1st [ONLY]:02
体調が優れないから、そう言ってルーファウスが薬を常備し始めたのも無理のない話だった。少し休めばいいというツォンの言葉にも耳を傾けずにいたルーファウスは、結局、完全にダウンしてしまったのだ。
仕事を辞める結果になってしまったルーファウスは、今まで自分が言い続けてきたことを最後までツォンに対して守れなかったことを、とても悔やんでいた。
それぞれ仕事をすることは、以前の関係を崩すためにも必要だったのに。
しかしそのような状況になったことで、ツォンは完璧な目的を持って行動できるようになった。ツォンにとってはその状況がかつてと同様だったからか、非常にやりやすかったのである。
主を守り、それに尽くす。
それはルーファウスが外に出ていた頃も変わらず思っていたことだったが、こうなった今はそれが完璧に確立されたといっていい。神羅カンパニーでそうあったように。
ツォンにとってそれは、ある意味やりがいのある毎日となったが、ルーファウスにとっては少し違っていた。
だって、ベットに横たわりながら過ごす毎日は、喪失感を覚えさせる。
実際に何かを失ったわけではないのに、そう思う。
ツォンを見送って、帰りを迎えて―――その繰り返しの毎日が、ルーファウスを蝕んでいく。ツォンは目的をもち、ルーファウスは目的を失っていく。
それは一見、今まで合致していたものがすれ違っていくようにも思えたが、二人の中の目的はそもそも最初から違っていたのである。
ルーファウスは神羅時代の生活を捨てざるをえなくなり、それに対応するためにも主従関係を壊すことが必要だった。
勿論それまでと同じように命令を繰り出してもツォンはついてくると分かっていたけれど、それはこの世界の中では間違ったことに違いなかったから。
身分も何もない二人が、一緒に同じ場所にいること。その意味を考えれば、それは当然答えとして出てくるものである。
命令するために一緒にいるわけじゃない。
一人で生活できないから、一緒にいるわけじゃない。
側にいたいから、一緒にいる。
側にいたい理由はただ一つ、純粋に、愛情が存在していたから。
だからこそ、ルーファウスにとっては働くことが必要だったのだ。もう自分は何でもない人間なのだから、一人の人間として側にいて欲しいと願うには、フィフティな関係の確立が必要だった。
しかし、ツォンにとっては正反対だったのである。
ツォンは、そもそもがルーファウスに忠実な人間だった。昔からそうだった。いつでも側にいたし、もし関係を強要すればそれはそれで返してくれる、そういう人だった。
けれど関係を強要したつもりは無い。
だからツォンが今側にいてくれることは、ツォンにとっても自然なことだとルーファウスは判断していた。ツォンがそうしたいと思ってそうしたことなのだ、と。
しかし今、そういう理解が少しづつルーファウスの中で薄れていた。
だってツォンは、目的を持ったことで光を増したから。
それが分かっていたから、ルーファウスは喪失感を覚えることになったのである。
必要だったのは、やはりあの頃のような主従関係だったのだろうか――――従わせるものと、従うもの。そういう関係がなければ、いけなかったのだろうか。
好きだと思ったことも、そういう関係の上になりたったものだったとしたら、それはとても悲しいことである。
何もかもを失っても、好きだと思う感情さえあればそれで良いと、側にいれればそれで良いと思っていたのに―――――。
だから、ツォンの帰りを迎えるときのルーファウスは少し悲しい表情を向けることがあった。
しかし、ツォンはそれに対し、優しい表情を向けるだけだった。
だから――――ますます、悲しくなる…。
たったそれだけのことが、喪失感を連れてくる。
たったそれだけのことが、感情の殻を作る。
たったそれだけのことが、愛情を遠ざける。
「どうしました?」
ふっと声をかけられてルーファウスは我に返った。目前には心配そうなツォンの顔がある。
