3rd [PASS]:04
暫く何も無かったように食事をしていたが、それもそろそろ飽きたという頃になって、ルーファウスは立ち上がった。
隣に座っている町長に、そろそろお暇します、と一言告げると、明日のスケジュールなどを言い渡される。それを頭に入れ込んで了解の会釈をすると、ルーファウスはさっと席から外れた。
元々あってないくらいの荷物を手にして、さっさと部屋を出ると、近くにあったレストルームに駆け込んだ。
入ってすぐの場所に並べられている鏡の前で乱暴に荷物を下ろすと、はあ、と息をついて壁に背をつける。
すっと目を閉じると、もう一度、溜息が漏れた。
何だかイライラしているのは自分でも分かっていた。その理由も分かっている。けれど、それを表面上止めることはできても心の中までとめることはできなかった。
昨日だったか、町長と話しているうちに、今日のこの会の話をされた。それは仲間内の会だということだったが、操作に慣れているルーファウスを気に入ったらしい町長は、是非一緒にとルーファウスを誘ってきたのだ。
面倒だと思ったが、どんな面々がこのシステムを開拓したのかと思うと少し興味もあった。だから来てみたのだ、少しだけと思って。
けれど実際に目にしたのは普通の市民でしかなく、特に思っていたようなことはなかった。それほど脅威になることもないかと思ったものだが、しかし結局自分にとっての最大の脅威は存在していたというわけである。
ツォン。ただ、一人だけ。
神羅の人間が少しでもいるかもしれないとは思っていたが、まさかそれがツォンだとは思ってもみなかった。しかしそれは問題ではない。何故ならツォンはきっと、システムの面でそういうふうに持っていったりはしないだろうから。
ただ………ツォンのあの成りは、一体何だと思う。
しかもあの紹介は。
結局ツォンは幹部という位置にいるということになるではないか。しかも社長だとか名乗ったあの男は、ツォンを片腕だと言っていた。何より許せないのは、それだ。
社長という立場の人間の側にいること、そしてべったりと張り付いていること。自分を重ねるのは嫌だったが、それでも状況が似すぎている。
何だか頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。色んな思考が混じりすぎていると思う。
神羅を捨てたいと言いながらこの場所で再会してしまったことや、ツォンが過去と似た状況にいること、その中で自分だけが別の場所にいること、そしてツォンが誰か他の人間の側にいること。
以前自分にしてくれたように、今はあの男に手を差し伸べているのだろうかと思うと気が気じゃない。
確かに今こんな状況で、あの頃に返れはしないし、それを望んでいるわけではないけれど、でも―――悔しかった。
共に暮らしていたあの生活の中でさえ上下関係を望んでいたように、やはり辿り着く場所はそこなのか。自分が命令する立場であったら、ツォンはそれだけで側にいてくれたのだろうか。分かり合えていたのだろうか。
でも仕方無い。だって神羅は崩壊したのだ。
立場がどうのと言って我侭を振るうほど惨めなものはない。反省があって、過去を捨てて、そして側で生きていこうと思ったのに、あれはやはり無理があったというのだろうか。
ずっと、そんなふうには思いたくなかった。
神羅がなくても、上下関係がなくても、全てを失っても、自分が自分であるだけで、自分という人間を選んでくれると信じたかった。
「悔…しい…っ」
ツォンがいなくなってから、寂くて苦しくて何度も涙が出たのに、それさえ蔑ろにされたような気分。
ガン、と壁を叩いてみる。けれどそれさえ空しい。泣くまではいかないものの、この胸の辛さはどうにもならなかった。
自信のある笑みを見せてみたけれど、きっとツォンは―――もうその裏にある本心など見抜いてはくれないだろう。
静寂の中で呼吸を整えていたルーファウスは、しばらくしてやっと荷物を手にした。悩んでも現実は変わらないのだから仕方無い。そう思うほかない。
そして、そろそろ本当に帰ろうと思ってドアを開けた瞬間、何か妙な力の存在に気付いた。
「?」
ふっと力を入れてドアを引いてみると、その瞬間、目の前に何かが立ちはだかった。一瞬何か分からなかったが、それは良く見ると、服だった。
