胸騒ぎがしていた。
それは、もうずっと前からだったように思う。
確実なのは、セフィロスが敵という立場になって神羅から離れ、それを追うようになった頃にはもうこの予感があったという事。
しかし今日は、何でこんなにも嫌な気分になるんだろう―――?
それは、いつも通りの日だった。
普通に業務を終えて、一息つくように椅子にもたれかかる。何故か疲れがどっと押し寄せて、もう自宅に帰ることすら億劫な気がした。
今日はこのまま会社に泊まろうか―――そんなふうにさえ思う。
幸い、このルーファウスの執務室には、ちょっとした宿泊ができるスペースもある。
設備はしっかりしていて、広いとはいえないものの、一般兵の部屋くらいのゆとりはあるのだ。シャワールームをつけたのは全くの我侭だったが、それでも重宝している。
明日もきっとこんな状態だろうな、そんな事を考えながらデスクの上に手を這わせた。
手に当たる感触で目的のものを探り当てると、それを持ち上げる。
複雑な模様が入ったシガレットケースから、一本の煙草。
それに静かに火を点けると、疲れを吐き出すように煙を吐いた。
こういう時、自分は嫌な大人になったな、と思うのは何故なのだろう。
今はもう何も感じないが、初めて口にした時の苦味を覚えている。それは、悪あがくように大人になろうとした瞬間だったかもしれない。
ふとドアがノックされて、ルーファウスは目を細めた。
もう時刻は午後10:00。
まだ残っている奴がいたのだろうか?
「ああ、開いてる」
それだけ返すと、ドアは静かに開く。不思議な事だったが、その開き具合で相手が誰なのか、ルーファウスにはすぐ分かった。
「お疲れ様です」
「…ああ、お前もな」
会釈しながらそう言う姿に、労いの言葉を返す。
しかし社交辞令はそこまでで、ルーファウスは徐々にその顔から緊張を解いていった。
まだ社内だったが、いつの間にかプライベートの領域になっている。
「ルーファウス様、今日は会社に?」
泊まるんですか、という部分を省略された言葉に、ルーファウスは「まあ」とだけ返す。
「何だったらお送りしますよ」
「いや、良い。どうせ明日も大変だろうし」
「ああ、そうですね」
相手―――ツォンは、頷いてそう答えた。
セフィロスが現れたという情報は、神羅の膨大なネットワークから何度か割り出されていた。しかし情報の信憑性はその都度違うため、結局は現地へ赴く必要があった。
その役割の大概はタークスに託されており、その指揮全般はルーファウスが執り行っていた。
セフィロスは神出鬼没で、情報を元に現場に出向いた頃には姿を消していることも少なくなかったものである。とにかく掴み所が無い。
だからこそ、先読みが必要といえた。
約束の地を求めて徘徊するセフィロス―――それを追うならば勿論、その関連の場所に出没するはずである。
そして今回、その情報は素早く手に入った。これは正に幸運だといえるだろう。
だが――――嫌な予感が、する。
ルーファウスは今回の情報について、なぜかそんな感覚を持っていた。
その嫌な予感の正体がなにかはわからない。しかし、なぜだかもやもやとした不安感がぬぐえないのである。
「明日は…行くんだったな?」
ルーファウスの曖昧な言葉に、ツォンは一つ頷く。
明日向かう場所は――――セフィロスが現れるだろうと予測される、古代種の神殿。
それが割り出されたのはつい先ほどの事で、即座にタークスに出動命令が出された。
しかしその一方、別の場所でのセフィロス出没情報も出回っていて、その命令は明日へと先送りになったのである。
「セフィロスがどう出るかは分からない。―――万全を期して行けよ」
「はい」
そう答えるツォンの眼は、いつものように冷静そのものだった。
それを見ていると、不思議と安心できる。
神羅に尽くし、神羅の為に命をかけてくれる事が分かっているからかもしれない。
けれど、やはり胸騒ぎは止まらなかった。
