◆ ◆ ◆
「考え事ですか?」
そう聞かれて、ルーファウスははっと我に返った。
見回せば、そこは車内。そういえばツォンが「お送りします」と毎度のように言ってきたのに、毎度のように「ああ、頼む」などと返したのだったか。
そこまで思い出して、ルーファウスはサイドウィンドウから外の景色を眺めた。
現時刻は午前3:00。
こんな時刻まで仕事をしていたのかと思うと、自分でも呆れ果てる。だが、それは明日が久々に取る休暇なせいもあって、一気に纏められるだけの仕事を纏めてきたせいもあった。
相変わらず忠実な運転で走る車は、ルーファウスの自宅へと向かっている。外に広がるのはやはりミッドガルの煌びやかなネオンで、それは随分と多くなったような気がする。とにかく光が耐えない街だった。
「あまり根を詰め過ぎるのは感心しませんね」
そう言うツォンに、ルーファウスはふっと笑った。
「以前も同じ言葉を言ったな、覚えてるか?」
「そうでしたか?」
全く覚えていないとでもいうような口調で、ツォンはそう言いながら前方を見ている。以前はそういう態度が、関心の無い心の現われだと思っていたが、それは違うのだと今では分かる。
「そうだ。私が何を考えていたのか、随分としつこく聞いてきただろう?」
「…ああ、そんな時もありましたか」
やっと思い出したのか、口の端を少し上げながらツォンはそう言う。
あの車内での会話から、時は随分と経っていた。お互い立場も変わっており、ルーファウスは十代の副社長時代から、神羅のトップ、社長までになっている。一方ツォンはそんなルーファウスの元で、タークスの主任として暗躍を続けていた。
数字にすれば、七年―――長い月日である。
「あの時、何を考えていたか教えてやろうか」
ルーファウスはシートに深く座り込みながらそう言うと、ツォンの方を見遣る。視線だけチラリ、と合うと「何だったのですか」と声だけの返答が返った。
結局あの時は、そのまま何も詳しい言葉もないままに終わった会話。その続きが、七年の月日を越えて再開されようとしていた。
その間、ルーファウスの物の見方も随分と変わっていて、今では自分自身が感じたことでさえ不思議な部分がある。けれど、ある一点においては今でも同じ気持ちを抱き続けていた。それが、あの日の車内での考え事だった。
流れるミッドガルの光景を目にしながら、ルーファウスは口を開く。
「もし神羅が無かったら、此処から見える景色はどんなだったろう…そう思ってた」
車内に響き渡った声に、エンジン音が混じる。
「私がそう考える事はきっとおかしな事だろうな」
「…だから私が笑うと、そう言ったんですか」
ツォンの言葉に、ああ、と正直に答えを返す。あの時なら絶対に言えなかった言葉が、今ではこんなにも素直に口にできるのは不思議な事だった。その原因がどこにあるのか明瞭ではなかったけれど、それは時間の経過だったり、物事の経験だったり、そしてあの日の別れ際に感じた何かだったのかもしれない。
「神羅の無い景色が、見てみたいですか?」
「ああ、見てみたい」
「…本気ですか?」
「ああ」
間髪を入れない答えに、ツォンは思わずブレーキを踏み込んだ。キキィ、と音がして、ほぼ急ブレーキ状態で車が止まると、ツォンはハンドルから片手を離してルーファウスを向き直る。視線は真っ直ぐ突き刺さっていた。
「―――だったら、神羅を壊してみますか?」
その神羅の社長に向かって、その言葉は放たれた。それでもルーファウスは視線を逸らさずにごく真面目な表情でこう答える。
「――――ああ」
車内の空気が、一瞬歪んだようにも思う。それは口にしてはいけない言葉のはずだった。それに、驀進する神羅を止めるなど出来るはずも無い。
暫くした後、ツォンはふっと肩の力を抜くと、困ったような笑いを見せた。
「冗談ですよ」
「…馬鹿だな。分かってる」
ルーファウスも自然と笑みが漏れる。勿論そんなことを本気で思っているはずはないのだから。