誰かいたのかと思ったが、その次の瞬間にはその人物の顔を見てはっとする。
「…ルーファウス様」
眩暈を感じそうになるほど懐かしい響きで、一瞬タイムスリップしたような気分になった。今ではそんな名前を聞く機会はない。
だからすぐに、それが誰かが分かる。
「人違いじゃないですか」
素早く表情を切り替えて冷たい調子でそう言い放つと、ルーファウスはすっと脇を通り抜けようとした。が、それはすぐに遮られると、返って中の方に押し込まれ、最後にはトイレの個室のドアをパタン閉められた。
再び静寂の空間に戻されると、逃げ場はもう無かった。
「…お変わりないですか」
そっと聞こえた声に、ルーファウスは眉をしかめた。
「人違いも甚だしい、いい加減にしてくれ」
「何故シラを切るんです。誰が貴方を見間違えるんですか」
「悪いが俺はもう帰…」
「帰さない」
ぐっと腕を掴まれて、ルーファウスはツォンを睨んだ。一体今更何の話があるんだと思う。今はそんな場合じゃないだろうに。
皮肉に笑ってみせると、ルーファウスは鋭くこう言った。
「お前はあの社長のお守りでもしていれば良いだろう。良かったな、大好きな上司ができて。お前はそれが好きなんだろう?」
反論が返ってくるか、手が飛んでくるか、そう思って構えていたのに、何故かツォンは何も言わず何もせずにいた。ただ、表情は少し悲しそうだった。
その雰囲気が何だか居心地悪くて、ルーファウスは顔を背けると続けて言葉を繰り出す。
「何が…片腕だ。馬鹿じゃないか、お前。…少しは反省すれば良いんだ」
「―――しました、痛いくらいに」
すっと返った言葉に、ルーファウスはまた笑みなどを浮かべる。
「俺との生活をしたのは間違いだったって反省か?」
たっぷり嫌味を込めて挑発的にそう言うと、今度はツォンも眉をしかめた。そして握っていた腕に力を込めると、それを引き寄せてルーファウスの頬を掴む。それは決して優しい扱いではなかったが、強引すぎるものでもなかった。
「どうして貴方はそうやってわざと遠回りするんですか!…貴方がそんなふうに笑えるはずなど無い。その笑いは嘘だ」
きつい表情でそう言うのを聞きながら、ルーファウスも負けじと強い口調を返す。
「お前にそんなことを言われる筋合いは無い!大体お前と俺はもう関係ないんだ、放っておいてくれ!」
「貴方は本当にそれで良いんですか?関係など無い?それも嘘だ、絶対に貴方は忘れたりなどしないはずだ、絶対に」
「思い込みもいいところだな。そんなに自分が可愛いか?」
口をつく言葉が段々と激しくなっていく。しかし、本心を見抜かれていることはルーファウスを驚かせた。
顔にこそ出さないものの、それは少しルーファウスを安心させている部分があった。それは否めない事実である。
ツォンは、ルーファウスを見据えながら、ゆっくりある言葉を口にする。
「……“last heart in my life”」
すっと浸透したその言葉に、ルーファウスは徐々に目を見開く。
司令室で、広大な土地を背にして。
耳元で囁いた。
口付けを交わした、その後―――
目前のツォンの顔が、少し寂しそうに笑い、それが目の中に飛び込んでくる。
「あのパスワードを敷いたのは、貴方ですね?」
「……」
「貴方以外にありえない。この言葉は神羅のホストコンピュータの最後のパスワードだった。でもその直後に神羅は崩壊した。だからこのパスワードは幹部に伝わらなかった。つまりこの言葉を知っているのは貴方と私だけです…そうですね?」
「…知らない」
「そんなことは言わせません。貴方はちゃんと意味をもってあの言葉を選んだはずです。忘れるはずがない。幹部を退けてまず私に教えてくれたのは、意味があったからだったのでしょう。その意味を教えるために、貴方はあの日、私を司令室に呼んだんだ」
“…な?”
“私もそう思います”
“本当に意味が分かってるのか?”
“分かってます”
“嘘だ。じゃあ言ってみろ”
“約束と同じでしょう?”
“違う。やっぱり分かってない。これはな…”
「……どんなにこの世界が汚いと言われても、そう考えれば綺麗だと思えた。でもそれを使う前に神羅は終わった。だからもう必要ないことだったんだ。今はもう、必要ない」
首をゆっくりと横に振りながらルーファウスはそう静かに言う。
が、ツォンは、それと正反対の言葉を口にした。