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俄か雨の降る間の、一つの決断。一度決めたことは撤回できない。
雨降りの10分:レノ×ルーファウス
雨降りの季節だ。
俄か雨はその名のとおり、突然雨が降ったかと思ったらぱあっと晴れて、晴れていたかと思うと唐突に雨が降ってくる厄介な雨だが、たいがいそれは少しの間で終わってしまう。だから、たまたまそれに当たるというのは、ある意味では不幸なことなのだろう。
その日、雨が降っていた。
いや、その日というよりその時と表する方が正しいだろうか、ともかくレノが建物から足を踏み出したその時には雨がざああああと降っていたのである。
「やれやれ…参るよな、全く」
先ほどまではからりと晴れていて、まるで雨など降る気配がなかった。
要するに傘などはもっていない。
今しがた出てきた背後の建物にもう一度入ればよさそうなものだが、残念なことにそこはレストランで、正に会計を済ませた後だったのである。まさかリターンなどできない。
「雨、ね。…ま、気持ちはわからなくもないけど」
レノはぽつりと呟くと、勢いを増すばかりの雨を見上げた。これは恐らく俄か雨で、もういくらかもすれば止むだろうということはわかっているのだが、とてもそういう風には見えない勢いである。
こういう一瞬の雨は、激情に似ている。
まるで夏の一夜の恋のように、その一瞬の間に盛り上がり、後はすうっと消え去っていく。まさに期間限定の情熱である。
レノはポケットの中から携帯電話を取り出すと、ディスプレイに映し出されている時間表示を確認した。時刻は午後十時。背後のレストランで人と待ち合わせをしていたのは午後八時で、レノはその二十分前からそこで待機していたから、もうかれこれ二時間二十分はこのレストランにいることになる。
「…何やってんだろ俺。馬鹿だよな」
“返事はちゃんとするから。…待っててくれ”
あんな言葉を少しでも信じた自分は、恐らく馬鹿だったのだろう。レノは携帯電話を見つめながらそんなことを考えていた。今日レストランで待ち合わせをしていた相手は、レノの働いている会社の副社長である。別に仕事の話をしようとかそういうわけじゃない。もっと俗っぽい話だ。いわゆる恋愛の。
――そう、それは恋愛だった。
恋愛なんてゲームのようなものだと思っていた彼にとって、それは恐らく初めての負けだった。どうにもこうにも有耶無耶な関係が続いていたことに痺れを切らしたのは自分の方で、だから明瞭にしたかったのである。
“なあ、この関係って何?もうそろそろハッキリさせてくれよ”
“ハッキリ?”
“そう、ハッキリ。副社長だってわかってるだろ。俺にとっちゃこれは…悪いけど、もう酷なんだよ”
“…そうか”
別れたいとか、そういう気持ちは無かった。むしろその時からレノが望んでいたのは良い返事だったし、そういう返事を貰える見込みが0%ではなかったからこそそういう言葉が吐けたというところもある。
しかし、悪い返事が来る可能性を考えていないわけではなかった。多分、良い返事を望み、その可能性にかけながらも、ほぼ確定的なNOという返事を恐れていたというのが現実だったろう。
何となく気づいてはいたのだ。
多分、無理だろう、ということには。
けれど可能性にかけたかった。だから今日という日に約束をしたのだ。もしこの先、本当に自分を好きでいてくれるなら、このレストランで会おうと。逆に、もしこのまま別れを選ぶなら会うのはやめようと。
そして結果は出たのだ。
結果は――二時間の待ちぼうけ。
終わったのだ、恋は。
「…濡れて帰るのもいいか。水も滴る良い男ってな。…ったく、笑えもしないっての」
レノは独りぼやきながら、もう一度携帯電話に目を落とした。こんなフラれた夜には、雨にも降られてしまえば良いのだという自暴自棄な気持ちになる。風邪をひくならそれでも良い。どうせ家に帰ったところでそこは自分ひとりなのだし、心配をして電話をかけてくる人間もいやしない。どうだって良いのだ。
ともかく、今この場で雨の中を走って帰るという選択肢は、やろうと思えば無理な決断ではなかった。が、あと十分もすればこの俄か雨は止むだろうと思われたから、レノはそれまで少し待機することに決めた。
ちょっとした悪あがき。
そう、この十分の間に、まだ諦め切れない駄目男の最後の希望を託そうじゃないか。
好きだった気持ちはそう簡単に捨てられるものじゃない。仮に純粋な気持ちが消えてしまっても、執着心やその他もろもろのものがしつこいくらいに心臓を抉るものである。きっと、二時間の待ちぼうけをくらったままでは、そういう煮え切らないものと必死で戦わなければならないだろう。だってあまりにも締りが悪い。
だから、そう。
この十分。
この十分に希望を託して、雨が上がってもまだ連絡が無かったら、本当にきっぱりと忘れると誓おう。いや、忘れることは難しいから、少なくとも触れたいとか話したいとか思う気持ちとは縁を切るように努力しよう。
そうだ、それが最後の悪あがき。
雨が上がるまでの間に――運命を、決めよう。
約十分後、雨はすっかりと上がってしまった。
しかし、その間に連絡がくることは無かった。そうだ、負けたのだ。この運命に。
「あーあ…。まあ仕方ないよな…。だってもう、決めたから」
レノはすっかりと明るい光を見せている空を仕方なさそうな表情で睨むと、ふっと息をついて、携帯電話の電源を落とした。もう、運命は決まったから。
こんな俄か雨にたまたま遭遇してしまったことは不幸としかいいようがないだろう。しかもこんなフラれた日になんて、まったく不幸もいいところである。しかし、それでもその不幸の雨が決断させてくれたのだ。たった十分の間に決まる運命も、この世にはあるのだ。
心にぽっかりと穴が開いたようで寂しくてつらかったけれど、心のどこかでは晴れやかなような気もしていた。それは雨の上がった空のように。
電源の切れた携帯電話に連絡が入っても、それはレノには届かなかった。
そして、仮に届いたとしても、それはもう十分の運命の決断の向こう側のものでしかなかった。
END