真実の選択肢:20
「待て、ザックス!」
そう呼び止める声が聞こえて、ザックスは咄嗟に瓶底オヤジを振り返った。
すると瓶底オヤジは、「ちょっと待ってろ」などと言って、何やら奥の方に姿を消していく。そして数分後にまたザックスの前に姿を現すと、奥の方から取り出してきたらしい何かをザックスの手に握らせた。
「瓶底オヤジ?…これって」
「なあに、たまにはパアッとやってこい!このところ真面目だったんだからな、そのくらいハメを外した方が良いだろう」
ザックスの手の中にあるのは、どう考えてもギルである。
包みにくるまれているから詳細は分からないが、結構な金額のような気がする。
きっと瓶底オヤジがこつこつ働いて稼いだ金の一部なのだろうが、まさかそれを一夜の酒場代として握らせてくれるなんて信じられない。
しかし驚いているザックスの前で瓶底オヤジは、背中を押すようにこんなことを言った。
「たまにはクラウドも外に出してやると良い。外の空気でも吸わせて、一緒に歩いてみるのも良いだろう。昔はそうだったんだろう?たまには良いもんだよ」
にっこり笑ってそう言う瓶底オヤジに、それでもザックスは暫く声が出せないでいる。
だって、クラウドを連れてなんて―――そんな事を言われるとは思ってもみなかったから。
実際には少し前にもクラウドとは外に出かけたのだが、それはザックスだけの秘密なのだから、瓶底オヤジにとっては正に妙案というところだろう。世話をしてくれるだけでなく。そんな事まで提案してくれるなんて、何だか胸が痛くなる。
「…ありがとう」
ようやく表情に笑みが戻ったとき、ザックスは手の中の包みをギュッと掴んでそう一言礼を言った。
そして、もう一度同じ言葉を繰り返すと、颯爽とその場を去っていく。
去り際に、じゃあ土産でも買ってくるよ、なんて笑いながら。
ザックスが去った後、そこはシンと静まっていた。
瓶底オヤジは、クラウドを連れて外に出て行ったザックスの後姿をそっと窓から眺めていたが、やがてその姿が視界から消えていくと窓からすっと身を離した。
そして、先ほどまでそうしていたように、例の指定席に腰を下ろす。
「…ワシに出来ること。たったこれだけですまんなあ、ザックス」
皺深いその顔をくしゃっとさせながらそう呟く瓶底オヤジは、どこか悲しげな表情をしている。
先ほどザックスに訴えかけるような言葉を放っていた人とはまるで別人かのように見えるその小さな体は、前屈みになった際、更に小さく見えた。
瓶底オヤジの視界にあるのは、木目の床である。
しかし、それでもそれは脳に認識されておらず、彼の脳を捉えていたのは大切な人々の表情だった。
妻の優しい表情と、娘の笑顔。
そして、土産を買ってくるよと笑ったザックス。
――――もう、取り返しはつかないけれど。
「…なあ、ワシはもう、間違っておらんだろう?」
誰に向かって放たれたのか、その言葉は虚しく静かな宙を舞っていく。
そしてそれは、やがて散り、消えていった。
その家が赤く燃え滾る炎に包まれたのは、それから一時間後のことだった。
久々の例の酒場。
今日はクラウドも連れているからどうかとも思ったが、先ほど瓶底オヤジから受けた話からすれば、早々に真実を見極めた方が良いというのがザックスの本音だった。
だから、迷ったもののその酒場のドアを開ける。
木の擦れるようなギイイイという音は、何だか懐かしい感じがしてやけにザックスの鼓動を早くさせた。とはいえ、もし此処にルヴィがいないのであれば見極めるも何も無いのだから、その緊張すら無意味のように思われるが。
しかしともかく、今日はクラウドを連れている。
この酒場の連中は気の良い人間ばかりだったが、それでも状況としてザックスは気を張らねばならなかった。
クラウドに対して少しでも何か言われるならば、その時には自分を抑えられるかどうか分からない。クラウドに関しては、どうしても感情のコントロールが難しいのである。
しかし、そういったザックスの懸念は、ドアを開けた向こうを見遣った瞬間にすうっと消え去っていった。
――――何故なら。
「あ…れ?」
酒場の中を目をしたザックスは、体を動かすことも忘れて呆然とした。
だって、そうだろう。
