理想郷(1)【ツォンルー】

ツォンルー

インフォメーション

  ■SERIOUS●SHORT

私はお前の為に全てを捨てられるのだろうか…。ルーファウスが失った理想郷とは。

理想郷:ツォン×ルーファウス

 

指先で、そっとなぞる輪郭線。

あの頃より少し細くなったような気がする。

黒い瞳の奥に宿る光は、少し鈍くなったような気がする。

変わらないものはきっとあるはずなのに、それでもそこには何か、変わってしまったものがあるような気がした。

「…逃げようか」

答えは分かっていたが、それでもルーファウスはそう口に出して聞いてみた。

今見上げているツォンの顔が、どこか歪んでいくような気がする。

そしてその口元が僅か揺れて、言葉を告げた。

「今の貴方には、できるはずない」

とても辛辣な言葉ではあったが、ルーファウスがその言葉に嫌な反応を返すことは無い。もう既に分かっていたのだ、そう言われることくらい。

「…そうだな」

だから、正直にそう頷いてみる。

確かにそうだ。自分は捨てられるはずないのだ、今という状況を。全ての責任が、今自分にのしかかっているのだから。

ちょっとしたこの時間に期待をするのは、馬鹿げたことだと思う。それでも頼ってしまうのは、過去にできなかったある判断の為。

まだ自由だった頃に、できなかった判断。

それが今、こうして結果を生み出す。

その結果とは、もしかしたら一生のものとして手に入るかもしれなかった愛情を、暫時的なものに変えてしまったということである。

それは今さら後悔しても仕方ないことだけれど、ずっと胸の中でつかえていた。

「そういえば、前はお前がこの言葉を言ったんだったな」

俯いて笑うと、そうポツリと呟く。

“逃げましょうか”

そう言ったのはツォンだった。その言葉をツォンが口に出すことは、ひどく勇気のいったことだったに違いない。

それでも、あの頃―――――それに頷くことなどできなくて。

今ならできるかもしれないと思っても、もうそれは、遅い。

ツォンという人間と僅かな愛情を分かち合う時間は、だからルーファウスを落胆させていた。とても嬉しいと思うのに、その反面、とても落ち込む。

あと一秒でも側にいようと思っても、それもまた落胆の要因にしかならないのだ。

今こうして抱きしめ合っていたとしても―――――数秒後には他人に戻ってしまう。

期間限定の恋人。

いや、それとも単なる慰め合いなのか。

けれど、本当に悲しいのはそういう事じゃない。

ツォンと暫時的な関係でしかないことは悲しいことでもあったが、それよりもっと悲しいのは自分自身だろうと思う。

そう、今さっきツォンが言ったように、自分はきっと“できない”から。

私は、ツォンの為に全てを捨てることは、できない―――――。

愛情が本物であったとしても、それができないのだ。

本当はそれが、一番、悲しかった。

 

 

 

それはある冬の話。

同年代の青年が詰め込むことのない知識を膨大に脳内に押し込み、ルーファウスが少々ばてていた。

春から就任という話だったので、自由にできる最後の時間といってもいい。その時にルーファウスは、最後だからと色んな場所に息抜きといって出かけていた。

しかし何処にいっても春からの自分の姿が付きまとう。これでは休む意味すらない。

そんなルーファウスの最後の自由時間に、護衛としてツォンがついてきていた。

ツォンとは昔から仲が良い。

仲が良いというのは語弊があるかもしれないが、ルーファウスはそう思っていた。

友達のような存在であるツォンは、一部の人間からすれば少し厳しい面もあったが、大体はルーファウスの話を良く聞いてくれる。

だから、そんなツォンが好きだった。

神羅の人間はそれなりに話をしてくれはするが、基本的に勤務時間内に会うために、それほど深く耳を傾けてくれない。その他の人間といえば、家の使用人だとかになってしまう。

