3rd [PASS]:03
ルーファウスの職場を訪ねてみたが、そこにはもう既にルーファウスの姿はなかった。どこに行ったのか訪ねてみたが、それにも回答はない。
またスーツを着る生活になっていたツォンは、アウェーなその場所で情報がさっぱり収集できないことに落胆する。
汚れのついた服をそのまま着ていたその職場の人間は、スーツ姿のツォンに心を許さなかった。ルーファウスとともに暮らしていた頃もお互いの職場に顔を出したことはなかったし、第三者から見れば「何だか妙な奴が来た」というイメージだったろう。
仕方なくその場を離れて、ツォンは次の予定までの時間を潰した。
今日はこの後、ある会に誘われている。
それはあの男からふられた話だったが、実際にはあのプロジェクト全体の話でもある。やっと始動できる状態になったから、その祝賀会をしようということだった。
祝うも何も、嬉しくも何ともない。しかし立場的に出席は免れられない状況だった。
仕方なく会に参加しようとは思っていたが、気が重い。
参加によって同志と確定されるのは妙な感じである。
時間を潰す間、ツォンはこの間のことを思い返していた。
この間、システムのテスト稼動をした。今はもう完璧に動くようになったし、各町にも機械が導入され準備はほぼ完璧といった感じ。あとは運用中のトラブル排除と微調整、そして何よりデータを作り上げなければならない。
そのあたりは自分の仕事ではなく、ツォンの仕事といえば集積されたデータの詳細分析だとか、その後の管理だった。
それは動きの激しいものではない。変動が激しくないデータだから、それほど機械にへばりつくような状況にはならないだろう。それよりも問題なのは、あの男についていなければならないことだった。
色々話はするが、どれも頭に入らない。大体が世間話だから頭に入らなずとも問題はないのだが、ツォンのプライベートについて色々聞いてくるのは非常に困る事態だった。
過去はとにかく話せないし、日常生活についても詳しくは話したくない。今のところ一人で生活しているとはいえ、ともすればルーファウスのことが口をつきそうになるからだ。
恋人は、と聞かれたことがあったが、その時はさすがに完璧に黙り込んでしまった。
何と答えればいいか分からず、けれど頭にはルーファウスのことが巡る。
恋人を見つければいいと言われれば、忘れられない人がいるからと答えるしかない。しかしそう答えれば今度は、それはどんな人かと聞いてくる。非常に困る。
しかも、一緒にでかける機会が多くなっていた。それは仕事ではなく、本当にささいな用事である。買い物にいくにも、休憩を入れるにも、全て一緒に行動しなければならないのだ。
特にそれほどの決まりがあるわけではなかったが、社長である彼がそう望むのだからそうしないわけにはいかない。
そんな生活は、少し疲れる。
司令室で、背後からルーファウスを抱きしめていた頃とは違う。似て非なるものである。
”あの頃は……”
最近はそんなふうに思うことが多くなった。
比較できるはずがないのに、つい思い出してしまう。そしてあの頃は良かったと、心の奥底どこかで思っている自分がいるのにも気付いていた。
過去は捨てるべきだと分かっているし、受け入れなくてはならない現実があるのも分かっている。今はもうどこを探してもルーファウスは見つからなくて、結局自分は一人でしかないということを承知しなくてはならない。
神羅と比較してしまいそうな組織の中にいて、それに嫌悪を感じようとも、今はその組織に従って生きることこそ「現実」だった。
勿論、手を引くことはできる。
けれど今、側に愛しい人がいなくて、何が心の支えになるだろう――――。
そう思うと、時間を潰しているこの瞬間でさえ、何だか恨めしく思えた。
時間はいつだって足りないもので、とてもとても大切なものだったはずなのに。
適当な時間を潰したツォンは、予定時刻のすこし前に姿を現した。
場所は、あの男の父親――つまりある町の町長が貸切ったというスペースで、これもまた新しく建設したものらしい。
