告白の木(2)【ツォンルー】

ツォンルー

 

帰り道、ルーファウスは告白の木についてを考えていた。

最近はぼんやり考えこむことが多くなっていて、そういう時、あの告白の木は最良の場所だった。何せあそこは誰もいないし、その上、道行く人々の姿が良く見える。

少し寄ってみようか。

ルーファウスはそんなふうに思い、その日も告白の木の下へと赴いた。がしかし、驚いたことにその日は先客がいたのである。

「あ…」

目に映ったのは、若い男だった。

ファーのついたコーデュロイのハーフコートに身を包み、何やらそわそわとしている。見れば、手には携帯電話を持っていた。

ルーファウスはそこに先客がいたことで帰ろうかと思ったが、何となくその男が気になって、結局は告白の木の下へと足を進る。

そのせいで告白の木の下には、若い男が二人別の方向を向いて立っているという状況になった。何だか妙である。

特に用事があるわけではないルーファウスは、若い男が何をしているのかチラチラと目を遣る。

男は大きなため息を吐いては携帯電話をしまい、また少しすると悶々とした顔をして携帯電話を取り出したりしていた。

どうもシャキッとしない。しかしとにかく何か踏ん切りがつかない様子であるのはルーファウスにも良く分かる。

男は、電話をしようかするまいか悩んでいるようだった。

一旦はようやく決心がついたのだか電話を耳に当てるまでに至ったが、それでもすぐにしまい込んでしまう。そうして手で額を覆ったりする。

―――――何を話したいんだろう。

そう思うとますます目が離せなくなって、ルーファウスはいつの間にかその男を凝視していた。

と、その時。

「あ…」

ふと、男がルーファウスに目を向けた。

しまった、と思って急いで目を逸らそうとしたが、時は既に遅かったらしい。男はルーファウスに向けて「何だよ」と嫌そうな声を発してくる。それはそうだろう、誰だって勝手に見られたりしたら怒るに決まっているのだ。

仕方なくルーファウスは謝ると、気にしないで電話してくれと付け加える。が、その言葉がどうも効いたらしく、男は突如として気弱そうな表情を浮かせた。

「できたら…とっくにそうしてるさ。できないからこんなふうにしてんじゃないかよ」

「そう…か」

それはそうだろう。先ほどからの男を見ていれば嫌でも分かる。

「どうせあんたみたいなのはモテるんだろ?モテる奴に俺の気持ちなんか分るかよ」

「え?」

「どうせ告白したって振られるに決まってんだ。それが分ってるから電話すんのが怖いんだ。電話なんて直ぐに繋がっちまうから直ぐに結果が出ちまうし」

若い男は自らそんな話をし始めると、そうしながらやはり携帯電話を見つめたりしまったりした。余程落ち着かないのだろう、その動作がやけに忙しない。

なるほど、告白をするつもりだったのか。

ルーファウスはそう思いながら上方を見上げた。そこには大きな木があって、静かに街を見守っている。この木は…そう、告白の木だ。

「…電話、してみれば良いじゃないか」

視線を男に戻したルーファウスは、迷った挙句にぽつりとそう言う。

本当はそんなことを言うつもりなど更々なくて、ただ男の動向が気になっていただけだったのだが、どうも男の話は他人事のようには思えなかったのだ。

電話なんて直ぐにつながってしまうから直ぐに結果が出てしまう。確かに男が言った通りだと思う。

男は、好きな相手と想い合いたいからこそ、今この瞬間に電話を繋げたいと思っている。けれども電話が繋がってしまったら後戻りはできなくて、振られてしまうかもしれないから電話が繋がることを恐れているのである。

何となく、その気持ちは分る。
全く同じ状況にいるわけではないものの、そのジレンマは同じだと思う。

繋がって欲しいのに、繋がるのが怖い。

だって繋がってしまったら―――――――――。

「このままだったら…チャンスも無いじゃないか。たった一押しじゃないか。ただそれだけでもしかすると…上手くいくかもしれない。本当は、繋がって欲しいんだろう?」

土が凸凹とした地面に視線を落としながら、ルーファウスは呆然としながらそう口にした。

自分がそう口にしているのに呆然だなんて甚だおかしいのだろうが、正にそんな状態だったのである。何故そんなことを口にしたのか、自分でも良く分からない。

でも、その若い男に電話をかけて欲しかったのだ。

ただ一押し、そのただ一押しの勇気を持って欲しくて。

「わ、分ってるよそんなこと!」

男は躍起になってそう叫ぶと、最早ヤケクソとばかりに電話をした。それは最後の一歩が踏み出せなかった男にとっていきなりの後押しで、数秒後に繋がってしまった電話にとうとう後戻りは出来なくなってしまったものである。

