栄光と名誉―――――それは一体、何の為のものだったのだろうか。
今此処に残るもの、それはあのとき感じた生暖かい体温。閉じられた目を見て、とても空虚になったのを覚えている。
彼が望むことはわかっていた。
たとえ彼がこの世から消えても、自分自身を保つこと……それを彼が望んでいたことは、わかっていた。
それなのに、この心はあの時から止まったかのようである。
きっと、空虚なのだ。
生きる間に多くのものを失った。しかし本当なら、この命さえあればそれらを覆すことすらできるはずである。しかしどうもそれが出来ない。
きっと、あまりに大きすぎたのだ。
ずっと欲しかったものを手に入れると、とても嬉しい。しかし同時に、失った時の悲しみを増大させる。執着や愛着があれば、その悲しみは更に増大するのだ。
そんなことは、それを欲しいと思ったときから分かっていたはずだった。
それなのに、それでも欲しかった。
悲しみの予感をも凌ぐほど、その人が大切だったのだ。
けれどその人は、慣れない自分の愛情とやらを注ぐには、あまりにも忠実すぎたのである。
大切なものは一つだったはずなのに、その表現方法が違うだけで、こんなにも結果は違ってしまう。
もしあの時、その人が生きることに希望を持ち、命の灯が消える最後の最後までいてくれたなら―――――。
彼は、そんなふうには思わなかったのだろうか…?
そう考えて、一人首を振る。
いいや、思うはずがない。ありえない。
何故なら―――――…、
そういう道を選んでしまうようなあの人だから、こんなにも想えたのだ。
強く、こんなにも強く。
神羅は崩壊した。
それは、かつては小さな火種だと思っていたアバランチの行動の結果でもあり、またかつての神羅の英雄であるセフィロスの行動の結果でもあり、そして―――神羅の行動の結果でもあった。
全てが連動して、結局こうなったのだ。
今ではそう思うほか無い。
シスターレイの発動と共に司令室に身を置いていたルーファウスは、そのままウェポンの攻撃によって倒れこんだ。その強い閃光を目にしたときは、これが最期だと覚悟したものである。
きっと、選択を誤ったのだ。
それは発動許可でもあるし、それよりもっと前の何かの選択だったかもしれない。
けれど運命の悪戯なのか、ルーファウスは奇跡的に息をしていた。というより、すぐさま駆けつけた神羅社員の手によって早急に処置されたのである。
意識不明だったことからすぐに神羅ビルから救出され、ミッドガルから遠く離れた土地に避難させられた。
その時点で危険を察知した数人の社員は逃亡したが、その他の社員や神羅ビル、そしてミッドガルの殆どの機能は、世界規模のメテオの力によって崩壊してしまったのだ。
今やあの土地に残るのは残骸である。
誰もその土地には近付こうとはしない。
奇跡的に生き残ったルーファウスでさえ、もう既にその土地には近付こうとは思わなかった。つまり、崩れ去った神羅の再建を、ルーファウスは放棄したのである。
生き残った社員の一部は、そういったルーファウスの態度に憤慨したが、しかし今やルーファウスの手元に残る財産などありはしない。
魔晄路の機能ももう既に無いし、何をもって神羅カンパニーを立て直すかといわれても、そこには何の意義も無かったのだ。
そういった状況のなか、ルーファウスは力無く笑う。それがもう癖になったような気がする。
今まで物質的に自分を支えてきた全てのものが崩壊し、精神的に縋るものすらない。
ルーファウスが今でも真っ当な生活をできているのは、神羅心棒者だった一部の人間のおかげであり、それがなくなったならルーファウスにはもう生きる術すらなかった。
だから、これは生き恥だと思う。
一時期は恐怖政治を唱えたルーファウスにとって、今ある状況ほど馬鹿らしいことはなかった。ただ、一つだけ良いと思う点がある。
それは、ツォンが命を絶って以来ずっと本音を押し殺して強引に通してきた表層の心を、すっかり取り払うことができたという点。
神羅の為に生まれてきたも同然だった自分を変えたのは、ツォンだった。
けれど、彼が死んでから疑問が生じた。
神羅を保ち、更に繁栄させること―――――そこには一体何の意味があるのか?