そういえば食事中だったな、そう思ってルーファウスは一応笑顔を作ってみた。ツォンはそれに対し安堵の表情を浮かべたが、それを見たルーファウスは心底悲しくなってしまった。
以前のツォンなら、絶対に今のような偽善の笑顔など通用しなかったのに、今はそれが普通に通ってしまう。そうなってしまったのは、ルーファウスが家に篭りきりになってからのことだった。
そういう表面しか見えなくなってしまった理由は分かっている。
それはきっと、そういう細部を気にすること以上に、今のツォンの中には大切なものがあったから。
ルーファウス自身を見るよりも、ルーファウスとの生活自体に目を向けている。
それはルーファウスを気遣わないということではなく、気遣うからこそ起こることだというのは分かっていた。
今や生活の軸はツォンの仕事にかかっているし、それがなければ成り立たない。それだけが頼りになってしまっているからこそ、ツォンはそれを守ろうとしているのだ。
けれど、そうする裏で何かが薄れていた。喪失していた。
つい――――卑屈な言葉が出てしまうのも、仕方無いことだったかもしれない。
「…楽しいか、外は?」
ポツリ、とそう聞いたルーファウスに、ツォンは不思議そうな顔をする。
ツォンにとっては楽しいとかそういう問題ではなく、それは生活の糧なのだから、その質問は意味が分からないのと同等だった。
ツォンにとっては、それがルーファウスへの愛情ともいえたから。
「心配しなくても大丈夫です。以前言っていたように、今の生活は保障できますから…大丈夫ですよ」
優しい声音でそう言い、食事の手をとめてルーファウスの頬を覆う。しかしそれすらルーファウスにとっては嫌気のさすものだった。何故って、それは違うから。
今の生活のままで良い、そう言い続けていたのは、そういう意味ではない。それすらツォンは理解してくれない。それがルーファウスにはもどかしかった。
ついツォンの手を振り払ってしまうと、ふい、と俯いてしまう。
まるで駄々をこねる子供のようだと思うが、それでも理解してもらえないのは悔しい。好きで一緒にいるのに、それすら意味が違ってきてしまったような感じがしてしまう。
ツォンは、困ったような顔をして、笑った。
「お疲れなんですね」
家に篭りきりなのに、何を疲れるものか。
そう言い返したかったが、それをぐっと堪えて唇を噛む。
「明日になればきっと気分も優れます」
いかにも穏やかな顔をしてそう言い放ったツォンを見て、ルーファウスは眉をひそめた。
「…ツォン。本当にそう思ってるのか。本当に?」
「ええ、体調が優れないのは仕方無いことです」
「……」
全く期待しない答えが返ってきて、ルーファウスは閉口した。まさか此処まで察してくれないこともないだろうと思っていたが、どうやらそれは深刻だったらしい。
ツォンは、この新しい関係に飲み込まれてしまったのだ。それに価値を見出して、それが大切だと判断しているのだ。
ルーファウスの体調はもう既に回復しており、特別悪いところも無い。健康状態は良好だし、外に行って働くことすらできる状態だった。
少し考えればそれくらい分かりそうなものなのに、ツォンはそれをどこかに押し込めてしまったようにルーファウスを病人に仕立ててくる。
あまりにも悔しくて、ルーファウスはこんなことを口にした。
本当は――――タブーであろう言葉を。
「―――結婚でもしたらどうだ」
その言葉に、ツォンは驚いたように目を見開く。
「何…を言ってるんですか」
「神羅にいた頃は出来なかっただろうがな。今なら相手だって見つかるだろ」
「…本気で言っているなら、怒りますよ」
真面目な顔つきになったツォンに向かって、ルーファウスは皮肉に笑って煽動する。
「本気だと言ったら?」
途端、シン、とその場は静まった。
まるで時が止まったような、静けさ。
ピンと張り詰めた緊張感を身体で感じる。
少しして、ガチャン、という音が響いた。それはツォンが手にしていたフォークが床に落ちた音である。
