金曜日:事実と誤解と
目を開けると、視界には丸い月が見えた。
嗚呼…夜か、月が綺麗だなあ…そんなふうに思っているが、何だかその月ときたら妙だった。
デカイ。
デカすぎる。
こんな月ってあるだろうか?
そう思って目をこじ開けて、ルーファウスはそれが月ではないという事実を知った。そう…それは電気だ。何だ、家か。そう思って上体を上げる……が。
「あっててて~」
何だか頭がズキズキする。何故だと思い昨晩のことを思い出そうとしたが、すっかりこんと記憶がぶっ飛んでいた。しかしそれでも唸って記憶を辿ってみると、ふとあることを思い出す。
――――――そうだ、浮気!
やっと思い出したのがそれか、という突っ込みはともかく、そこから考えると昨日は浮気をしたはずである。しかし確か、浮気相手を選んでいたところ、該当者0だった気がしたが、それでも浮気実行できたのだろうか?
ふと周囲を見回すと、どうやら自分はベットの上である。
「ベット…って事はやっぱり浮気済か?」
しかし浮気相手がさっぱり思い出せない。そう、持ち合わせている記憶は浮気相手検索のところまでで、その後がさっぱりないわけである。
此処は自分の家ではないらしいので、ということは相手の家ということになるのだろうが、どうもこの部屋には見覚えがあった。
「おかしい…この配置、この間取り……ん?」
どう考えても知っている。というか、この間取り、自分の家にそっくりなのである。自分の家にそっくりという事はつまり―――――。
「ちょ……と、待て。まさか!?」
まさかな、と思いつつ玄関までパタパタと小走りしてみると、何とそこには。
――――――パスコード付の鍵があるではないか!!!
「って事は。ここってっ!」
ツォン宅(仮)!それしかないではないか!
しかし何故ここにいるのか分からない。昨日は確かに浮気をしたはずであって、ツォンとは喧嘩らしきものの最中で、絶対許さんとまで思っていたわけで…。
そこまで考えてルーファウスは、はた、と思った。思って、床にバタンと倒れこみ頭を抱えた。BGMには運命がかかっている。ジャジャジャジャーン。
「浮気相手ってツォンっっっ!!??」
が―――ん!!!!!!
本物の相手としてどーするっ!?
っていうか、それじゃ浮気になってないじゃないかーっ!!
そう思ってルーファウスはあまりにも相手がいなかった自分を呪った。あれだけ探していなかったからといって、まさかツォンなんて。そんな馬鹿な話があるか。いや、ある。
……勿論それは大きな、非常に大きな勘違いだったが、悲しいかな誰も修正してくれる人はいなかった。何せツォンの姿はどこにもなく、ルーファウスだけがこの家に取り残されているのである。
とてもじゃないが、立ち直れない―――――超絶な落胆に陥ったルーファウスは、とぼとぼとベットの方へと歩いていった。しかし、その落胆も一気に吹き飛ばすようなものが目に入る。
それは、一つの時計。
またもや頭を抱えたルーファウスは、目を見開いて叫んだ。
「うわああ!!!!大遅刻だああああぁ!!!!」
―――――それは、午前11:50の出来事であった。
ソルジャーというのは簡単にはなれない。
これはもう周知の事実であるが、タークスの眼に叶ったジャガーはやはり特別枠な訳である。しかしそれでも唐突にソルジャーにはなれない訳で、こういう場合は簡易試験というのが行われる。
普通の訓練生はこつこつと訓練を積み、それでやっとソルジャー昇格試験を受ける“権利”を得るという何とも険しい道だが、ジャガーの場合はこの簡易試験をパスすればそれだけで昇格試験の権利を得ることができるのだ。
一般訓練生が聞いたら号泣すべき、正に裏口とでもいうべきシステムだろう。
この日、早速のようにその試験が行われており、レノとツォンはそれをじっと見守っていた。
ジャガーの受ける簡易試験に筆記は無い。実技だけである。そんな訳でその実技試験においてジャガーの相手をすることになったのが、新米ソルジャー諸君だった。
その新米ソルジャーVSジャガーという光景を見ながら、こともあろうかレノとツォンは全く別の会話をしていた。
レノの心の中には、「それは酷いぞツォンさん」と「ごめんツォンさん」という、相反する二つの心があった。