男は、急激に背筋を伸ばした。

先ほどまで乱雑だった態度が突然キリリとなり、耳元に当てた電話をしっかりと両手で握っている。必死なのだ。それがとても伝わってくる。

「もしもし…あの、俺です。は…話があるんです」

男のその言葉を聞いて、ルーファウスは少しだけ笑った。そうして、そっとポケットに手を偲ばせる。

彼は頑張った。勇気を振り絞ったのだ。繋がってしまう恐怖に打ち勝って。

そう思ったら、何だか自分にもそれが出来るような気がして、ルーファウスはツォンのプライベート携帯電話に電話をしてみようと思い立った。

――――――が、しかし。

「…!」

忍ばせたポケットの中に、あの紙切れが無い。

「そう…だ、デスクの上に…」

出しっぱなしだったのだ。

それに気づいたルーファウスは、咄嗟に走り出した。向かう先は当然、先ほど退勤してきたはずの神羅カンパニー本社ビルである。

折角電話をしてみようという気になったのに、こんな時に限って肝心の電話番号が分らないなんてとんだ間抜けである。こんなことならせめて登録だけは済ませておけば良かったとルーファウスは俄か後悔した。

後にした告白の木の下では、若い男が今もまだ勇気を振り絞っている。

もうあの場を離れてしまったから、彼の告白がどんな結果を迎えるか、それを知ることはできないだろう。もともとそれを知りたいというわけではなかったが、それでも成功してくれれば良いなとは思う。

何となく思っていたのだ。

彼が成功したら、きっと自分も成功できるだろうと。

 

 

 

神羅カンパニーの本社ビルに戻る。
そうして真っ先にデスクの上を漁ったが、あの紙切れが見つからない。

それが分った瞬間、ルーファウスは愕然とした。

毛羽立つほどずっと持ち続けてきたあの紙切れが、こんなところでなくなってしまうなんて。電話をしてみようと思った日に姿を消してしまうなんて。

「どうしよう…」

綺麗に片付けられていたデスクを滅茶苦茶にしてまで探したのに、やはりそれは見つからない。どこかに置いやった記憶などないのに、とにかく見当たらない。

「そうだ、ツォンにもう一度聞けば…」

一瞬そう思ったが、それほど失礼な話もないと思い首を横に振る。

だって、そんなことをしたらバレてしまうじゃないか。数週間前に渡された電話番号なのに未だに登録していなかったことが、ツォンにバレてしまう。

そんな事を知ったら、ツォンは傷つくだろう。怒りはしないかもしれないが、それでもきっと傷つく。

単に自分に 勇気がなかったというそれだけのことが、ツォンを傷つけてしまうかもしれないのだ。

「駄目だ…駄目だ、そんなの。ツォンには聞けない…」

ルーファウスはそう呟いて肩を落とす。

そうした時には既に、あの若い男が随分と遠い存在になってしまったような気がした。

 

 

 

電話番号を無くしてしまったということ。
それを告げることができずに数日が過ぎる。

その間、どれくらい社内でツォンと顔をあわせたことだろう。

ツォンは何も知らないままに笑ってルーファウスに話を振ってくる。だからそれに返して笑ってみせたルーファウスだが、どうにも笑顔がうまく作れていない気がした。

あの若い男が振り絞った勇気が、自分の中からすっかりと消失していくような気がする。

あの真面目な社員が言っていた“隙間”というものが、こうしている間にもどんどんと広がっていくような気がする。

それでも“隙間”を埋めるために必要な番号は手の中に無い。

――――――どうしたものか…。

 

「どうかされましたか、ルーファウス様」

 

耳に入った言葉に、はっとして顔を上げる。

するとそこにはツォンが居り、ルーファウスは慌てて取り繕いの笑顔を浮かべた。

そう、そういえば今はツォンと話をしている最中だった。しかもその内容はといえば、数日後の休暇にどこか出かけようかというような内容で、とても上の空などで聞いてはいけない内容だったのである。

