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空白:ツォン×ルーファウス
12時間前、やはりこの空白を見つめていた。
12時間後、今、やはりこの空白を見つめている。
目の前にはいつも、空白があった。
ぱちん、とキーを弾く。
理路整然とした文字の羅列はPC上で文章となり、脳内に眠っている本心とは全く別の社交辞令を並びたてていく。
ばかばかしい作業だ。
ツォンはそう思いながら資料の作成をしていた。
ちら、と見上げた壁掛け時計は既に夜分遅い時間を指し示している。
「あ…」
ぱちん、とキーを弾く。
その瞬間、文章がぶつりと切れた。
押し間違えてスペースキーを入れてしまったのだ。そのせいで、意味不明なところで空白が入ってしまったが、それは空白であるからPC上では上手く見えない。点滅するカーソルだけがそこに空白のあることを教えてくれている。
「空白、か」
入ってしまったミスの空白をそのままに、ツォンはそっとPCから手を離した。そうしてその意味の無い空白をじっと見つめる。
そういえば、12時間前もこうして空白を見つめていた。
よもや約12時間後の今になってもまたこうして空白を見つめることになろうとは思ってもみなかった。
12時間前、作業に詰まったツォンはノートPCの上にばさりと分厚い書類を置いて席を立った。ただ単にコーヒーを注ぐためだったのだが、席に戻ってみるといつの間にか長い長い空白が入り込んでいたのである。
どうやら勝手にスペースキーが押されてしまっていたらしい。
しまった、と舌打ちして即消そうと思ったが、しかしちょっと待てよ、と思い止まった。
試しに保存してみる。そしてファイルサイズを確認する。と、恐ろしいほどのサイズに変貌している。
ツォンは少し考え、そのファイルをそのまま上司であるルーファウスに提出した。丁寧に「少々サイズが重くなっていますが」という前書きまでしたものである。その前置きにルーファウスは満足そうにしていたが、しかし数分後には当然のことながら怒りだした。それはそうだろう、何せその中身は空白なのだから。
そんなわけで、12時間後、まだその資料つくりにはげんでいる。
『意味の無いものを寄越すな!』
あの時、ルーファウスはそう怒っていたか。
まあ分からないでもないか。
それを思い返して、ツォンは少し笑った。
意味の無いだなんて――空白がかわいそうではないか。
目に見えなくても、”それ”はちゃんとそこにいる。そこにいるのに気づいてもらえず、やっと気づいてもらったらばそうして怒られるほどの価値しかない。それなのに”それ”は必要なものとして存在し続けねばならない。
そう、いわば他のキー達の引き立て役でしかないのだろう。
この空白とやらは。
ツォンがそんなことを思っていると、ふとどこからか内線が入った。よくよく耳を済ませてみると、それはどうやら警備室からのようである。
タークス本部はごく限られた人間しかその存在を知られておらず、警備の人間でさえ戸締りの見回りにこないのだ。だからこうして内線での連絡が必要不可欠になっている。
『まだいらっしゃるのですか?』
「ああ、もう少し。まだ仕事が終わらないんだ。帰るときには一報する」
『はい、宜しくお願いします。何せわれわれにとってタークス本部は透明ですから』
「そうだな」
ツォンはそう言うと、ひっそりと笑いながら内線を切り、PCの空白をデリートした。
そう――空白とは正に、自分だ。
自分は確かにこの神羅内に存在している。しかしこの存在は正に透明であり、なくてはならないのに、明るみにでることは許されない。そして、もしいつか必要がなくなるときがくれば、すぐさまデリートができてしまう。そう、今ツォンがそうしたように。
「空白である私が目に見える資料を作るなど、ばかばかしいにもほどがある」
ツォンは苦笑すると、デリートの権利を持つ自身の上司のことを思い浮かべた。そうして、思う。
きっとあの人の中でも自分は空白でしかないのだろう、と。
目に見えないから、いつでも消せるから、軽々しく近づいてくるのだ。
それが証拠に、あのルーファウスという上司は、都合の良い愛を受けようとするときいつもこの空白の空間にやってくる。警備の目も届かない、数人しか知らない、このタークス本部へ。
だって、ここなら誰にも気づかれない。
タークス本部があることを知りながらも、誰もそれがどこにあるのかを知らないから。そう、空白でしかないから。
コン、コン。
叩かれるはずのないドアからノック音が響いたとき、ツォンはゆっくりとPCの電源を消し、椅子から立ち上がった。
この空白に、誰かがやってきた。
空白を必要とする者が。
いや、利用する者が。
「…いらっしゃいませ、ルーファウス様」
12時間前、やはりこの空白の中にいた。
12時間後、今、やはりこの空白の中にある。
目の前にはいつも、空白で打ち消される愛があった。
END