神羅の影:13
男はかなり泥酔しているらしく、顔は真っ赤に染まり、その口元からはアルコールの匂いがプンプンとしている。
「何だよ、テメエ…やろうってのか?」
「ああ、それが良いならそれでも良いぜ」
「あんだと…」
座りきった眼に、鋭い視線を返す。
周囲はこの二人を囲むようにして人垣を作っていたが、何しろザックスはこの店の常連であり顔なじみの仲間が大勢いる。そこからすればザックスの味方は大勢いるといった具合。
男の方はどうやら新顔だったらしく、誰一人としてその男の名を知る者はいなかった。
だから自然とザックスにこんな言葉がかかる。
「ザックス!やっちまいな!!」
「おうおうザクー!一発でしとめてくれよ、そんなアホ面!」
「意地を見せてやれ!ソルジャーの意地をよ!」
その最後の言葉にピクリと反応した男は、ザックスの顔を見て「へえ、そうかい」などと笑った。
この店にはザックスが以前ソルジャーであったことを知っている者も幾らかいる。きっとそんな人間がその言葉をかけてきたのだろうが、ともかくそれはこの男にとっては一番の煽りとなった。
「そうかいそうかい…へえ、兄ちゃん、ソルジャーかい…じゃああのクソ会社のバカ野郎ってことだな、ええ?」
「…今はソルジャーじゃない」
「そんなこたあどうでも良いのよ!所詮あのクソ会社の奴らはみんな腐れ外道だってんだよ!!あの英雄もなあ!!」
「…っんだと!」
ピキン、と何かが弾ける。
それと同時にガッと殴りかかると、ガシャンと派手な音を響かせてその男は吹っ飛んだ。
丁度店の角に置かれたガラスの棚にぶつかると、その振動でその棚がグラリと揺れる。幸い倒れはしなかったものの、棚の中はめちゃくちゃだ。
男は呻き声を上げながらゆっくり立ち上がると、そこから勢い良くザックスに向かって殴りかかる。がしかし、しらふのザックスは動きが俊敏なうえ、独自の瞬発力も備えていたため、最初から泥酔男の相手などではなかった。
男をと交わすと、体勢を崩してテーブルに追突したその背後を押さえつける。それから両腕を固め、鋭い眼で呟く。その瞳はソルジャーの証である鈍い輝きを放っていた。
「妙な真似はするな。早く此処を出て行け」
「…はあ…はあ…へっ、ソルジャーが何だってんだ…はあ、はあ…」
荒い呼吸の中、男が苦し紛れにそう言うのが聞こえる。だからザックスは、固めた腕を軽く捻った。
その途端、ひっ!と声を上げた男にもう一度同じ言葉を強く言い渡すと、最終的にリタイアを言うまでその軽い捻りを崩さずに続ける。
そうして騒ぎは思いのほかすぐに終息したが、店にとっては最悪の事態となった。何しろ色々なものがぐちゃぐちゃになってしまったのだから。
先ほどの男は何とか追い出したものの、連れの方はまだ店内に残っている。その内の二人はバツが悪そうにすぐに後を追って出て行ったが、一人だけはその後も少しだけ残っていた。それは、殴られた方の男である。
その男はザックスのところまでおずおずとやってくると、すみませんでした、などと礼とも謝罪ともつかぬ言葉を発した。その声音からして、どうやらあの粗暴な男が言っていた「優等ヅラ」の彼らしい。
「ご迷惑をおかけして…しかもソルジャーだなんて知りもせずに」
此処に似つかわしくない丁寧な言葉を発したその男は、そのソルジャーという部分に何故か熱を込める。先ほどの会話からしても随分と整理された現実を知っているようだし、きっと彼らとは違って神羅にそれほど悪意がないのだろう。
「いや、別に。それにソルジャーじゃないぜ、今はな」
「でもソルジャーだったんでしょう?凄いですよ!僕は初めて本物を見たので」