馬鹿らしいと思うが、ツォン本人が傍にいるというのに、心は目の前のツォンへではなく違う部分でのツォンへと向いていた。

それは勿論、電話番号を失くしたからという理由だったが、それも目前にいるツォンに聞いてしまえば早い話なのにそれが出来なくて、結局今この時間がないがしろになってしまっている。

「どこかお加減でも悪いのですか?どうも晴れやかじゃない」

ツォンにそう指摘され、ルーファウスは「何でもないんだ」と答えた。

実際のところ何でもないわけではないのだが、それにしたって問題になっているのは体調だとかそういうものではない。単に、自分の過失が問題なだけで。

「…で、何だったかな?」

「ああ、数日後の休暇ですが、もし嫌じゃなければ少し買い物でもどうかと思いまして。いかがですか?そう遠くには行かないつもりではありますが」

「うん、分った。私は別にそれで良い」

了承したルーファウスの言葉に、ツォンはありがとうございますと礼を言った。しかしその表情はどうも曖昧で、あまり嬉しそうではない。ただし、自分のことで精一杯になっていたルーファウスはそれに気づきはしなかった。

業務終了後の神羅で、珈琲を飲みながら暫し時間を共にしている。これは数少ない共有時間で、数少ない隙間を埋める作業時間に違いない。

しかしどうやらその隙間は、埋めるべき時間にさえ広がっているらしかった。

「…ルーファウス様。少しお聞きしたいことがあるのですが…良いですか?」

「何だ?」

ルーファウスがそう問うと、ツォンは少し困ったような笑みを浮かべ始める。それを目にして、ルーファウスは途端に顔を曇らせた。

「こんなことをお伺いするのもおかしいかもしれませんが…貴方は、私達のことについてどうお考えなのでしょうか。私は貴方といる時間がとても嬉しいです。ルーファウス様はどうですか」

「な…んだ、そんな…突然」

「いえ、突然といいますか、実は以前から気になっていたのですよ。もしかすると私ばかりが浮かれているのかと…」

気にしすぎだったら良いのですが、と続けたツォンは、どこか寂しげである。少なくともルーファウスにはそう見えた。

ああ、やっぱり。自分のせいでツォンにこんな顔をさせたんだ。

途端にそう思ったルーファウスは、それ以上目を合わせるのが辛くてすっとツォンから目を逸らす。

それが逆効果であることはわかっているはずなのに、どうしても凝視することができなかった。それもこれも、あの一枚の紙切れをなくしたせいである。

こうなってみると、あれさえ無くさなければここまで酷くはならなかっただろうという気にさえなってくるものだ。本当はそうではないとしても。

その場には、俄か嫌な空気が流れる。

普段気になどならない空気の流れが妙に耳につくような気がして、どうも落ち着かない。

しかし何かを言わねばこの場を切り抜けることは不可能だったし、このままにして良いわけがないということは分かっていた。顔は見れないけれどせめて言葉だけでも、そう思ったルーファウスは、苦し紛れにこんなことを口にする。

「…出かけるの、楽しみにしてるから。悪いが今日はもう帰ろうと思うんだ。また詳しいことは後日にしよう」

「……そうですか」

せめてものつもりで放った言葉だったのに、ツォンの返答は思ったよりも素っ気無く、それがルーファウスの居心地をますます悪くさせていく。

楽しみにしていると言えば少しは安心してもらえるかと思ったが、そういうものでもないらしい。

しかしとにかく、帰るということは告げたのだからこの場から離れる口実は出来たというところだ。

ルーファウスはツォンの顔を見ないままに、今まで腰を落ち着かせていた椅子から立ち上がった。そうして近くに置いていた上着と鞄とを手にすると、じゃあ、と端的な言葉を口にしてその場を去ろうとする。

しかしその瞬間に、ツォンの一言が背中に突き刺さった。

「――――無理などしなくても、大丈夫ですから」

それは、決して冷たい言い方ではない、むしろ優しい口調だった。

しかしその言葉の意味は、氷の刃のようにルーファウスの心を抉っていく。

「…」

その痛みを感じながらも、ルーファウスは何も言わずにその場を後にした。バタン、というドアの閉まる音だけを残して。

 

 

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