餞(2)【ツォンルー】

ツォンルー

 

ルーファウスはしばらく姿を消しており、ツォンはそれが着替えのためだと思っていたが、そうではなかったらしい。帰ってきたルーファウスは先ほどと変わらぬ格好をしていた。

「何か要るか」

「いえ、お気になさらないで下さい」

「悪いな」

何せ慣れて無いからな、そう言葉を続けたルーファウスは、ツォンの真正面に腰を下ろす。

二人のあいだには膝程度の高さのテーブルがあったが、その上は綺麗さっぱりとしており、使用しているようには見えなかった。それを見る限りだと、ルーファウスの言葉にも頷けるというものだ。

慣れていない、というよりかは、そういったことをしたことも無いのではないだろうか。

何しろそうする必要すらない。この家も、寝室とシャワー室程度しか使用されていないのかもしれない。

「落ち着かないか?」

ふっと笑ってそう言うルーファウスに、ツォンは良い返答ができないまま俯いた。正直に言えばそうだったが、それをそのまま口にするのもどうかと思う。

それにしてもこの状況は、ツォンにとってとてつもなく戸惑うものだった。なにしろ、何も無いのだ。

沈黙の強い味方であるドリンクも、普通なら一つ、二つはあるはずの話題も、何もかもが無い。

何も準備されていない状況で、しかし目前には想う人がいる。嬉しい反面、ツォンはどうしていいか分からなかった。何か良い話題を、そう思えば思うほど浮かばない。

しかしそう思ううちに、ルーファウスの方から話題が振られた。

「さっきも言ったが…気になるだろう?」

最初ツォンは、それが何の事か分からなかった。しかし少しして、ああ、と思う。

例の女性についてか―――そこまで行き着いて納得する。納得したは良いが、そのルーファウスの言葉には納得できかねた。

気になるだろう、とはどういうことなのか。それはつまり……。

「何故、そう思われるのですか」

「“何故”?…面白いことを言うな、お前は」

そんな言葉の後に、やはりルーファウスは笑った。余裕を携えた笑みは、遠慮なくツォンに突きつけられる。

「ツォン。お前は、私が気付いていないとでも思っているのか?」

「何の事です?」

「シラを切るな。自分の行動を良く思い返してみろ」

そう言われてもツォンには何が何の事だか分からなかった。何をもってしてルーファウスがそんな言葉を口にするのか、良く理解できなかった。

そんな態度のツォンを、ルーファウスはじっと見つめている。…とにかく落ち着かない。

よく分からないながらもこの話題は危険だ、そう判断して何か違う話題を考え始めた時、ルーファウスがすっと立ち上がった。

「?」

つい、目が向かう。

けれど―――。

「―――欲しいのだろう?」

真横まで来たルーファウスが、そっと腰を下ろし、ツォンを見て言う。

そうされた瞬間、鼓動が早くなった。

先ほど車内で向けられたのと同じ、真っ直ぐな視線と、自信に満ちた笑み。それがツォンの目前にある。

その唇が次の言葉をなぞり上げ、その指先がツォンの首筋に這う。

目が離せない。

言葉も出せない。

ただ、鼓動が早くなるだけで。

「―――お前の眼は、いつも舐めるように私を見ている」

「……なっ」

ルーファウスの唇は湾曲を描き、綺麗に笑う。

「お前は、私が欲しいんだろう?」

その言葉には自信が溢れていた。それに加えてその瞳は、視線を逸らすことを許さない。

的を得ている、しかも確実に欲求だけを抜き出したその言葉。

もし今此処で、それに肯定などしたら―――どうなるのか。

そうしたところで、ルーファウスはそれを受け入れるのだろうか。いや、それは無いだろう。けれどじゃあ何故そんなふうに誘導の言葉を口にするのか分からない。

どうしろというんだ―――ツォンの中にあるのは、葛藤だった。しかしその葛藤は、目前の誘惑の前では小さな火にしかならない。

何かを考えるよりもまず、目前のその人の存在が大きすぎるのだ。

「私が送れと言うとき、お前はいつも僅かに苦痛そうな顔をする。それに私が気付いてないとでも思ったのか?」

「……」

「言ってみろ、ツォン。その眼で私を見ながら、お前は何を考えてる?」

「……止…めて下さい」

このままではペースに巻き込まれてしまう。そうなった後に自分がどうなるかは自信がない。

今までずっと知られてはいけない、悟られてはいけない、そう思っていたことだったのに、今まさにその相手が自分を崩そうとしている。

あまりにも残酷だと思う。

ルーファウスには相手がしっかりといる。それはツォンも、ルーファウス自身も理解していることである。その上でルーファウスはそんなふうに言うのだ。