酒場の中にはたった一人の客しかいないのだから。
勿論いつも盛況というわけではないが、それにしたって今までの経験上、ここまで客が少ないのは初めてのことである。よもや何かあったのだろうか、そんな事まで考えてしまう。
「…ザク?」
一体どうしたんだ、そう考えているザックスの思考を止めたのは、そんな一言がかけられた時だった。
それは酒場の奥、丁度カウンター席の方から聞こえる。
カウンター席といえば―――そうだ、ルヴィの特等席じゃないか。
ふとそんなことを思い出したザックスは、しっかりとした意識でそのカウンターにある姿を捉えた。そこにあるのは予測通りルヴィの姿で、それは今日此処にザックスがやってきた理由そのものである。
どうやら、条件は揃ったらしい。
「…よう。久し振りだな、ルヴィ」
幾分か引き締まった表情を見せながらそう言ったザックスは、クラウドの手を引きながらルヴィのいるカウンター席までをゆっくりと進んでいった。そうしてルヴィの隣の席に腰を下ろすと、その隣にクラウドを座らせる。
クラウドはザックスのナビに従って椅子に腰を下ろしたものの相変わらずの虚ろさで、その瞳はぼうっとルヴィを見つめていた。勿論、それを捉える能力は無かったろうが。
「暫くだけど、元気だったか」
いつもだったら絶対に使わないような言葉を並べたザックスは、どういう表情をすれば良いか分からないままに引き締めた表情を続けている。
そんなザックスの横で既に酒を流し込んでいたルヴィは、久々の再会だからなのか、それともそんなザックスの言葉が妙だと思ったからなのか、ともかく何か戸惑った顔をしていた。
どうも、何かがぎこちない。
しかし考えてみれば、ぎこちないなどというのは妙な話でしかないだろう。何せルヴィの方には何も問題は無いのだ。
ザックスには「ルヴィが神羅の人間かもしれない」という懸念があるが、ルヴィのほうにはそういったものがない。
それなのに。
「…彼、“クラウド”?」
戸惑った表情をしていたルヴィは、少ししてその表情を崩すと突然のようにそんなことを聞いてきた。
そう言われたことでザックスは、今更のようだがクラウドを紹介したりする。
ルヴィにはクラウドの事を説明してあるから、今更まわりくどい説明は不要だろうと思い、簡潔に名前だけを言う。
ルヴィがこうしてクラウドと会うのは初めてのことで、今迄ザックスから事の次第を聞いていたとはいえ、実際にそれが真実だと再認識したというのが今のルヴィの正直なところだろう。それが証拠に「なるほど」などと唸っている。
ルヴィは、クラウドの視線が確実に自分に注がれているのに、それが全く関心として捉えられていないという事にはっきり気付いていた。
「確かに重症。疑ってたわけじゃないけど改めて信じるわ」
「ああ」
ザックスもチラとクラウドの方を見てみたが、それはやはり何にも関心を示さない虚ろさを持っている。
仕方無い、それが今は普通の状態なのだから。
そう思ってクラウドから視線を外したザックスは、ルヴィに向き直って実直にこう切り出した。
「ルヴィ。聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいこと?」
一体何だろうと首を傾げるルヴィに、ザックスは慎重に一つ頷く。
そして、早々にも核心に迫る言葉を放った。
「率直に聞く。お前…神羅の人間なのか?」
「え?」
言われて、ルヴィは驚いたような声を上げた。今正に口に流し込もうと思っていた酒が手から滑り落ちそうになるくらい驚いたらしく、慌ててグラスを押さえたりしている。
その動作を視界に受け止めながら、ザックスは話を進めていった。
「前から疑問だった。俺はお前が何してるヤツかって事も知らないんだ。それにあの仕事だって…一体お前、何者なんだ?」
「ヤダ!何言ってるの、ザク。私は私よ、何者でもないわ」
真剣な面持ちのザックスに向かって、ルヴィは噴出さんばかりの勢いで手をヒラヒラさせてそんなふうに言う。
それが妙に勘に触ったのは仕方無いことだろう。
「ルヴィ…!」
思わずルヴィの腕をガッツリと掴んだザックスは、その手からグラスが落ちて、ガシャン、と割れるのも構わずに叫んだ。