名目は“催事場”ということになっているが、その権限は会社にあり、一般市民は使用が許可されていない。結局これも権力の誇示が理由かと思うと、何もいう気になれない。
広い催事場に着くと、綺麗に並べられたテーブルの一つにツォンは腰を下ろした。
周囲は酒場のようにほんのり暗いが、どうやらわざとそのような雰囲気にしているらしい。
テーブルは5つあり、それぞれに大きめのランプが置かれ、ぼんやりとした光を放っている。テーブルの上に用意された皿には、既に係の者が食事を運んできていた。
ツォンより先に来ていた例の男は、ツォンの席の隣にわざわざ移動してきてから、
「遅かったな」
と笑う。
当初は一緒に来るはずだったのが、どうしてもツォンが出かけたいというので、男は渋々一人で先に来ていたという次第である。
席を移動した際、男は何かを手にしていた。よくよく見るとそれは小さなカードで、どうやら名刺の代わりを果たすものらしい。
そこには、ちゃんと役職と名前が刻まれている。
「フィル」と書かれているが、そんな名前だったのかと今更のように思う。
ほかのテーブルにも何人かの姿があり、例のプロジェクトに関わる人物は大概もう揃っているらしかった。
プロジェクトの中心人物は10人ほど。しかしどうやら他にも外部の人間が招かれているようで、それらの人物がこの企業に関わることは確実だった。
席は大体埋まっていたが、1テーブルだけ空きがある。
「後は誰です?」
ふと横にいる男、フィルにそう聞くと、彼は、
「ウチの父さんがまだなんだ」
と答える。
食事は順調に運び込まれていて、もうすぐにでも会が始まろうという状態である。
それから少し待ったがまだ姿が見えないので、フィルは「始めようか」と声をかけて立ち上がった。彼はすでに社長であって、第一人者なのだ。
立ち上がった彼はスーツをぴっちりと着込んで、余裕のありそうな笑みを漏らした。内容より外見がしっかりしているという感じで、ついツォンは苦笑してしまう。
そのツォンの隣で、フィルは声を張り上げた。
「ではこれから始めようと思う」
何だかんだと挨拶やらが始まり、皆が嬉しそうな顔をして未来などを語ったりする。それを聞き流しながらも、ツォンは周囲を見回していた。
それぞれの挨拶の中で発覚したことだが、プロジェクトの人間以外は、ツォンと同じようにサポート態勢で入ってきた人間らしい。とはいっても、社長付きのツォンからすれば立場は随分と下ということになるが。
ツォンの挨拶の順番になり、仕方なく立ち上がる。
特に笑いもせずに適当な言葉を並べると、一応フィルを立てるような言葉をかけて挨拶を済ます。それに感激したのか、フィルはにやりと笑ったが、それには特別なリアクションは返さなかった。
そのあと食事が始まり、その場からは緊張の欠片もなくなっていった。元々それほど堅苦しい人間の集まりではないから、気をぬくとすぐに和んだ雰囲気になってしまうのだ。まあそれがこの集まりのいいところかもしれないが。
ツォンも何となく食事に手をつけながら、同じテーブルを囲んだ人間と世間話などをしていた。
彼らの話のほとんどは日常の愚痴で、思わず笑ってしまいそうになる。小難しい未来のヴィジョンを語るよりこの方が何倍も良い。
しかし、いずれこうできなくなる日がくるかもしれないことを彼らは気付いているのだろうか。家庭などと言っていられなくなるような日が、来るかもしれないのに。
「あ、父さん!」
ふと隣でフィルが声を上げ、ツォンも思わず顔を上げた。
一瞬場が静まり、フィルの父親である町長が前に歩み出る。その背後にもう一人男の姿があったが、その男は空いていた席に腰をおろした。
町長は、遅れたが、と挨拶を始めた。このプロジェクト原案者の一人で、社長の父親。プロジェクトの時点では、確かに中心にいて指揮をとっていた感もある。フィルが社長なら彼は会長といった感じだ。
その挨拶は特に長くもなく、意外とすぐに終わった。それと同時に一気に先ほどの雰囲気に戻ると、もう既に上下関係は一切無いといった感じである。
