04:三か月ぶりの食事
その日の午後九時、ルーファウスとツォンはあるレストランに足を向けた。
ミッドガルの中でも人気の高いそのレストランは、曇りガラスで店内が見えないようになっている上に完璧な敷居があり、それぞれのテーブルが孤立している。
蛍光灯は使わずにオイルランプと蝋燭だけが唯一の明かりというあたりも人気の秘密で、雰囲気を重視する人には絶大な支持を得ているのだとかいう。
二人にとってはそれほど懇意にしている店というわけではなかったが、それでも初めての来訪ではない。過去一度来たときにはその雰囲気に心が動いたし、また来ようとも話していた。
しかしまさかその“今度”が、こんなに間隔の開いた後だとは思ってもみなかった。
思えば過去一度訪れたあの時から、既に半年は経っている。
「ご無沙汰しております。どうぞこちらへ」
店に入ると、店員は予約もしていないのにそんなふうに言った。
顔を覚えているのだか分からないが、半年前に一度ぎり来た客にそういう言葉をかけられるとはさすがに人気店だけはある。
二人が通されたのは奥の方のテーブルで、一際ついたての背丈が高くなっていた。
まさか関係を知っているわけでもあるまいに、しかしそれは二人にとって有難い気遣いに違いない。
取り敢えずその気遣いに感謝しつつテーブルに着くと、二人はそれぞれのオーダーを済ませた。まずは軽いアルコールから、そう思って口にしたアルコールの名称は、まずは、というのには強すぎるきらいの酒である。
今日はそれも仕方ない、ルーファウスはそう思う。
だって、酔えない酒など酒ではない。
もし酔わなくても良いのであれば、酒など飲まなくても良いのだ。
此処で酒を飲むのは雰囲気云々というよりもきっと、アルコールに酔う為なのだろう。尤も、かつて来た時には幸せと共に酔うためのアルコールだった。
今この瞬間、かつてと同じように幸せの付随があるかどうか…それは分からない。
「久しぶりですね」
注文品が来て数分、ツォンはそんな言葉を放つ。
「ああ、此処は半年振りだな」
「いえ、それではなくて…貴方とこうして食事をすることが久々だと思ったんです」
「ああ…そうか、そうだったな」
不意打ちを食らったかのような言葉に慌ててフォローを入れたルーファウスは、くしゃりと髪をかきあげながらアルコールを流し込む。
ツォンと二人きりの食事など、どれくらい振りだろうか。
多分それほど経ってはいないのだろうが、気持ち的には随分と経っているような気がする。
確か3ヶ月ほど前に共に食事をした気がするが、それ以降は神羅で会うばかりで二人きりの時間は取っていない。
―――――尤も、その三ヶ月前の食事というのは最悪だった。
思い出すのも嫌になるくらい、どうしようもない食事。
最高級の食材を使った料理もその時には気味が悪いものにしか見えず、支払いはしたものの結局口はつけなかった記憶がある。
余程勿体無いことをしたと思うが、それでも仕方がない。だってあの日は、あの出来事の数日後だったから。
「私がこんな事を言うのもおかしな事ですが…―――元気にしていましたか?」
「……」
「気に懸かっていたんです、ずっと。貴方にはもう私など必要ないのじゃないかと思って…きっと、貴方は私を許してはくれないだろうから」
「……」
「けれど安心しました。今日こうして一緒に食事に来てくれて…本当に嬉しかった」
朗読でもするかのように淡々と紡がれるツォンの言葉は、ルーファウスの脳をやけに刺激した。
アルコールグラスを持つ手から力が抜けてしまいそうになるのを必死に押さえていたルーファウスは、繰り出されるツォンの言葉にそっと目を伏せる。そして、ぐちゃぐちゃになる思考を必死に纏めようと努力した。
まず第一に、自分はツォンを愛している。それは変わりのない気持ちだと思う。
でも、許せない。
ツォンが言うように自分はこの目前の男を未だに許せなくて、それだから愛している気持ちすら曖昧になってしまっているのである。
もしあの出来事を全て消し去ることができるなら、愛している気持ちだけを引き連れてその胸に飛び込めるのに、今はもうそう出来ない。
気持ちはあっても、それは容易でなくなってしまったのである。
だってツォンは―――――裏切ったのだ。
あれほど愛していると囁いて、あれほど熱い体を絡めあったのに、ツォンはそれを裏切ったのである。だから、許せない。
誰も頼る人間がいなくて、ツォンしか心を許せる相手がいなくて、だから必死に手を差し出したのに、ルーファウスがそのSOSを出した時、ツォンはその手を振り払ったのである。
愛している。
確かに愛しているのに。
それでも、今でも尚―――――その裏切りを許せないでいる。
苦しいくらいに。
「―――お前はどうしてた。この三ヶ月、私と会わずに何をしてたんだ。別に繁忙期でもなかっただろう」
「そ…う、ですね」
一瞬驚いたような顔をしたツォンは、取り繕うような笑顔を浮かべてそんなふうに答えた。それは何となく不信感を与える笑顔で、ルーファウスは思わず表情を崩す。
何となく、あの出来事があった夜を思い出した。
“どこに居たんだ、ツォン…どうして電話にも出ない…”
“すみません、わ…たしは…”
「……あの女とは、もう縁を切ったんだろう?」
ふと、ルーファウスはそんな言葉を口にした。
こんなことを口に出すのは何だか悔しい気がしたが、それでも気になっていないといったら嘘になる。
本当は、「縁を切ったのか?」と疑問系で聞きたかった。
しかしそれを半断定的に「切ったんだろう」と口にしたのは、そうあって欲しいという願いと、そうでなかったら遣り切れないという逃げからである。
「まさかまだ会っているなんて事は無いだろう?…だってあの時お前は言ったんだ、もうあの女とは縁を切るんだと。私はそれを信じてきた。それは…間違ってはいないだろう?」
「そ…う、ですね」
歯切れの悪いその返答が、何となくルーファウスの胸をかき乱す。
折角三ヶ月ぶりの食事なのに良好な雰囲気が保てなくて、ルーファウスはそれが妙に辛かった。それにも増して辛かったのは、信じてきたと言った割に信じていない自分がいたことだろうか。
もし本心からツォンの言葉を信じていたら、こんなふうに聞くことすらしなかったろう。それをわざわざ聞くということはつまり、心のどこかで疑いが晴れていない証拠である。
しかしこの状況では、勿論ツォンにも非はあるといって良い。
例え疑いの言葉をかけられたとしても、完璧に否定できれば問題などないのである。たった少しの隙さえもなく「会っていない」と言ってしまえばそれまでなのだから。
けれど、そうは出来ない。
それはツォンという人間が擁している優しさが生む、悲劇ともいうべきものだった。悲しむべきは、ツォンを悲劇に誘うだけではなく周囲をも残酷に突き落としてしまうという事実である。
だけれどそれは、まだ明るみには出ていない。
そう…オイルランプと蝋燭だけが唯一の明かりであるこの店では、全ては見えてはこないのである。
「…悪かった、もうこの話題はやめよう。食事が不味くなるしな。折角久々にこの店に来たんだし、今日は存――――」
「ルーファウス様」
言葉を遮ってそう響いたツォンの声は、ルーファウスの動きをぴたりと止める。
テーブルに落とされていたルーファウスの視線はすっとツォンに移り、どんなに愛しているか知れない漆黒の瞳を捕らえる。
ツォンの目は、ルーファウスをじっと見つめていた。