ドン―――!
そう音が響いたが、目を瞑ることはない。脅しや責めの為に放たれた音であっても、やったことに悔いが無ければ反省する必要性はないからだ。
だからレノは、怒りを顕にしたルードが壁を思い切り叩いても、特別何も思わなかった。
しかしルードの方はそうもいかず、やり場のない怒りを抑えることができない。
別に誰が黒星でも構わない、ただこの件に関して誰かを処分しなくてはならないといった社長の決断は、ルードに反論の余地を与えなかった。
しかしだからといってこの結果に簡単に了承などできるはずがない。何しろルードにとってみれば自分こそが悪いのに違いないのだから。
ルードは普段使われない倉庫代わりの部屋にレノを連れていくと、ドアを閉めるなり壁を一打した。こんなことは許せないというように。しかしレノの方は、腕組みをしながら明後日の方向を見ている。
「…そんなに怒らなくても良いだろ?」
シンと静まった部屋に、最初に声を響かせたのはレノの方だった。
レノは余裕そのものといった具合で天井を仰ぐと、続けざまに言葉を放つ。
「ま、大したことじゃないだろ。俺がやったのは事実だし、別に悪かったとも思ってないし。だからお前が怒るのは筋違い、ってね」
「…おまえは」
ルードは忌々しそうにレノを見遣ると、その姿に近付き、それから眼前に立った。そして、反らす事など到底許されない強い視線でレノを直視する。
「…何でアクセスした?」
「……」
レノはルードの視線を真っすぐ受けとめると、しばらくしたあとに口を開いた。そうするレノの表情は真面目そのものである。
「そりゃお前がグズグズしてるからだよ。確信近くまで迫ってるクセに最後の最後に突っ走れないからだよ」
「なに…」
「だってそうだろ?神羅のデータに知りたいモンがあるって分かってて、不法アクセスまでしてるクセに最後まで入れなかったんだろ。だから俺がやってやったんだよ」
悪いかよ、そう続けたレノに、ルードは口を噤む。
反論できない。
だって、レノが言っている事は嘘ではないのだから。
そう――――以前から知っていた。
神羅の膨大なデータベースに入れば、過去にターゲットになった組織についても、一個人についても、過去現在に至るまですべて情報が掴める、と。
しかしそれは機密事項で、主任レベルなら多少の関与があるものの、ルードの立場では閲覧が許されなかったのである。
神羅のブラックリストには、危険と判断された組織や個人についての過去や現状が事細かに記されていた。
例え任務によって壊滅した組織であろうとデータから末梢されることはなく、例えば一人でも残党がいればその一人のデータを最後まで調べ続ける仕組みになっていたのである。だからそこには、あの組織の動向も記されていたのだ。
そういうデータを保有していることは知っていたから、だからこそアクセスを試みた。そこに入れば、あの組織の残党が、どういった動きをするのか…それが分かると思っていたから。
しかしそこにアクセスしても、さすがに容易にデータを閲覧することは出来なかったのである。機密は何重にもブロックされて守られていたから。
とはいえ、強行突破の方法は知っていた。
でも、出来なかった。
そうすれば絶対に跡がつく。それをすることが、タークスとして違反だとも知っているし、あってはならないことだということも知っていた。
要するに、迷っていたのである。あれほど、絶対に滅せねばと思っていたというのに。
「…レノ。お前は…なんであの夜、俺の家にいたんだ」
暫しの沈黙の後、ルードの口からふと呟かれた言葉はそれだった。
此処までこの案件にこだわっていた理由、それが絶対的なものへと変化したその理由…それはあの夜である。
あの夜、自宅で残党を始末できていればこんなことにはならなかった。それは勿論自分勝手な考と分かっているが、それでもこうなってしまうとそういうふうに思いたくもなる。
あの夜、レノがいなければ。
あの夜、レノが傷ついたりしなければ。
そうすれば――――こんなに後を引き摺ることも無かったかもしれない。
「あの夜って?」
「もうずっと前の話だ。お前、勝手に俺の家に上がりこんでいただろう。そしてお前は、何者かに襲われた。傷を…負っただろう、覚えていないか?」
「ああ、アレ」
レノは思い出したようにそう頷くと、覚えてるけど、などと言う。それはあまりにも素っ気無い物言いで、まるで何も問題ないだろうといわんばかりの様子だった。
けれどレノは、そんな様子にも関わらず正反対の言葉を放つ。
