14:異国の香
数日が過ぎて、ヴィンセントはやはりその決断を下した。“それ”とは勿論、夜のクラウドに会うことである。
しかし実際そうするには躊躇われる部分が多くあった。
その大方の理由は、自分自身にあることはよく分かっている。夜のクラウドは、あんな言葉を放って終わりを告げた自分にまた何か言ってくるに違いないのだ。
一方、昼のクラウドといえば、事実と推測を話したあの日以降、その話題に触れてはこなかった。
昼のクラウドはそれ以上の詮索を拒否したが、果たして夜のクラウドはどうだろうか?
この推測に、彼は何を言うだろうか―――――…。
夜。
久々にクラウドのあとを追うことにしたヴィンセントは、かつてのように宿の隅でその姿が確認できるまでを待った。
クラウドと抱き合った最後の夜からは、二週間ほど経っているような気がする。
その間もきっと彼は誰かと行為を続けていたに違いない。
今やティファからの依頼云々は解除されたのだから、今度は何も恐れずに聞いてみても良いかもしれない。何故そういうふうにするのか、と。
もしヴィンセントの考えるような”人格割れ”が二人を分けているとしたら、彼には彼なりの理由が存在するのかもしれない。
そんなことを考えるうち、クラウドが姿を現した。
身を潜めてその後を追うと、向かう先はやはりいつもと同じようである。もう既に行動パターンは読めているし、今更その腕を掴んで止めることもないだろう。
何だかんだとついていったものの、街の中央にやってきた辺りでヴィンセントはクラウドに近付いた。
どうやらまだ今日の相手は決まっていないらしく、クラウドは通り行く人々を冷静にじっくりと品定めしている。
しかしその視界の中にヴィンセントが映ると、その表情は一気にブレた。ゆっくりと見開かれた目がヴィンセントを見つめている。
「久し振りだな」
「ヴィンセント…」
「どうした?今日はいつもと様子が違うようだな」
そう声をかけると、瞬間、クラウドはハッとしたような表情になった。
そして、やっと見慣れた表情を見せる。
「ほら、俺の言った通りだった。やっぱり苦しかったんだろ?」
クラウドはそう声をかけながら口端をあげると、やがて挑発的な笑みを浮かべた。
「で、何?もう一度俺とヤりたくなった?」
「ああ、そうかもな」
「…え?」
「冗談だ。意外だな、戸惑うのか」
ヴィンセントの言葉に、クラウドは少し目を吊り上げて「別に」と答えた。その様子はいかにも、ペースが崩されて面白くないといった様子である。
ヴィンセントがそれに臆さず、ここにやってきた目的について切り出した。
「お前と話がしたい。今日はまだ相手がいないんだろう?だったら私でどうだ」
「ふうん…話がしたいからってわけか」
まあ何でも良いけど、そう続けてクラウドは笑う。
「でもその話って、またこの前みたいなやつ?まだ誰かさんを救うために必死なんだ?」
その言葉にヴィンセントは少し反応した。そして、ある種の確信をする。
ああ、やはり―――――多分この予測は間違ってはいない。
今目前にいるこのクラウドは知っているのだ、自分と本来のクラウドが”違う”という事を。
そして多分、こうなった原因すら知っているのだろう。
だっていま、彼は何と言った?
“誰かさんを救うために必死なんだ?”―――――そういったではないか。
”誰かさん”が誰を指し示しているのか…その答えは一つしかない。昼の、本来のクラウド自身である。
その本来のクラウドに対して”救う”という言葉を使うのはなぜなのか。その理由は、本来のクラウドが”救うべき状態にある”ということだろう。
彼は知っているのだ、本来のクラウドが救いを求めていることを、そして、救うために何が必要であるかも。
ヴィンセントはそれを察知したものの、あえて口には出さず、フィルタを通してこのようなことを口にした。
「さあな。私が救いたいのは、自分自身かもな」
クラウドは躊躇いもせずにかつてと同じように別の宿場へとヴィンセントを誘った。地下が云々という酒場とは違う、本当に普通の宿屋である。
その中の一つの部屋に入ると、クラウドは椅子に腰掛けてポケットから何かを取り出した。それをティーカップにさらさらと零す。
「…何をやっている?」
訝しげな顔で近付いてそう言うヴィンセントに、クラウドは素っ気無い態度で「別に」と返した。しかし、見ていればすぐにそれが何か分かる。
火をつけようとするクラウドの手をぐっと握ると、ヴィンセントはそのまま腕を引いた。
「馬鹿なことはやめろ」
「…何だよ。合法だぞ、これは。身体に害は無い」
「……」
黙り込んだヴィンセントから腕を引き離すと、クラウドは中断された行動をそのまま継続させる。
シュッ。
暫くして異国のような香りが漂ってくると、それは部屋に充満し、理性を麻痺させるような気がした。
