「…準備万端か?」
唇を離した後、それでも息のかかる至近距離で、ルーファウスはそう言った。準備…といっても今すぐと言われたからには準備も何もない。というよりできない。
とりあえずツォンはそれに「はい」とだけ返すと、既にツォンのタイを緩めてシャツのボタンを上から順に外しているルーファウスに目を落とした。
あまりに早い展開。
「…あの、ルーファウス様」
「ん?」
ルーファウスはいかにもといった表情でボタンを外している。その上そのボタンが全て外れると、今度は当然のようにツォンのベルトを外し始めた。
「何かあったんですか?…いえ、時間に遅れたのは私が悪かったと思いますが、何というかそれ以外にこう…何かあったのかな、と」
「別に何もないぞ」
「そ、そうですか…」
何もなくて突然そんな気分になったのだろうか?
…いや、分からなくも無いが。
ツォンはそんなことを思いながらも、もう既にベルトを取り払うところまできていたルーファウスの手を制御し、変わりにルーファウスの体を包み込むと、そのままベットに押し倒した。
今迄ルーファウスがそうしていたように、今度はツォンがルーファウスの服に手をかける。そうしながら見おろしたルーファウスは、既に陶酔した表情をしていた。
そしてその表情のまま、
「…このベット、良いな」
そんなことを言う。
ベットが良いと言われても、ツォンとしてはさっぱり意味が分からない。まさかベットの作りが良いというわけでもあるまい、何しろパイプだ。
しかしどうやらそれは全く違う意味だったらしく、少しした後にルーファウスは少し笑んでこう言った。
「何だかな、このベット…お前の匂いがするんだ」
「えっ」
まさか良からぬ意味ではあるまいな…!?
ドキリとして一瞬固まったツォンだったが、それもどうやら違っていたらしい。
「何か…側にいるみたいな気分になる」
「そういうものですか?」
「うん、だからツォンが帰ってくるまで此処にいたら何か…何か。…妙な気分になった」
「妙?」
それは、要するに――――…そういう意味だろう。
ルーファウスはそれに答えない代わりに、グイとツォンを抱き寄せて深くキスをした。舌を絡めながら片手をツォンの下半身に伸ばすと、衣類の上から僅かな膨らみを愛撫する。
「…んっ…」
絡む舌先とルーファウスの愛撫から刺激を受けたツォンは、ほどなく下半身の膨らみを大きくさせた。ただでさえ、ここのところキスだけでも勃起してしまうくらいだったツォンとしては、これは少々辛い…いや、嬉しいけれど。
それに気付いたルーファウスは、唇をそっと外して囁いた。
「…今日は、早くしよ」
「早く、って…良いんですか、それで?」
「うん、それが良い」
ルーファウスがそう言うので、じゃあ、という具合にツォンはルーファウスの下半身に手を伸ばし、自分がされたように愛撫をし始める。
どういうわけか今日のルーファウスは、甘い雰囲気でまったりするよりも、先に進みたいらしい。これも先程の、ベットに染み付いた匂いとやらがなせる業なのだろうか。
そんなことを考えていたツォンは、愛撫していたルーファウスの先端が既に濡れていることに気付いた。どうやらいつも以上に感情が高ぶっているらしい。
…やはり、もっと早く帰ってくるべきだった。
そう思ったツォンは、愛撫する指先に優しさを込める。しかしそれでも早急にと望むルーファウスがいるので、なるべく早い動作でそれをこなした。
だんだんと荒くなっていくルーファウスの息遣い。ふとルーファウスの顔を見遣ると、その人は軽く目を閉じ、わずかに口を開けていた。
「うっ、んっ…」
その開いた口元から漏れる声がなんだか妙に艶っぽくて、否が応にも興奮してしまう。こうなってくると、早急にしたいというルーファウスの気持ちも分からなくも無い。
もっと、密着したい。
もっと、もっと、奥に。
そんな興奮に包まれながら、ツォンは愛撫する手とは反対の手を己の口元に運んで、ニ三本の指を口内に押し入れた。唾液で指を濡らすと、
「ルーファウス様…良いですか」
そう聞く。
それがどういう意味か分かったらしいルーファウスは、喘ぎ声をそのままにコクコクと頷いた。その表情はもう既に陶酔の中である。
