STRAY PIECE(60)【ツォンルー】

*STRAY PIECE

60:潜入

  

 

 

「すみません、マダム」

眼前のメイドが申し訳なさそうにそう言って頭を下げてくるのを、マリアは悠然と笑いながら躱す。

マダムなどと呼ばれる身分ではないのだが、此処はそれを貫き通さねばならないから、あくまで態度はそれらしく。そう思ってマダムを演じる。

「おかげで助かりました。片づけを手伝ってくださるなんて、マダムは素敵な方でいらっしゃいますね」

「そんなこと無いわ、気にしないで」

そこは、神羅邸のキッチンルームだった。

普通の家庭では見られないほどの広さと設備は、いかに彼らが裕福かを語っているようである。

しかしどれほど裕福であっても、彼ら自身はこのキッチンを使うことはない。いや、もしかするとこのルームに入ったことすらないのかもしれない。

正装をしたマリアの前にいるメイドは、先ほど空輸されてきた料理一式を落下させてしまい、その片付けに勤しんでいる。

どうやら一旦このキッチンルームで整えてから会場に運び込むようで、キッチンルームの中には信じられない量の料理が待機している状態だ。

「大変なのね。いつもこんななの?」

「いえ、今日はパーティですから特別なんです。いつもはまだ簡素ですよ。といっても自分の家とは比べ物にならないですけどね。…あ、ごめんなさい。お喋りが過ぎてしまいました」

メイドはからっと笑いながらそんな事を言うと、こんな家庭に生まれてみたかったですけど私などは無縁です、と加えて再度笑う。それを聞いて、マリアも少し笑った。

―――――こんな家庭に生まれてみたかった、そう言うけれど。

エリートに憧憬していたマリアには、メイドの口にした言葉の意味が良く分かる。

眼前のメイドは気づいてはいないだろう、マリアがCLUB ROSEで男の相手をしている女であることなど。彼女の目にはマリアがマダムと映っているのだからそれは仕方ない。

しかし実際は、眼前のメイド以上にそういったものに憧れ続けてきた人間なのである。それに憧れ、手に入れるという目的を持つことでしか自分を保てなかった人間なのである。

そんな自分だったから、マリアは今此処にいるのだ。

過ちの撤回は出来ないけれど、せめて自分にできる最大限の、それに類することをしようと思って。

「最後まで手伝いたいけど…私、そろそろ会場に行かなくちゃ。ごめんなさい」

「いえいえ、良いんですよ。廊下を出てすぐに部屋があります。その部屋を通ると次のドアが会場に続いていますから、どうぞそこをお通り下さい。正面から入りなおすのはご面倒でしょうから」

「ええ、ありがとう」

マリアはにっこりと笑うと、メイドに礼を言ってその場を後にする。

ひんやりとした廊下に出て一息つくと、マリアはそっと胸に手を当て呼吸を整えた。心臓は少し鼓動が早まっているようで、今もまだ正常な脈拍に戻っていない。

―――――彼女には悪いけど、ラッキーだった。

そう思う。

彼女があのアクシデントを起こしてくれたお陰で、見詰めるだけでなかなか入るタイミングが掴めなかった神羅邸に侵入することが出来た。

ツォンを尾行しパーティ開始までずっと見張っていた神羅邸は、常に警備らしき男が玄関口に立っており、招待されていない身分ではとても通り抜け不可能な状態だったのである。

だから、ずっと迷っていた。どうやって入ろうか、そのタイミングを伺っていたのである。

メイドの彼女が料理を落下させた瞬間、今だ、と思った。

それは裏庭での出来事だったから、正面で仁王立ちしている警備もすぐには回ってくることが出来ない。要するに、神羅邸の広さが功を奏したわけである。

咄嗟に走り抜けてそこまで向かったマリアは、やがて来るであろう警備を避けるために、すぐさまメイドを手伝う振りをして裏口からキッチンルームに入り込んだのだ。

まさか裏口が存在しているだなんて思いもしなかったが、こうして空輸されてくるものを運びこむために裏口が作られたらしいことを考えると、神羅がVIPであることに感謝しなければならないと思う。

「…行かなくちゃ」

マリアは何度か深呼吸すると、メイドに言われた通り正面のドアを開けて部屋に入り込む。

どうやらその部屋はメイドやコックが休憩するための部屋らしく、それらしい服や荷物が隅々に置かれていた。何となく安心する。

そのまた正面にはやはりドアがあり、それが会場へ続くドアらしかった。

あのドアを抜けたら、そこからは―――――…。

「見つけなくちゃ…」

どこかに潜んでいるであろう兄を見つけ出して、何としてでも悪事を止めなくては。そう思ってマリアは唇をかみ締める。

これは自己満足に過ぎないかもしれないし、出すぎた真似でもあるだろう。ツォンだってこれを知ったら激怒するに違いない。

しかしそれであっても、これはマリアにとってやらなくてはならない事だった。

“どうか…幸せに”

そう言ったあの日のルーファウスの姿を思い出す。

あの人は―――――…。

「……」

思い出しただけで呼吸が苦しくなるような気がする。

思わず胸をギュッと掴むと、マリアはいつの間にか滲んでいた手のひらの汗をそのままにドアノブを握りこんだ。

そして、それをゆっくりと捻る。

「……え?」

しかし、そうした瞬間に視界の隅を何かが横切り、マリアは思わず動きを止める。

何だろう、そう思ってその物体を確認するべく視線を動かす―――――、と。

「!!」

視界の隅、それはその部屋の窓から見える裏庭の風景。

裏口周辺だからか、正面入口の広大な庭の風景とはまるで違い、窓のすぐ近くは木々が生い茂っていた。恐らく建物と木々との間は1メートルあるかないかくらいの幅だろう。

それなのに、そこには人影がある。

そんな狭い空間に、まるで人目を阻むかのようにひっそりと佇む人影。

それは―――――その人影は…。

「う…そ…何で…」

ドアノブを手にしたまま、マリアはその人影から目を離せないまま愕然とした。

だって、その人影には見覚えがある。その人影を知っている。

でも、何故―――――?

「な…んで、“あなた”なの…?」

 

  

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