神羅の影:14
はあ、はあ…―――――息が、切れる。
家までを走って帰ったザックスは、いつもだったら瓶底オヤジにクラウドのことを聞くというのにそれすらせずに、バタンとドアを跳ね開けて二階へと駆け上がっていった。
ドンドンドン、と騒がしく駆け上がりドアを一気に開けると、いつもどおりベットの上でぼうっとしているクラウドに駆け寄る。
はあ…はあ…
息が、切れる。
苦しい。
しかしそれさえどうでも良いように、ザックスは駆け寄ったクラウドの体を唐突に抱き竦めた。
それは突然のことで、いきなり圧力を受けたクラウドはビクリ、と体を跳ねさせた。しかしそれでもその眼は、何を映しているのか定かではない。
そんなクラウドを抱きすくめて眼を閉じたザックスは、止まりそうにない感情の蠢きのままにその名を呼ぶ。
「クラウド…クラウド…!」
そうして、多分言ってはならない言葉を、口にする。
「…い、たい…クラウド、お前に…会いたい」
ふと、思い出す。
抱き合ったあのクラウドが口にした言葉を。
“ねえ、ザックス。約束して?”
愛しい人は、微笑んでいた。
“…また、会いにきて。…必ずだよ”
「お前に…会いに―――――…」
その方法は、たった一つ。
あのドラッグを飲むこと、それである。
ザックスはゆっくりとクラウドから体を離すと、すっと立ち上がった。そうして例の日の翌日に仕舞ったあのドラッグを取り出すと、その一粒を見詰める。
たった一粒。このたった一粒で、クラウドに会いにいける。
しかしそれが良いことかどうかは分からない。…いや、尋常に考えればそれは悪いことなのだろう。
あのクラウドは幻想で、いくら会いたいと願って会いにいったとしても、それは所詮、幻想の域の話である。つまりそれは現実逃避に他ならず、結局のところ自分はこの現状からトリップをしたいだけなのだ。
それは理解しているつもりだった。ルヴィからこのドラッグを貰ったとき、その否定は確固たるものだったはずなのだから。
それなのに今これに溺れている自分は――――――…自分は。
「……俺は、いつだって強くなんて無かったんだな」
きっと、いつだってそうだった。
セフィロスの側にいってしまいそうなクラウドを引き止めた自分は、自信なんて無くて。
もしその時自分に強さがあれば自分を信じれたのだろう。信じることができれば、どんな変化だって受け入れることができたはずである。それは好きとか嫌いとかそういう次元を遥か超越した部分での問題だった。
でもそれはできなくて、だから自分はその弱さや自信のなさを吐露するが如くにクラウドを強引に引き止めた。自分の弱さはクラウドを傷つけ、そして最終的に自分までもを傷つけた。
その自分が、一年経ち、二年経ち――――今、此処にいる。
そしてその今の自分は、手にドラッグを握っている。
このドラッグはまた、あの時と同じようにクラウドや自分を傷つける刃と化してしまうのだろうか。そう考えると恐い。そう思う。
「……クラウド」
俄か迷いが生じたザックスは、ふとクラウドを見遣る。クラウドは、ベットの上で蹲って一点を見詰めていた。
それを見たザックスは、ふっと眼を細める。
それから、ゆっくりとした動作で手にしたドラッグを口へと、運んだ。
自分が仲介役になって初めて二人が会ったのは、ある日の夜のことだった。
任務が遅くまでかかった日で、もうそれぞれ帰宅するという時間。その時間になってクラウドを呼び出したザックスは、とうとうセフィロスにクラウドを紹介するに至った。
呼び出されたクラウドは、そこにセフィロスがいたことに随分と驚いていた。それは当然だろう、あまりにも憧れていた人なのだから。
しかしセフィロスの方は、あらかじめザックスからクラウドがどういう人間であるかを聞かされていた為、それほどの驚きは見せなかった。もしかするとそれはセフィロスの性格故、という問題もあったかもしれないが。
