ツォンの腕は、そっとルーファウスの体を抱き寄せ、それをすっぽりと胸に包み込んだ。まるで抵抗の無い軽い体は、その胸の中で規則的な鼓動をしている。
「……私が死んでも、この神羅には数え切れないほどの社員達がいます。貴方はいつでもその上にいるべき人だ。そして私の死など、誰も何とも思いやしない」
たった一人の社員が姿を消したところで、神羅は神羅としての機能を果たし続ける。
そしてその中で働く人々は、そんな死などは数字上の問題としか捉えないのだ。
「誰もが忘れていくでしょう、私の存在など―――。何も無かったように、誰もいなかったように。…生き続けるのです」
どんなに尽くしても、どんなに重要な役割を担っていたとしても、その中では、大勢の中のたった一人にしか過ぎない存在。
皆、やがて忘れてしまうのだ。その人がいた事も、その人がどういう人だったかも。
どういう思いを抱えていたかも知らずに、忘れてしまうのだ。
何もなかったように。
そして、動き、生き続ける。
いつも通りの朝がやってきて、いつも通りの夜が巡る。
そうやって、常に全ては正常に戻っていくのだ。
だから――――大した事ではない。その組織の上たる人が、そんな命一つにもがく必要などどこにもない。
ツォンの鼓動が聞こえる中、ルーファウスは目を閉じた。
ツォンの向かう先は、今やもう分かっている。それは真実とかそういった問題ではない。
ルーファウスはツォンへの臓器移植は成功したとしか聞き知らなかったし、この時でさえそれを信じていた。
医者はルーファウスの執着から、その告知は危険だと判断し、一切をルーファウスには告げていなかったのだ。
移植までもを望んだ際に、全ては既に判明していた。不適合部位があることも、それでもそれを告げるのは危険だということも、ツォンの死も―――。
だからそれは、確実に当たる予測でしかなかった。
ツォンは、死を選ぶのだという予測でしか。
「―――――いくな」
ふいにルーファウスがそう口にする。それを耳にしてツォンは笑った。
「同じ事を言うのですね、あの時と。……それは命令ですか、それとも…ルーファウス様の個人的な感情から来る言葉ですか」
ツォンも同じように、いつかの言葉を繰り返す。
けれど今度こそルーファウスははっきりとこう告げた。
「個人的な意見だ」
そうですか、そんなふうに答えながら、ツォンは腕に力を込めた。自分の中で、疲れ弱った部分を曝け出すその人を、忘れないように。
「私が生きている意味がちゃんとあって良かった。それを証明してくれる人が貴方で―――――本当に、良かった」
「そんなふうに言うな。私は忘れたりなんかしない。他の誰がお前を忘れ去ろうと、私だけは覚えてるから。…絶対に」
「ありがとうございます」
「…礼なんか言うな」
すみません、今度はそう返しながらツォンは微笑を解いた。
人生のやり直しはできない。そう分かっているし、出来もしないけれど、それでも思う。
もし立場などというものが無かったら、きっとこんな決断はしなかった。
無理をしてでも、強情をはってでも、側にいて奪っただろう。
本当はいつも、あの時でさえそうしたかった。けれどそれは出来なかった。そうせぬように、自分の心に壁を敷いてきた。
それはいけない、それは駄目です、そんなふうに制裁さえ与えてきた。自覚させて、わざと自分を遠ざけるようにと。
それは、目の前の人が、独占する事が許されぬ人だったから。
例え心がそうあっても、表面的にそれを表してはいけない人だったから。
だからせめて、側にいたいと思っていた。
側に、あり続けたいと。
たった、それだけで良かったのだ。
たった、それだけのことで。
けれど、神羅がなければ、出会うことも出来なかった。
だから、その場所で貴方はちゃんと立っていて欲しい。
その場所で、笑っていて欲しい。
例え、この命が尽きても。
「私は、いつでも貴方の側にいます。ルーファウス様」
成功に導くその側で、見守り続けるから―――。
「もう…良い」
くぐもった声がそう響いた。それは少し震えているようにも聞こえたが、ツォンはただ回した腕の先で、その背中を優しく包むだけだった。
やがて部屋に言葉は無くなり、ただ寄り添う二人の影が重なった。
貴方を守れない力は、いらない。
落ちていく姿を見て、貴方に何の利益があるだろう。
守れもしないのに。
貴方を悲しませるだけなのに。
貴方の側で、貴方を守れない命は、
いらない。
誰もいなくなった部屋。
その嫌な気分のする部屋で、ツォンは自分の体に張り巡らされた管を勢い良く引き抜いた。
その管は流れ出る液体の行き場所を失って、白いシーツにポタポタと何個もの跡を作る。
命を繋ぐ、唯一のもの。
「さようなら、神羅――――」
ツォンは、ただ、目を閉じる。
やがて、そこに体温は無くなった。
END
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