問題ない日常と不満ない平和が淡々と続いていく。
世の中は退屈に頭を擡げ、偶発的・自然発生的な享楽が自分の身に降り注ぐことへの期待に満ち満ちていながらも、それを裏切るかのように平和なのである。それは丁度、寸分の狂いもなく時を刻む時計のようだった。
陽が昇る、月が現れる。
時々によって変わる姿に何かを期待するも、時間の流れることそれ自体に変化はなく、欠伸が出るくらいに際限なく正確に秒針を刻む音は続いていく。
仮にこの時計が止まれば、どんなにかスリリングで最高の退屈凌ぎになるだろう。
「ねえ、あの人死んだらしいよ」
ふと、俺の脇でテレビを見ていたクラウドがそう口にした。見ると、なんとかいう軍のお偉方が死んだというニュースが流れている。見たことのある顔だが、興味がないので覚えていない。
「どこもこのニュースでいっぱいだよ。余程凄い人だったんだね。セフィロス、会ったことあるんじゃない?」
「多分な。だが覚えていない。興味もない」
「ふうん。冷たいね」
「冷たい?」
俺はそのよく分からない感覚に眉を顰めた。何故俺が冷たいということになるのだか分からない。むしろ俺には、死の時ばかり噂され、まるで取り繕ったかのように悲しむ人々の方が随分と劣悪だと思われる。
また、こうして死がニュースにされ、それが結果的に誰かにとっての退屈凌ぎになっていること、つまり享楽の部類にされていることも許しがたかった。
何しろ、そう、自分の命は犠牲に出来ないと言うのに誰かの命であれば喜んで犠牲にできるというわけなのだから。それも些細な退屈凌ぎのために。
「殉職だって。セフィロスはそんなことにならないでね」
ひとしきりブラウン管の向こうの見知らぬ偉人の死を堪能したクラウドは、俺の方を見やると、ふいに正反対なことを口にした。
俺は思わず笑った。
「なぜ?殉職が嫌か?いずれ死は誰にも訪れる。仙人でもなければな」
「そうじゃなくて…」
クラウドは口を尖らせると、少し考えた後にこう言った。
「でも、そうだね。出来るなら仙人であってほしいよ」
「仙人に?その方が良いというのか?それでは永遠に生き続けることになる」
「良いじゃん。その方が俺は安心だよ。だって、好きな人の死なんて立ち会いたくないもん」
随分な理屈だ。
理解できないではないが、それにしても酷い。先ほどブラウン管の中の偉人の死をさらりと口にした、その同じ人間の言葉とは思えない。更に言わせてもらえば、本当に俺を好きだと思っている人間ならば絶対に出せない言葉を出してくれたものだと思う。まったく酷い。
世の尊い教えは大方、人の命は大切だと説いている。それはもう既に定石で、俺もそれを否定するつもりはない。どんなに俺がその命を奪ったとしても、俺は命を軽んじているわけではないのだ。
だが、人の命にはどうやら差が存在しているらしい。
人が主観で生きている限り、その格差はなくならないのかもしれぬ。
自分とは縁遠い誰かが死ねば、信じられない、悲しい、と驚き涙しながらもそれだけで事は終わる。その後は関心もない。そんなものはただの会話であり、話題であり、出来事に過ぎない。
ところがひとたび身近な人間が死ねば、そんな軽い言葉では済まされない。先ほどのクラウドの言葉がそれをよく証明してくれている。あいつは言ったのだ、俺に仙人になれ、と。そうすれば自分は死に立ち会わなくても良いからと。
「じゃあ聞くが、俺が仙人になり、やがて人間のままのお前が死んだらどうする?」
「どうするって、別にどうもしないよ」
「そんなことはない。お前は、俺にはお前の死ぬ目に立ち会えと、そう言うわけだろう?俺にだけ辛い経験をさせようという魂胆なわけだな」
「別にそんなつもりで言ったわけじゃないけどさ」