本音を白状したところで、ツォンにとって利益があるとは思えなかった。多分、恥を晒すだけだろう。この余裕の笑みの中で、罵られるくらいしか予想できない。

「言えないのか。だったら、私が言ってやろうか?」

「…え…?」

「お前が何を考えているか、私が教えてやろうというんだ」

「……」

ツォンの首筋から手を離したルーファウスは、そこから少し下降した場所でまた指を蠢かせた。丁寧にきつく結ばれたネクタイの結び目を、その指はゆっくり解き始める。

「…な…にを、なさるのです」

「“何を”?…お前はこうしたいんじゃないのか。私と、こうしたいんだろう?」

「…無、理です。…私は」

分からない。目前のルーファウスが何をしたいのか。

確実にそういった方向へ追いつめようとする指の動きを、俯いた顔の中から眺めている。緩やかに解かれたネクタイはルーファウスの手に握られ、スルスルと左の方向に引っ張られると、完全にツォンの身から離れた。

それは、無残に床に放られる。

それからルーファウスの指は、更に追い討ちをかけるようにシャツのボタンを外し始めた。

一つづつ、ゆっくりと。

「嘘をつくな。欲しいくせに」

ボタンを外す手とは反対の手が、ツォンの右手を掴んだ。一瞬、ビクリとする。

「いけません、ルーファウス様」

何とかしっかりした口調でそう言ってみたものの、もう既に間近にあるルーファウスの吐息を意識しないわけにはいかなかった。漏れる息の端々に、情けないと思いながらも欲情してしまう。

はっきりいえば、状況からしても時間の問題だった。このままいけば、確実に自分はルーファウスをその腕に抱いてしまう。それはルーファウスの誘惑という理由だけでは、最早留めることはできないだろう。

しかしそうなってしまった後に来る現実が―――とても、恐い。

そうありたいと思う希望と共に、恐怖があるのも事実だった。

たった一度でもその身体を知ってしまった後、ルーファウスが別の場所に返ってゆくのを見ながら、あれは一夜限りの気まぐれだった、と笑うことができるだろうか。

―――できるはずがない。

こんなにも、想っていて。できるはずなど、無い。

「今、私は此処にいる。お前の手の届く場所にいる。…それでも、耐えられるのか?」

そうしてツォンの右手はルーファウスに誘導され、その細い身体まで運ばれた。

初めて触れたその身体に、どうして良いか分からなくなる。そうする内にルーファウスのもう一方の手はシャツの隙間からツォンの肌にまで侵食した。

少しばかり冷たさのあるその指は、敏感な部分にまでたどり着き、そこを愛撫し始める。

「ツォン、無理はするな。欲しいなら―――抱けば良い、私を」

「何故…」

何故、そんな事を―――?

分かっているのだろうか、その後に襲い来る苦痛を。

それを知っていて、ただの暇つぶしかゲームのようにそうして誘導するのだろうか。

分が悪い、分が悪すぎる。

それなのに…そう思うのに。

「…っ…」

いけない、そう思う心とは裏腹に、ツォンの手はルーファウスの身体を抱き寄せた。そうした後、真新しいのと何ら変わり無いソファの上に倒れこみ、ツォンはルーファウスを見下ろした。

長い髪の端が白い肌にかかり、ルーファウスはそっとそれを手で払う。そして、嘘じゃないかと思うほど優しい声で囁いた。

「…お前の好きにして良いんだ…」

理性が無いわけではない。分かっているのだ、この状況がおかしいものだということくらい。

けれど、意味もわからないままルーファウスに誘惑され、あられもないほどに本心を言い当てられ、そして―――この状況でどうしろというのか。

こうするほか無いのではないだろうか。

良く考えてみれば、この時間を過ごしてしまった以上はもう、何もかもが苦痛にしかならないのだ。何故ならルーファウスは気付いていた。心の中に秘めていたこの想いに。

車内でルーファウスに見詰められた時から、こういう選択しかなかったのかもしれない。

あの瞬間からもう、ルーファウスはこういった展開まで誘導しようとしていたのかもしれない。

その理由は―――分からないけれど。

疑問は多くあったが、それよりも先に、手はルーファウスの身体を這っていた。心の底ではいつも望んでいたその身体を目前にし、脳裏を掠める妄想を吹き消す。

今は、此処にいるのだ。目前に、その人が。

首筋に何度も何度も口付けを繰り返し、捲し上げた服の下から胸部を弄る。先ほどルーファウスが自分にしたように突起部を指先で擽ると、ビクン、とルーファウスの身体は反応を返す。