「知ってたんだよな、多分。何か変なことに関わってるんだろうなって事は、何となく知ってた。だからあの日は…まあ何ていうか、ソイツを突き止めよーかって思ってたわけで。…だから居たんだよ」
「知ってた、って…」
ルードはあの夜のことを、あまり詳しく覚えていない。
衝撃的な許せない夜だったことは確かで、本来ならばそういった日の記憶は消えないものだろうが、逆にルードはその日のことを覚えていないのである。
それは、レノが自分の身代わりに傷ついたことが大きな原因だった。その怒りが蔓延して、それ以外の記憶がすっかりと消えてしまったのである。だから、ともかく許しがたい、ともかく滅さねば、そういう気持ちだけが残っていたのだ。
驚きを表したルードに、レノは少しだけ笑う。
「俺が言った言葉を無碍にしやがって。ほんとお前ムカつく。言ったろ、俺は何でもお見通しなんだって。お前、昔の任務の時にすごい晴れない顔してた時があっただろ?」
「それは…」
レノが言っているのは、残党を逃してしまった、あのときの任務のことだろう。
「ほかの奴が気づかなくても、俺はそーいうの気付くんだよ。きっと任務があんま良く終われなかったんだなってことくらい、すぐわかんの!」
「…じゃあ、勘で知ったってことか」
「勘っていうかもう、完璧な勘だぞ?確信間違いナシって、そーいう勘!」
「……」
何か情報があって知ったというならまだしも、まさかそんな曖昧なもので知っただなんて。何だか信じられない。
しかし誰も情報を漏らすはずがないと考えれば、そういう理由でない限りありえない。
きっと……長く側にいたから。
だからレノは、僅かばかりの日常との相違を感じ取ったのだろう。
それこそがこの相棒に情報を齎したのだ。ルード自身でさえ気づかなかったのに。
「お前を問いただそうと思ったら、その日の内に襲撃くらったもんだから、すっかりタイミング失ったんだよな。――――でも、レノ君は見つけたわけだ。ベットの下のパソコンの存在に」
レノはそう言うと、ルードに向かって目で合図した。その合図は、そのパソコン発見こそが今回のことに繋がった、という説明である。
それを受けたルードは、軽く息をつくと「そうか」とだけ口にした。
あのパソコンの中には、履歴がある。それを見れば、どういう事をしているのかは自ずと分かってくるものだ。それが神羅のデータベースに侵入を図ろうとしていたならば尚更で、レノの持つ勘と照合すれば大体の経緯は掴めるといった具合。
過去の任務を思い出せば、どの組織の情報を得ようとしているかぐらい分かる。
その上、詳細データには任務履歴も併記されており、その経緯すら記されているのだ。つまり、その任務の残党がいるということくらいは一発で分かる。
「…なんでこんな事になったんだろうな」
ルードはそんなふうに言ってレノから目をそらすと、近くにあったダンボールの山に腰をかけた。レノはそんなルードに「さあ」などと言ったが、その後少ししてこういい直す。
「でもアレか。要するにあの夜が無ければ良かったんだろ?俺が探ろうとなんてしなければ、多分こんなことにはならなかったろうけど」
「そう言ってみたところで、お前は探りに来たんだろう?」
ルードの切り返しにレノは思わず笑い、ご名答ー、などと言う。しかしそのすぐ後には少し真面目な顔つきになって、
「でもお前も悪いんじゃない?」
などと言った。
「お前、あの夜のコトあんま覚えてないだろ。あの夜っていうか、あの夜から俺が仕事復帰するまでのあいだのコト全部」
「え?」
「ホラな。あの日俺があそこにいたコト、どうしてだって思ってたんだろ。ま、そりゃ分かる。だって俺、あの日までお前の家なんて行ったことなかったし。…で、じゃあ何で今はしょっちゅうお前ん家にいるんだろうな?」
「…どういう意味だ?」
まるで分からないというふうに眉を顰めるルードに、レノはワザとらしい溜息などを吐いてみせる。
確かに、言われてみればそうかもしれない。
例えばこんなふうにレノが気軽に家に上がりこむ状況でなければ、多分あのパソコンの存在も気付かれはしなかったろう。そうすればこのような事態は起こらずに済んだともいえる。
しかしそれにしても、あの夜に初めて家に上がったなどというのは驚きだ。
あの頃の事はあまり詳しく思い出せないが、レノと親しい仲だったというのは分かっている。だから何となく、家に来るのも普通のような気分になっていた。
けれど、それは違うらしい。
何かのキッカケが、あったらしい。