ツォンの心の中には、「取引相手はさすがにやばいだろう」と「取引相手だろうと許すまじ」という、これまた相反する二つの心があった。
お互い考えていることがバラバラなのは言うまでもなく、結果、妙な会話が生まれる。
「ツォンさん…昨日、副社長に会ったのかな…と?」
「ああ」
「あ、会ったの…か。って事はつまり…」
昨日の抜け殻ルーファウスはツォンから事実を聞いた結果だと思っていたが、そうではなかった。結局はレノ自身が事実を伝えてしまったわけで、それはやはりレノを後悔させていた。
何て言ってもそれを聞いた後のルーファウスは鬼のようだった。
ある意味、そっちの方がいつもに近いとも思ったが、人間に戻って良かったな、なんて言葉をかけられる状況ではなかったのである。
正に、バーニング。イッツ、バーニング。
「酷い有様だった…」
ふっとそう言ったツォンに、レノはギクリとした。やはり大波浪注意報だったのか。事実を言ったのはヤバかったかと思ったが、その一方ではやはりツォンが悪いとも思う。
「ツォンさんが悪いんだぞ、っと」
「そうかもしれないな…」
「は?」
そこで素直に認められても困る。
「自分がコントロールできないなんて…不覚だ」
「…謝れば?」
「嫌だ」
「はあ!?」
あんた、さっき自分が悪いって認めなかったか!?…レノはそう思った。
しかも「無理」とか「それはちょっと…」とかじゃなく「嫌」とは何だ、「嫌」とは。
そんな会話の合間にも、新米ソルジャーとジャガーの戦いは続いていた。時々「ぎゃあ~」とか「いた~い」とか、いかにも緊張感の無い声が響いている。それは勿論ジャガーの声だったが、その割にジャガーが優勢だった。
「この野郎!まだやるのかっ!」
何度叩いても起き上がってくるジャガーに、新米ソルジャーは目を細めてそう叫ぶ。そんな彼はかなり呼吸が荒く、とても疲れているのが分かる。
「やりますぅ~。こういうのは得意なんですぅ~!」
ぽわ~っと笑うジャガーは全く息が切れていない。しかもジャガーの剣の動きは、まるで鍬の如くだった。土地を耕してきた彼を甘く見てはいけない。
「この~!起き上がりこぶしめ~っ!」
「美味し~いジャガイモ作りま~す」
それぞれに気合の言葉を上げながらビュッと飛び、剣がカシャン、などと響く。正に男の戦い、真の戦い!
しかしそんな二人の側で、タークス二人組はまだ違う会話をしていた。
「ツォンさん。はっきり言って俺はツォンさんがそんな事をするとは思ってなかった。ちょっと残念だったんだぞ、っと。っていうか、かなり残念」
「はあ…確かにあれは…。だが、今更もう…」
レノは、ツォンの肩にポン、と手を置いてこう言う。
「じゃあこうしよう!イリーナにキッパリ言う!」
ルーファウスに謝れないというなら、反対にイリーナに「間違いでした」と言えばちょっとはマトモな展開ではないか。レノはナイスアイディアといわんばかりに得意になる。
しかし、その言葉にツォンは「は?」と切り替えした。
「何でそこでイリーナが出てくる?」
「は?何でってそりゃ…このままグチャグチャしてても何だかスッとしないっていうか、俺のほうがイライラするっていうか…」
「うむ…確かにこのままではスッキリしないな」
「だろ?」
「じゃあ、行ってくる」
「ほい、行ってらっしゃい~……って。い、今から!?」
「後は頼んだぞ、レノ」
「え、ツォンさん!」
どうやらジャガーの簡易試験の判断はレノに任せる、ということらしい。それはともかくとして、今すぐ実行とはこれまたいかに。
とはいえ、これで少しでも緩和するならそれでも良いかもしれない。
こういうとき、自分は何て天使のように優しいのだろうとレノは思う。そう、それなら余った産地直送ジャガイモをツォンにも少し分けてやろうという気にもなる。
が、そんな天使のような心持ちのレノに向かって、去ろうとしていたツォンが思い出したようにこう告げた。
「そうだ、レノ。お前、勘違いもほどほどにしろよ」
「え?」
「イリーナで思い出した。お前が思ってるようなことは、無い」
そこまで言ってツォンはサクッと去っていった。残されたレノは一瞬にして頭が混乱する。何せレノとしては今までその話をしていたのだから。
――――じゃあ、どこに行くっていうんだ!?
