04:CHAIN 囚われ人の鎖
幼い頃の記憶がある。
それは、年齢の割には重い記憶。
―――“その男”。
誰もがその男を尊敬していた。
誰もがその男に近付けなかった。
だが、ルーファウスだけは違っていたのだ。
その男が周囲から集中的な注目を浴びる前に、ルーファウスはその男に出会っていた。それは決して小さくはない、衝撃。
単純に、×××と思った。
誰も自分を認めてはくれなかった。
誰も自分に何かを与えてはくれなかった。
それなのに、その男はすんなりと心に入り込んだ。
たった…たった一つの言葉だけで。
自分の立場を自覚させたものは、その気持ちだったかもしれない。
例えばそれがどんなに愚かな結果を生もうとも。
“命の重みを知っているか?”
―――知らないはずがない。
もしもそこに死が訪れたら、きっとこの心も壊れてしまうのだから。
“それは断る”
―――どうして?
“必要ないからだ”
―――必要ない?
そんなはずはない。それこそ最高の名誉な筈だ。
それなのに…。
…必要だったのは俺の方…?
歳月が過ぎ、状況は変わっていく。
それは誰にも止められない時間の流れだったが、しかしその流れに逆らおうともがくことくらいはできた筈だった。
それでも、歪んでいく思考を止められない。
純粋に何かを望めば、それはいつも裏切りという姿に形を変えて自分を苦しめる。
それはもう十二分に分かっていた事で、どうあがこうとそうなるというならば、いっそ最初からそんな道は通らなければ良い。
最初からどんな手を使ってでも、望みが叶う状況を作れば良いのだ。
その為に必要なもの全てに、嘘をついてでも。
ドアの前に立ち止まったままのルーファウスは、無表情のまま呟く。
「来てやったぞ、お前の望み通りに」
どことなく俯きがちな顔は、その言葉を否定しているようにも思える。それを分からせるかのようにツォンは軽い口調で言い放った。
「私の…?貴方の望み、では無く?」
「何が言いたい」
そんな事は分かっているのでしょう、とそう心で返すツォンは、その思いとは裏腹な言葉を返していた。勿論、全て計算済みの言葉である。
「いえ。…貴方がそういうのなら、きっと私の望みだったのでしょう」
別段それは問題ではなかった。そんな事はどうでも良い、そう思う。
大体の所2人の関係はもう出来上がっており、ルーファウスがそれを切り崩す事は不可能な筈だ。そもそもそれを望んだのはルーファウスであり、それによって彼は“何か”を得ているのだから。
ツォンは常に選択肢を与えていた。
“今日はどうしますか?”
その選択肢にいつも同じ選択を返していたのはルーファウスの方だった。
この日、待っていると告げただけのツォンの元に足を運んだ事自体が、その答えである。
だが、きっとルーファウスは気付いていないだろう。
その選択肢が罠だという事すら――。
なぜなら、その選択肢はいつもルーファウスを刺激する。
何も言われなければそのまま過ぎるかもしれない、そういう時でさえその言葉が放たれる事によって可能性が出来てしまうのだ。
そうして選んだ結果は、ルーファウスの「望み」と「現状」を徐々に引き離していく。
当然の事だ。
―――その行為自体が「現状からの逃避」なのだから。
「ルーファウス様。こちらにいらしたらどうですか?」
暫くの沈黙の後にかけられたその言葉に、ルーファウスは黙って足を踏み出す。
ツォンは近づいてくるその体を見つめ、こみ上げてくる可笑しさにほんの僅か口端をあげた。
憐れなルーファウス様。
その思考が罪を犯し、また体でさえ罪を犯している。
その罪自体があなたの望みを遠ざけるのに―――そんな事は考えもしないのだろう。
「鍵、閉めましょうか?」
「…ああ」
ツォンの自室なのだから、いつもとは状況が違う。そう考えたのか、ルーファウスはいとも簡単にそう答える。
「では、少しお待ち下さい」
そう言いながら立ち上がったツォンは、ドアに鍵をかけるべく立ち上がった。
ドアへの至極近い距離を歩く間、その一歩一歩が、ツォンの思考を堕としていく。
一歩、ドアに鍵をかける。
二歩、あの方の自由に鍵をかける。
三歩、自分の理性に鍵をかける。
四歩、鍵にはチェーンをしこう。
五歩、そう…痛い、痛い、棘のあるチェーンを。
ガチャリ、そう音が響く。
その空間に、鍵はかかった。
>>> back