愛鍵(2)【ツォンルー】

ツォンルー

 

そんな食事が終わり、さて帰ろうとなったとき、やはりルーファウスはお決まりパターンでこう零した。

「まだ帰りたくないな…」

ルーファウスがそう言うときは大体、車内である。

夜の静けさの中、車内灯もつけぬままにそう言うものだから、これはいつもムード満点な台詞だった。そのせいか、本当は「駄目です。今日は帰ります」と言いたいツォンも、ついついそのムードに飲まれて、

「じゃあ…ちょっとだけ」

などと言うことになるのである。

因みにその会話が繰り広げられるのはルーファウスの自宅前でのことで、ツォンはそのままルーファウス宅に上がりこむことになるわけだが、実際のところルーファウスが「帰りたくない」と言うのは間違った表現だった。

何せツォンと共に自宅に帰ってきているわけだから、「帰りたくない」ではなくて「離れたくない」だけなのである。

そんな具合にその日も自宅に上がりこんだツォンは、もう何度目か分からないその部屋の中で新しい発見をした。

新しい発見というのは別に言葉のアヤなどではなく、本当に「新しい物体」を見つけたのである。

それは。

「見てくれ、ツォン。買ったんだ」

部屋に着くなり嬉々としてそう言ったルーファウスは、お披露目という具合にそれをツォンに見せた。

それは何かといえば……。

「ホームシアター…ですね」

そう、それは音響用スピーカーもバッチリのホームシアターシステムだった。これを取りつけるのを機にモニターも新調したのか、今迄とは比べ物にならないくらいの大きさになっている。

更に贅沢だと思うのは、ルーファウスがこの部屋をそれほど使わないという事実だったろう。

そうなのだ、ルーファウスはこの部屋にはそれほどいない。勿論こうしてツォンと共に過ごすことはあるけれど、大体の場合この家は寝る為のものといって過言ではなかった。

だからこの部屋にそれを取りつけるのはハッキリ言えばかなりの無駄である。何せそれを楽しむ機会はそれほど無いのだから。

しかしルーファウスはその新しい機器に関して満足そうにツォンに説明すると、画面から離れた位置にあるソファに腰を下ろした。ツォンもそれに倣いソファに腰を下ろす。

その時点で、ルーファウスが何を言わずとも一緒にそれを楽しもうとしていることだけは明らかだった。ツォンもそれを分かっているから何も言わない。

「じゃあコレにしようかな」

そう言って嬉々としたルーファウスが選んだのは、ある一本の映画である。

「えっ。それですか?」

「ん?何か文句あるのか?」

「え、いや…そうではないのですが。何かこう、意外だったもので」

その映画は、どう考えても恋愛映画だった。

今迄ルーファウスと映画など見たことのないツォンは、ルーファウスと恋愛映画がイコールで結びつかなくて何だか変な感じがする。これがアクション映画ならまだしも、恋愛映画なのだ。

「映画だから、電気は消そうな」

そう言ってルーファウスが電気を消すと同時に、その映画は始まった。

その話は普通の恋人同士の話である。普通のサラリーマンと普通の女性のお話。

一見どこかのメロドラマと変わらないその設定とストーリーは、飽きるのには最適といった感じだった。これがもし大波乱の恋愛だったらまた別だったろうが、ツォンとしては何だかつまらないような気がしてならない。

ルーファウスはどうなんだろうか、そんなふうに思って隣を見遣る。

と、そこにはじっと画面を見詰めるルーファウスがいた。それは何だか意外な風景である。こんな何でもない映画にじっと見入るなんて何だかルーファウスじゃないみたいだ。

しかしツォンがまた画面に視線を戻した時、そこにはちょっとした変化があった。

「……」

そう、そこには何と―――鍵屋が登場したのである。

しかも映画の中の女性は合鍵を作っている。鍵屋はその女性に鍵を渡し、それを受け取った女性は笑顔で「大切なものなの、ありがとう」などと言っているではないか。

なるほど、この映画の影響か?

そんなふうに思ったが、どうやらその合鍵は悲劇の幕開けだったらしい。女性がその合鍵を使って相手の家に入ると…そこには、誰ともつかぬ女性がいるではないか。

全く何てありがちな設定なんだ、そう思って思わず笑ってしまったツォンだが、ふと視線に気づいてルーファウスを見遣る。

その瞬間、映画に対する笑いが一気に消え、慌ててこんなことを言い出してしまう。

「わ、私はそんなこと無いですよ!女性を連れ込むなんて、そんな!」

何を言い訳しているんだか良く分からないままにそんな事を言ってしまうと、ルーファウスは無言でまた画面の方へと視線を戻した。

―――――何だったんだ、今の視線は…。

一瞬でも焦ってしまった自分が何だか空しい…そんな事実は本当に無いというのに。

ツォンはゴホンと咳払いをして再度画面に視線を戻す。と、また新しい展開になっていたらしく、今度はその女性が合鍵を捨てるシーンだった。どうやら悲しみに打ちひしがれた女性は彼のことを諦めようと決心したらしい。