そう思ったレノだったが、もう既にそれを言う相手は去っていたのだった。レノの背後では「くわああ!」とか「ぎょえええ」だとかの奇妙な声が、それはもう長く長く響いていた。
その頃ルーファウスは、すっかり午後から勤務になってしまった事に溜息をついていた。浮気云々の話はともかくとして、何で起こしてくれなかったんだ!という事で今度は溜息をついていたのである。
とはいっても、今をトキメク神羅の副社長である彼を、誰も責めやしなかった。そんなことはもう既に分かっていたので、何だかんだいって自分の家(注:隣)に戻り、しっかりシャワーを浴び、パソコンを弄ったりなどした後に出勤した次第である。
唯一心配らしきものをしてくれていたらしい秘書の彼は、ルーファウスが一応、真っ当な人間に戻ったことに安堵し、そうして例によって例の話を持ち出した。
「あの…この前の件ですけど…」
「何だ、この前の件ってのは」
「いや、ですから。恋人と仲直りしようというビックな企画です」
「…はあ…それ。今、言うな。かなりこう、ズキンとくるから」
「えっ!って事は…やはり…ミッション失敗??」
ガーン、とショックを隠し切れなかった秘書は、そのままとぼとぼと副社長室を去ていく。そんな彼をよそに、ルーファウスは既に一人の世界に入っていた。
ザ・浮気。
それがまさかこんな事態になろうとは。
というか、昨夜ツォンと一体どんな会話をしたのだろうか。もしかしたら「ごめん」を言ったのだろうか。いや、そうは考えられない。何せ昨日そんな決意をしたのはツォンが原因なのだ。とするとやはり喧嘩となってしまったのだろうか。
でも喧嘩をしておいてベットとは一体―――――?
そこまで考えて、ルーファウスは愕然とした。もしや…もしやそれは!
「ゴウカン…!!?」
ルーファウスの想像はこうだった。
『浮気するだなんて何事だ!』
『何を言いますやら。元はといえば貴方がいけないんでしょう』
『うるさい!それよりも浮気の方が重罪だ!最低だ!酷い!訴えてやる!』
『ちっ。うるさいな』
ガバッ
『あっ!何する、やめろっ』
『ふん。言って分からないなら身体に教え込ませるまでだ』
『ばっ…、そんな手にはまるもんか!』
『ふふ…』
『や、やだああぁ!』
蒼褪めたルーファウスは、真面目にこう呟く。
「そんな事実だったなんて…!」
違うから、と突っ込みたい。
「ツォンめ。何て鬼畜な奴」
誰かさんの想像の方がよほど鬼畜である。
しかしそんな鬼畜ナイズされた想像でルーファウスが蒼褪めているのも一瞬の話だった。何故なら、電話がかかってきたからである。
事実についてもっと悩みたいというのに、全くもってフトドキなその電話を、ルーファウスは渋々取るしかなかった。
電話の相手はどうやら、実は昨日ルーファウスが浮気相手に選んだ相手のようだった。しかし当然ながらルーファウスはそれを覚えていない。
『もしもし。あ、ええと…昨日は大変でしたね』
「は、昨日?何の話だ」
『え!まさか…覚えてないんです…か?あの、昨日は私も混乱を…』
「悪いが今忙しいんだ。そんな呑気な世間話なら来週にしてくれないか」
『ええっ!そんな、でも…!』
ガチャン。
悲しいかな、何も記憶の無いルーファウスを前に、彼の商談は芽も出さずに終了してしまう。
電話の向こうの彼にしてみれば正に悲劇である。昨日の話を無かった事にするべく言葉に気遣ったというのにそれさえ世間話などといわれ、更には商談を商談とも思ってもらえないのだ。
