02:酒場の夜
翌日、また夜がやってきた。
日中のクラウドは相変わらず暗い表情を見せていたが、それ以外には特にオカしい点はみられない。それでも夜になると、ふらりと部屋を後にした。
その様子を、ヴィンセントは気配を消しながらしっかりと見ていたものである。
きっとクラウドは気付いていないだろう。まさか誰かに見張られているなんて。
ヴィンセントはクラウドが宿を後にするのを確認し、見失わないように気を付けながら素早くその後を追った。
まさか仲間を尾行するだなんて笑える話だが、思えばこれはヴィンセントの得意分野の一つでもある。かつてタークスにいた自分からすれば、適材適所ともいえるだろう。
尤も、このような特殊技能は今や必要ない。
それなのにまさかこんなときに使う事になろうとは――――ヴィンセントはわずか苦笑しながらもクラウドの背を負った。
夜の街に姿を消したクラウドは、一種独特な雰囲気を漂わせていた。
どう見ても一般人ではないのが一目で分かる。
そんなクラウドの脇を、夜の住人たちが通り過ぎる。
そして―――しっかりとした体躯の男が一人、クラウドに近付いた。
男はクラウドの耳元で何かを囁く。
するとクラウドは、青い瞳で挑発するように相手を見据え口端を上げた。
クラウドよりか幾分背の高いその男は、クラウドの背中に手を添え、誘導するように歩き出す。
二人が歩を進めた先にあったのは――――……
ある酒場の、地下だった。
素早く二人の後を追ったヴィンセントは、辺鄙な場所にある酒場へと入っていった。
その酒場は一見すると普通の酒場だったが、どうやら暗黙の了解で夜の取引が行われる場所であるらしい。注意深く観察すると、あちらこちらで怪しげなヒソヒソ話が繰り広げられている。
その酒場にやってくる客のほとんどは二人連れで、彼らはどう見ても「他人同士」だった。
要するに、”今夜限りの相手”なのだろう。
客層はさまざまで、女がリードしながら男を連れ込む姿は正にそれとしか言いようが無かったが、ときにはまったく色気のない男二人という場合もあった。
これは、性的なもの以外にも闇取引が行われている証拠である。
それはそれで気になるが、今はクラウドを追わなければならない。
そう思い、ヴィンセントは慎重に酒場のなかを進んでいった。
店内は暗い光に包まれており、何やら不思議な匂いが漂っている。香水か、もしくは何らかの薬か…真実はわからないが、この場合は知らない方が幸せかもしれない。
そんなことを思いながらバーカウンターに近づくと、マスターらしき男が慎重な顔つきでヴィンセントを見遣った。
「…いらっしゃい。注文は?」
マスターの目は、明らかにヴィンセントを疑っている。それもそうだろう、ほとんどの客が二人連れで来店するのに対し、ヴィンセントは独りでここに入ったのだから。
「――――では、ウォッカで」
とりあえず酒を注文すると、マスターは大きな酒瓶に手をかけ、その中身をなみなみとグラスに注いだ。その様子を見ながら、ヴィンセントはクラウドの事を考える。
さきほどクラウドは、男とここに入った。
ヴィンセントはその後を追ってここに入ったが、その時間差はわずかである。
それにも関わらず、すでにクラウドの姿は見えない。
尤も、消え行く姿の一端を捉えられたのは幸運だったろう。なにしろその姿が消えた先が、この地下だということは分かったのだから。
「おまたせ」
そう言ってマスターがカウンターにグラスを置いたところで、ヴィンセントの思考は途切れた。
ああ、有難う、と言葉をかけながら、ヴィンセントはマスターの顔を眺めて切り出す。
「―――さっき、地下に入っていった男達がいたはずだが…」
「…ああ、それが何か?」
明らかにヴィンセントを警戒している物言いである。
「地下は、どういうふうになっているんだ?」
それでもヴィンセントが核心めいた言葉を放つと、マスターの表情はあからさまに曇った。そして、何故そんなことを聞くのか、と口にする。
「ここはただの場末の酒場ですよ」
「それは分かっている。……だが、どうも雰囲気が普通では無い」
「……何が言いたいんですか?」
「――――この店の地下では、”そういう事ができるようになってる”んだろう?」
「そういう事?なんのことです?」
あくまでシラをきるマスターの態度に、ヴィンセントは内心苛立った。すぐにも地下に降りてクラウドを追いたいというのに、ここでこれ以上の立ち往生をするわけにはいかない。
ヴィンセントは少し考えて、こう言い放つ。
「もしそうだとしたら非常にマズイんだ。さっき入っていった男のうちの一人……金髪の方は、こう言ってはなんだが、私の―――」
そこで言葉を切り、チラリとマスターを見遣る。
すると、予想通りマスターの顔色は変化した。
その視線は突然、得意客を見る目つきに変わる。気のせいか声も少しばかり高くなった気がする。
「ああ、そういう事でしたか。それはいけないですな」
マスターは困ったような笑顔でそういうと、でも、と続けた。
「残念ながら此処ではそういう面倒事は一切止めて頂きたいんですよ。一時的な行為のためだけに場所提供してるわけですから、それに文句をつけるような事は困ります」
「文句を言うつもりはない。ただ、あいつの様子を見てみたいんだ。口は出さない。そんなことは帰ってからすればいい」
「ああ、そうですか。情夫がほかの男に抱かれる様子を見たいなんて…悪趣味ですなあ」
マスターはニヤニヤと嫌らしい笑いを浮かべ、じろじろとヴィンセントを見遣る。どうやら悪趣味な男の存在が面白くて仕方ないらしい。
ヴィンセントは心の中で嘆息したが、それでもその”嘘”を貫き通した。
本当は、クラウドを情夫などという言葉で表現するなど許せないし、自分とてそのように思われるのは心外である。しかし、いまはクラウドの真実を知るためにも演技を続けるほかない。
そんなヴィンセントの策が功を奏したらしく、マスターはすっかりニヤけた顔でこう口にした。
「では、参りますか?」
視線が、チラ、と地下への階段に注がれる。
「ああ」
ヴィンセントは静かにそう頷くと、そっと立ち上がった。
目前には、下卑た微笑を浮かべるマスターの顔がある。
カウンターの上には、飲みかけのウォッカだけが残されていた。