ただ、もし存在が最初から無ければ、それは許される事のはずだった。存在があり、自分がそこに縛られた人間である以上、それは無意味な思いに違いない。
再び走り出した車の中で、ルーファウスは先ほどの会話の続きを始めた。
「あの時、いつからこんな景色になったのだろうと思っていた。この景色以外は記憶に無い。そしてこれからもきっと変わらないだろうと思っていた…実際、景色は一向に変わってない。ネオンだらけの眠りのない街のままだ。それが…」
過ぎる過去の思いに、一瞬言葉が詰まる。あの時も今も、変わりがない。神羅の無い世界など此処には無い。そして神羅がなければ自分も存在理由など無い。
それだけが、変わらないままだった。
「それが?」
「それが…寂しかったのかもしれないな」
あの時否定した感情は、今思えばピタリと当てはまるような気がする。寂しいというより虚しいといった方が正しいかもしれないが、それでもマイナスの感傷としては同じだろう。
今でもその思いは変わらない。心のどこかにある虚無感が、こうして何気ない日常の中にも転がっている。それは自分が自分である限りは変わりないことだった。
「私の存在理由は神羅にある。この景色の続く限りは、私は神羅の駒でしかないんだ。この景色以外を見ることも叶わないまま、それでも守らなくてはならない。それは常に続く私の“未来”だ」
「未来…ですか」
そう呟かれた後、沈黙が続いた。
その“未来”は寂しくさせる。そうあるように生きろと、そう言うから。
その“未来”は孤立させる。そう在る為だけに生きろと、そう言うから。
誰を頼っても、誰を信じても、それは変わる事がないから。
無意識に作り出した心の枷を外してみたところで、それは変わる事がないから。
この寂しさを、虚無感を、誰かに理解して貰おうと求めた所で、一体誰が分かってくれるというのだろうか。頼れば良いのです、とそう言った男の温かさに触れて、弱みを曝け出すようになっても、それだけは理解して貰えはしない。
遠く霞みのかかる“未来”には、一体何が待っているのか?
その答えすら、虚無でしかないのに―――。
景色は相変わらず流れていたが、ルーファウスの言う“守らなくてはならない”景色ばかりが連なっていた。
「ルーファウス様」
ふと、ツォンの言葉が耳に入る。
「何だ?」
切り返す言葉が、何だか生気を失っているような気がする。考えすぎたせいかもしれない。
「あの時も私は言ったはずです。頼れば良い、信じれば良いと」
「…ああ。でもそれは…」
「それは…何です?あの頃より随分と貴方は心を開いてくれたじゃないですか。私を見る目も変わったでしょう?」
ルーファウスはそれに答えなかった。しかし確かに、あの頃よりツォンに信頼をおいている。周囲の人間に対しての対処も、変わったような気もする。
「…寂しさは、消えるようなものではありません。だから、せめて頼って下さい」
「頼って、って…そんな事はもう」
もう十分信頼してるじゃないか、そう言おうとしたが、ツォンに遮られてしまった。
その言葉は少し強く響く。
「いいえ。貴方はまだ枷に縛られているじゃありませんか。しかも自分自身の敷いた枷に」
「それとこれとは問題が別だろう!」
思わずそう声高に言うと、ツォンは「そうでしょうか」と不満げな声を出した。俄か混乱しだしたのも無理は無いかもしれない。
ツォンが言いたいことが何なのか、ルーファウスにはさっぱり分からなくなっていた。
「では、目を閉じて下さい」
「何言ってるんだ」
「いいから。早く」
やけに強く言われ、ルーファウスは渋々と目を閉じる。訳が分からない。
それでも瞼を閉じるとその裏には、ミッドガルの風景が浮かんだ。それはまるで焼きついて離れない幻覚のように、ツォンの言うところの“枷”と同じような気分になる。
目を閉じたまま、身体が車の振動に伴って揺れる。
そういえばそろそろ自宅に着く頃かもしれない。