しかも昨日、かなりの泥酔ぶりを見せていたルーファウスのせいで渋い店の渋い酒代を全額払った彼としては、それを請求できないというのも悲しい事実である。…正に渋い。
そんな事とは知りもせず、ルーファウスは事実追求の続きをしていた。
「ツォンは怒ったままだった。だから俺を起こさず出社…なるほど。って事はどうだ。ごめんを言おうと思ってたけど、そこにツォンが浮気をし、俺も浮気しようと思ったのに何でかツォンにヤられ……って、ええ!?じゃあ俺はごめんと言ったら良いのか怒ったらいいのか分からないじゃないか!!」
どうしたら良いんだ!…ルーファウスはやはり頭を抱える。
このままツォンと会わずにいるというのも出来ないことだし、元はといえば仲直りをしたかったはずなのだ。
「ああ…もう、分かんない…」
はあ、と大きな溜息をつき、ルーファウスはデスクの上に伏せる。分からないのも当然である。何せ事実はとんでもなく違うのだから。
レノの言葉によって即実行をすべくルーファウスの元に向かっていたツォンは、その途中でかかってきた電話によって足止めを食らっていた。
電話の相手は、例の管理人である。中間報告でもするのか、と思いきや、それはどうやら違う報告だった。本当ならば、一番望んでいたはずの報告だったのである。
まさかこんな早くに、そう思ったが不動産屋は嬉々としてツォンに報告をしてきた。
『良かったね、アンタ!もうすっかり問題なく住めるってな話だよ』
「一週間ではなかったのか?」
最初に住めないと報告を受けたときは酷く腹立たしかったというのに、何故かツォンの心はポッカリと穴が開いたようだった。
早すぎる、と思う。いきなりもう大丈夫だと言われても、この状況から考えてそれは気が進まない現実だった。
『何でえ、嬉しくねえのかい?』
「…いや」
とにかく一度目を通してくれというので、とりあえずは肯定の意を返しておく。そうして電話を切ったものの、何だか妙に心が晴れないのはどうしようもないことだった。
「…行くか」
本当ならルーファウスの元に言って、昨日の話についてするつもりだったが――――。
ツォンは方向転換すると、ゆっくりと神羅を出ていった。
タークス本部では、レノが唖然としていた。
今レノの目前には、えぐえぐと泣くイリーナの姿がある。因みに昨日、イリーナは出勤してこなかった。そんな訳だから、あの夜以来である。
ジャガーの簡易試験に、どうでも良いようにOKを出したレノは、ショックで愕然とする新米ソルジャーにサックリ「おつかれ」と言って此処まで戻ってきた。
…そして、この事態である。
「レノ先輩~!もう駄目です~!」
「な、何がだ」
さっぱり訳が分からない。此処に帰ってきたときには、ルードを目の前にしてイリーナはもう既にわんわん泣いていた。因みにルードがとてつもなく困り果てていたのは言うまでもない。
「折角いい雰囲気だったんですぅ!なのに、なのにっ!」
どうやら一昨日のツォンとの事らしい。そうと分かれば少し引っかかることだし、思わずレノは話の催促などをした。
「主任の胸に頬、ぺたーっとやりながら、ああ幸せ~とか思ってて、思わず目を閉じたら一気に酔いが回って、それからそれから…えぐっ」
「それから…!?」
そこまできてイリーナの泣き声はマックスになった。
「吐いちゃったんですーっっ!!!!」
うわーん、もう顔を合わせられな~い、などと言って泣き喚くイリーナを、レノはポカンと見つめるしかなかった。
ツォンが家に戻らなかったのは、その処理をしていたからだという事実を、その時初めて知ったレノとルードである。
そして。
「や…やばいぞ、っと」
レノが蒼白になったのも当然だった。