セフィロスはいつも通りの様子で、彼が例の?などとザックスに聞いてきたものである。だからザックスは、得意げになって、そうだ、などと答えたりする。その会話を聞いていたクラウドは、何のことかさっぱり分からずにおどおどしていた。
そんなクラウドの様子に気付いたザックスは、そういえばクラウドは元来はこんなタイプだったのだ、ということを思い出す。
セフィロスに対して説明した部分はあくまで仲良くなった自分との間に見せる表情だけだったので、そこには補足説明が必要だった。
「こいつ、少しあがり症みたいなところがあるんだ」
その言葉にセフィロスはなんともなしに「そうか」と答える。それからクラウドの方を向き直ると、こんなことを口にした。
「ザックスから話は聞いている。…ザックスはよほどお前のことを気にいっているようだが」
「おい、セフィロス!余計なこと言うなよな」
「本当のことだろう?…まあ、そんなわけだ。―――ソルジャー希望か?」
ふとそんなことを言われたクラウドは、慌てて「はい」などと頷く。
それはまるでザックスと初めてした会話に似ていて、クラウドはふとそれを思い出してチラとザックスを見遣った。すると、その視線の先のザックスはニコニコして頷いたりする。
「そうか。ならば精進が必要だな。とかく最近はボーダーが緩んでいる部分もある、できるならしっかりとしたソルジャーになって欲しいものだ」
「あ…はいっ。頑張ります…!」
クラウドはギクシャクしながらもそう勢いづけて言うと、最後に少しだけ笑った。そうしてそれからザックスをチラリと見遣る。その時は二人の笑顔が交わされた。
「ザックス」
対峙していたクラウドから眼を反らしたセフィロスは、そうしてザックスの名を呼ぶと、悪いがもう時間が無いようだ、などと言う。どうやらセフィロスは予定が詰っているらしい。
ザックスは既に二人の仲介を済ませたことで満足していたこともあって、そんなセフィロスの多忙に不服などは訴えなかった。
元々忙しい人なのだし、そうそうこうして捕まえておくことはできないと知っている。そう考えればこうして時間を取れただけでも奇跡と言おうか。
「ああ、分かった」
ザックスはそうセフィロスに返すと、セフィロスの多忙をクラウドに少しだけ説明した。今此処で一緒にいることすら本来は珍しいことなのだ、と。
クラウドはそれを聞いて、感謝するようにザックスとセフィロスに礼などを言う。ザックスはそれに満足を得、セフィロスの方はそれに対して何も言いはしなかった。
がしかし、実際それは実に妙なことだったのだろう。この空間が実現したのは他でもなくザックスのお陰だったが、それにしてもその空間を望んだのはクラウドやセフィロスではないのだ。それは単に、ザックスの望みだったのだから。
しかしそんな矛盾にも気づかないほど、クラウドはザックスに感謝をしていた。
セフィロスに会えたこと、そして話せたこと、しかもその人から激励を受けたこと…その全てがクラウドの中では信じられないことで、ザックスがいなければ実現などしない事だった。
じゃあ、と短的な言葉を放ってセフィロスがその場を去っていった後、クラウドはザックスに向かってもう一度その感謝の言葉を繰り返す。
それに対してザックスは、本当に心から嬉しそうに笑った。
セフィロスとクラウドの間に面識ができると、ザックスはたまに二人を招集して三人で時間を過ごすようにした。それはやはりザックスの個人的な望みであって、二人が望んだことではなかったけれど、二人は別段嫌な顔など見せなかった。
ただ、そうする中で失われていったものは、ある。
例えば今迄だったらばセフィロスと二人だけで語ったりする空間があったが、それはその頃には消え去ろうとしていた。
セフィロスは相変わらずあの部屋にいることがあり、やはり窓の外のグレーを一人で見詰めていたりしたが、その空間にザックスが入り込むことは少なくなっていった。
