愛した記憶:ヴィンセント×クラウド
愛したことは、ねえ、過去になっちゃうの?
人の気持ちが移ろいやすいなんてことは、もう良くよく分かってることで。
だけど俺はそれを信じたくなくて、どうにか、誰か、そんなことないよって、そう言ってくれることを望んでた。
目の前には、ごく自然に食事をするヴィンセント。
そして、俺。
すっかり正常化した世界の中で、俺は俺なりの生活をし、ヴィンセントはヴィンセントなりの生活をしている。
そして、時折こうして会っては、食事をしたり、酒を飲んだりする。
今日のチョイスは、ヴィンテージワインだ。
だけど面白いのは、そのヴィンテージワインが、俺の生まれ年のものだったってこと。
つまり、それほど時間は流れている。
俺の人生と同じ時間の流れは、この一本のヴィンテージワインを作るに至ったってことだ。
その上、どうやらこの店には、懐かしいメロディが流れていた。
俺はその曲を知ってる。
俺が神羅で兵士をしている頃、ミッションに向かうトラックの中で、ラジオから流れていた曲の一つだったからだ。
そして目の前には―――ヴィンセント。
ヴィンセントとは仲間だったけれど、本当のところ、それだけにはとどまらない過去があった。それはやはりあの戦いのさなかのことで、あのころの俺は今に比べるとやはり不安定で、どこかで誰かに依存しなければならなかったんだと思う。
ティファやバレットに依存することは、心情的に許されないことだった。だってアバランチのメンバーで、当初から一緒に行動していたから。
その点ヴィンセントは途中から仲間になったくらいで事情も深くないし、寡黙で真面目で秘密は守ってくれそうだったから、俺にとっては最適な人材だったんだろう。
依存した先のヴィンセントは、ものすごく優しかった。
俺はその優しさに満たされた。
それが俺の我儘で始まったことだという事実も、それ故に長続きを求めるべきものではないという事実も、俺はずっと忘れていた。
けれどいつか戦いは終わり、俺達仲間の役割は果たされ、それと同時に俺の依存も何とか断ち切らねばならなくなった。
なあ――――――ヴィンセントは、あの頃のことを覚えてるか?
あの頃ヴィンセントは、俺の我儘の為に俺を抱き、そしてキスをして、こう言ってくれた。お前が好きだ、と。それはあるいは便宜上の嘘だったのかなとも思う。だけど俺は、その時のヴィンセントの目を見て、嘘じゃないと勝手に確信していたんだ。
その言葉は、態度は、俺を生かした。
だから俺は今ここにいるんだ。
なあ、あの言葉は、やっぱり過去になっちゃうの?
過去のものでしかなくなっちゃうの?
過去じゃないよ、って。
それは今も一緒なんだよ、って。
便宜上の嘘だったかもしれないのに、それでも俺はそれを信じたくなくて、どうにか、ヴィンセントに、そんなことないよって、そう言って欲しいと望んでた。
「どうした、手が止まっているぞ」
「え?」
「人との食事中に考え事というのはあまり誉められたものじゃないが」
「あ…うん、ごめん」
俺は急いで食事を再開した。
いつか聞いた曲を聴きながら、俺が生まれた年のワインを飲んで、あのころじゃ手が出せなかった料理を食べる。目の前にはヴィンセント。その事実は嬉しいけど、何だかどうもしっくりこない。
それはつまり、俺が思うことと、ヴィンセントの思うことが、きっと共通していないから。それなのに今俺達は、この場所を共有しているから。
そのバランスが、おかしいんだ、きっと。
「なあ、ヴィンセント」
「何だ?」
「あの、こんなこと聞くのは難なんだけど、どうしても気になってるから言うんだけど…。昔と――その…ヴィンセントの気持ちは変わっちゃったのかな」
「……」
突然の俺の言葉に、ヴィンセントは黙りこんだ。
だけどその表情は驚くというふうでもない。
ヴィンセントの口からは暫く何の返答もなくて、それは時が止まったみたいで、俺は何だかその沈黙に耐えられなくて…いや、もしかすると俺の希望しない返答が返ってきた場合の保険としてかもしれないけど、ともかくこんな言葉を口にしていた。
「そりゃ、その…人の気持ちが移ろいやすいなんてことは、もう良くよく分かってることだけどさ。でも…」
「――分かってるじゃないか」
「え?」
俺は耳を疑う。
分かってるじゃないか、って…それはつまり肯定の言葉?
