神羅の影:11
仕事の斡旋をしてくれている者は限られている。なんでも屋と称しているのだから大体の仕事はこなすものの、そのなんでも屋に仕事を斡旋してくれる者はそうそういない。
信頼性の問題もあるが、大体それほど大仰な仕事はない。
信頼性の点からすればザックスの経歴は実に良く役立っていたが、しかしそれに見合った仕事があるわけでもなく、雑務程度の仕事をそれなりのギルで受けるのが普通だった。
それなりのギルをくれる仕事は大体裏の仕事で、そういう場合は神羅の経歴は役立つものの、いろいろな意味で危険が伴いすぎる。それは身の危険というよりも、身元が割れる、という意味合いで。
だから仕事の無い日があるのも当然で、そういう日は大体瓶底オヤジの手伝いをしていた。これはあくまで奉仕と同じで、泊めてもらっているのだから当然だという考えである。
瓶底オヤジはもう年もそこそこだし、ザックスのような青年が一人いれば力仕事などの点で実に助かる。
その日は仕事も無く、ザックスは例によって瓶底オヤジの手伝いをしていた。
手伝いは至って簡単で、瓶底オヤジの経営する店の掃除だとか荷物の整理だとか、そういった類のものである。しかしその日は買い物をしてきて欲しいと言われ、ザックスは買い物へと足を運んだ。
クラウドには栄養のあるものを食べさせないとな、なんて言っていたから、食料も含めた買い物をする。
壁がイカれてきていてそれを修理したいと言っていたから、その修理用品も買い加える。
それらを全部買うと結構な荷物になって、これでは自分のような者がいた方が楽だろうと改めてザックスは思ったりした。
けれど、時々思う。
こうしていられるのもいつまでだろうか…、と。
もしこのまま平穏無事であればいつまででも手伝うことができるし、クラウドも安全である。一生そこに居つくわけにはいかないといっても、暫くはこうして手伝うことができるのだ。
しかし、もし自分の身に何かあったら…その時点で全てアウト。
瓶底オヤジには結構なギルを預けてあり、それは何かあった場合にクラウドの面倒を見てもらえるようにとの、そういった意味での資金である。しかしそれも思えば勝手な話だな、と思わざるを得ない。
瓶底オヤジはもう随分と年だし、問題さえなければクラウドの方が長く生きるのは分かりきっている。そういう状態でクラウドの面倒を見てもらうというのは、多分に瓶底オヤジに負担をかけることになるだろう。
稼ぎ頭のザックスがいなくなってしまったら瓶底オヤジの店の金だけでやりくりすることになるだろうし、何しろ精神的に負担が大きい。
それに…クラウドは。
自分がいなくなったとして、今度は瓶底オヤジがいなくなったら…その時はどうなるのか。
そう考えるともう一つくらい保険をかけるべきかもしれないが、しかしそこまでのことを頼み込める人物などそうそういない。一瞬ルヴィの顔が浮かんだが、さすがに彼にそこまでを頼むという気にはなれなかった。
それにそうして二重に保険をかけるのは、何だか瓶底オヤジに悪いような気がした。
買い物を終えて戻ると、瓶底オヤジは早速のように壁の修理をザックスに頼んだ。だからザックスはその作業をこなす。
そうしている間、瓶底オヤジは家業の靴修理と靴磨きに手を入れながらザックスに話しかけていた。
「なあ、ザックスよ。お前さん、仕事の方はどうなんだ」
「ん?仕事?」
聞かれて、ザックスは取り敢えずのところ「順調だよ」と返す。しかし実際に順調といってもゴロゴロと仕事が転がっているわけでもなく、例えば今日こうして手伝いをしているのもその良い証拠である。
瓶底オヤジはチラと眼鏡の奥からザックスを見遣ると、そうかねえ、などと言った。
「おかしな事があるとはいえ、世間様はまあまあ平和だ。こんな平和なご時世になんでも屋…まあ悪かあないが、上手い商売とも言えないだろうよ」
「おいおい、何だよ。今日はやけにつっかかんなあ」
ザックスが笑いながらそう切り返すと、瓶底オヤジは磨きたての靴を脇に置いて、新しい靴を磨き台に載せる。そうしてまた新しく磨き始めてから、こんなことを言い出した。
「…まあ何だ。前々からお前さんには言おうと思ってたんだがな。―――お前さん、この店を継がんかね」
「……へ?」
突然そんな言葉を振られて、ザックスは思わず手を止める。
店を継ぐ―――――そんなことは、考えられない話だ。
しかし瓶底オヤジは、相変わらず靴を磨いていてザックスの方には振り返りもしない。
「お前さんのような商売は安定がない。まあデカイ仕事でも入ればボロ儲けもできるが、不景気だとボランティアで壁の修理をするくらいのもんだ」
今みたいにな、そう言われてザックスは修理している壁を見詰めた。
「この店はボロ儲けはできないが、安定はしておる。まあ早い話、落ち着くのが最良だ」
「落ち着くって……俺、そんなの出来ないし」
「ガールフレンドもいないのか?お前さんのナリで?」
「…今はな。そんな場合じゃないから、さ」
まあそうだろうがね、そう呟きながらも瓶底オヤジはキュキュッと靴を磨き上げていく。手の止まっているザックスの壁の修理より、余程その作業は早い。
その靴を磨く音の中で、ザックスは言葉を放った。
「そんなこと言って…瓶底オヤジはどうするつもりなんだよ」