ただ、それでもその部屋にいない時分に二人で話をする機会はあり、そういう時ザックスは良くクラウドの話をしていた。
それはザックスにとっては少なからず楽しい時間で、セフィロスと話をするにもクラウドと話をするにも幅が増えたといった具合。
それにセフィロスと話をしている時は、そうしてクラウドの話をすることで、セフィロスの中に存在する憂いを少しでも払拭できるような気がしていた。
もちろん実際はどうだったか分からないが、それでもザックスはそうであると信じていたのである。
だって、自分はクラウドの側にいてこんなにも新鮮になれる。
だったらば、セフィロスとてそう思えるはずだ。
視線の先にあるグレーの景色の中にさえ、何か光のようなものが見えることができれば。それが叶うならば。
その結果を計る術―――それはザックスにとって、三人での時間だった。
英雄であるセフィロス、ソルジャーのザックス、一般兵のクラウド、その三人が同じ空間にいることは客観的に見ればおかしな事だったろうが、それでもその空間で築き上げたものは大切だった。
最初はザックスが何かと話題を振って話の流れを作っていたが、それはやがて少しづつ変化を見せ、いつしかクラウドもセフィロスも自身の口から話題を提供するようになっていく。
その時にはもう、多分気心が知れてきたからなのだろうが、クラウドもセフィロスに対してあからさまな緊張をしなくなっていた。
だから、話は潤滑に進んでいく。
三人での空間で生み出される話題は、どちらかといえば軽い感じの話題だった。ザックスがセフィロスと二人の空間で話していたような重い話は現れず、だからザックスも本来の調子で受け答えしたりする。
それはあまりにもリラックスできる空間で、きっと皆も同じだろうとザックスは思っていた。
何しろそこには笑いが溢れていて――――とてもとても幸せだったから。
「クラウドがソルジャーになったら、三人で任務に行けるな」
何となくそんなことを思い浮かべていたザックスは、思わずそれを口に出したりする。
するとクラウドは驚いたようにして、
「そんなの無理だよ!」
などと両手を眼前で交差させる。
そんなふうにするものだから、てっきり嫌なのかと思ったが、どうやらそれは違うらしい。つまりクラウドは、ソルジャーになることがそもそも難しいと言いたいのだ。
しかしザックスはカラッと笑うと、いつかも言ったようにクラウドを激励する。大丈夫だって、と。
それからセフィロスを見遣って、同意を求めたりする。するとセフィロスは少し笑ってそれに頷いた。
「そうだな。そんな弱気なことでは駄目だ。精進しているならばそれが実を結ぶことを思い描くべきだな」
「ほらな!セフィロスだってこう言ってるし、大丈夫だって。で、いつかこの三人で任務片付けようぜ」
「でも…」
クラウドにしてみればそれは、あまりにも大きな壁である。二人はもう既にハードルの向こう側にいる存在だけれど、自分はまだまだそのハードルさえも見えていない。
しかしそれでも、二人がそう言ってくれることは大きな喜びに違いなかった。
少し思い悩むようにしていたものの、少しして何とか顔を明るくさせたクラウドは、
「…うん、そうだね。そうだよね。俺、頑張るよ。いつか二人と一緒に任務につけるように」
そんなふうに言った。
それを見て微笑むようにして一つ頷いたセフィロスを、ザックスはチラっと見遣る。そして、何だか心の中に温かいものを感じると、思わず誰に向けるともない頷きをした。
こういうふうにして、クラウドは希望を募らせていく。
こういうふうにして、セフィロスは憂いを消していく。
そうなれば、そういうふうになっていけば、その先にはきっと幸せしかなくなるに違いない。誰しもが持つ迷いを大きな力で消し去り、それを良いものに変換できたなら。
そういう空間の中でザックスは、何となく思っていた。
きっとこれからもずっと、この三人でいられるだろう――――と。