11:暗闇の中
夜の闇の中。
ただじっと座って、目の前を通り過ぎる人々を見つめている。視界に入るのはその足元だけで、その足が自分の前で止まるか止まらないかが分かれ道だった。
けれど、自信はある。
絶対、誰かは必ず止まる。止まって、こちらを見る。
そして―――――誘惑をする。
だから、その目を捉えて、口の端をすっと上げて、挑発してやる。
面白いほど、人は付いてくる。自分が誘ったのだという気で、馬鹿らしいほど簡単についてくるのだ。
ある日は男の手が、ある日は女の手が―――――。
ピタリ。
「……」
誰かが視界の中で止まった。
その足元からすると、それは男である。しかもかなりガタイが良さそうな男。
こんな日には、こんな男が合ってるな、そう思ってクラウドはすっと顔を上げた。
予想通り、ガタイの良い筋肉の良くついた男がそこには立っていた。男はただクラウドを無表情で見下ろしており、それにクラウドの視線がぶつかる。
「……どう?」
外見に似合わず言葉が少なそうな男に、仕方なくクラウドは自分からほのめかすような言葉をかけた。どうせ考えている事は一つ。同じなのだから。
「……ああ」
男はやはり無表情でそう告げた。
「じゃあ」
そう言ってクラウドは男に挑発の眼を向けると、誘導するように足を踏み出した。
目的地は決まっている。今日はどの酒場にしようか。
どうせなら、激しい方が良い―――――こんな日は。
酒場の地下で、恥じらいの一つもなく服を脱ぎ去る。それはいつものことで慣れきっていたが、いまいち気分がのらなかった。
目前でやはり気にもせず服を脱ぎ去っている男を見ながら、クラウドは何ともなしにこう言い放つ。
「…何か持ってない?」
その言葉の意味を理解した男は、暫くしたあとポケットから皴になった小さな袋を取り出した。その袋には、少量の粉が入っている。
「…そいつは合法だから安全だ。…焚くんだ」
「ふうん?」
クラウドはそれを手にとると、宿に備え付けの珈琲カップの受け皿を取り出して、少量の粉をぱらりと落とした。
「火は?」
そう言うと、男は静かにマッチを手渡した。一本擦ると、粉がぶわりと燃え上がる。しかし直ぐにその火はおさまり、パチパチと灰のように燃えていった。
それを見ながら、クラウドはふっと笑う。
少しぐらいの興奮剤は必要だ。
それは一瞬でも自分を忘れられる快楽の瞬間と同じように、全てを曖昧に、包み隠してくれるから。
何も考えなくて良い。本能の赴くままに、動くだけ。
辛くも苦しくも無い。それで自分が壊れるなら、それでも良い。
救われるのは、どうせ自分ではないのだから―――――。
クラウドは男を振り返ると、その筋肉のついた身体に手を伸ばした。男の肌はクラウドのそれよりか黒く、絡ませた腕とのコントラストがはっきりと分かる。
男の手は、ゆっくりクラウドの髪を掴み、そして頭ごと下へとずり下げた。
目前に現れた男の雄に手をかけると、クラウドは躊躇うことなく口に含む。
すっぽりと口に入れるには辛いくらいに大きい。それでもしっかりと咥え込むと、少々手荒ながらも確実に興奮を呼ぶように吸い始めた。
異国の香りが漂っている。
脳が麻痺するように、感覚がぼんやりとする。
おかしな気分。朦朧とする。
下から激しく突き上げられる感じに、何も考えずに喘ぐ。男の性器は普通よりも一回りほど大きく、上下するたびに接したその部分が軋むような気がした。
それでも、もっと激しく、もっと淫らに、と鳴き続ける。
滅茶苦茶に、何も分からないくらいの絶頂感を―――――。
男は無口で、いつもクラウドが相手をしていた人間とは一味違っていた。いつも浴びせられる陵辱の言葉や、誘惑の言葉。それが一切無い。そのことが返って自分を淫らに思わせる。
そしてそれは、激しい性交の中で歪んだ妄想をかきたてた。
「はっ…あ、っ…!」
この腰に添えられた手が、あの長く綺麗な指だったら。
自分を見つめる目が、あの赤い瞳だったら。
この口から漏れるのが、あの名前だったら。
「も、っと…っ!もっと、…っ!…ヴィ、っ…」
違う――――――――……
そうじゃない……!!
