52:来訪者
どうもツォンの事ばかりが頭を巡る。
命に勝るものなど無いと言うが、今のルーファウスに関して言えばそれは当てはまらない。
むしろこの憂鬱が晴れるならば命など差し出しても良いのではないかと思うくらいの気概である。
“私に出来る最後の事だから”
「…最後」
今日が終わったら―――――ツォンは本当の他人になる。
マリアと一緒になり、やがて子が産まれ、ツォンは見ず知らずの家庭を築く。
今まで考えもしなかった事だが、それでも彼は誰かの夫となり誰かの父親になるのである。
そうなったとき、自分はどんな立場になるのだろうか。
惨めには違いないが、同じ神羅という会社にいる以上は顔を合わせることもあるだろうし、話をする機会もあるだろう。
そんな時に自分は、どんな立場になるのか。
ルーファウスはそんな事を思い、ゆっくりと首を横に振った。
違う、分かっている。
立場なんて分かっているのだ、最初から。
上司と部下―――――それでしかないではないか。
今迄そうであったように、単にそれが続いていくだけ。それだけの話である。
今迄どんなに恋仲であったとしても、それは世間の目には見えはしなかった。
無論レノのような事情を知る人間は例外としても、基本的に二人の間柄を知る人間などいなかったのだから、結局表面上は何も変わっていないのである。
何も…そう、変わっていない。
「こんなに…変わったのに…?」
ルーファウスはもう一度首を横にふるふると動かすと、諦めを携えた表情でそっと笑った。
何と馬鹿らしい現実なのだろうか、これは。そうとしか思えない。
マリアと身を固める予定であるツォンは、世間からすれば確実に変わる。つまり、マリアを選んだ未来の場合は目に見えて何かが変わるという事である。
それであるのに、仮に自分を選んだ未来というのを考えると、そこには何も目に見えるような変化がないのだ。
そうだ―――――結局、変わることなどない。
膝を抱えるあの幼稚な癖も結局変わらずじまいで、自分はずっと同じ場所を螺旋のように歩いていただけなのかもしれない。いつか何かが変わると、惨めに信じながら。
むしろ、今日のパーティで何かしらのアクシデントが起こり、自分が恐ろしい局面に出くわすとしたら、その方が何倍も目に見えて変われるのかもしれない。そう思うと何と皮肉なのだろうかと思わざるを得ない。
でも、それでも―――――今日が終わったら。
何かは、確実に崩れてしまうのだろう。
いや、実際にはもう崩れているのだろうが、今日を終えることで細くなりすぎた綱がプツリと切れ、それはもう元に戻ることがなくなるのだ。
そんな事を考えていた折、トントン、とドアがノックされる。
はっとして慌てて「はい」と返答すると、ドアの向こうから独特な歩き方をする男がやって来た。
「よっ」
「…レノ」
何ていう時に登場するのだろう、そう思ってルーファウスは苦笑してしまう。まるでHOTEL VERRYの1022号室みたいだ、とも思う。
辛い心持の時に傍にいてくれる、そんな存在。
尤も、レノの来訪理由は心の穴埋めなどではなく、もっと違うものだったが。
「とうとう来たな、今日」
「ああ」
端的にそう返答するルーファウスに、レノは手にしていたナイトスティックでトントンと肩を鳴らすと、
「悪党の好き勝手にはさせないから」
そう強い語調で言い放った。
自ら護衛を頼んだルーファウスにしてみれば、それは非常に心強い言葉である。
しかし先ほどまでの思考からすれば、自分の身に降りかかる何がしかについて最も心に痛いのはツォンの事だろう。
とはいえ、まさかそんな事は口に出来ない。何しろ相手はレノだし、護衛を頼んだのは他でもない自分なのだ。
しかし、そんなルーファウスにレノは意外なことを口にする。
「因みに。悪党ってのは副社長にとっての悪党だけじゃないから。俺にとっての悪党にも、勿論好き勝手はさせない」
「え…?」
首を傾げるようにするルーファウスに、レノは「分かるだろ?」などと言って笑った。そしてその次には、核心に迫る言葉を吐く。
「俺の勘だと、今日ってツォンさんもパーティ会場に来るんじゃないの」
「な…」
どうしてそれを―――――?
そう驚いたルーファウスは、そのリアクションのすぐ後にハッとして焦ったような声を出す。
そうだ、レノは知らないのだ。
確かにツォンは今日のパーティに参加する格好になっている。しかしレノは、それがツォンからの頼みだということを知らない。
今しがたのリアクションでレノは悟ってしまっただろう、今日のパーティにツォンも来るというのが確定事項だということに。
もしレノがそのツォンの行動をルーファウスからの要請だと思っているようならば、自分はレノを信用していないことになってしまう。しかし、実際にはそういうわけじゃない。
「ツォンから…そう、進言されたんだ。別にレノを信用してないわけじゃない。そうじゃなくて、ただ…」
「分かってるよ」
レノはラフに手を上げると、別に困らせる為の質問じゃないと、そんなことを口にする。
そう言われてルーファウスは思わずホッとしたものだが、そうした瞬間に何か罪悪感めいたものを覚えた。一体何に安堵するというのだろうか。
「俺がしくじってヒントあげちゃったから。ま、言ってみりゃ自業自得ってヤツ。タークス主任にしか出来ないコト頼んだら、結果おあずけで逃走されちゃってさ。酷いだろ、ツォンさん」
「どういう事だ?」
「つまりさ、タークスの情報網がありゃ、ある程度あちらさんの特定が出来るんじゃないかって思ってたわけだ」
レノは、ツォンに掛け合ったがそのまま情報は得られなかったと言った。しかもその掛け合いの際に、パーティの護衛任務をすることになっている旨も伝えたのだという。
要するにレノは自身の情報をツォンに明け渡すことになり、引き換えとして得ようとしていた情報は結果的に一切得ることができなかったというわけである。