彼らは確かに優しいが、それはあくまで主人に対しての態度である。同じくらいの歳の人間はといえば、ツォン以外、存在していなかった。

何せ、大体の住宅密集地からプレジデント宅は離れていたから。

「春から…何だか自由が無くなるみたいな気分だ」

宿泊している部屋の窓辺で、無意識にルーファウスが呟く。

午前中は色々と見て回って、さて午後からは場所を移そうか、というその合間の時間。

基本的に人にはついてきて欲しくないといったルーファウスの意見を重視して、プレジデントは唯一ツォンだけを護衛につけた。

本当ならそれなりに護衛を仕事にする人間がいたが、それではルーファウスが嫌がるのは目に見えていたから。

ツォンなら嫌がらないだろう、そう思って二人だけの旅となったのだ。

何をするでもなく、ただルーファウスに付き添っていたツォンは、時折見せるルーファウスの憂鬱な顔に、なるべく厳しい顔を向けていた。

プレジデント神羅がルーファウスに護衛を幾人もつけようとしたその理由は、正にそれだった。

入社を目前にしているルーファウスが何かしでかさないかを見張れ、それと共にそれなりの自覚を養わせろ、という具合である。

前もってそれを聞いていたツォンは、それなりにその言葉を実行していたが、やはりそれも時々崩れるときがある。

神羅カンパニーという以上にルーファウスには頼られているからか、どうしても同情心が抜けないのだろう。

「大丈夫ですよ。多忙の中にも休日はありますし」

そう口にしたツォンだったが、本当は休日などあって無いようなものだ。心で苦笑いを漏らしながら、ツォンは慰めるように笑った。

「違う、そういう意味じゃない。会社に入ったら、いつも見張られてるみたいな生活になりそうじゃないか」

それが嫌だ、そう言いながらルーファウスは大きなベットの脇に力なく座る。

もう何回か同じ会話をしていたが、それでもまだ足りない気がしてしまうのは、多分不安が抜けないせいだろう。その不安を前にして息抜きなんて、本当はできるものじゃないのかもしれない。

だから、この息抜きの旅の実際の意味は、愚痴の解放といったところだった。

「ツォンは…嫌になったことは無いのか?」

「私が?」

問われて、ツォンはルーファウスの隣に腰を下ろした。そして、少し考えてこう口にする。

「無い…とは言いきれませんが。けれど口に出すべきことではないです」

「辞めようとは?」

「辞める?…まさか、そんな」

そう返したものの、実際はそれも先ほどと同じ回答だった。

辞めようと考えたことが無いわけではない。でもそれは多忙から逃げようということではなく、もっと大きな理由からである。

部外者として見る姿と、実際の姿が違うこと…そういった事は決して少なくない。

未来が期待できるからと入った場所が、実際にはその希望と正反対のことをしていても、それは珍しいことではないのだ。

しかしそれは、今のルーファウスに説明できるものではない。

「神羅はそんなに良いものか?」

ツォンがそう返したことで、ルーファウスは少し訝しそうな顔でそう聞いた。

「どうでしょう、それは春になれば自ずと分かるものですよ」

「…何だか全部、曖昧な答えばかりだ」

ちゃんと答えないなんて、とぶつぶつ文句を言いながらも、ルーファウスは腕などを組んでいる。それを見ながらツォンは、やはり苦く笑った。

答えたくても、答えられない。

それが本心だったから。

もし此処で本心を言えば、それは今回の付き添いの意味を失ってしまう。といって完璧に本心を隠すことを、同情心は阻む。だから、この状況はツォンにとって少し辛いものだった。

暫くして腕を解いたルーファウスは、気持ちを切り替えたように息をつくと、午後の予定についての話をし始める。

どうせこの話は堂々巡りでしかないのだから、いつまで話していてもキリがないのだ。

しかし、数分後にはきっとまた同じ会話をするのだろうと、ツォンは思っていた。

 

 

 