その匂いに妙な気分になりかけていたものの、ヴィンセントは何とか意思を保ち会話を続ける。
「私が聞きたい事は想像できているだろう」
出だしはそんなふうだった。
その言葉に反応し、金髪が揺れる。その表情は、そんなことは分かっているとでも言いたげである。
「疑問は山ほどあるが…」
「待てよ。その前に確認しておきたいことがある」
ヴィンセントの言葉を遮ってそう言ったクラウドは、またあの意味深な言葉を放つ。
「アンタは誰を救いたいんだ?それをハッキリさせてくれ。その答えによっては、俺は何も教えたくない」
「…どういう意味だ?」
「そのままの意味に決まってんだろ。…答えは?」
答えなど決まっている。それはもちろん「クラウド」だろう。
いまやティファから何の依頼も受けていない身なのだから、この答えは間違っているのかもしれない。
だから今、クラウドを救いたいと考えるのは、ヴィンセントにしてみれば単なる自己満足なのである。
何故ならティファもクラウドも、こうして事実を明るみにすることを、望んでなどいないのだから。
「…さっきも言っただろう。私自身だ」
ヴィンセントが本心を抑えてそう答ると、クラウドは特に拒絶することなく、そうか、と軽く頷いた。どうやらその返答に問題はなかったようである。
それを確認したヴィンセントは、改めて会話をし始めた。
「お前は全て知ってる。そうなんだろう?」
それは、この宿での会話が始まった時点で明らかになっていることだった。
昼、クラウドに話した全ての事実。そのときクラウドはそれ以上を知りたがらなかった。その話題には触れたくないと言った。
しかし今、それが実現している。
目前のクラウドが何も言わずにこの話題に触れてくること―――――それが既に、”2人の分離”の事実を明らかにしているのだ。
クラウドはヴィンセントの言葉を耳にすると、ゆっくり目を閉じて笑った。
そして、
「そうだな、知ってる」
そう言う。
それからこう続けた。
「今まで気付いてなかったんだろ。俺にとっては馬鹿みたいな話だ」
「……お前は誰なんだ?」
「俺が“誰か”って?」
クラウドに決まってる―――――それは分かっている。
けれど、それでも違うのだ。姿形全てが全て同じなのに、違う。
クラウドの口は、正にそのままを語った。
「クラウドだよ。そんなの、アンタが一番知ってんじゃないのか?」
「そうかもな。だが…違う。昼、お前に全てを話した。その事をお前は覚えているか?あの時、お前はこうして夜に出歩いていることも、私と関係を持ったことも、何もかもを知らないと言った。そして、もうこの話題には触れたくないとも言ったんだ。”お前は”それを覚えているんだろう?」
「ああ」
「結論から言って、今のお前と昼のお前は別人。…そうだな?」
その言葉に、返事はすぐに返ってこなかった。
ただ、視線が合う。
そして、暫くしてからクラウドが笑った。
それは嘲笑だったが、ヴィンセントに向けられたものではなかった。
「別人。なるほど、そう見えるかもな。……でも違う。俺はクラウドだ。俺は全てを知ってる。自分がどうして此処にいるかってことも、全部」
ふと、部屋に漂う香りが強くなる。それはクラウドが椅子から立ち上がったせいだった。
流れ込んだ香りは、一瞬でも気を抜けば全てを麻痺させられそうな感じがある。
その中で、クラウドはヴィンセントに近付いた。そして目線を合わせると、そっとその唇に口付ける。
それはかつて何度かしたものとは違って、とても静かな口付けだった。
「…なあ。今度は俺と約束してくれよ」
―――――約束?
「…今度は、とはどういう意味だ」
視界には余裕あるクラウドの顔が映っている。
「だからさ、アンタが前にティファとしたみたいに…今度は俺と手を組もう」
何を言っているのかさっぱり意味が分からない。
ティファとの約束の背景には、しっかりとした目的があった。それはクラウドの隠している事実、そして夜の事実を探るという目的だった。
しかし今、目前の彼と何を目的に約束をしろというのだろうか。
夜だけしか姿を見せない彼に、一体何の目的があるのか、それがヴィンセントにはまだ分からない。
それに対する明瞭な答えとまではいかなかったが、それに近いことをクラウドはそっと耳打ちする。
それは少し、小さな声で。
「“俺”を、救ってくれよ」
異国の香りが漂っていた。何かが麻痺していた。
別にそれを望んでいたわけではないが、たぶんクラウドと会話するためには必要だった。
けれど未だに、何故そういうふうに身体を重ねなければならないのかが分からない。
しかし―――――その答えを考える余地は無かった。
きっと、麻痺しているのだ。
自分も、目前のクラウドも。
二度と抱くことはないだろうと思っていた身体を抱きながら、ヴィンセントは思っていた。
救うべき人間は、誰なんだろうか。