月曜日:悪夢の始まり
ルーファウスの自宅は結構片付いていた。全体的に寒色系で纏められた部屋はそう悪く無い。
たまにバカ高そうな物体があるが、それは意識的に視界から抹殺しておく。もしこれを壊そうものならどれだけの損害が…そこまで考えてツォンは頭が痛くなった。
大型のソファーとガラステーブルの置かれた居間に通されると、ツォンは一応正座なんかをした。その間、ルーファウスはワインセラーから何やらワインを選んでいる。
それにしても落ち着かない…。
部屋は綺麗だし、別に嫌な感じもしないのに。
会社でのルーファウスは、どちらかというと生活感を感じさせない人だった。それでもこう部屋に踏み込むと、それなりに生活感がある。とはいえ、普通の家よりかはやはりそれは乏しいかもしれないが。
「これ。これにしよう」
そう言ってルーファウスは一本のワインを選び抜いた。ワイングラス二個をもう一方の手にぶらさげて、かなり上機嫌である。
「ツォン、正座なんかして疲れないか?」
「ああ…まあ」
「崩せば良いのに」
そう言いながらルーファウスはいかにもざっくばらんに座り込むと、ワインのコルクを抜いた。そう言われてもどうも体勢が崩せないツォンは、結局そのまま正座なんかをしつつ注がれたワインを手に取る。
「じゃ、乾杯」
「はい、乾杯…で」
チャリン、と可愛い音がなる。
乾杯といえば普通はめでたい席でするものだが、ツォンはやっぱり「全然有難くないのに」と心の中で思っていた。
今頃、自宅はどうなってることだろうか。業者が何だかんだとやっているのはわかるが、もし一週間で事が済まなければ、多分ルーファウスはこのままこのマンションに居ろというだろう。長引けば長引くほど辛い気がする…。
「ツォン」
「はい?」
「…これから一緒だな」
「…はい!?」
「いや、だから…ずっと一緒にいれるなって」
「いや、あのですね。勘違いして貰っては困ります。私は一週間だけ…」
「嫌なのか?」
「…いや、そういう訳では…」
「嫌なのか!?」
「…あ、あのですねっ」
「嫌だっていうのかっ!!?」
「…いえ、すみませんでした」
ルーファウスは勝ち誇ったような笑みを漏らすと、ワインを一口飲んだ。どうも負け腰のツォンである。
仕事上ではこんなこともないのに、ひとたびプライベートに踏み込むとこういう事態になるのは何故だろう…。ツォンには目前のルーファウスが悪魔に見えた。
溜息をつきつつ、ワインを一口を飲む。しかしそれも、はっきり言って落ち着くものではない。何故って、ルーファウスがじっとコチラを見ているからである。
「…あの、ルーファウス様」
「ツォン」
何ですかその視線は、そう突っ込もうとしたのに、ルーファウスが名前を呼んでくる。この場合ツォンの方が先に言葉を放ったわけだが、ルーファウスの語調とこの雰囲気からいって、「…あの、ルーファウス様」≦「ツォン」…という事になる。よってこの場合、ツォンの言葉は無視されることになるのだ。
「ツォン。…今日、泊まってけよ」
「…え!?」
また始まった…、そう思ったがそれより驚きが勝った。泊まるって隣同士でか!、という突っ込みも入れたかったが、それよりもまず驚きである。
ツォンはルーファウスの言いたい事を察して、コホン、と一つ咳払いしてこう返した。
「それは出来かねます。今日はルーファウス様も色々お疲れでしょうし」
というか私の方が百倍疲れたんだが、と心の中で密かに言い直す。
「俺は疲れてない」
そりゃそうでしょう、と突っ込みたい。
「…それとも一緒にいるのは嫌なのか」
「いえ、そんな事は」
「じゃあ…」
そう言った後、スルリとルーファウスの身体がツォンに一歩寄った。動物的直感で身の危険を察知したツォンは、無意識に反対側に一歩避ける。
それに気付いてルーファウスがまた一歩、スルリ、と寄る。
となれば勿論、ツォンもスルリ、と避ける。
