守護法(10)【ツォンルー】

ツォンルー

 

「ご主人様…どうして、どうして…どうして俺を信じてくれないんですか…俺、嘘なんか言ってない…どうして俺、信じて貰えない…んだろ……」

最早独り言となった言葉達が、夜の外気の中で響く。

それはもうルーファウスに届くことはなくて、誰にも信じてもらえない言葉だったけれど。

「…ご主人様…俺、俺は……―――信じて、欲しかった…」

最後にそう呟いたスティンは、重い身体を持ち上げると、這いずるように廊下を進んでいった。

ご主人様であるルーファウスに要らないと言われた以上、彼の進むべき道は一つしかない。それはDICTの決まりであり、ルーファウスとの契約でもある。

もう此処には監視などいないし、例えどこかへ逃げても誰も分からないだろうけれど、それでもスティンは最後の契約をこなそうとしていた。

契約した商品は、一人のご主人様にしか仕えてはいけない。もし何とか生き延びて暮らすとすれば、必ず誰かの世話になり、誰かと関わることになる。それは契約違反なのだ。

要らないと言われた商品の辿る道は唯一つ―――死。

それがどんなに恐ろしいことであろうと、それを守ろうとするのは、契約した主人へ嘘など吐きたくなかったから。

ルーファウスには、一つたりとも嘘を吐きたくない。

ただ、それだけの為に。

 

 

 

同日23:30。

落ち着きが取り戻せないままのルーファウスのところへ、ツォンがやって来た。

ルーファウスからの連絡でやってきたツォンは、急なこの呼び出しに驚いているようである。しかも、家に上がりこんだ瞬間に抱きつかれたとなれば尚更だろう。

ルーファウスの方からこんなふうにされるのは珍しいことで、だからツォンはその様子に戸惑いを隠せなかった。

「ルーファウス様…一体どうされたのですか?」

まるで弱弱しくみえるルーファウスを抱きとめながらそう問うたツォンに、ルーファウスは小さな声でこう言う。それは問いで、確かいつだかも聞かれた類の基本的な問いだった。

「…ツォン。お前は本当に私を必要としてくれているか?」

「な…どうしたのですか。それは当然の事です」

「じゃあ……明日も、明後日も、そう言えるか?」

「ええ、勿論です」

はっきりと返された答えに、ルーファウスは安堵したように顔を緩める。そしてやっとツォンの身体から離れると、くるりと背を向けて呟いた。

「さっき、少しだけ不安になったんだ…。もしかすると、私は間違ったことをしたのではないかと…そう、思って―――不安になった」

「何かあったのですか?」

「…いや」

そう言って否定したルーファウスは、その姿勢からゆっくりとソファに腰を下ろす。そして、隣に来るようにとツォンへ合図した。

それを受けて腰を下ろそうとしたツォンは、そうした瞬間、丁度そこに汚れを発見し首を傾げる。そして、こう問うた。

「珈琲が何か零されたのですか?シミになっていますよ」

指をさしながら指摘したツォンに、ルーファウスは再度安堵したように笑む。

そして、ツォンの身体を抱きしめた。

「…お願いがある」

「何でしょう?」

「此処で、抱いて欲しいんだ。このソファで。…ツォンが私のものだと、証明して欲しい」

いつかどこかで言われた言葉をそのまま放ったルーファウスに、ツォンは何の疑問も持たずにそれを了承する。

何時の間にか皺の寄ってしまったソファに押し倒されるその瞬間、ルーファウスは最後の安堵を手に入れた。

 

 

 

仮面は上手く騙し続ける為に。

守護法は上手く騙され続ける為に。

 

埋まらない、埋まらない、悪循環。

 

 

 

帰宅すると、そこはどこか薄ぼんやりと暗かった。

だから灯りを点けて、「ただいま」と口にする。

すると、やっと明るくなった部屋の奥から「おかえり」という声が響いた。その方向へと進むと、やがてその先に、デスクに肘を宛がってコンピュータに見入る男の姿が見える。

その男は、気配を感じてなのか、クルリと椅子を回転させてからもう一度帰宅を歓迎する言葉を放った。

「お帰り。―――NO.4311」

NO.4311と呼ばれ今帰宅した男は、荷物を部屋の隅に置くと、デスクの男をじっと見遣りながら静かに口を動かす。

「戻りました―――“ご主人様”」

そう言ったNO.4311は実に無表情で、デスクの男はその表情を見てフッと笑いを漏らすと、またクルリと椅子を回してコンピュータの画面に見入った。そうして背を向けると、そのままの状態でNO.4311に話しかける。