「ワシか。お前さんが継いでくれるならワシは引退だろうな。…ワシには家族がいない。今まで自分がこの店を守るしかなかった。…だが、そろそろ体もきつい」
「……」
そんなふうに言われると、どういうふうに答えて良いかますますわからなくなる。
詳細は知らないものの瓶底オヤジが一人身であることは聞かされて知っていた。近所付き合いも上手い方ではないし、どちらかといえば偏屈親父といった方がしっくりくるだろう。
けれど、それでもザックスにとっては親切だったし、良く理解もしてくれた。だからザックスは瓶底オヤジが好きだったし、こうして手伝いができることは何よりだと思っていたのである。
そんな中で、店を継いで欲しいなんて言われたら。
本来それは家族などが継いで然るべき家業であって、世話になっている身分ではありえないことなのに、そう言ってくれたことは多分―――――…。
「ワシはなあ、ザックス。長い間独りで生きてきたから、お前さんやクラウドを見とるとまるで孫でも出来たみたいなんだ。話ができなくてもクラウドはちゃんとそこに居る。お前さんは家みたいに此処に帰って来る。…ただいま、なんて言ってな」
「うん……」
「まるで家族みたいでな」
―――――――家族。
まるで忘れていた言葉が、ザックスの心に響く。
その響きはザックスの記憶を支配し、靴を磨く音の響く部屋の中に、思い出を広げた。
それは……昔の、昔の、思い出。
「…俺、ゴンガガの生まれなんだ」
「へえ、そうかい。あそこも長閑なところだろう」
「ああ、そうだった。子供の俺には、あんまりに平和で退屈だったな。10歳の時に飛び出して以来、ゴンガガには帰ってない。そっから…俺は神羅カンパニーに入って、仲間が出来て…楽しかった。いっつも周りに誰かいて、独りなんて思ったこと無かった」
けれど、今は……。
「でも事件が起きて、そっから俺はクラウドを連れて逃げて…何だかそっからさ…独りだなあって思う事が増えた。友達はいる。昔と一緒だ。…それなのに、昔と一緒なのに何でか独りだって思うんだ」
何でなんだろうな、そう付け加えてザックスは暫く止めていた手を動かすと、寂しい様子で笑う。
その脇で止まることなく続いていた靴磨きの音は、その時になってふっと止んだ。
そうして、瓶底オヤジの声を響かせる。
「それはな、ザックス。大きな矛盾だろうよ」
「矛盾?」
「人は誰も孤独なもんよ。しかして独りでは生きていけない。おかしなもんだなあ、矛盾しておる。けどそんなもんだろうよ。お前さんが今迄ずっと孤独じゃないと思ってたのは、孤独の意味を知らなかったからだろう。孤独を知ると、人の温かみが分かる。人の温かみが分かると、やっとそれを大切にできるようになる。寂しい時ほど昔を懐かしんだりするのはその為だな。孤独を知らないままに生きれば道もまた見つからない。いつも誰かに依存する体たらくだ。孤独とは、自分を知ることよ」
「道…か」
どうしてこう同じことを言うのだろうか。
あの時のセフィロスも同じことをいっていた。いつも独りでその部屋にいたセフィロスは、窓の外のグレーを見詰めていた。
一生の任務は何か?…いってみればそれは「道」だ、と。
孤独とは、自分を知ること。
孤独を知ることは、道を見つけること。
本当に自分を知ったとき、そこに道を見つけることができる。
――――――“自分がなすべきこと”は、何なのか…?
「…あいつは…」
セフィロスは、あの事件で正しく“本当の自分”を知ってしまった。そして彼は判断したのだ、その後の自分の歩みを。それはザックスやクラウドを傷つけ、あまりにも深い傷を作った。あまりにも腹立たしいことだった。
だけど…それでもいつも、思っていたのだ。
あの一年半前の事件で、セフィロスが自分たちを裏切ってどこかに消えてしまった事。それを心の底から責めることは、多分…絶対にできないのだ、と。
現状の苦しさを引き起こしたのはセフィロスが原因だし、安直に彼を思えば腹も立つ。それは当然だ。
だけれど、かつてあの部屋でセフィロスが零した言葉を思うと、それは彼の見つけたかった答えそのものであり、それは彼にとっては正しいことでしかない。そう思うと、誰もセフィロスを責めることなどできないのだと思う。
だってあの「道」は、セフィロスにとっては「正しい道」だったのだ。
他の誰が何を言おうと彼にとっては正しい道で、彼でもない他人がそれを責めることなどどうしてできようか。それは、かつてのセフィロスが常に持っていた自己の正義と、正しく同等なのだから。
だから…だからこう思うしかない。
安直にセフィロスを責めるのではなく、“何故こんなふうになってしまったのか”、と。
“ザックス、道を見つけたか?”
ふとそう声が響き、ザックスははっとする。
急いで振り返り見ると、そこには靴を磨く瓶底オヤジの顔があった。
「ザックス、お前さんは道を見つけたのか?」
「え…」
ああ…今のは、瓶底オヤジの言葉か。
――――――…一瞬…セフィロスかと思った。
「ああ…多分、見つけた」
ザックスはふっと笑うと、そう口にする。その言葉に瓶底オヤジは珍しく目じりに皺を寄せて笑うと、
「じゃあ、今の話は無かったことにするとするかな」
そんなことを言う。
だからザックスはこう言った。
「でも俺もクラウドも、瓶底オヤジの“家族”だ」
だって今此処は、大切な大切な“帰る家”なんだから。