場面は暗転し、鍵屋に男性がやってくる。例のサラリーマンである。サラリーマンは合鍵を作っているが、それはどうやらあの女性が作ったものと同じ自分の家の合鍵だったようだ。それを見て、過去にも見た鍵だと漏らした鍵屋に男は言う。

合鍵が無くなってしまって困っている、合鍵が無いと辛いんだ、と。

“大切なものだから、作り直したいんだ”

そう言った男に、鍵屋は合鍵を作ってやった。トントン、と丹精を込めて合鍵を作ってやった。

その合鍵は――――女性の元に、送られてきた。

それは、サラリーマンの想いそのものであったのは言うまでもない。鍵を鍵として使うのではなく、彼は想いの象徴としてそれを作り、送ったのだ。

「……」

作る必要性はある――――ルーファウスはそう言っていた。

使う必要性はなくても、作る必要性はあるのだと、そう言っていた。それはもしや、こういう意味合いのことだったのだろうか。

所有権が欲しいから合鍵が欲しかったのではなくて、それが想いそのものだから、合鍵が欲しかったのだろうか。

勿論、今更それを作る必要性など感じないほど想いは安定している。だから映画のようにアクシデントがあるわけでもないし、それを契機に合鍵を欲しがったわけではないだろう。

でも男は言うではないか。

大切なものだから作り直したいんだ、と。

「…ルーファウス様」

大切なものだから、もう一度その想いを一から振り返って作り直すのだと。

「ん?」

振り返ったルーファウスは、何でも無さそうに普通の表情をしている。暗い部屋の中、モニターの明るさで半分だけ照らされた顔が、何だかやけに素直に見えた。

それは思い違いかもしれないし、思い込みかもしれない。こんな雰囲気だからかもしれない。

「合鍵……持ってますか?」

「うん、持ってる」

「どこに?」

使わない合鍵など、どこに閉まっておくのだろう。そう思ってツォンがそう聞くと、ルーファウスはちょっとだけ笑んだ。

「それは秘密だ。でも、いつも持ってる」

「いつも、って…持ち歩いてるんですか」

「うん…そうかな?」

「……」

使わないくせにいつでも持っているなんて言うルーファウスに、ツォンはまじまじとその人の顔を見た。

二人の会話の外では映画の中の恋人達が感動の会話を繰り広げている。それは最早二人の耳には届かない。

映画の中の恋人達は、現実には恥ずかしくて到底口に出せそうもない台詞を惜しげもなく発していく。

彼女は言う。

この合鍵はお互いの心を開く鍵ね、と。

そして、本当の合鍵はお互いの心そのものかもしれないわ、と。

そんな言葉を背景にして、ツォンとルーファウスは暗い部屋の中で向かい合っていた。映画のせいか何時にないムードが漂っていて、ちょっとばかりドキドキ…しないでもない。

みつめあう中、ツォンは普段考えないようなことを色々と考えていた。

良く見ると睫毛が長いな。

綺麗なブロンドだけれど暗い中で見ると少し発色が変わるな。

そういえばピアスを付けているんだったな。

薄めの唇だ。

そうか、いつもキツそうに見られるのはアーモンドアイだからか。

―――――考えると取りとめがない。その上、何て今更なんだろうと思う。

いつも自然と対峙しているその人もこう良く見返してみると、そういえばそうだったな、と思う部分がいくつもある。

それでも多分、無意識にそれらを覚えているのだろう。例えば目を閉じてもその人の顔をちゃんとハッキリ思い浮かべることが出来るように。

ツォンは、そっと手を伸ばした。

伸ばした手でその人の肩を包むと、それをギュッと抱き寄せる。

ルーファウスは何も言わずにそれに従っているが、重なった服の上からちょっとだけ早まった鼓動が感じられた。何だか妙に新鮮だ。

二人の背景では未だに映画が続いていて、その頃には映画の中の二人も幸せなシーンを繰り広げている。

勿論それはもう既にツォンとルーファウスの目には見えていなかったが、それでも映画と同化したようにその空間には幸せが溢れていた。

その幸せとは、映画の中でも現実でも、再認識というところから来ているらしい。だからそれは全く新しい幸せというわけではない。

それなのに、何故だか新鮮な気がした。

「…ルーファウス様」

そう呼んで、ツォンはルーファウスにキスをする。ルーファウスはそれを受けて自然と目を閉じた。

そのキスはいつもより少し長くて、いつもより少し優しい気がした。

 

 

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