明日ツォンが現場に向かったら、彼は間違いなくその任務を遂行するだろう。それはわかっている。それなのになぜか……不安感が増大していく。
そのとき、ふと、ルーファウスは眩暈に襲われた。
一瞬、目の前がグラリ、と揺れる。
思わず俯いて眼を伏せると、それに反応したツォンが慌てて近付いてきた。
「大丈夫ですか、ルーファウス様!?」
「…ああ、大丈夫だ」
取り敢えずはそう答えたものの、妙な感覚は消えないままである。
それを見越してか、ツォンは無言でルーファウスの身体に手を伸ばした。そして、その身体を支えると、優しく抱きかかえるようにする。
「そんな事、しなくても良い」
つい、そんな言葉が口をついた。
そうされるのは、何だか保護されている子供のようで良い気分がしない。
しかも、その相手がツォンであればなおさらだった。
「お疲れの時くらい、私の言う事を聞いて下さい」
「……」
ツォンの言葉は別段強い語調ではなかったが、何故か反論はできなかった。
結局そのままツォンに抱きかかえられるようにして、部屋の中にある小さなドアの、その向こうへと向かった。
仮眠用とでもいったその部屋は、余計なものが一切無い簡素な作りをしていた。
シャワールームと、大き目のソファ。それから、小さな透明のテーブルがある。
窓がついているのは、その中でも贅沢だったかもしれない。その窓の隣には小さなデスクがあり、その上に細々した花束が花瓶に差し込まれている。
ツォンはルーファウスをソファに横たえると、自分は床に立て膝を付いた。
この部屋は、社長室のさらに奥にある。だから、それはルーファウスのプライベートなスペースといえた。
そのスペースでは、ツォンも不思議と自分の立場を重んじてしまう所がある。当然かもしれない、相手は今や社長なのだ。
「ツォン、そんなに堅苦しくなるな」
「いえ、そうはいきません」
「…堅い奴」
「それでも構いません」
頑なにその態度を守るツォンに、ルーファウスは少しつまらない気分になってしまう。確かに元々堅いタイプだけれど、今日は一段とそう感じる。
自分の方を見ながらじっとしているツォンから目を離すと、ルーファウスは額に手の甲を当てながらゆっくりと目を閉じた。
まだ、不安感が抜けない。
このまま寝入ってしまったならば、明日が来る。明日が来れば、この感覚は消えるのだろうか。
そう考えたが、それはそれで不安だった。
明日が、不安なのかもしれない。
明日は―――――セフィロスが現れるかもしれないのだ。
「…ルーファウス様、それでは私はこれで」
目を閉じたままのルーファウスに、ツォンは自分の上着を掛けながらそう呟いた。
もう時刻は23:00近い。
自動セキュリティがかけられているかもしれないから、その一部を解除して帰らなければ、とそんな事をツォンは考える。
「帰るつもりか?」
「はい。ゆっくり休んで下さい」
「これは?」
そう言いながらルーファウスは自分にかけられた上着を目線で示した。
ああ、と言いながらツォンは少し笑う。
「また明日、取りに伺いますよ」
「―――返さないぞ」
「え?」
唐突そんなことを言い出すルーファウスの顔は、真剣そのものだった。
返さない、と言うが、そんなスーツくらいで何を真剣になるのだろうか、とツォンは不思議に思ってしまう。とはいえ、返してもえらわねば困るのもある。
「返さないと言ってるだろう」
ルーファウスはもう一度そう言うと、離れかけたツォンの身体を強引に引き寄せた。
思わず倒れ掛かったツォンは、ソファの背の部分に支えの手を置き、何とか体勢を保つ。
見ると、はっとするほど直ぐ近くにルーファウスの視線があった。
「かえさないぞ―――――お前も」
目を離す事など到底、不可能だった。
柔らかい感触が、唇に触れていた。
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