「これは遊びじゃないんだ!お前の天国と同じじゃない!真剣に答えろ!」
何としても真実を、ザックスの心にあるのはそれだけである。
ルヴィが神羅の人間なのか否かをはっきりさせなくてはと思うその心は、ザックスの手に知らず力を込めさせていた。
そのせいか、ルヴィは痛そうに顔を歪めている。
「お前は一体何者なんだ、ルヴィ!答えろ!」
「ちょ…もう、このバカ力…!」
グイ、そう腕を振り回して、ようやくザックスの手はルヴィの腕から離れた。
その衝撃で一瞬体勢が崩れたザックスは、それでも直ぐに体勢を立て直すと、逃亡は許さないとでもいうようにルヴィをじっと睨みつける。最早、此処で答えが出ないなどという自体は絶対に許されないのだ。
そういうザックスの気迫を理解したルヴィは、先ほどまで抑えられていた手首をもう一方の手で摩りながら、まったく、などと息をつく。
「レディにこれは失礼すぎる。ザク、少しは落ち着いて」
「ルヴィ、真剣に答えろ。お前は一体…」
「ラジャー、サー!」
相変わらずおどけたふうに両手を挙げてそう言ったルヴィは、ともかく落ち着いて欲しいということを繰り返し口にすると、一息ついた後にザックスに向かってこう言った。
それは、簡潔な言葉ながらも衝撃の一言で。
「――――YES」
YES。
神羅の人間かどうか、その質問への答えは………「YES」。
それはつまり、ルヴィは神羅の人間だということである。
あの日ザックスが発見してしまった通りにルヴィは神羅の人間で、ザックスの事情を全て知りながらも共に酒を飲んでいたということなのである。
それはザックスにとっては、裏切りも同等だったのは言うまでも無い。
「ま…さか……お前」
信じられない。
信じられない。
まさか本当に――――神羅の人間だったなんて。
ザックスの心に巡ったのはそれで、先程まであれほど息を巻いていたというのに一気に虚脱が巡ったほどだった。前のめりになっていた上体は、一瞬の内に椅子の背もたれにドサリと沈む。
裏切りとは、こんなに虚脱の襲うものだったろうか。
悲しいとか腹立たしいとかそんな感情よりももっと深い虚脱。これが、裏切られた時の気分だというのだろうか。
もう何を考えるのも億劫のような気がして、ザックスは魂が抜けた入れ物のようにぼんやりとルヴィを見詰めていた。視界の中のルヴィはいつものように笑っていて、ザックスのそんな姿に何も感じていないかのようである。
普通であれば怒るところだったろうが、この時は虚脱感が勝っていた。
最早、怒る気にもなれない。あまりにも虚しすぎて。
「どう、ザク。これで満足した?私は神羅の人間で、ザクのこと知ってて近付いてきた…まあ三流のシナリオとしては上出来。でしょ?」
「……」
「で、その後はどうする?――――勿論、ザクとクラウドを抹殺ってのが常道ね」
「……」
目前のルヴィが楽しそうにそんな言葉を並べ立てるのを耳にしながら、ザックスはひたすらぼんやりとして、言葉を一切発さなかった。
背後にいるはずのクラウドを守るのが自分の道だと思うのに、それすら薄れていきそうな感じがする。
例えば今すぐ此処でルヴィに殺されるとしたら、多分その時には抵抗はできないだろう。したくないというわけではなく、体が動かないのだ。クラウドを守るにも、これでは全くもって意味がない。
そんなことをぼんやりと考える中で、ザックスはふと先ほどの瓶底オヤジの顔を思い浮かべた。
瓶底オヤジは何と言っていたのだったか。
確か―――――――…
“道が見つかったというなら、今度はその道から拾うべきものは何なのか、その道に捨てるべきものは何なのか、それを見て欲しいんだ。ワシのようになる前に”
確か、そう言っていたと思う。
折角あんなふうに言ってくれたのに、ギルまで包んで持たせてくれたのに、この様だなんて笑い話にもならない。
真実から目を反らさずにというならば、これこそが正に真実なのだから静かに受け入れるしかなのだろうが…でも、あまりに酷すぎる。
もう大切なものは失いたくないと、そう思ったのに。
それなのに、大切だと思ったものはこうして笑いながら裏切っていくのだ。
残るのはいつも笑顔で――――酷い、酷すぎる。