11:CHILDISH 救済された心
『自分自身を回復しろ』
その一言は、幼心に酷く心に突き刺さった。
戦場の匂いを漂わせたセフィロスが、たった一言だけ口にしたその言葉。
回復マテリアを手に、セフィロスはそんなことを言ったのだ。
それは多分、普通ならどういう意味か理解できないだろう言葉だったが、ルーファウスには瞬時にして理解できた。
回復するのは、身体的な傷などではない。
心の奥深くにできた、傷―――。
勿論、マテリアで回復できるようなものではなかったが、セフィロスは敢えてその言葉を口にしたのだ。
その時セフィロスがどういう心境でそう言ったのかは分からなかったが、多分ルーファウスの置かれた状況や、家庭環境などについての一切を予測して言ったことなのだろう。
それまで誰一人として、そんなふうに明らかにしてはくれなかった。
心の奥深くに燻っている気持ちや不安や渇望を、誰一人として見抜きはしなかった。
というよりそれは、見てみぬ振りをしてきたという方が正しいのかもしれない。周囲の大人たちが、そういった子供心を察知できないはずはない。
それでもその大人たちは、何か愛情のある言葉をかけてはくれなかったし、だからそれはそれで仕方無いことだと思っていた。
何かを求める事は愚かな事だと、自覚するしかなかった。
その頃からもう、愛情などという言葉は切り捨てたのかもしれない。切り捨てたというよりか、そんなものは最初からなかったというのが現実だったのか。
だから――――――。
その言葉は唯一の救いだった。
自分の本当の心を理解してくれる人だと、思った。
本当はずっと寂しいと思っていたのに、それをまるで最初から感じていないかのように心の底に押し込めていた。
そんなことは感じない。
そんな寂しさなど、必要ない。
そんなふうに。
だから、欲しかった――――たった一人…自分を救ってくれた、男を。
朝と、昼と、夜と――――。
無常に過ぎ去っていく、時間。
電灯の一つも点けられないまま、暗い部屋の中にルーファウスは座っていた。
空気は淀んでいる。
何かものを考えようとは思えなかった。というより、そんな事はどうでも良かったのだ。こうなってしまった今ではもう、何もかもが意味の無いことだった。
今までずっと押し込めてきた感情とそれに対する自分の悪あがきは、途方もない結果を生み出し、こうして自分に返ってくる。
最初から、望まなければ良かったのだ。
それは、やはりただの我侭だったのだ。
たった一つでさえ、望む事は―――。
決められたレールを、決められた歩幅で歩く…それだけがルーファウスに許された事だったのかもしれない。こうして少しでもはみ出せば、全てが崩れてしまうのだから。
「どうして私を選んだのですか?」
その声に、ルーファウスの視点がやっと正常に戻る。
その視線の先には、ツォンが立っていた。
何だかもう長い事その姿を見ているような気がするが、実際どのくらいの時間が流れているのかルーファウスには分からなかった。
分かっているのは、もう何度か朝と夜が流れているという事。それから此処がツォンの自室という事。そして、命を失いかけたあの夜以降、何度となくツォンに抱かれたという事実だけである。
ツォンは、今や正気かどうかも分からないルーファウスの姿を目にしながら、一本の煙草に火を点けてそう聞く。
ルーファウスの視点は正常に物の動きを捉えていたが、その感覚や思考は最早、自分ではコントロールが不可能な状態だった。
だからなのか、その言葉の意味すら良く理解できず、首を傾げる。
「…知らない」
「そんなはずは無いでしょう?」
本当に何も覚えていないかのような顔を見せるルーファウスに、ツォンは追い討ちをかけるようにそう言う。だが、実際に分かっていないのだという事は容易に予想がついていた。
あの夜…この部屋に鍵をかけた、あの夜。
ルーファウスの首筋に手をかけて、呼吸が止まるその寸前で、ツォンはそれを解放した。正に死の淵だったろう。だが、それでも殺すなどというのは間違っており、それはツォンにしてみれば最大の制裁方法だった。
極限状態でやっとルーファウスが口にした名前。それこそがツォンの聞きたい事であり、それはちゃんとルーファウスの口から語られなければならないものでもあった。
それが目前の自分ではないということを、しっかりと突きつけてやらねばならない。そうしなければ、罪悪というものを感じないのだろうから。
しかし結果は、良し悪しの区別が難しいものだった。
「私なら、何をしても傷つかないとでも思いましたか?」
「……思ってない、そんな事」
ツォンはその言葉に少し笑った。
「私じゃなくとも、他の誰でも良かったんですよね、貴方は」
そもそも、そこに理由など存在する方がおかしいのだ。だからルーファウスはあの夜も答えられなかったに違いない。
けれど―――その事実すら腹が立つ。
望むのは、あの男一人。
そしてその代役のように選ばれたツォンは、それでも特別な位置ではなかったというのだから。
別段、本気などでは無かった。
たかが身体の関係だけで、心が囚われるような事は無いと思っていた。けれどその裏に隠された事実はあまりにも酷で、そういった柵がいつの間にか全てを狂わせていたのかもしれない。
ツォンはゆっくりとルーファウスに近付くと、煙を含んだまま、唇を重ねた。
その口付けに、悪意は無い。
「貴方は本当に可哀想で、無性に腹が立ちますよ」
至近距離でそんな言葉を吐き出してから、乱れたまま直されもしない金髪を掬い上げる。
蒼い瞳が真っ直ぐにツォンに投げかけられていたが、それはもう意思を感じさせないものに変わっていた。
――――“今”の貴方は、何が望みですか?
「私の勝ちですよ、ルーファウス様」
新しいものなど、もう欲しがる必要は無いのです。
貴方が欲しいと思うものは、あの男では与えられないのだから。
それは、あの男が望まない事だから仕方無い。
今の貴方はもう、あの夜までの貴方じゃない。
だから―――ほら、貴方の心はもう、期待すらしていないでしょう?
貴方の心にはもう、あの男の存在など無い。
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