じゃあ、と言ってスッと体をスライドさせたツォンは、愛撫していたそこに顔を近づけ、今度は舌先で愛撫し始めた。唾液交じりの指はその先へ辿り、狭い入口をほぐすようにやや強く蠢く。
それを幾分か続けた後、少しくらいは緩んだだろうそこに、ツォンは徐々に指を押し入れていった。
「んっ!あ、ああっ…っ」
多少慣れてきたとはいえやはり異物感があるのだろう、ルーファウスはビクッと体を反応させ小さく声をあげる。しかし、やがてその進入が円滑になり摩擦へと変わると、すっかり陶酔した表情を浮かべた。
ルーファウスが絶頂に昇りつめるのにはそうそう長い時間はかからず、その前兆は思いのほか早い時にやってきた。今日は元々気分も高揚していたようだから、その所為もあるだろうが。
それは、ガッと掴まれたシーツの波が、ツォンの視界に入ったその時……
「だっ、駄目!なんか、もうイきそ…っ」
そう口に出されたことでツォンは、ああ、そろそろか、と思ったが、ルーファウスはただでイこうとはしなかった。
「んっ、く、悔し…いっ、もう早く挿れろ、ツォンっ」
「く、悔しい?」
興奮の中とはいえ思わず呆気にとられたツォンは、それと同時に愛撫する手を止める。達すればそれなりに快感なはずなのに、悔しいというのは初耳だ。
何だか良く分からないながらもルーファウスが早く挿れろというので、もう少ししてからと思っていた気持ちを取り払い、ツォンは慌しく自分のものを挿入した。
痛みが付随する中、それでも強引に奥まで押し入れる。そして、張り付くような肉壁の中で、もう一度引き出してから再度挿入する。
なかなか潤滑にはいかなかったが、痛みと快楽が交じり合った中で膨らむ熱気と興奮が、気持ちを先行させ体を従属させた。
「あ、あっ!ツォ…ン…んっ!」
折り重なるようになって近付いた顔に、吐息がかかる。
じっとりと汗を帯びた体をしっかり抱きしめるように胸部を擦り合わせると、丁度ルーファウスの耳元に下降した唇で、ツォンは少々の息遣いと共に想いを伝えた。
「…愛してます…」
それを聞いたはずのルーファウスは口では返答せず、ただ、ギュッとツォンの体を抱きしめ返す。ツォンはそれが何だか嬉しくて、腰を動かすのと同時に沢山の言葉をその耳元に送った。
二人とも絶頂に向かっていることは確かで、体の内部に走る快感こそ一番だと知っていたが、それでもこういう言葉が何かを満たすときもある。体は体を満たし、心から出でる言葉は心を満たしていく。
「帰したくなくなりますよ、貴方を」
数々の言葉の中で最後にツォンがそう言った時、ルーファウスはこれ以上ないというくらいの絶頂の寸前で、こう叫んだ。
「じゃ…あ、帰んない…っ!」
快感の時を終えた二人は、ようやく落ち着いて話をした。
思えば抱き合うまでの間はメールでやりとりしていたのだから、マトモに話したのはその時が始めてといっても過言ではない。
そこにきてやっと「あのメールは何なんだ」と尤もな怒りを発することができたツォンだったが、「何で仕事を持ち帰ってきたんだ」というこれまた尤もな反論に最終的に負けたのは悲しい話である。
ともかくそんなふうに夜は更け、翌日も出かけたり家で寛いだりした二人だったが、そんな楽しい時間はすぐに過ぎていっていく。
ちょうど12時になり、翌日になってしまったその時。
折角の時間が終わってしまったという落胆を隠せないままに、ツォンは「そろそろ送りましょう」と提案した。何しろこれ以上いると明日に支障が出るし、それに―――より寂しくなってしまう。
「先に車に向かってますね」
そう言って腰を上げたツォンは、上着を羽織って車のキーを手にした。
しかしルーファウスは、
「何で?」
そんな事を言って首を傾げる。
それがあまりにも純粋に疑問を感じている様子だったので、ツォンは思わず呆然としてしまう。だって、何でも何もない。帰る時間だからに決まっている。
「明日も早いじゃないですか」
そう言って苦笑したツォンは、だから帰りましょう、と続けた。……が。
「何でだ。だってお前は言っただろう。帰したくない、って」
「なっ!そ、それは…言いましたけどっ」
まさかそれを言われると思ってもみなかったツォンは、いつもだったら絶対に言わないセリフをあの興奮の中で言ってしまったことに対して赤面した。というか、まさかルーファウスがそれを真に受けているとは。