ルーファウスの顔を見つめたままのツォンは、形容しがたい表情をしていた。
憎しみと、悲しみと、空しさと、負の感情を全て入り交えたような――――顔。
「――――貴方はそれで良いんですか」
非常にゆっくりとした口調でそんなふうに問いかけてきたツォンに、ルーファウスはもう一度同じ言葉を返す。
良いと言ったら?、と。
そう答えた瞬間、ルーファウスの手首は強烈な力で引き寄せられた。思わず体勢が崩れると、それを引き摺るように強引な力で上に引っ張られる。
そして、突然のように強く唇が重なる。
咄嗟に歯を食いしばり口を閉ざしたが、それをも強引に割ったツォンの舌は、ルーファウスの口内に侵食し逃げ回る舌を捕らえた。
「ん…っつ!」
抱きしめられている腕の力も相当強く、どんなにもがいても解けそうにない。できるだけの抵抗をし続けたものの、その口付けは長い間強引に続けられる。
息がつまるのでないかという直前まできたとき、やっとそれは開放された。
腕の力が緩んだ瞬間に素早くツォンから離れたルーファウスは、腕で唇を拭うと、押さえきれずに叫びだした。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。
吐き出すように、その声は部屋中に響き渡る。
「ふざけるな!こんなことをして俺が喜ぶとでも思うのか!ツォンは何も分かってない、何も!!」
それに反応してツォンの声が響く。
「じゃあ貴方に何が分かるというんだ!私が何故ここにいると思ってるんだ、貴方が大切だからに決まってるだろう!?」
こんな状況でなければ感動すらできた言葉だったかもしれないが、しかし今の状況はその感情を呼び起こすことは無かった。
いつもならそんな言葉を口にすることのないツォンがそこまで口にしたことは、皮肉にもルーファウスを煽る結果となる。
何故今その言葉が口にできるのか、ルーファウスには全く理解できない。
「大切だと?笑わせるな、そんな言葉は聞きたくない。今…この状況で!どうやってそれを信じろというんだ!?ツォンの考えなんて知るもんか、知りたくもない。どうせツォンが大切に思ってるものなんて俺じゃないに決まってるだろうがっ!!」
「貴方は…っ!」
ツォンは血が上りきった頭でルーファウスの身体を捕らえると、それをそのまま乱暴に床に倒した。
衝撃で身体の節々を打ったルーファウスは痛みに顔を歪め、押さえ込むツォンの力に抗う隙を逃し、結局床に背を押し付けられることになる。
両腕をしっかりと押さえ込まれ、動けない。
すぐ上にあるツォンの顔を思い切り睨んでみたものの、ツォンも既に平常心を失っており、ルーファウスの態度に自制心を働かせるようなことは無かった。
こんなふうに声を荒げあうことも、強引に扱われることも、今までは一度も無かった。そうして強行する必要性など、どこにも有りはしなかったから。
それなのに―――
「私が貴方をどれだけ大切に思っているのか……証明してあげますよ」
歪めた口でそう呟いたツォンは、今までルーファウスが見てきたツォンではなかった。それどころか見たことも無い人間のように思えた。
「やめろ…っ!…くそ、っ!」
ひどく強引に服を剥がされる。じんわりと滲んでくる床の冷たさは、皮膚を通り越して心臓に届くような気がした。
曝け出された肌に、冷たい外気。
その上から乱雑に絡んでくる、指。
優しさも愛情も感じられないくらいに強く吸い付く唇が、肌に転々と跡を残していく。本当ならそれを愛情の証と呼びたかったが、ルーファウスにはそうは思えなかった。
屈辱の跡――――そうとしか思えない。
こんなにも乱雑な抱き方など知らない。そんなものを知りたいわけじゃない。
“大切だという証拠”
それがこんな乱雑なセックスだというのだろうか。
そうだとすれば笑い話にもならないだろうと思う。こんなものでは、感じることすらできない。身体だけでなく心も拒絶している、こんな状況では。
馬鹿らしい。
馬鹿らしい。
ただそれだけを思って、ルーファウスの眼からは悔し涙が零れた。