クラウドは再度口を尖らせた。少しばかりむくれている。
普通であればフォローでも入れるのかもしれないが俺はそんなことはしたくない。俺の言葉のどこにも撤回する余地はないし、そもそも俺は不正なことは言わない。
そんなふうに頑としている俺の前で、クラウドがもそもそとしながらこう言った。それは、思わず俺を驚かせるほどの台詞で。
「あのね、セフィロス。俺は、セフィロスにああいうふうになって欲しくなかっただけ」
クラウドはそう言うと、テレビを真っ直ぐに指し示した。
テレビは今や軽い世間話のような話題を伝えていてもう既に先ほどのような暗さはない。がしかし、クラウドが示しているのは確実に先ほどの偉人の死についてだった。
「セフィロスが死んだりしたら、きっと、ああなっちゃうよ。俺はそれが嫌なんだ」
「ああなる?」
「セフィロスも偉人だから、ああいうふうに報道されるんでしょ。そしたら、俺は凄く悲しいけど、セフィロスのこと知らない人はテレビ見て驚くだけで、後はもう何も思わないよ。そんなこともあったね、で終わっちゃうよ。そういうふうになるのが嫌なんだ。だってそんなの悲しいし辛いし…なんか悔しいから」
俺はクラウドを見ながら、返す言葉が浮かばないでいた。
それもそうだな、などという平易な言葉を返す気にもなれない。かといって、すばらしい考え方だと誉めるのもどうかしている。しかし、思いがけない言葉を聴いたという気持ちであることだけは確かだった。
「――――誰だって同じようなものだ」
数秒後、結局俺の口をついて出た言葉はそれだけだった。
クラウドを責めているわけでもなんでもない、ただの呟きのような言葉だ。
命の重みは平等なのに、主観がそれを差別する。
そう心の中で批判し悲観したばかりだというのに、どうやら俺というやつも相当いかれているらしい。
先ほどのクラウドの一言だけで、俺の気持ちはすっかり動かされた。
クラウドはあの偉人の死を悼まない。
しかし俺の死を目にしたら心から悲しむ。
そして俺の死を悲しまぬ人間について悔しがると言う。
もしかすると、俺の身が滅ぶときこそ――。
そのときこそ、クラウドが最も俺を愛するときなのかもしれない。
「なるほど。時間がずれると、どちらにとっても辛い結果になるというわけだな」
「時間がずれるって?」
「だから。どちらかが先に死ぬ、ということだ」
もし、この身の滅ぶのに時間のずれがなかったら、どちらも悲しまずに済むのだろう。ブラウン管に映りその場限りの人がその場限りの涙を流そうが、その後どれだけ無関心になろうが、俺もクラウドも傷まずに済む。
…ああ、そうか。
なるほど。
俺は了解した。つまり答えはこうだ。全てのものが平等に、同じ時刻に消えてなくなれば良い。そうすれば誰も主観で命を計れなくなる。完璧なる命の平等さが、そこには在るのだ。
「クラウド、お前は時間を止めることについてどう思う?」
「え?それ、どういうこと?」
「もし…もし時間が止まったら、面白いと思わないか?」
「ええ?そんなことできるの?」
驚くクラウドを前に俺は笑った。マテリアでストップをかけるような陳腐なものじゃない。あんなのは最早子供だまし。もっともっと壮大な、この時を止めてしまえればどんなに良いだろうか。――それは、できないことじゃない。できないことじゃないのだ。
そう、誰だって望んでいるだろう?
問題ない日常と不満ない平和。世の中はあまりにも退屈で、偶発的・自然発生的な享楽が自分の身に降り注ぐことへの期待に満ち満ちている。それなのに寸分の狂いもなく時計が時を刻むから、相変わらず何もない退屈が蓄積されていく。
皆、退屈凌ぎがしたいのだ。
そう、最高にスリリングな。
この時計が止まれば、それほどスリリングで最高の退屈凌ぎはないだろう。
END