それが大体、ガラステーブルを一周した。
いつまで経っても堂々巡りでツォンの元にたどり着かないのにイラついたのか、ルーファウスはムッとして、倍速でツォンの隣を陣取る。これは勿論、真横、である。
とうとう追いやられたツォンは、隣のルーファウスをチラリ、と見遣りながらワインを一口飲んだ。
「…何で逃げる?」
「逃げてません」
「いいや、逃げた」
「逃げてないですって」
「逃ーげーたーっ!!」
「………すみません、つい」
ああ…何だろうこの上下関係は……。
ツォンは泣きたい気分になった。
これこそが恐れていたことなのである。これから一週間とはいえ、これに付き合うかと思うと生きた心地がするのかどうかが疑問だった。
ルーファウスはしっかり自分のグラスを手にしながら、ツォンに向かってこんなことを言い始める。
「ツォン、提案だ」
「何でしょう?」
何だかまた嫌な予感がする…。とはいえ、今回の提案は神羅とは無関係なことだろう。それだけでもまだ良いか…そう思い、取り敢えずはその内容を聞いてみる。
「良いか。此処は俺の家だ。で、俺のマンションだ。という事は、プライベートだ」
「そうですね」
そんな当然のことを言ってどうするのだろうか、ツォンは首を傾げる。
「つまり神羅とは無関係。仕事とプライベートは別。だよな?」
「はい。まあ、そうあれば宜しいですね」
「という事は、だ。此処では上下関係は無い。そう思わないか?」
「…と言いますと?」
そう聞いたツォンに、ルーファウスは少し酔った目つきでこう言った。ちょっとばかり艶かしい感じがする。
「神羅では俺は上司、ツォンは部下。それは変わらないけど、良く考えてみろ。…俺とツォンはそれだけの仲じゃないだろ…?…だったら。プライベートはプライベート」
「…つまり、その心は?」
何が言いたいのかさっぱり分からないまま、ツォンはそう聞く。どうも回りくどい。ルーファウスにしては少し遠慮気味な気がする。
しかし、そう思ったのはその時だけだった。
ほろ酔いにはなっているはずなのに、ルーファウスはきっぱりと言ったのだった。
「だから。その敬語、やめろ」
「…え!?」
驚いてツォンはワイングラスを落としそうになった。…が、セーフである。
とにもかくにもルーファウスのその提案があんまりにもツォンにとって厳しいものだったので、ついつい開いた口が塞がらなくなった。
敬語をやめろ、という事はつまり…。
「様、とか…つけんな」
「えー…と、そんな事言われましても」
「ほら!その“言われましても”ってのも駄目!“そんな事言うな”で良いだろ」
「い、いや…それは」
「いや、駄目駄目!そう決めた。今決めた。決めたからには実行」
「え!そんなっ!」
何て勝手な!!!
ツォンとて相手がタークスだったり、そのほかの人間だったりすれば敬語は使わない。が、ルーファウス=上司というこの図式から成り立った、染み付いたこの敬語をいきなり崩せといわれてもそれは厳しい話だった。
なにせ、ルーファウスの顔を見た瞬間に自動的に敬語になってしまうのだから。
「ル、ルーファウス様…」
「あ。今、“様”付けたな。罰金、100ギル!」
「はあ!?」
ほら、と言いながらルーファウスは飲みかけでまだワインの入っているそのグラスをツォンに差し出す。どうやらその中に入れろというらしい。
ツォンは泣く泣くポケットから小銭の100ギルを取り出すと、そのワイングラスの中に放り込んだ。
ポチャン…音がする。
「どれだけ貯まるかな」
ルーファウスは小悪魔的微笑を見せると、そのグラスを静かに揺らす。
100ギルは、その中でゆらゆらと揺れていた。
「楽しみだな、ツォン?」
「は、はあ…」
ああ―――何だか妙に先が思いやられる………ツォンはそう思い、心の中でそっと溜息をつく。
結局その日は、なんとか無事に帰宅できたツォンであった。