という一言だけでいかにも簡潔だったが、まあこれであのドアを開けてくれるのではないか思っていたのだ。

――――が、どうやらメールは延々と続いた。

それへのルーファウスの返信が“これで明日の夜まで一緒にいられるな”とくれば今度はツォンが“そうですね、嬉しいです”と返信する。

これまたそれへの返信に“ツォン 大好き”ときたものだから、ツォンは鼻の辺りを押さえながら“私もです!”と珍しく感嘆符付きで文字を書いて返信する。

口で言えば一分せずに終わりそうな会話に、2人は貴重な時間の内20分ほどを費やした。そしてそのやりとりが終わる頃には、あの20通目のメールに近い内容が表れてくる。それは、ルーファウスのメールから。

“いっぱい話したいし、いっぱいやりたい事がある でも…早くしたい”

その文を目にしたツォンは、何と答えたら良いものかと考えあぐねた末に、一番簡潔に“はい”と返信した。…最早口で言った方が何千倍も早い。ある意味無駄である。

すると次のルーファウスのメールには、“今すぐにだぞ?それでも?”と疑問符が並んだ。

だからツォンは、

“良いですよ”

そうとだけ返した。

そのやりとりの数分後、部屋は一瞬静けさに包まれたが、少ししてから久し振りに声が響いた。

それは、寝室の方から響いてくる―――――ルーファウスの声。

「ツォン」

その声に反応してツォンが寝室のドアまで出向くと、今度は無言ではなくしっかりと声が返ってきた。

「もうそこにいるか?」

「いますよ」

そう答えると、ちょっとした後にすっとドアが開く。

1センチ、2センチ、3センチ―――――隙間が開いていったその後。

「ルーファウスさ……」

にゅっ…!

何かが伸びて来た。

「まっ!?」

あっという間に伸びて来たものがツォンを捉え、その後にバタンと大きな音を立ててドアが閉まる。それはまるで人食い花か何かに食われたかのような恐ろしい一瞬だったが、その正体はルーファウスの手だった。

にゅっと絡まってきた手はツォンを寝室に引きずり込むと同時にベッドに押し倒す。それは素早い動作だったから、気付いた時には既に唇を捉えられていたツォンである。

「ん……」

不意打ちでキスをされたツォンは、それを拒否することなく、ルーファウスの背に手を回した。上着を脱いでいるから一枚のシャツだけが肌との間を阻むものだったが、もはやそれすらももどかしい。

 

 

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