21:繰返の夜
それを、受け入れること。
それは約束。
だから―――――破ってはいけない。
「たまには、前のようにどこか別の場所に行かないか?」
「ああ、それもいいな」
ヴィンセントの提案を、クラウドはすぐに了承した。
何も疑わずに、笑顔で頷く顔。それを見て、ヴィンセントはただ悲しく思うしかなかった。
想いを逆手に取ることはあまりにも卑劣だと分かっている。しかしこれは、せめてもの優しさだった。
すべてが分かってしまった今となっては、これが最良の方法だったから。
寝静まる宿屋を抜け出し、久々に夜の街へと繰り出す。
向かう先は見知らぬ宿屋だったが、以前のようにクラウドが事前に予約をしているわけではなかったから、ある意味では新鮮だったろう。
ひっそり宿屋を抜けるのは以前と同じだが、今回は初めて合意の上で、ともに夜へと出向く。こんな状況は、以前ならありえなかったはずである。
2人は最も近い宿屋に部屋を取り、そこでくつろいだ。一般の宿屋のせいか、周囲はすでに静かである。
こうしてわざわざ宿を別にとったのは、ヴィンセントにとって重い理由があるからだった。
しかし、まさかそのような表情を見せるわけにはいかない。
隣にいるクラウドからすれば、わざわざ此処にやってきたのは「二人きりの安全な場所を確保するため」だろう。
彼はそれを信じているからこそ、その気持ちを崩すわけにはいかないのだ。
その部屋にはベットが二つ用意されていた。
その内の一つに腰を下ろしたクラウドは、堪えていた言葉をようやく放ったかのように声を弾ませる。
「それにしても驚いたな。ヴィンセントから誘われるなんて」
「そうか」
端的な言葉で返事をしたが、それはどうとでも取れるニュアンスだった。
しかしクラウドはさしてそれを気に留めなかったようで、もう既に違う場所に視線を飛ばしている。
部屋の作りは至って簡素で、特別な夜にはすこし物寂しい。
しかし、こんな殺風景な部屋もクラウドにとっては慣れたもので、表面的な装飾はさほど必要性がなかった。
「それで、何でいきなりこんな所に来たんだ?一応、聞いておきたいな」
そう問われて、ヴィンセントはふっと笑う。
「それは当然、二人の夜の為だ」
「ふうん?」
クラウドはそう言いながら特有の笑いを浮かべる。
それは嫌なものではなく、喜んでいるのだと分かる笑み。
機嫌が良いらしいクラウドは、饒舌になって、あれこれとヴィンセントに話題を投げかけた。それはどれも何でもない世間話で、ヴィンセントも頷きながら会話を進めていく。
そんな時間が、ゆっくり、ゆっくりと流れる。
たったそれだけの時間だったが、ヴィンセントにはクラウドが満足しているのが良く分かった。
何度か吸い込まれそうになった瞳を見ながら、何となく思い返す。
それは今までのクラウドの言動や存在自体についての思考だったが、そのなかでも特に強く思い返されるのは、つい先日、自分に好きだと告げた時のクラウドだった。
あの時、言葉と共にあった暖かさと鼓動が―――――何となく思い返される。
今までヴィンセントがクラウドについて思考するとき、それは感情的なものというより、事実を解明しようとする、どこか事務的なものだった。
もちろんその端々に感情が介入せざるを得ないときも間々あったが、それでもそれは今目前にいるクラウドのように感情に基づいたものではなかったのである。
クラウドは、いつから自分を好きになったのだろうか?