気持ちはどこかに移ったって、そういう意味なのか?
茫然としている俺の目の前で、ヴィンセントはワイングラスを手にした。そうしてその中のワインを一口飲むと、ゆっくり俺の見てこう言った。
「お前の言うとおり、人の気持ちなど移ろいやすいものだ。――――私の気持ちは昔からひと欠片も変わっていない。変わったのはお前の気持ちの方だ」
「俺の気持ちが…変わった?」
「そうだ。時間は、過ぎ去った年月に価値を与える。例えばこのワインだって、最初はただのブドウでしかなかったのに時間がヴィンテージものに仕上げたのだ。今こうしてテーブルを囲んでいる私達は、ただ食事をしているだけに過ぎないのに、私達が過去過ごしてきた時間があるからこそ“久々の再会”などというものに仕上がってしまう。―――お前の気持ちも同様だ、クラウド。お前が今心に描いているものは、時間が仕立て上げた幻想に過ぎない」
「幻想――…」
嘘だ。
嘘だろ、ヴィンセント?
じゃあ俺は、本当はヴィンセントのことなんか好きでもなんでもないってことなのか。そんなの、俺じゃないヴィンセントにどうして分かるっていうんだ。
でも―――、
言われてみれば当初の俺は、依存先としてヴィンセントを頼っただけだったはずだ。その時点であったのは仲間意識くらいのものだったろう。
だとすると俺は、今さっきまで思っていた俺の気持ちは、何だったんだ?
「俺は……」
ああ――――そうだ。
愛した記憶、なんて、あったっけ―――…?
いや、
―――――無かったのかもしれない。
「…俺、ヴィンセントのことが好きなのかと思ってた」
俺がそんな間抜けなことを呟くと、ヴィンセントは少し笑った。本来だったら喜ぶべき言葉なのかもしれないがな、なんて言って。
俺の耳にはいつか聞いた音楽。
だけどそれは一つの音楽に過ぎない。
俺の目には俺が生まれた年のヴィンテージワイン。
だけどそれは一つのワインに過ぎない。
この食事の時間だって、久々の再会なんかじゃない。
ただ単に、食事の席に過ぎない。
俺の瞳には――――ヴィンセント。
それは、過去仲間であり、過去依存した相手であり、今の今迄好きだと思ってた人。だけどそんなの結局関係なんかない。
目の前にいるのは、ただ、ヴィンセントなんだ。
俺はちょっと笑った。
少しだけ、心が軽くなった気がしたから。
そうだ―――――、
そこにある物も人も事象も、ただ、そのものでしかないんだ。
「なあ、ヴィンセント」
「何だ?」
さっきと同じ会話。
だけど、俺の気持ちはさっきとは違ってる。
「あのさ、もしも…だけどさ。今、この瞬間から、気持ちを変えるっていうのは、良いのかな。例えば――――今から好きになったら、ダメ?」
「そんなことはない」
ヴィンセントはそう一言だけ言って、笑った。
だから俺は嬉しくなる。
そんなことないよ、って、誰かに言って欲しかった。それは最初、気持ちは変わらないって証明をしたかったから。
だけど今の俺は正反対のことを思ってた。正反対のことを思ってたのに、欲しかった言葉をヴィンセントがくれた。そのことが、俺は嬉しかったんだ。
愛することは、「今」の先の「未来」にあるのかもしれない。
END