そうした反応すらツォンにとっては初めてで、それは積年の想いへの感動というよりかは更なる欲求をかきたてた。これでその人と通じ合えるわけでもなく、全てが解決するわけでもないと分かっているのに、この瞬間だけは全ての想いをぶつけたいと思う。

どうせ犯す過ちならば、いっそ重罪にしてしまえば良い。

壊れ行く理性の中で、ツォンはそんなふうに思っていた。

舌先と指先での愛撫を何度もした後、ツォンの手は相手の下半身へと伸びていく。鼓動は早いのに、服を取り去る手の動きは緩やかである。

もう既に昂ぶり勃起するそこを服の隙間から取り出すと、先端を指で撫でつけながら上下し始める。

「は、あ…あっ」

少しばかり眉を顰めて喘ぐルーファウスに、ツォンはゆっくりと口付けた。塞がれた口の中でそれでも喘ぐその人を、細めた目でそっと見つめる。

脳裏に何度か描いた、その人の欲に濡れた表情。

実際にそれを目にし、ああ、やはり綺麗だと思う。眉をしかめても尚、その顔は端正だった。

もっと―――もっと、もっとその表情を、見せて欲しい。

叶うなら、自分だけに。

無理に決まっている、そう分かっているのに願ってしまう。だから、無意識に手の動きは早まっていた。

もっと、もっとその声を聞いていたいから。

だから、そうしながらも再度、上半身への愛撫を丹念にし始める。そうする内にルーファウスの手が肩にかかった。そこには力が込められており、それがツォンにある種の快楽をもたらす。

「あっあっ、んっ」

「…ずっと…見ていました、貴方を…」

どうせ届きはしないだろう言葉を、口にする。

この時間が終われば違う場所に返ってしまうその人を見つめて。

「―――もっと…感じて、下さい」

そう言って上体を下降させたツォンは、手で律動を続けながらもルーファウスの下半身を持ち上げる。そうして露になったそこを空いた手でこじ開けると、そっとその奥に舌を絡めた。周囲を存分に濡らした後に、中まで進入させる。

「は、あっ…あっ!」

ゾクリとする感じに、ルーファウスは腰を浮かせた。その反応にツォンは、もう少しだけそこを舌先で弄り上げた。

その度にビクリとするルーファウスに、溜まらない感情が渦巻く。それと同時に、自分も存分に興奮している事に気付いた。ツォンは未だに服を着ていたが、昂ぶる下半身が窮屈そうにしているのが自分でも分かる。

当然だ、と思う。こんなにも望んだ場所なのだから。

己の身体の状態からすればもう目前の身体に突き入れたい頃でもあったが、そうするにはまだまだルーファウスのそこは狭すぎる。

「…こちらは…初めてですか…?」

そういえば、ルーファウスの相手は女性なのだ。

普段、ルーファウスはどんなふうにかの女性を抱くのだろうか。その女性を存分に愛撫し、それから優しく欲を満たすのだろうか。それとも、全く別だろうか。

どちらにしてもそれを知ることはできないが、それにしても身体を重ねるということについては嫉妬すら感じる。

今、確かにこうして抱いている身体は、本来なら自分が抱いて良いものではない。

ツォンの問いにルーファウスは何も答えなかったが、ただ口が僅かに微笑を見せた。それを、ツォンの眼はしっかりと捉えていた。

その瞬間に思ったことは一つだった。

自分以外を、受け入れてなど欲しくない―――。

たったそれだけだったが、それは如実に行動に反映されたのだった。

今まで律儀に行っていた律動をすっぱりと止めると、ツォンはその手を強引にルーファウスの奥へと突き入れた。狭いと感じる余裕すらなく、強引に。

「つ…っ!」

張り付くように拒絶するそこに強引な律動を与える。

唾液で少しばかり滑りが良くなったものの、それだけでは受け入れに十分ではない。拒絶する肌を割って何度も進入するツォンの指は、ルーファウスの顔を痛いほど歪ませた。

しかしその苦痛を訴える表情を見ても、その行為を止めることは出来なかった。

ルーファウスの微笑が示しているものは何か、そんなものはすぐに理解できた。それこそが、ツォンの問いへの答えなのだ。

 

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