16:二個の顔
本当に欲しいものを、手に入れたくなっただけだ。
それは最初、欲しいものなんかじゃなかった。
誰かが望んだもの、ただそれだけのものだった。
そしてそれを手に入れるためには――――――まず、必要なものがあった。
まず必要なのは、自分。
たった、それだけの事。
ヴィンセントが異変に気付いたのは、とても些細なきっかけが原因だった。
いつものように振る舞っているのに、それでも頭の中にクラウドのことが渦巻いて仕方無い。
そんな感覚に襲われながらも微笑したり戦闘をしたりを繰り返していた時分のことである。
相変わらず暗かったクラウドの表情の中に、違和感を覚えた。
それは本当に一瞬の出来事だったし、多分誰も気付いていないだろう。
けれど、ヴィンセントは確かに見たのだ。
あの、見覚えのある余裕の笑み。
それを、ほんの一瞬だけ、暗い表情の中でクラウドは見せた。
しかし状況的にそんな表情を漏らすような場面ではなかったし、もしそれが無意識の行為だというならとてつもなくおかしいと思う。
今までクラウドが昼にそんな顔を見せたことは無い。
ヴィンセントにとって、今やクラウドは昼と夜とで分別して考えるべきものである。だからこそそれは妙であり、何だか嫌な予感すらした。
“あの顔は、夜の彼だ”―――――――確信できたのは、そんなことだった。
何だか妙だ。
そう思い暫くクラウドから目を離さずにいたが、それ以外に別段おかしいところはなかった。
とはいえ、やはりクラウドはチラチラとこちらを見てきたりする。
その行為の理由についてはもう答えを出してもらえないと理解しているから、さして気には留めていない。
しかし、あの一瞬の表情についてはどうしても気にかかった。
何なんだろうか――――――あの、表情は。
夜のクラウドが、昼に顔を見せる。
そんなことがありうるのだろうか。
仲間たちと行動しながらそんなことを考えていたヴィンセントは、夜になってから、はっとあることを思い出した。それは、夜のクラウドが口にしていた言葉である。
“俺を救ってくれよ”
「救う意味…」
確かクラウドは、あんなふうに会うだけで救われると言っていた。
あの密会のような時間は、今や和んでさえいる。それは以前までのクラウドからは考えられなかった行動であることは確かだろう。
―――――まず、クラウドが表情を暗くさせる。
―――――そして、不可解な行動が始まる。…それは夜のあの行為のこと。
―――――そしてクラウドは、分裂した。
昼と、夜と。
―――――昼は、暗い表情。夜は、余裕の笑み。
“クラウド”と“クラウド”は別々の顔を持っていて。
それは、交わることが無くて。
―――――昼のクラウドは、夜の自分を知らない。
―――――夜のクラウドは、昼の自分を知っている。
そして、真実が見え始めた頃に“彼”が望んだことは。
―――――昼のクラウドは、真実を望まなかった。
―――――夜のクラウドは、救って欲しいと言った。
つまるところ、この経過は。
昼の彼は、深みに嵌るように塞ぎこみ、
夜の彼は、深みから脱するように救いを求める。
―――――――何だ、これは?
あの行為が好んでやっていたことではなかったとしたら、それは単に自暴自棄だったということだろうか。
救いを求めるその姿が、最初から真実だったとすれば…?
交わることの無かった顔が、今、少し重なっているその理由は何だというのだろう。
彼は言ったのだ。会うことが救いだと。
救いの意味。
意味は―――――?
“俺はクラウドだ。俺は全てを知ってる”
“自分がどうして此処にいるかってことも、全部…な”
誰を救いたい?
クラウドはそんな言葉に拘っていた。
ヴィンセントに救いを求めた彼は、ヴィンセントに向かってそう聞いたのだ。
その相手がクラウドだと言っても、そこには”二人”の彼がいた。
夜の彼が望んだ答え……それは、あの他愛無い問い。
”なあ、ヴィンセント。俺と、昼の俺。…どう思う?”
本当なら比較できないはずの二人を比較して、ヴィンセントは答えた。
”私見だが、今目の前にいるお前のほうが接しやすいとは思う”
それに対して彼は―――――とても、満足した顔をした。
「…まさか…そう、なのか……?」
仲間に取り残されそうになるのにも構わず立ちすくんだヴィンセントは、地に視線を落とし、髪をかきあげた。
夜のクラウドが存在しているのは、確実に昼のクラウドが原因だろう。
けれど問題はそれではなく、そもそもクラウドという人間は、昼に息をしているクラウドでしかないのだ。
昼に少し暗い表情でヴィンセントを見遣るあの彼が―――――クラウド・ストライフなのだ。
だから、それは……
クラウドは、“一人の人間”でしか、ない。
「だから…そうだ。―――――……に、なる」
仲間の誰しもが“クラウド”と聞けば昼の彼を思い出すように、クラウドという人間は一人でしかない。
二人、存在などできるはずがない。事実、身体は同じなのだ。
けれど人格だけが二つになり、そして今二つの人格はバラバラの動きをしている。
夜の彼は、夜という限られた時間にしか顔を見せないが、誰しもが認識している“クラウド”という人物は昼の人格とイコールである。だからそれは、いわば劣勢ともいえる。
もし―――――それが崩れたら。
夜の彼の人格が昼に現れたとして、それを仲間が見たときに思うことは…。
そう―――――それでも彼は“クラウド”なのだ。
辿り着いた考えに、ヴィンセントは唇を噛んだ。
救うことの意味は、それだったというのか。
あまりに違う彼の顔に、違う人間という意識で接していた。勿論それはそうだったのだろうが、それでもあれはクラウドなのだ。
記憶があるとか無いとかの問題でなく、一つなのだ。どちらの人格がどうだとか、そういったことでもなく、一つ。
「駄目だ、このままでは……!」
そう一人口にして、ふっと前方を見遣る。
仲間の姿はもう既に小さくなっており、どうやら取り残されそうになっていたということに気付く。
戦闘という状況に意識を集中しなければならないのに、それができない。
とにかく仲間の後を追おう、そう思ってヴィンセントが足を踏み出した瞬間、ふっと後ろから声がかけられた。
誰だ、そう思って振り向く。
「…お前…っ」
振り向いたそこにいたのは―――――クラウドだった。
「どうしたんだ、ヴィンセント?」
クラウドは、ヴィンセントの顔を見ながらそんな言葉を放つ。
いつの間にこんなところにいたのだろうか。それに気付かなかった自分も自分だが、仲間が離れていっているというのにリーダーたるクラウドが此処にいるのも何だか変な気がする。
しかし、そんな事を考える余裕はすぐに吹き飛んでしまった。
「…早く行かないと、見失う。…だろう?」
ゆっくり、とてもゆっくり、クラウドの口がそう動く。
そしてその口元は、すっと、ごく自然に―――――。
あの、笑みを見せた。
「…ク…ラウド、…っ」
目を見開き、信じられないというような声でヴィンセントはその名を呼んだ。しかし、そんなヴィンセントには構いもせずにクラウドは笑っている。
「何をそんな驚いてるんだ、ヴィンセント」
「…お前、どうして…」
「“どうして”?…何の事だ?」
そんなことは、この目前のクラウドが一番分かっているはずなのだ。それをシラをきるように、そんなふうに言う。さも当然のように。
暫く沈黙が続いた後、笑いながら溜息を漏らしたクラウドは、
「気付いたんだ?」
そう一言、ヴィンセントに言った。
そのあとに向けられた目は、真面目そのものだった。