10:FALL IN YOU 名誉地位
ずっと、手の届く存在だと思っていた。
誰よりも一番近くて、一番それが相応しいのは自分以外いないはずだった。
何故なら彼は、他の誰をも寄せ付けない雰囲気を漂わせており、その中に入っていけるのは自分くらいだったからだ。
彼は口数が少なかったが、それでも自分とは会話をしてくれた。
だから―――きっと、自分は彼にとっては“特別”だろうと思っていた。
そう、他の誰よりも。
それがどういう感情なのかは良く分からなかったが、とにかくその情報を手に入れた時は激しい痛みを感じた。
それは本人からではなく、ルーファウスにとっては部下でしかない人間の、しかも噂という曖昧な所から手に入れたものだった。
「最近セフィロスのヤツ、定期的にどこかに出かけてるらしいなあ」
その名前に反応して、ルーファウスは思わず立ち止まる。
廊下で堂々と無駄話などをしている社員を一瞥しながらも、その内容は酷く心に引っかかり、結局は説教じみた言葉と共にその内容まで聞きだしてしまった。
その社員達は仰々しい態度をとっていたが、聞かれた内容については俗的なものの為か、軽くこう話してくる。
「そうなんですよ、副社長。業務中にどこかに姿を消してる、って…これはソルジャー連中が言ってたから本当の話ですよ」
「業務中に…か」
それは信じがたい事だった。セフィロスはあれでも任務などには真面目な男だったし、定期的に出かけるような場所があるとは考えにくい。
「きっとアレですよ。女です、副社長」
そう面白がって言ってくる平社員に、ルーファウスは至極不機嫌な顔になった。そもそも言葉遣いからしてなっていない。
「そういう事は業務終了後に言うんだな」
何だか酷く嫌な気分になって、ルーファウスはそう返した後にすぐに真相を調べようと思った。
セフィロスに女――――?
とても信じられない。
というかそれは、信じたくないといった方が正しいかもしれない。
セフィロスが誰かに執着するとは思えないし、さらにどこかの女にそれほどの器があるとは思えなかった。しかし、そういうふうに言葉にされれば、そうなのかもしれないという疑念だけが渦巻いていく。
事実セフィロスは英雄で、今や誰しもがそれを認知しているのだ。つまりそれは、誰しもが羨望や憧れの対象と見ているということである。
どうにかして真実を突き止めたい―――とにかくそう思う。
もしそれで得られた答えが自分の望むものでは無いとしても、はっきりと知りたかった。
ルーファウスにしてみればそれは当然の感情だったが、第三者からみれば単なる嫉妬としか言いようが無い行動だったろう。
だが、ルーファウス自身がそれを悟る事は難しかった。
何故ならルーファウスの中にあるのは、愛情とか恋愛とかそういった言葉では無かったからである。
そこにあるのは―――支配したいという、欲望だけだった。
職務怠慢の疑惑という理由付けで部下に調査依頼をしたルーファウスが、その真実を知ったのは意外と早い時期だった。
報告を聞き、ルーファウスはやはり酷い痛みを感じる。
それは、無表情で機械的な音でルーファウスの耳に届いた。
“セフィロスは定期的にある少女を訪ねています。
場所はスラム6番街外れで、治安が良い場所とはいえません。
その少女ですが、市民登録からすれば、現在母親と二人暮らしで、年齢は11歳。父親は先の戦争で逝去しています。
セフィロスとの性的な関係は特にありませんが、会話からするに、戦時中にセフィロスがその少女を助けたようで、見舞いとして訪問を続けているようです ”
理解できない…ルーファウスはそう思う。
何故そんなふうに訪ねる必要性があるのか。セフィロスはその少女を助けたのだから、それだけでも感謝されるべきことだ。
それなのに、この期に及んでさらに見舞いなど、馬鹿げている。
それは、違う。
ルーファウスは心の中で必死にそう否定した。否定する理由など考える余地は無い。どうしてそういう気持ちになるのか、そんなことはどうでも良かったのだ。
ただ、その行動が許せない。厳密に言えば、誰かに執着していることや、誰かが執着されていることが、許せなかった。
ふと――――妙な考えが頭に浮かぶ。
自分は一体、セフィロスの中でどのくらいを占めているのだろうか?
いや、そもそも自分は存在しているのだろうか?
何故だかとても不安になり、ルーファウスはその後の報告は聞かなかった。もしそれ以上にセフィロスが自分から離れていくような事実があるなら、心臓が壊れてしまうような気がしたから…。
辛い、苦しい――――これは、何だ?