「あの夜、誰かにやられて…お前は俺を見て呆然としてた。何で、って顔してた。驚いて言葉も出ないって感じで。その後病院行って…お前その間ずっと俺に謝り続けてたんだぞ。俺は別に気にすんなって言ってんのに、何だか人生終わりましたって感じの顔しちゃってさ」
あれは貴重だった、などと茶化しながらもレノは言葉を続ける。
懐かしいものを思い出すふうにしながら。
「じゃあ復活するまでお前ん家にいようかなって言ったら、お前はそれで良いって言った。――――そっからだろ、何か色々…何っていうか変なことになったの」
「そう…だったか?」
「そうだって。俺の手が使えないのを良いことに、まー色々やってくれちゃってさ。おかげでコッチは人道反れたぞ」
「…すまん」
大真面目にそう謝ったルードに、レノはすかさず「おいおい、冗談だって」などとフォローを入れる。
別に非難しようというわけではないのだ、単にこれは思い出話の一環なのだから。
「…ま、そんな訳で。俺は俺なりに相棒の悩みを解決したかったんだよ。ただそんだけ」
レノは今回の出来事でどうしてそうした行動を取ったのかのついてそう結論付けると、だから俺が悪い、などと締めくくった。それを聞いたルードは黙り込んでおり、特に動きもない。
そのせいなのか、レノはすっと立ち上がると、じゃあ俺はこれで、などと言ってその場を去ろうとした。そんなレノを止めるでもなく、ルードはやはり黙り込んでいる。
何歩か歩いて部屋のドアまでやってきたとき、レノは歩を止め、振り返らないままにこう言った。
「…あの夜さあ、夕飯なんて作れないからってお前、ピザなんか頼んだよな。油こくて参ってミネラルウォーター買ってこいって言ったら、こんなの初めて買ったって文句言ってた。飲みきれないってのに1リットル4本も買ってきてさ」
「……」
「それからお前、俺の服ばっか入ってる洗濯機ガラガラ回してた。…いつもだったら絶対そんなのやらないクセに」
「……」
ガラッ、そうドアの開く音が響く。
そして、その後に最後の声が響いた。
「でも!…ちょっと、嬉しかった」
翌日、レノに下された処分は想像を遥かに超えるものだった。
もうこの際何でも良いと思っていたレノにとってそれは、かなり意外なものであったといって良い。
その処分とは―――――。
「…何コレ。全部俺?」
「ああ、そうだ」
デスクにこびりついて目前の紙ペラ一枚を凝視しているレノに、ツォンは少し笑ってそう言った。
「有能なタークスがクビなどもっての他だ。まあ社長もその辺りは判っておられたのだろうが。――――仕事は二倍になったが、まあ精進してくれ」
「はあ…」
目前にある紙には、仕事のスケジュールが事細かに刻まれている。本来ならこれの半分しかないはずの任務が、何故だかわんさか…要するに二倍の仕事をこなせ、ということだ。
どう考えても、一つしかない身では無理である。
「寝る間も惜しんで、か。ウチの会社って過労死したら労災おりるかな」
「大丈夫だ、死なない程度に組んである」
「げ…」
笑いをかみ殺してそう言ったツォンは、それに、と言葉を続けてドアの向こうを見遣った。
「ルードも一緒だ。二人ならできるだろう?」
ツォンの視線は、どうやらドアの向こうにルードが待機していることを示しているらしい。それを理解したレノは、なるほどと笑って、
「じゃ、行ってこようかな」
と立ち上がった。
「待て、レノ。お前の場合は怪我の事も考慮して、数日間は通常業務になっている。それまではルードが責任を持つといってくれているから、今日は張り切らなくても良い」
「へ?」
ああ、そうか。そういえば手を怪我していたのだった。
そのことを思い出してレノは少し立ち止まる。
しかし、忘れているくらいの怪我なのだからそれほど大事でもない。勿論それは一般的にいえば大きな事なのだろうが、レノにとってはそれほどのことでもないのである。
例のあの夜の怪我も、本人としてはそれほど気に留めることでもなかった。…もしかしたら感覚がどこか普通と違うのかもしれないが。
レノは思いついたように含み笑いをすると、ツォンに向かって言った。
「じゃーアレだ。今日はまた精子不足になりそうかな」
「は?」
不可解な顔をしたツォンに向かってフォローも入れずに身を翻したレノは、じゃ、と言って部屋を去っていく。
ドアの向こうでは、笑い声が響いていた。
END
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