「へえ…まあそうか。ソルジャーっていっても誰でも関わりがあるわけじゃないもんな」
ザックスの言葉に、はい、などと言ってどこか嬉しそうな表情を見せる男。それを見てザックスは、彼は神羅に悪意がないことを確信した。どちらかというと、昔の自分がそうだったように憧れに近いものを見ているタイプだろう。
その男が、こんなことを言い出す。
「あなたはあの建物のこと、ご存知ですか。また募集しないかなあ…僕も出来たらやりたいんだけどな」
「?…募集?建物?一体何のことだ?」
それは、先ほどの会話に登場した例の建物のことだろうか。それであれば、解体の時から事情を聞いて知ってはいた。
しかしどうやら男が言っているのはそれではなかったようである。つまり、その建物が市から神羅に所有権が移った―――その後のことだったのだ。
「ああ、ご存知ないですか。噂なんですけど、英雄セフィロスの探知をしているらしくて、その拠点にするとかしないとか…ああ、それから…」
「なっ!ちょっと待て!!」
話を遮るようにしてガタンと音を立てたザックスは、その音が椅子を倒した音だとも気付かないくらいに呆然としていた。グラスの中の液体は揺れている。
セフィロス――――まさかその名を、こんな場所で聞くことになるなんて。
しかも今何と言った?その拠点?あの…あの建物が?
「おい!その話、本当なのか!?」
瞬間、ガッと男の肩を強い力で掴んだザックスは、前のめりになり声を荒げてそう聞いた。そのあまりの形相に、男はビクリとして肩を竦める。顔には恐怖が浮かんでいた。
「う、噂です。本当はどうなのか僕にはちょっと…」
「じゃあ募集っていうのは!?何のことだ!!?」
更に声を荒げると、男はとうとう目を瞑ってビクビクとし始めた。
「ま、ままま前にあったんです…っ。何だか神羅が民間から…よ、要員が欲しいって…そそその募集がまたかからないかなと…っ」
「民間から募集…?…何のだ!?何の要員が必要だった!?それはいつくらいの話だ!?」
段々と興奮を露にしてきたザックスに、店内がざわめき始める。おい、ザクの奴ヤバいぞ、そんな言葉が囁かれたが、止める者は誰一人としていない。
「い、いいい一年くらい前ですっ。何の募集かは、く、詳しくは知らないですっ」
「どこでその噂を聞いた!?どこでだ!!」
「ひぇ…!!」
怯える男に対し、更に圧力をかけるかのようにザックスの手の力は強まっていく。声は最早叫びに近かった。
「どこだ!!!」
が、その時。
「ザク!!!」
そう声が響いて、ガッと強い力で腕が引っ張られる。あっという間にその場から引きずれらたザックスは、強制的に店外に姿を消すこととなった。
店外に連れ出されてからやっと我に返ったザックスは、途端に焦りを感じはじめる。
あの男に聞かなければ、あの男に。
情報が欲しい、何だか気になる。
そう思い、今出てきたばかりの店に戻ろうと一歩を踏み出した時、またしても腕がガツリと掴まれた。そのせいで、前につんのめるようになる。
「駄目よザク、行ったらおかしくなるわ!冷静になって!」
その言葉に振り返ると、そこにはキツイ眼をしたルヴィがいた。店外へとザックスを連れ出したのは、ルヴィだったのだ。
「気になるんだ。今しか情報は手に入らない」
「それが駄目だって言ってるの!分からないのザク!?神羅に関わりたくないっていったのはザクじゃない!」
「そうだけど、もう駄目だ。だってあいつ、セフィロスのことを言ってた…!俺は…!」
「ザク!それは違う!今のザクのすべき事って何、それじゃないでしょ!?」
「でも駄目なんだよ!!気になるんだ!だって俺は…!!」
「ザク!!!」