「あ、あああっ…!!」
俺は、絶対に好きになんかならない!
俺は、あんな奴と同じ人間じゃない――――!!
違う
部屋の中に響くのは、荒い息遣いだけだった。
それを漏らし、そして聞きながら、クラウドはベットにうつ伏せになる。
まだ異国の香りが漂っている。全くの正気には返れそうも無い。けれど、その隙間を縫うように流れ込むこの感じは何だろうか。
疑問に思うまでもない―――――でも。
「何か…飲むか?」
無口な男が喘ぎ以外に久々に空気を震わせたのは、気遣いの言葉だった。それを聞き、クラウドは視線も移さずに「ああ」とだけ答える。
男は一度欲求を解放したというのに、まだまだ余裕な雰囲気だった。それに比べると、挑発的な態度が得意とはいってもクラウドの体力は劣っている。
やはり服をつけないままに飲み物を物色している男の後姿に視線を移すと、クラウドは静かにリクエストをした。
「強いやつ…酒にしてくれよ」
「…そうか」
珈琲に手を伸ばしかけていた男は、その言葉を聞いて手を止める。そしてクラウドの希望通り、並んだ酒のなかから最も強いものを選び取ると、それを二つのグラスに注いだ。
その様子を、焦点の合わない目で見つめる。何も考えたくない。
クラウドはむっくりと起き上がると、ありがとう、と表面的な謝意を述べてからグラスに手を伸ばし、その中身をぐっと飲み干した。
「…大丈夫か?」
男は無口なりに心配そうな声を出す。
こんなふうに一夜限りの関係に身を堕としたものの、心根は優しい男なのだろう。
しかしその優しさは、その日のクラウドにとっては最高のカモでもあった。
この男であれば絶対に自分に従う―――――その確信があったから。
そうだ、たまには偽善の甘いムードで遊ぶのも良いかもしれない。
そう思ううち、クラウドの口端からだらりとアルコールが流れ落ちた。
それは顎に溜まり、胸に落ちる。そしてそのまま下降して、クラウドの身体に一筋の線を描いた。
「…零れた」
グラスを置きながら、ふと男を見遣ってそう呟く。上目遣いで、少し甘ったるい声で響いたその呟きに、男の手が止まる。
それは、完全な誘惑だった。
「…冷たかったか」
クラウドから目線を離せないまま、男はゆっくりとグラスを置き、その手でクラウドの身体に流れた線をなぞる。その指は、腰の辺りまで来る頃には人差し指だけになった。
「…ねえ」
そっと指を絡ませて、甘い声で耳元に囁く。いつもなら絶対にやらないだろう行為である。
男の指の上から自分の指で、もう少し下降するように誘導してやると、男の眼はクラウドのそれに突き当たった。
そこまで指で誘導してから、クラウドはやはり囁くようにこう言う。
「…滅茶苦茶に犯してよ。真っ白になって、何も考えられなくなるくらい…滅茶苦茶に」
「……」
その場は沈黙に包まれたが、男はクラウドの言葉通りにゆっくりと動作を始めた。
もっとほしい。もっと、もっと、もっと。
限界を知らぬ男の丈夫なそれに何度も貫かれながら、クラウドは求め続けた。
身体が壊れてしまっても、それでも良い。
だからもっとほしい。
そんな激しい交わりの中で、クラウドは思っていた。
ほら―――――俺は誰が相手でも、こうしていられる。
誰も俺の誘惑に勝てやしない。
相手に合わせてやるだけで、どんなふうにでもできる。
俺は、何も引きずりはしない。
苦しむのは……俺じゃない。
俺じゃない。
俺じゃない。
俺じゃない…絶対に。
俺は、そんなのは認めない。
だって―――――俺は、あいつじゃない。
苦しくなんて、絶対、無いんだ。
夜明け近く、部屋の中にはまだ、温もりが残っていた。