昔は自宅と会社の境界線は無いに等しかったが、今ではそうでもない。社員達の気持ちもようやく、理解できるようになった。とはいっても、自宅に独りなのは変わらぬ事実だったけれど。
それにしても今更ながらに七年前の話などを蒸し返したのが悪かっただろうか、そんなふうに思いながらルーファウスが首を傾けたとき、ツォンの声がした。
「目を開けてください」
そう言われ、やっと暗闇から帰ってくる。すっかり自宅にでも着いたものかと思ったが車はまだ走行中で、しかもそれはルーファウスの眼を見開かせた。
「―――どういう意味だ…」
思わず漏らした声に、ツォンは柔らかくこう呟く。
「貴方が外せない枷は、私が外してみせます」
車内から見える景色に、その言葉は溶け込んだ。
―――――――外に広がる景色は、もう既にミッドガルでは無い。
さっきまであれほど焼きついていたあの景色が、一瞬にして消えていくような気がした。
そこはミッドガルを離れた場所だったが、それでも綺麗な場所とはいえない。荒涼とした景色が広がっていて、単なる草原ともいえたかもしれないが、それでもそこは“自然”だった。ネオンが輝く街などではなく、月明かりの元で夜の静けさにひっそりと息をひそめる“神羅のない世界”だった。
実際にはそう遠くはなれた訳ではない。グラスランド地域なので、ほぼ隣といっていい。それでも、それだけで景色はすっかりと変わってしまう。
今度は丁寧にブレーキがかかって、車は停車した。
「世界はどこにでもあるのです。ミッドガルの景色しか見えない“未来”―――それしかないという枷など、外してしまえばいい」
そう言うツォンは、まるでルーファウスの心を読んでいたようにさえ見える。そんなふうに言葉にした記憶など無いのに、それでも見透かしたようにそう言葉にする。
どうして、そんなふうに近付こうとするのか。
「…私は神羅の社長なんだぞ。そんな事が言えるか?」
未来を見据えるのは、大切な事である。それは規模拡大という意味においては重要な事なのだ。それなのに―――。
「存在理由がそこにあるのは、その枷があるからでしょう?」
「……」
「貴方は神羅の駒などと思わなくて良い。貴方が一個人として生きる事を、誰が責められるんです?意味があるのは、神羅の中の貴方ではなく、貴方自身の存在なのだから」
意味を信じればいい、そうなふうにツォンは言う。けれど、それに対してルーファウスはいつもとは裏腹な少し弱い口調で呟いた。
「違う…違うんだ、ツォン。神羅が無ければ、私の存在など意味もないんだ」
その為に生まれ、その為に育ち、その為に在るのだから。
そして今までそれだけを求められてきた。それ以外に求められた覚えは無いし、それ以外の事に自分の価値など思いつきもしない。
俯いて組み合わせた手を見つめるルーファウスを、運転席のツォンが見つめていた。
少し疲れて下がった金髪が、横顔の伏目がちな瞳と重なる。
それを徐に伸ばした手の先で掬い上げると、ツォンは向き直ったルーファウスの顔に微笑んだ。
「―――だから、頼れば良いと言ったでしょう?」
そう言いながら、多くの人間の未来を乗せた、その疲れた肩を抱き寄せる。容易く身を預けたルーファウスは、あの、いつかの感覚を思い出していた。初めて、弱さを曝け出した瞬間の事を。
そうしながら自然と目が閉じた。
――――やがて、頭の上からその言葉は降り注いだ。
「貴方の存在理由を、私に頼って下さい」
自然に流れ込むその言葉に、ルーファウスは何も答える事無く、ただ瞑った目の中で流れる風景を追っていた。
それはもう既に、あのネオン輝く街ではなくなっていた。
考えていた。
全く同じ大きさのエネルギーを分かち合える人間がこの世にいるだろうか。
それは例えば、同じ大きさの悲しみを。
それは例えば、同じ大きさの喜びを。
それは例えば、同じ大きさの虚無を――――。
それを、分かち合える人間が、いるのだろうか?
その答えは未だに見つからなかったが、それを覆うだけのエネルギーを与えてくれる人間が、今は側にいるのかもしれない。
そう、思う。
END