「それに言ったじゃないか。じゃあ帰らない、って。だから帰らないぞ」
「か、帰らないって…そんな」
そう呻いてツォンが焦りだす一方、ルーファウスは首を傾げた。
ルーファウスにしてみれば、何がそんなにいけないのか疑問で仕方ない。しかし、ツォンの様子からするに、どうやら帰らないといけないらしい。それはつまり、此処にいてはいけないという事だ。
帰宅しても誰がいるというわけでもないルーファウスとしては、別段ツォンと此処にいても一向に構わなかった。というか、むしろそちらの方が嬉しい。なぜ今迄それを思いつかなかったのだろうかというくらいの勢いである。
「あの、ルーファウス様。当然のことですが、ルーファウス様は副社長なんですよ?その上、私との関係はこう…秘密裏なんですから、そういうのはちょっと…」
「ツォンは一緒にいたくないのか?」
「そんなことは言ってません。いたいですよ、それは勿論!」
「じゃあ良いじゃないか」
「いや、ですから…」
どうやらツォンの説得はてんで効かないらしい。
ツォンとしては、立場上こういうのは問題があるという尤もな理由のほかにも、大きな理由が存在していた。確かに、ルーファウスの言う通り一緒にいられることはこの上なく嬉しい。でもそれは、反対に言えばかなり危険でもある。
だって毎日ルーファウスとこうしていたら、毎日理性を張り巡らさねばならない。…これは実にしんどい。その上ルーファウスときたら、今日のように臆面もなく誘いをかけてくるではないか。…更にしんどい。
「ええと…ともかく!もう帰りますよ、ルーファウス様。私は車で待ってますから、絶対に来て下さいね」
もうこうなったら強硬手段に出るしかない、そう思ったツォンは何も考えずにそう言葉を投げかけると、さっと身を翻した。こうしてしまえば、少々拗ねたとしてもさすがについてこないわけにはいかないだろう。
そう思ったのだが、そのツォンの作戦もどうやら失敗に終わってしまったらしい。
――――――何故なら。
ピピピ…
「ん?」
正に家のドアを開けようとしていたとき、ツォンの携帯が鳴った。
何だと思って見てみると―――“新着メールがあります”。
「……」
…何だか嫌な予感がする。
そう思いながらメールを見てみると…それは嫌な予感そのものだった。
相手は、ルーファウスの携帯。そしてメールの内容は…。
「……“帰りたくないんだけど”」
その文面を声に出したツォンは、その意味を頭の中で噛み砕き、ふう、と息をついた。
そして、部屋を振り返らないままにこう言う。
「そんな事を言うと、毎晩、襲いますよ」
すると、今度はメールではなく声でこう返ってくる。
「うん、それでも良いぞ」
「良いぞ、って!もう…何が起こっても知りませんよ!?」
「うん、何でも受けて立つぞ」
「……」
馬の耳に念仏、ルーファウスの耳に説教、である。どうやら副社長の耳には、全ての説得が甘い誘惑と聞こえるらしい。
何を言っても無駄なルーファウスに重い溜息をついたツォンは、これはもう仕方なさそうだと腹を括りながらも、最後にこう言った。
「じゃあ――――誘拐しちゃいますよ」
これに対するルーファウスの返答はといえば…”あのベットの上で監禁しても構わないぞ”である。嬉々としてそう言ったルーファウスを見て、ツォンは思わず困った笑いを浮かべたのだった。
――――――――それにしても。
ルーファウスはあのベットが大層気にいったらしく、ツォンの匂いがするから興奮するんだ、とその後何度も口にした。
それはそれで嬉しい気もしたのだが、今となっては傍に本人がいるというのに、ベットに僅か残った匂いの方に想いを寄せられては、さすがに少し寂しい気がする。
そんなことに少し悶々としてしまったツォンだったが、そんなツォンも、少し経ってからそのルーファウスの気持ちが分かった気がした。
だってそのベットには、いつの間にかルーファウスの匂いも染み付いていたから。
“大切な人は、今頃何をしているだろうか?”
相手の事を考えて眠りについていたお互いの時間、そう思っていたその気持ち。
それらはやがて、一つの場所に溶けていく。
END
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