それは微かながら昔からあった疑問だったが、それでも守らねばならない砦がいくつもあり、そういう疑問は覚えてはならないものだった。
しかし―――――。
身を削ってまで助けたかった男は、自ら死を選び、残酷な事にこう言った。
“ちゃんと、立っていて下さい”
それを思い出すたびに、ふっと笑みがこぼれた。
―――――ツォン、お前は残酷なことを私に言ったものだな。
それでも彼が彼なりに死を選んだ理由は分かっていた。それがツォンの出した答えであり想いそのものだったから、それを受け止めるしかなかった。そうすることでしか、返せなかった。
しかし、死を選ぶその直前にツォンが放った一言は、あまりにも鋭くルーファウスの胸に突き刺さっていて、それは未だに抜けそうもない。
なんという飴と鞭なのだろうか。
『愛してる』
彼は、そう一言、口にした。
それは彼が初めて口にした愛の言葉で、彼はその直後に死んだのである。
分かっていても辛かった。そして、そういう答えを出すその男をどうしようもなく見つめていた自分にも腹が立った。
今ではもう叶わない望みだが、何もかもなくなった今、もう一度その男に会ってみたいと思う。
もしそんな奇跡が起こったら、彼は一体、何と言うだろうか。
何も無い自分に、それでもまだ『ちゃんと立て』というのだろうか。
それとも何の権力も無くなった自分には、何も与えてはくれないだろうか。
そう考えることすら、馬鹿らしい夢想でしかなかったけれど―――――……。
「社長」
そう呼ばれ、ルーファウスは振り返る。視界に入ったのは、タークスとして働いてもいたイリーナである。
彼女は人情深いところがあり、何だかんだと世話をしてくれている。実際の住まいは出資者のものであって、イリーナはたまにそこにやってくるという具合だった。
ルーファウスはこの住まいに移ってから、集まったタークスメンバーに対し、支給したスーツを脱げと言った。それが、ルーファウス神羅としての最後の命令だった。
その命令の裏には「神羅を捨てろ」という意味合いがあり、つまりはもう此処には来るなという意味も含まれていたのである。
その“命令”通り、レノとルードはそれ以来、姿を消してしまった。彼らのことだから、きっとどこかでまた違う仕事に従事していることだろうと思う。
けれどイリーナだけはそれを破り、ルーファウスのもとにやってきていた。以前はそんなに親しいという事も無かったのに、それは不思議なことだったろう。
彼女の中の何がそうさせるのかは分からない。
しかし彼女のその行動は、命令に反するとはいえ今のルーファウスにとって有難いものだった。
自分への証明―――――そんな気が、したから。
「もう社長じゃないんだ、イリーナ」
「そうですけど…何だか、そう呼ばないと変な気がするんです」
「まあ、そうだろうな」
あまりにも長いこと、そうしてきたから。そうでないと何かが変なのは分かる気がする。
イリーナは、ウェポンの衝撃の後遺症でまだ足元がおぼつかないルーファウスの手をとり、その身を外に連れ出した。
放っておくといつまでも家に篭っているルーファウスなので、こうして外に出るのは誰かが付き添う時だけである。
少し歩くと、先には海が見える。そういう場所にその家はあった。
海岸沿いまでゆっくりと歩いていくと、イリーナは適当な場所でルーファウスに止まるように言った。
「これ以上行ったら危険です」
「そうか」
イリーナはそう言ってルーファウスを見つめていた。
ルーファウスの顔は、かつての綺麗な色を見せてはいない。
かろうじて金髪だけが風に揺れていたが、それ以外の肌は極度の閃光を浴びて―――――焼けていたのである。
だから、肌は包帯が巻かれてほぼ見えない状態だった。
多分、その姿を一目見てルーファウスだと分かる人はもういないだろう。
「…社長」
「何だ?」
「…私、時々悲しくなるんです」
「……」
海辺の風が、並ぶ二人の髪を揺らしている。それを丁寧によけながら、イリーナは俯きがちにこう続けた。
「私はやっと念願のタークスになって…これからだと思ってたんです。神羅カンパニーはあんなに大きな会社だったのに、何だか呆気無いものですね。崩れる時って」
ルーファウスは少し目を細めてそれに答える。
「そうだな、呆気無いな」
プレジデント時代から築き上げてきた全ては、一つの攻撃の前に崩れてしまった。そしてそれは同時に多くの命を奪った。
しかしそうした裏には、神羅カンパニーが今まで行ってきた悪事があるともいえるし、実際何が悪かったのかは断定できかねるだろう。
しかし、夢を語るような口調のイリーナに、それは言えなかった。ただでさえ正反対の思いを心に秘めていたルーファウスには。
きっと、心のどこかでは思っていたはずなのだ。
崩れれば良い、こんな会社など――――――、と。
それは勿論、あの男の死が原因だった。
「今はもう神羅のことは禁句なんですよ、社長。だからこんなふうに神羅のことを話せるのは社長だけです」
「そうか。知らなかったな」
当然か、そう心の中では思っていたが、ルーファウスはそう返す。
イリーナはルーファウスを見遣りながら、最後にこう言った。
「でも私は、忘れられないですけど」
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