相手はたかが子供だ。しかもセフィロスとの間に男女の関係がある訳でもない。ただ…ただそれだけなのに。
苦しい―――こんな思いは、初めてだ。
どうにかして自分を守らなくてはならないと、そう思う。
こんなふうに辛いだけの気持ちを抱えているのは良くない。
元凶は何だろうと考えれば、それは過去の事実でしかなく、しかもそれはセフィロスの自発的な行動だった。だが、それ自体を否定するのは何故か嫌な気がする。セフィロスが悪いわけではないのだから。
悪いのは、誰なんだ?
誰が俺を苦しめるんだ?
そう思えば思うほど、ルーファウスは混乱した。自分の中には存在しない言葉で表現されるその感情に、頭が割れるような気さえしていた。
助けて欲しい。この苦しみから解放されたい。
だが、そうするには邪魔なものがある。
混乱した思考が出した答えは、とても歪んだものだった。
それは相手がセフィロスでなければルーファウスも出さなかっただろう答えだったが、結局ルーファウスは己の心を満たすようにそれを行動に移した。
その答えを出した瞬間―――ルーファウスの顔には、とてつもない安堵が広がった。
「―――ツォンを、呼んでくれ」
――――――少女の死体は、酷く汚らしかった。
安堵する。
これでもう安心だ。これで邪魔者はいない。
きっとセフィロスもこれで解放されるはずだ。
これで良い。
その歪んだ安堵の中で、ルーファウスは考える。
だがこれでセフィロスが手に入るとはいえない。問題は、彼の中に自分が存在しているかどうかなのだから。邪魔者を排除するのはまず第一段階とでもいおうか。だから第二段階としては、絶対的な関係を作り上げなければならない。
きっとセフィロスはそんなことを望みはしないと、分かっていた。だからこそ強制的な位置づけをしてやらなければならないのだ。
普通ならそれは非常に難しい問題だったが、ルーファウスには簡単な事だった。何しろ彼は、組織図上部下であるセフィロスを絶対的服従させるだけの権力を有していたのだから…。
だが、誤算があった。
それはとても初歩的なことだったが、ルーファウスは己の感情に囚われたままだったために、それに気づけなかった。
セフィロスは、“そういう男”ではなかったのだ。
権力の前に跪くような、男では―――――。
何か、プレゼントを。
邪魔者のいないこの状態で、名誉ある地位を与えて―――服従、を。
とても単純な思い。
それは――――“欲しい”という、思いだった。
セフィロスを呼び出してから、ルーファウスはその話を振った。名目は腐るほどあり、表面上はとくに疑問視されない。
ゆっくりとルーファウスの前に姿を現したセフィロスは、その内容に表情一つ変えずに、ただ断固として拒否を決め込んだ。
「名誉地位だ。ソルジャークラス1stのままでは、何かと分が悪いだろう?」
久々の二人きりの空間に、ルーファウスは幾分嬉しそうにそう言う。
こんなふうに地位を与えられるのは自分にしか出来ないことだ。だからこそ、誰にも負けないという自負がある。今はもう存在しないあの少女ですら、こんな事はできないのだ。
――――しかしその思いは、あっけなく崩れ去った。
「それは断る」
反響するセフィロスの言葉に、抉られるような痛みが走る。
……何故?
「な…。なぜそんなことを言う?名誉だぞ、他の誰だって私や父からこんな待遇を受ける事はできない。それなのに、何故だ?」
さっぱり分からないというふうに混乱し始めたルーファウスの顔は、セフィロスの眼にはただの人形か何かにしか映らなかった。
何かに囚われて、己の感情のままに最低限の善悪の区別すら失った人間―――。
「“何故”…?…理由が聞きたいのか。それは―――必要ないからだ」
「必要ない…」
「そうだ。必要ない」
まるで嘘のような言葉である。絶対的な関係を作るチャンスすら、彼は与えてはくれない。それはまるで、存在自体を否定されているかのようだった。
セフィロスは呆然としていたルーファウスに、こんな言葉をかける。
「―――命の重みを知っているか?」
その言葉を聞いたとき、全ては崩れたような気がした。
ああ、きっとセフィロスは知ってしまったのだ―――。
あの少女を殺したのが、自分だという事を。
どういうルートで知ったのかは分からないが、それでもきっとそうに違いない。
そしてその目で攻め続けるのだろう。
―――命の重みすら忘れた人間に、与えるものは何も無い、と…。
一番の望みなのに。
一番、欲しいものなのに。
それなのに。
命の重みを―――知らないはずがないのに。
全てを否定し続けていた過去の自分を…過去の自分の命を救ったのは、彼だったから。だから、知らないはずがなかった。
だからこそ、こんなにも欲しいと思っていた。
初めて“与えてくれた”人だったから――――。
だから。
諦めるなど、到底不可能なのだ。
ルーファウスの脳は、事実よりも可能性を求めて―――崩れ、始めた。
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