態度が一変した時期は、覚えている。
それを境にして、クラウドがいうように“欲しいものを手に入れたくなった”のだとしたら、以前に比べて今はとても穏やかに時が過ぎていることになるだろう。
今この瞬間、クラウドは言うまでもなく安定している。
そしてその逆…つまり始まりのときは、苦痛の渦中にあったということになる。
「何だか今日は月が綺麗だ」
ふとクラウドがそんな事を言い、窓ガラスをそっと開けた。
つられて目を向けると、確かにその空に浮かぶ月は雲もかからずに綺麗な色を発している。
「ああ、満月かな」
そう言って立ち上がったヴィンセントは、クラウドの隣まで行くと、同じように外を見つめた。少々風があるのか、髪がそよぐ。
「俺はな、ヴィンセント」
「ん?」
「これだけしか、今迄見れなかったんだ。夜は唯一の存在場所だったから」
クラウドは薄く笑んで、俺はいつもこの景色を見ていたんだ、とつぶやく。
黒い空と、その中で遊ぶ人々。
それだけが視界に入るものだった。
「だからかな、何だか夜は落ち着くんだ」
笑ってそう続けたクラウドを、そっと横目で見遣る。
クラウドの視線は夜の闇の中へと向けられていて、それにかけるべき言葉が見つからない。
「昼も嫌いじゃないけどな」
「…ああ」
「慣れないとな」
「そうだな」
ヴィンセントはそう答えて頷いたが、心中ではまったく別の事を考えていた。
今日だけは―――――満たされていなければ。
そう思った瞬間、ヴィンセントはクラウドの肩に手を伸ばした。そして、それをそのまま抱き寄せる。
目を瞑り、
髪を梳き、
額に口付けをして。
そして、
「今日は――――前と同じように夜を過ごそう」
そう耳元で甘く囁いた。
前と同じように、夜の中で。
前と同じように、二人だけで。
事実を失くして、ただ抱き合って。
それだけの夜を。
その夜、クラウドは惜しみない笑顔を見せた。
そして、”ずっと一緒にいよう”、と囁いた。
その囁きに、そっと一つ頷く。
そうだなクラウド、一緒にいよう。
そう答えて、笑い返した。
―――……一緒にいよう、“クラウド”…
翌日。
クラウド主導のパーティ分けにより、仲間が二手に分かれた。
いつもであれば特に問題もなく二手に分かれるところだったが、その日はなぜか反対意見があがる。
それに驚いたのは、パーティをわけた張本人であるクラウドだった。
「どうして…何か都合でも悪いのか?」
クラウドが驚いた目を向けた先には、ヴィンセントの姿がある。
さきほど反対の声を上げたのは、ほかでもない、ヴィンセントだった。
「私はお前とは別行動の方が良いだろう」
「…何で」
クラウドが主導したこのパーティ分けでは、核であるクラウド側に主力が集まっている。
その中にはティファがおらず、クラウドと共にいたがったティファは「クラウドの意見だから」と渋々それに賛同をしたという具合だった。
「ティファはクラウドと一緒にいた方が良い」
「え?」
そう言われ、ティファは驚いて顔を上げる。まさかヴィンセントにそう言われるとは思ってもみなかったのだろう。
「いつ何が起こるか分からない。最初から行動を共にしていた者の方が、分かり易いこともあるだろう」
「そう…ね。でも…」
ティファは戸惑いつつチラリとクラウドを見遣った。
クラウドはといえば、視線をヴィンセントに向けたまま固まっている。
ヴィンセントはその状況に追い討ちをかけるようにこう言い放った。
「その方が良い」
強硬なその態度にやっとクラウドは何かを言おうと口を開きかけたが、それはバレットの言葉によって遮られてしまう。
「もうどうでも良いからよ。それならそれで早く行こうぜ!」
「ああ、そうだな。では二手に分かれよう」
ヴィンセントはバレットの言葉に同意すると、クラウドの視線を振り切ってその場から離れる。クラウドはそんなヴィンセントの背中を、しばらくじっと見つめていた。
二手に分かれたパーティが再び合流したのは、もう夕暮れ時のことだった。
お互い報告などをしたものの、リーダーであるクラウドは生返事しかせず、まるでその内容が頭に入っていない様子である。
「ちゃんと聞いてるのか、クラウド」
ヴィンセントが確認のように問うと、
「聞いてるに決まってるだろ」
そう答えが返った。
しかしクラウドの表情は固く、どこか感情的な雰囲気を漂わせている。
「そうか、なら良いんだ。こんな時に上の空だと困るからな」
「…何」
ヴィンセントの言葉を受け、クラウドはいら立ったようにガタリ、と立ち上がった。
瞬間、その場は嫌な空気に包まれるが、誰かの諫める声でヴィンセントとクラウドの会話が途切れ、話題は再び真面目なものへと戻っていった。
とはいえ、クラウドの心は一向に元に戻らないままである。
クラウドの心のなかには、いら立ちとともに疑問符がめぐっていた。
なぜ、ヴィンセントは急にこんな態度をとるよようになったのか?
パーティわけだって、ずっと一緒にいられるように同じパーティにしようとしたのに。
昨夜も、あんなに甘い時間を過ごしたのに。
それなのに……一夜をあけたら急に態度がかわった。
それはなぜなのか?
なぜ?
なんで?
どうして?
心のざわめきが波のように押し寄せては引いていく。その繰り返しで、会話など一向に頭に入ってこない。
そんなクラウドの視界の中では、ヴィンセントが静かに笑っていた。