夜の黒い空にその声が響き渡った、その時。
「…!!」
――――――なにか、信じられないことが起こった。
それは、一瞬の内の出来事。
唇に何か暖かい感触。
それは……。
「…っめろ…っ!!」
ルヴィに何をされたか理解したザックスは、我に返った瞬間にガンとルヴィを突き飛ばした。まだ唇に残る暖かい感触、それがザックスに怒りを沸き立たせる。
ルヴィは……瞬間的にザックスの唇に奪ったのだ。
今迄冗談で何度か誘われてきたが、こんなのはオカシイ。いかなる理由であっても、ただの友達として認識している彼にそうされることは何だか嫌だった。
だってこの唇が触れたいと願うのは彼じゃない。彼じゃないのに。
「こ…れで眼が覚めたでしょ、ザク。アンタ、こうでもしなきゃ眼が覚めないじゃない」
地面に吹っ飛ばされたルヴィは、痛みに顔を歪めながら上体を起こし、笑いながらそう言う。
どうしてもザックスを止めたい、そう思ったが力でとめることは不可能…そう判断したが故の行為だったのである。
「だからって…こんな、こんな…こと…!」
唇を噛み締めて俯いたザックスは、一気に蔓延した感情のために、先ほどまでの興奮を忘れていた。つまりルヴィの作戦勝ちである。
しかしザックスには、そんなふうに状況判断している余裕はなかった。
さっきのキスが衝撃的すぎて。
「そんなに不満?でも分かってる。その唇は違う人の為にあるんだもんね?そう言いたいんでしょ?」
ねっとりと笑ったルヴィは、挑発するような声音でこう続ける。
「でもねえザク、だったら可愛いクラウドに言ってやりなさいよ。“好きだ”って、“愛してる”って。アンタがずっと我慢してきたアソコも解放してやれば良い。クラウドに挿れたくてウズウズしてるんでしょ、だったらやってやりゃ良いのよ!」
「うるさい!!!俺は…そんなふうに思ってなんかない!!」
「そう?どうかしら?いつも頭の中はクラウドで一杯、いつだってクラウドクラウドクラウド…気が変になるくらいそのこと。そんなアンタがどうしてそう言い切れるの。隣を向けば抵抗も何もしない彼がいるってのに!」
「黙れよ!!!」
もう、頭がおかしくなりそうな気がする。
そんなふうに言わないで欲しい、そんなふうに。いつだって認めたくなかったものが溢れ出てしまう。
過ちが蘇る。自己嫌悪が蘇る。親友でいて欲しいなんて無理に決まってる。それでも良いと言ったクラウドさえ幻想だった。
それでも好きだと思う。分かってる、好きだなんて知っている。触れたい。本当は触れたい。本当はいつだって奪われたくなかった。誰にも振り向かないで、自分だけを見ていて欲しかった。独占したかった。それが叶ったと一瞬でも満足した。
それが愚かと知っても嘘じゃなかった。
失いたくない。
失いたくない。
綺麗な言葉なんて嘘だ。
本当はいつだって―――――――…
―――――――駄目だ、壊れる…!!!
「俺は…っ!!」
頭を抑えるようにして目をきつく瞑ったザックスは、吐き出すように叫んだ。
「俺はもうアイツを抱いちまったんだよ!!!」
「…!」
もう無理だ、もう限界だ、そんな感情が頭を占有し、ザックスはその場から勢い良く駆け出した。
方向が合っているかすら良く分からなかった。それでも良い、とにかくこの場を去りたい。その思いが、ザックスに厳しい向かい風を浴びせる。
「ザク……あんた…」
一人その場に取り残されたルヴィは、呆然としてそう呟く。その言葉は投げかける相手を失い、結果、宙に舞っていった。
そうしてその言葉がすっかり消え去ったとき、ルヴィは地面にすっと眼を落とす。
ルヴィは、ただ一つのことを考えていた。
「………飲んだのね、ドラッグ」