「…それで?一体何の用事だった?」

「はい、不安だと言われました。それで…」

「セックスを?」

「―――はい」

端的なその会話に納得したように頷いたデスクの男は、長く黒い髪をすっとかきあげながらも鼻で笑った。全く面倒なものだ、などと言いながら。

「しかし、お前がいてくれて本当に助かる。本来ならばツォンという人間は私だけ…だが、面倒な事はお前がやってくれる。実に助かってるぞ、NO.4311」

「…はい」

デスクの男…ツォンは、そう言った後にふっと何かを思い出したようにNO.4311を振り返った。そして少し考えるような顔つきになりながらも慎重にこんなことを問うてくる。

「―――そういえば、あの人もDICTで奴隷を購入したようでな。…その奴隷は、いたか?」

「?…いえ、見えませんでしたが」

「そうか。それは良い。DICTの人形の行末など見えたものだしな。…ふふ、あの人はご存知ないだろうな。まさか自分とセックスをしているのが私ではなく―――DICTの人形だとは」

「……」

その空間では、同じ姿、同じ顔の人間が二人存在していた。

一人は、ツォンという男。

もう一人は、DICTで売られていたNO.4311。

まるで同じにしか見えないその姿形―――言うなれば”影”というところだろうか。

その二人は、いつしか同じ人間を分割して演じるようになっていた。それは元々ツォンの発想で、その分割は上手い具合に割り当てられている。

一人は、仕事をする。それは当然のことである。

そしてもう一人は、セックスをする。それはツォンにとっての無駄な時間。

その無駄な時間を割り当てられていたNO.4311は、ツォンの恋人であるルーファウスという人物と幾度と無くセックスを重ねてきた。恋人であるが故に重ねられる時間は全て彼の担当で、おおよそ彼の行動時間は夕方からである。

その時間帯、ルーファウスは当然恋人としての姿でNO.4311の前に現れ、本音を彼に打ち明けていた。

だから、ルーファウスが不安に思う一番の理由である大切なものを理解しているのは、ツォンではなくこのNO.4311の方だといえるだろう。

NO.4311は思っていた。

自分はツォンという人間の影でしかなく、本当の名前などはない。敢えていうなればNO.4311というのが名前だろうか。

しかしそんな存在すら許されないような自分であっても、幾度と重ねてきたルーファウスとの時間によって、その人の事が少し気になり始めていた。

愛してはいけない人を、愛している。

しかしルーファウスが見ているのはあくまでツォンという人間であり自分ではない、その事実があまりにも辛い。その上ツォンという彼の主人は真実酷い人間だった。

ルーファウスに愛情など微塵も無く、それどころかその人を貶めるような行動を取る。ルーファウスよりも誰かを優先するのはわざとで、それは単にルーファウスの自分への執着心を高めるためだけにしている行為だった。

そんなふうだというのに、先日は自分から放棄したはずのセックスをルーファウスに敷き、副社長室で強引にその身体を奪ったというのだから理解に苦しむ。

しかもその事について彼は言ったのだ、久々の身体は良かったがそれでも退屈だった、と。

ルーファウスの気持ちを何だと思っているのか―――NO.4311には分からない。

「…ご主人様」

デスクに張り付いたままのご主人様の背中を見詰めながら、NO.4311はそっと口を開く。そして、彼は彼の主人に問うた。

「…ご主人様は何故、あの方の恋人で在り続けるのですか」

愛情などないのならば、離れてしまえば良いのに。

そうすればあの人は、嘘から逃れ、自由になれるのに。

そう思ったNO.4311に対し、ツォンは笑ってこう答える。

「それはな、NO.4311。要らない者に対し、簡単に要らないと言ってしまうのは詰らないからだ。もっともっと…そう、もっと深く繋がった先でなければ、絶望は深くならない。そうでなければ見物にもならないだろう?」

「…つまり。あの方を貶める為に、そうされているのですか?」

「まあ、そうとも言えるな」

簡単にそう答えたツォンの背中を、NO.4311はじっと睨み付けた。

もしたった一つ望み叶うなら、それを今すぐにでも叶えたい、そう思う。それはこの男を主人にした時からずっと思ってきたことで、依然NO.4311が抱き続けている夢であった。

叶うなら―――この男を殺してしまいたい。

ルーファウスを手にいれる為ではなく、解放する為に。

しかしツォンの作り出す仮面は、頑丈だった。ルーファウスに守護法を作らせるほどに頑丈で、それは愛情が大きければ大きいほど霞がかかって破りにくくなる仮面だったのである。

悔しい事に、信じたいと思う気持ちは、何故か嘘に負けてしまう。いわば、信頼と愛情の前には、嘘さえ真実と映るのである。

それは大きな守護法。

「NO.4311、お前に一つ教えておこう」

少ししてそう声をかけたツォンは、コンピュータの画面を見詰めたまま、酷くつまらなそうな顔でこう言った。

背後の人形が殺意と共に立っていることなど、全く意にも介していない様子で。

「上手く騙し必要とされることだけが、この世で最も利口な生き方なんだ」

 

 

 

END

 

 

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