町長は自分の息子の姿を見つけると、連れてきた男を従えて、フィルの元へとやってきた。
親子で挨拶か、そう思ってツォンはそれを眺めていたが―――
「…!?」
親子対面が果たされたその瞬間、ツォンは鼓動が止まりそうになった。
「久し振りだな、フィル。ワシも最近忙しくてな…」
「いや、大丈夫さ。俺にはほら、強い味方がいるからさ」
「ああ、そうだったな」
そう言って、町長はツォンを見て笑う。しかし、ツォンはその顔に会釈すら返す余裕がなかった。
だって―――――。
町長の背後、そこに立っていた男が…目に入ってしまったから。
「な…っ」
思わず声を上げてしまうと、町長の背後にいた男がふっと視線をツォンに合わせた。
その男もまた、ツォンの顔を見た瞬間に目を見開く。
まるで、周囲の喧騒が消えてしまったかのような気がした。
空気が薄くて、息ができないような感じがする。
暫く見詰め合ったままだったが、その内町長が陽気な声で「ああ」と言ってその場を切り裂いた。
「紹介が遅れたな。彼がウチの町の管理をしてくれることになった」
そう言って紹介された男は、金髪に碧眼。
どう見てもそれは――――――。
「よろしくお願いします」
そんな言葉を口にして律儀に会釈などをするが、ツォンにはその光景が信じられなかった。だってそれは…どう考えてもルーファウスだったから。
しかし違う名前を紹介されると、知らない振りを返すしかない。そして今度は、フィルが自分とツォンを紹介する番だった。
「そうか、じゃあウチの町の管理は宜しく頼む。俺は社長に就任したフィルだ。こちらはツォン。俺の片腕といっても良い。もし何か分からないことがあったら彼が窓口になるから、何でも聞いてくれ。…とはいっても、まずビルに入る機会も無いだろうがな、君は」
そんなことを言って笑ったりするフィルを横目で睨んだツォンは、すぐにルーファウスに視線を戻した。
ルーファウスの視線はフィルからすっとツォンに移り、そして…。
酷くゆっくりと―――――顔が、笑った。
その笑みは、どこか自信に満ちた笑みだった。
「どうぞ…宜しく」
すっと出された手を、ツォンはただ握り返す。
あまりに久々に…そう2年もの歳月の果てに交わした再会は、どこか冷たくて、どこか熱を帯びている。
身体に纏わりつく空気を取り払って、心だけで接したかったのに、それが許されない再会。
「では、これでな。また後で会おう、フィル」
「ああ、じゃあな、父さん」
その言葉と共に、ツォンとルーファウスの手もすっと離れていった。
町長とルーファウスはそのまま席に戻ったが、ツォンの早い鼓動はおさまることがない。ついルーファウスを見つめてしまうのは仕方無いだろう。
あれほど再会を望んでいた。会いたかった。会いたかった。
そして今、会えた。
でも、こんなのは違うのだ。絶対に、違う。
あの時のことを自覚した心で会いたかったのに、これではまるで逆効果ではないか。
そう思うと心は焦るばかりだった。あのルーファウスの自信に満ちた笑いが頭に焼き付いて離れない。あの瞳でツォンを見て、一体何を思ったか。
裏切り者とでも思ったかもしれない。
そう思うと気が気ではなかった。別に言い訳をしたいわけじゃない。今の状況や、あの頃の生活について、弁解したいわけじゃない。
けれどこれでは…あまりにも惨い。
「ツォン、見たかアイツ」
ふと隣のフィルに声をかけられ、ツォンは慌しく振り返った。
「何でしょう」
「ほら、さっき父さんが連れてきた奴。…何だか気にくわないな。そう思うだろ?」
「え…そ、れは…」
そう言いよどんで、またルーファウスの方へと目を向ける。
するとそれを察知したかのように、ふっとルーファウスの視線がツォンの方へと向いた。そして、またあの…自信に満ちた笑みが、浮かぶ。
「何だよ、あの自信満々の顔。下っ端のくせに」
そう尖った口調で言うフィルの横で、ツォンは何も答えれないままルーファウスの方を見つめていた。
それは違う、だってあの方は。
下っ端などと言われるような人ではない。
世界の頂点に立ったその人のことを、この会場にいる誰も理解してはいなかった。