28:告白
その夜。
クラウンカフェでの一件がある以上危険だろうと思ったが、ルーファウスはそれでもレノを呼び出した。
いつものようにHOTEL VERRYの1022号室。
しかし少し考慮して、待ち合わせはいつもより遅めにしておいた上に、お互い別の場所に出向いた後にその場へと集合した。
恐らくこんなことをしても尾行はまけないだろうが、やらないよりはマシだと思う。
訳も分からずそう指示されたレノは幾分か不審そうだったが、結局はそれに従った。
「何かあったわけ?」
会ってすぐ、レノの口から飛び出してきた言葉はそれである。まあ当然だろうか。
いつものように甘ったるい煙草の匂いを充満させるべく、ルーファウスはレノの煙草に手を伸ばしてそれを吸い込む。
そして、いつだったかレノが絶賛した絶景とやらをシャットアウトするようにカーテンを敷き、大振りなソファに身を沈めた。
もくもくと上がっていく煙を見つめていたルーファウスの面持ちは暗く、それはレノに不安を覚えさせる。
「…今日、脅迫を受けた」
「何だって!?」
驚いてそう声を上げたレノは、ソファに座るルーファウスに覆いかぶさるようにして「どういう事だよ」と静かに問う。
その顔は至って真面目で、とても嘘などつけそうにない。
尤もルーファウスは嘘などつこうとは思っていなかったが、その脅迫の件を語る上ではどうしても過去のことを話さねばならず、それは少々気が重かった。
それを話すとなれば―――――自然と、傷が蘇る。
あの雨の日の事が。
あの裏切りの日の事が。
「……」
ルーファウスはレノの顔をじっと見つめていた。
その瞳はレノの真面目な顔を映し出しているはずなのに、それを通り越した向こうの…過去の“誰か”を見ているふうである。
「―――――出生の秘密を…知っていると、言っていた」
やがてルーファウスが切り出したのはそんな言葉で、それはレノにとって理解できない言葉だった。
レノからすれば出生の秘密も何も無い、ルーファウスはルーファウスだし神羅の御曹司という事は確定されている事実である。
がしかし、その確定された事実を前に当人が「秘密」というからには、想定されることは大体限定されてくる。
「それって、デカイ話?」
「…多分。レノがタークスだという前提があったとしても…な」
「それって、タークスとして守るのは不可能ってコト?」
だったら、とレノは体勢をそのままにある提案をする。
だったら―――――個人的にだったら、どう?
HOTEL VERRYで初めて抱き合った時、そこには当然上司と部下の関係というのが存在していた。
しかしその後、慣れたようにこの部屋で抱き合うようになってからはきっと、そんな煩わしいものは存在してなかったはずである。
名前を持つ個人と個人。
そうして抱き合ってきたから。
社会上の関係を超えられる個人でいられるなら、重要性が個人にあるなら、タークスという立場も副社長という立場も関係無い。
理屈じゃない。
そんなもので生きてはいられない。
傷つき、悲しみ、泣き、それでも生きている、機械などではない人間だから。
「嫌だっていうならこれ以上聞かない。でも、レノって男に出来ることがあるんなら言ってくれよ。タークスとしての俺は命令以外の仕事なんかしたくないタチだからどうでも良いって思うけどさ、俺自身は―――――惚れた相手が困ってたら、気になるから」
「…え…?」
レノの言葉の中に意外なものを見つけて思わず声を漏らしたルーファウスは、次の瞬間、申し訳なさそうな表情を浮かべた。こんな深刻な話をしているときに、そんな驚きを表したことに後悔して。
しかし実際、その言葉はルーファウスにとって意外だった。
HOTEL VERRYに呼び出すのも、あの雨の日に会ったことも、ルーファウスの中では自身の都合でしかないように思えていたものである。
あの雨の日に関してはレノからの呼び出しという初めてのシチュエーションだったが、それでもそれは愛情だとかそういうものがあった上での呼び出しだとは確信できなかった。
思えば、レノの気持ちなどは考えてこなかったような気がする。
いつも自分の気持ちだけを考えていたような気がする。
傷つけていることに申し訳ないと思ってはいたし、レノはいつでもこの関係をやめられると言っていたから、それはそれで迷惑なのだろうと思っていたが、まさかそれとは逆の―――――つまり、“求められている”という事は考えてこなかった。
しかしレノは、それを否定するような言葉を放ってしまったのだ、今此処で。
「俺が本気になるのって、そんなに意外?」
「そ…うじゃないけど…」
「―――――好きだよ、本気で」
響いたその言葉は、ルーファウスの心に深く深く突き刺さる。
まるでナイフのように、それは鋭さを隠し持った愛情の言葉だった。そう、少なくともルーファウスにとっては。
手を伸ばせば、完璧に手に入る愛情。
それが、今此処にある。
この密室に。
しかし何故だろうか、ルーファウスにはすぐに言葉を返すことができなかった。
レノに会いたいと思ったあの夜は本物だったし、その言葉も感情もとても嬉しいと思う。全て委ねてしまえば過去の煩わしい傷もあるいは癒えるのかもしれない。
だけれど、嬉しさと同時に渦巻いている罪悪感が、どうしても拭えない。
その罪悪感とは当然ツォンの事で、恐らくレノはそういう事情も含めてその言葉を放ったのだろうが、それでも事実としてツォンとの関係が曖昧なままのルーファウスには手を伸ばす勇気が持てなかった。
そう…ツォンと向き合う勇気が持てないのと同じように。
「…わ、たしは…」
手に持っていた煙草はほとんど灰になっており、それに気付いたレノがそっとルーファウスの指から煙草を抜き去る。そうして灰皿に灰を落としたその後、レノはその煙草をそのまま口に咥えた。
すうっと煙が伸びて、それがやがて空気と消えていく。
レノはルーファウスから身を離すと、ソファに寄りかかるようにして床に座り込み、そのままもくもくと煙草の煙を増幅させていく。
丁度背を向けるように座っているので、ルーファウスからはどんな顔をしているのかが見えない。
何となく、不安になる。
…がしかし。
「――――別に。俺は何か約束して欲しいわけじゃないから。ただ俺は好きだってだけ。それは俺の勝手な気持ちだし、俺のモンになりゃ良いのにって思ったりとか、ツォンさんが妙にムカついたりとかすんのも単に俺の勝手だから。気にすんなよ」
「レノ…」
駄目だ―――――もう。
何となくそんな気持ちが渦巻いたのは、二人同時だった。
レノが頭をもたげるのと、ルーファウスがソファから立ち上がりレノの前にしゃがみこんだのは正に同時で、二人の目が合ったのはその数秒後のことだった。
ぶつかった視線の中で、ルーファウスはそっと口を開く。
レノの重大な告白に、重大な告白をすることで返答するかのように。
「私は―――――神羅の血を継いでいないんだ……」
その告白は、静かな部屋の中にすっと浸透していった。
やめてくれ…
そんな言葉は聞きたくない…
今更、そんな陳腐な言い訳は聞きたくない…
散々信じさせられてきたものを、今更壊されるくらいなら、そんなものは最初から欲しくなんてなかった。
中途半端な愛をくれるくらいなら、最初から愛して欲しくなんて無かった。
―――――消えてしまえば良い、そんなもの。