午後、湖畔に出向いた。

何ということもなく、ただただ静か。その静寂の中で、周囲に広がる景色を見つめながら風を感じている。

滅多に人が寄り付かないというその湖は、綺麗というよりどこか淀んでいたが、それを帳消しにできるくらいに心を鎮める効果がある。

それは静けさでもあり、そしてあまりにも緑豊かなことでもあった。

水面を見つめたルーファウスが「水深はどのくらいだろう」と言ったのに、ツォンは「かなり深いそうです」とだけ答える。

「こんな水面下にも何か棲んでるんだろうな」

水はいかにも濁っているけれど。

「そうですね」

「濁った水の中でも生きられるもんなんだな」

何となくその言葉に反応して、ツォンは静かに言葉を漏らした。

「…生き物はそんなに軟では無いのでしょう」

そのツォンの言葉を口に出して繰り返したルーファウスは、先ほどの部屋での会話をぶり返す。

「ツォン、本当に辞めたいと思ったことがないのか?」

突然その話を振られ、ツォンは驚いたように目を開いた。

まさか、先ほどそれなりに躱したはずだった内容を、また振られるとは思ってもみなかった。

ルーファウスの愚痴ならまだしも、こうも質問されると困ってしまう。

仕方無い、そう思って苦い笑いを見せると、

「…ありますよ」

と、ツォンは本心を告げた。

それを聞いて、どういうわけかルーファウスは怒ったような顔つきになる。

先ほど、嘘といえないまでも本心とは別のことを言った…それを怒っているとは思えないが、それでもその顔は本気そのものだった。

しかも、こんなことを言う始末である。

「あるなら。何で辞めないんだ」

「何で、といっても……」

理由ならいくらでもある。辞めたいと思った契機が一つであろうが、それを決断できない理由は様々だった。

生活するため、ある程度の地位に就いたため…理由はいくらでもある。

が、それをルーファウスに言ったところで、彼にその全てが把握できるのかどうかは分からない。

ルーファウスには基本的に生活的な苦しさは無いし、地位についても申し分ないものが用意されているのだから。

羨望とか劣等感があるわけではないが、事実は変えようがないのだから仕方無い。

「色々、理由はありますよ」

結局また曖昧な言葉で返答したツォンは、もうその会話を続けまいとして顔を背けた。が、ルーファウスはそうはさせてくれなかった。

食い下がるように、こんなことを言い始める。

「ツォンは勇気がないだけじゃないか!そんなのは理屈だ。辞めたいなら、辞めればいい。何でそうやって、仕方無いとか思うんだ」

「ルーファウス様…」

ルーファウスにそんなことを言われるとは思ってもみなくて、ツォンはただ苦笑した。けれどルーファウスがそういう事を言える理由はよく分かっている。

それが言える「次元」にいるのだ。

身分的にも、時期的にも。

一瞬、その違いについて説明でもしようかと思ったが、それほど大人気ないこともないか、と思い、ツォンは思いとどまる。

きっと一時の不安感がそういう言葉を吐かせるのだ。

そうに決まっている。

そんなふうに解決させて、もうそれは良いではないですか、と宥めの言葉を送ってみる。しかしそれも気に食わなかったらしいルーファウスは、

「お前がそういう事を言うな!」

と怒鳴るように言葉を投げつけた。

それは何だか突拍子もない言葉だったが、ルーファウスにとっては大事なことだった。

意味を図りかねたツォンが明らかに不審そうな顔をすると、ルーファウスはもう一度同じ言葉を繰り返す。

「お前がそういう事を言うな!」

“お前が”とは―――――…一体、どういう意味なのか?

そう思ったがそれを追求せずにいると、ルーファウスはふいと違う方向に顔を背け、もう良い、と言った。

「お前はこの湖の底でだって生きられるんだな」

そんなふうに零したルーファウスの横顔は、どこか寂しげに見えた。

 

 

NEXT

 

タイトルとURLをコピーしました